自然なものが自然だというのは幻想である

まだ若い女子プロレスラーが自ら命を絶たれたらしい。洩れ聞く話では硫化水素を使用したのではないかとのことで、何ともやりきれない話である。

この女性は『テラスハウス TOKYO 2019-2020』という番組に出演しており、その中での発言が傲慢だったという非難を受けていたらしい。Twitter では、彼女に粘着的に非難を続けるアカウントが存在していたらしく、死が報じられた日の夕方に、そのアカウントは消された。

また、この番組ではスタジオの面々がかなり辛口、というか、攻撃的なコメントをすることが知られていて、特に山里氏のそれはキツいものだったらしい、発言をまとめたサイトなどで読んでみると、その場の雰囲気が分からない私には、これってもはやミソジニストとかインセルとか言われるレベルじゃないのか……とも見えてしまう。

しかし、他にも指摘されているわけだが、これはあくまでテレビ番組なのだ。そこには当然構成や演出というものが介在している。だってドキュメンタリーじゃないの? とかいう声が聞こえてきそうだが、森達也の著書を出すまでもなく「ドキュメンタリーは嘘をつく」のだ。

たとえば、ディズニーが1950年代に制作した "White Wilderness" というドキュメンタリーフィルムがあって、これにレミングの集団自殺という映像:

が記録されている。これは実にそれっぽい映像で、私も何かでこれを見て、すっかり信じ込んでいたことがある。しかし実はこれは創作であって、撮影時にはスタッフが崖にレミングを追い詰め、果てには手でレミングを掴み、水に投げ込んでいた、というのだ。

恋愛を題材にしたドキュメンタリー(っぽい体裁の番組)を制作するにあたって、何が目をひくのか、ということを考えて演出するならば、そのポイントはいくつかに絞られる。たとえば、およそモテない奴が足掻く様を映像にして、スタジオの面々がそれを面白おかしくいじる(かつて私の大学の同期がこの被害に遭ったのだが)、スタイリッシュに見せたいのなら、鞘当てであったり、無様な様子であったり、怒りを抱くような言動であったり……そしてそれをやはりスタジオの面々が煽る、そういう演出が行われる可能性は大いにあるのだ。

特に連続ものであるならば、怒りという要素は実に効果的だ。怒りは人を執着させるから。だから、登場人物の中に「いけ好かない奴」「腹立たしい奴」を作る、ということは、演出としては効果的なのだろうと思う。

ただし、そういう風に出てきている人物が本当にそういう人物なのか、普段からそういう言動なのか……それはまた違う話だ。しかし、「こうあってほしい」「こうあるべきだ」という思い込みに、怒りという執着が加わった結果なのか、そしてスタジオの煽り(これもまた演出の結果なのだが)にまんまとのせられた結果なのか、全方位的にその人物は批判されるべきだ、否定されるべきだ、と思い込まされる。それがあってこその「視聴者の執着」なのだろうが、それは個人攻撃への危険と常に表裏一体だ。

そして、このコロナ騒動での家への引きこもりである。一日中エゴサーチしようとすればできてしまう。見なければよい、と言っても、わざわざ Twitter でコメントを付けてこられるのはキツいかもしれない。ミュートやブロックを即座にすれば良かったのかもしれないが……受け止めてしまったのだろうか。

自分が21歳のときにこういうことがあったとしたら(って、今あの頃の自分がいても映像媒体における商品価値なんかないんだろうけどね)、これはキツいと思うのだ。しかも女子プロレスラーで、強い自分を演出しなければならない、という思いがあったとしたら、それは尚更のことだろうと思う。

本当なら、Twitter や Instagram のアカウントなんか消してしまえばよかったのではないかとも思う。しかし、番組に出演中ということだと、それも難しかったのだろうか。いずれにしても、この話はちょっとやりきれない。そういう心境である。

戦争が始まったのかもしれない

イラン、米軍を報復攻撃 イラク駐留基地にミサイル―司令官殺害で本格衝突も (2020年01月08日11時18分, jiji.com)

現時点では米軍基地で死者が出たらしい、以上の確実な情報は出ていない。米兵数十人が亡くなった、いや亡くなったのはイラク人だけだ……等々。いずれにしても、イランが弾道ミサイルを打ち込んだことは事実のようである。

また、

イラン、米同盟国に警告 (2020/1/8 09:40, 共同通信)
「米国の同盟国各国の領土が米国による攻撃に使われた場合、イランの反撃の標的になる」とのこと。そんな中、日本は海上自衛隊の中東への派遣を強行するつもりらしい。おそらく、12月20日の安倍=ロウハニ会談で「(派遣の)意図は理解している」とのコメントを得たから、ということなんだろうが、もう状況は変わっているのだ。でもそれはシカトして強行する、と。まるで「名誉の戦死者カモーン!」とでも言わんばかりだと感じてしまうのだが……日本の平和の為の戦死者なるものがいてくれた方がいい、とでも思っているのだろうか。

いつの世も変わらない。ノブレス・オブリージュというものが欠片程もない状況で、自分は銃後に身を置いた者が若者を戦いに送り出すのだ。違うだろ、ジジイ、まずはお前から死にに行ってこいや、って話なんだが。

