『TeX Live を使おう──主に Linux ユーザのために──』もう少し改訂

TeX Live を使おう──主に Linux ユーザのために──だが、もう少し改訂を入れておいた。具体的には、

  • 日本語フォントの説明とフリーフォントの埋め込みの記述を分離
  • 源ノ角ゴ・源ノ明朝、Noto CJK フォントの使用ガイド
  • LuaTeX-ja による縦書きの説明を追加
  • リンク切れ追跡・修正、https 化への対応
を足した。まあ、とりあえず現時点でできるのはこんなものかねえ。しかし、誰かもっと分かり易いガイドを書いてもらえませんかね……私が大学生や院生だったらきっと書いてると思うんだけどなあ。document って、何も cutting edge なものだけが求められているわけじゃないでしょう。分かっている人と分かっていない人の間のギャップを埋めるのは大事だと思うんだけどねえ。

『TeX Live を使おう──主に Linux ユーザのために──』改訂

TeX Live のガイド『TeX Live を使おう──主に Linux ユーザのために──』を公開しているわけだけど、しばらくちゃんとした更新をサボっていて無惨なことになっていたので、今日の午前中の時間を使って各所を書き換え、あまりに古かったインストーラーのスクリーンショット等を更新した。

今の TeX Live は、フォントの選択などはラッパーがかなり充実していて、ラッパーで設定すればそれで用が足りるわけなのだけど、特に日本語フォントや luajitlatex の設定等に関しては情報を残しておきたい……ような気がするわけだ。まあ、どれだけの人に恩恵があるかどうかは分からないけど。

ちなみに私が何故ああいう情報、特に日本語フォントや縦書きについての情報を書き、掲載しているのかというと、教会で使うマニュアルを書くのに縦書きで書かなければならなかったり、青空文庫を PDF に変換していた頃に必要だったり(今は epub に変換するから関係ないんだが)していたから。まあでも最近は、文学系の同人誌を出版している人々とかの方が余程ノウハウ持っておられるだろうし、私が書く必要はないのかもしれないが、分からない人に分かるように情報を提示する技術、というのもあるかもしれないしね。

久々にフォントで悩む

最近サボっていたフォントの整備を、暇をみつけてはちょこちょこやっている。グリフ数があまりに膨大なために、なかなか TeX 関係でうまく扱いにくい源ノ角ゴシック / 源ノ明朝辺りから、まずは最終版を落としてきてインストールする。

LuaTeX で使ってみると、うんうん、ちゃんと使えますね。

warning (file /usr/share/fonts/opentype/SourceHan/SourceHanSerifJP-Light.otf) (cff): charset data possibly broken (too many glyphs)
と怒られるけどね。字体ははっきりしていて良い感じ。現状ではヒラギノ・游・源ノの使い分けという感じでしょうね。

こうなってくると、今度はブラウザという話になる。ブラウザも源ノフォントに置換したけれど、問題は等幅フォントをどうするか、という話。源ノ角ゴシックにも等幅フォントがあるのだけど、いわゆる半角・全角の比が 1:2 ではない。まあこの時代、それに拘る必要もないとは思うのだけど、気になると言えば気になるところではある。

とりあえず、最近の他のフォントということで Noto mono フォントを試してみると……おお、いい感じだけど…… 1:2 ではないな、微妙に。うーむ。ということで、等幅だけは従来から使っている Migu 1m に戻すことにする。もう少しシリアスな感じの字体が欲しいところなのだが、文句を言う立場に僕はないので……金出さない奴に文句を言う資格はないので。

まあ、もう少し各方面で調整が続きそうなのである。

「趣味はネット」の違和感

もういい加減、時代も熟れてきたんじゃないかと思っている。Internet に対する optimistic なだけの賛美というものが、ようやく見られなくなってきたかなあ、と感じているのだ。

これには二つの要因があるように、僕は捉えている。ひとつは open network というもののリスクが周知されるようになったということ。ウイルスやスパイウェア、ランサムウェアの類の被害が普通にメディアでも報じされるようになり、イタいめをみた人の数も増加してきた。個人情報が知られるべきでない人の手に渡るリスクというのも、ちょっと前の「ケツ毛バーガー事件」に代表されるようなものから、最近は撮影画像から指紋を読み取られるリスクの話まで、知られるようになりつつある(なりつつある、のは事実だが、完全に周知されるには未だ至っていないような気もするのだが)。

もうひとつの要因は、日本人がどんどん内向きになっていること。たとえば、一般大衆に facebook より LINE が好まれているのも、承認というもので他者を招き入れるゆるやかに囲われた場、というものを、現在の日本人がより求めている結果なのか、と見えるわけだ。何故、open さの中で自分で定めた field でなく、実は不確かかもしれない「供給された場」をより好むのか、というのは、これもおそらくは理由がふたつあって、自分で何もかも統制する自由より、あれこれ考えないで気安く使える、ということ(これはマスとしての日本人が情報社会の構造を自分のものにできていないということだと思うけどね)、そして、自分で統制するということと表裏一体の「自分が責任を負う」ということに、今の日本人が耐えられない、ということなのだろう。いずれにしても、これらの結果として、今の日本人は内向きになりつつある。残念ながらこれは事実だろうと思うわけだ。

このように、ネットというものが無批判にもてはやされるものではなくなった、ということは、その次に来るものはおそらく趣味化ということだろう。そして「趣味はネット」という言葉を、また耳にすることが多くなるのだろうか……とか思ったりする。しかしなあ、本当に違和感があるんだよね、この言い方。

何に違和感を感じるか、というと、丁度「趣味は鉋(アワビじゃなくてカンナね)なんです」とか言われることに近い。いや、鉋の刃を研ぐことだったり、宮大工みたいに薄〜い鉋がけをすることだったり、その鉋屑を何かに使うことだったり……そういう趣味を否定する気は毛頭ないのだ。しかし、それらを趣味にする人がいたとして、「いやー私、趣味は鉋でして……」って言うんだろうか。ああ、いや、一種のネタとして言う人はいるかもしれないけれど、でもそれ以外では言わないんじゃないかと思うんだけど。

僕はネット使いの名手(?)というわけではないんだけど、もう四半世紀、いわゆる Internet を毎日の生活の一部みたいに使い続けてきた。けれど、これは趣味ではないし、使えば使う程、ネットは道具だ、せいぜい拡大的に言ってもメディアという位だ、と思わされるわけだ。これを趣味にする、というのが……いや、まあ、人のかたちというものは多種多様なので、そういう人がいることまで否定はしないけれど、僕と僕の言語感覚において、僕の趣味はネットです、と言うことは、これまでもなかったし、おそらくこれからもないのだろうと思う。

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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