戦争の臭いがする

最近ここに書く頻度も大分減ってきて、なんだ Thomas は消えたのか、とか思われそうな気がしてきたけれど、いえいえ、ちゃんと生きております。近況報告をする気などさらさらないのだけど、少しはちゃんと書くべきものを書いておこうと思って、今キーを叩いている。

イラン革命防衛隊の「ゴドス部隊」(シーア派民兵の軍事教育等を行ってきた対外特殊工作部隊らしい)のカセム・ソレイマニ司令官が、バクダッドの空港近郊を車で移動中、米軍の無人航空機 MQ-9 の攻撃を受けて死亡した。色々な言われようで報道されているけれど、要するに暗殺されたのだ。

The New York Times の記事によると、この暗殺に至る経緯には頭を抱えるような心地がするものらしい。記事を見ると、

WASHINGTON — In the chaotic days leading to the death of Maj. Gen. Qassim Suleimani, Iran’s most powerful commander, top American military officials put the option of killing him — which they viewed as the most extreme response to recent Iranian-led violence in Iraq — on the menu they presented to President Trump.

They didn’t think he would take it. In the wars waged since the Sept. 11, 2001, attacks, Pentagon officials have often offered improbable options to presidents to make other possibilities appear more palatable.

いや、相手はトランプだから。オバマだったら思慮深く対応するかもしれないが、トランプ相手にそういう小技を使おうとしても、それはキ××イに刃物というやつだろう。実際、こうなっているわけなのだから。

ソレイマニ司令官はイランでは国民的英雄という扱いらしい。ハメネイ師との関係が非常に良好な人物だったということもあるだろうが、国全体が三日間喪に服するというのだから、その扱われようがうかがえるというものだ。イランは報復を宣言しており、欧米では #wwiii のハッシュタグが乱れ飛んでいる状況なのだが……日本は、はぁ、何やっているのだろうか。

安倍首相は年頭記者会見で、イラン問題においてリーダーシップを発揮するでんでん、と発言していたが、実際は何をしていたのか。

……ほー。何が一体リーダーシップなのだろうか。仮に先月末にロウハニ大統領と会見していたとしても、もしリーダーシップというものを持っているならば、弾丸ツアーでイラン訪問位するなら分かるけど、会食だ、ゴルフだ、引きこもりだ……ほー。

まあこんな感じである。何らかの衝突が起きる可能性は極めて高い。第三次世界大戦とまでいくかどうかは分からないが、第五次中東紛争に発展する可能性は低くはないと思う。戦争の臭いがするのだ。

初歩の論理学

3年という短い間であったわけだが、僕は国家公務員だったことがある。途中からは「みなし公務員」という妙な立場になっていたわけだが、身の回りにいたのは研究者だけでなく、公務員試験を受けて入ってきた人達も多かった。彼らの多くは研究に従事し、学位を得て、独立した研究者になっていった人達だが、中にはいわゆる技術官僚とでも言うべき方向に向かう人達も存在した。とりわけ当時の僕とは随分と違うスタンスの人達で、何やら見ていて複雑な気分になったのを覚えている。

彼らに共通していたのは、自分の意志だけで大きなことを進めることは決してない、ということ。これはとにかく徹底していた。何か公言を憚られるようなことが行われるとしても、そこには必ず根回しや下地作り、ロジックの準備が伴った。それを見ていただけに、それだけ上の位にあったとしても、官僚が自らの意志で指示を出し、たとえば森友問題のようなことをやらかすことはまずないと言える。

あれが官僚だけで閉じた意志決定構造の中から実行に移されたものではない、というのは、それを推進する上でのエビデンスとして主張された材料を見ても分かるだろう。あそこで「〜さんの意志」「〜さんの意向」というフレーズが出てくる時点で、官僚はそれをエビデンスとして主張しているのであって、それを主張させる側、もっと分かりやすく言うなら「忖度させる側」の意志があってこそのそのアクションなのである。

しかし、世間で森友問題や加計問題に関して官僚の暴走に過ぎない、と思っている人達は、おそらくそういう組織の力学以前に、実に単純な判断基準に従ってああいうことを信じ込んでいるのだろうと思う。「マスコミの言うことは信じられない」という、おそらくはただこれだけの理屈である。

ここに一人の人がいたとしよう。この人物は嘘をつく。しかし、この人物が常に確実に嘘しか言わないのであれば、この人物は世間の大概の人よりも尚正直な人物である。仮に論に上っているのが二元論であるならば、この人物の言っていることの反対が常に必ず真なのだから、こんなに正直な話はないのである。

しかし、実際の嘘つきはそう単純ではない。彼らが邪悪であるのは、彼らの言うことが常に嘘だから、ではないのだ。彼らの言うことがもっともらしいけど、それが本当か嘘かが分からないから、なのだ。嘘つきの言う目に張っても、あるいはその裏に張っても、それが当たりである保証はない。だからこそ嘘つきは厄介なのだ。

メディアは嘘を報道してしまうことがある。それは彼らの能力不足や情報量不足が原因であることがほとんどで、世論をある方向に誘導しようという程の根気も執念もそこにはない。しかし、「メディア嘘つき論」の信奉者はそう信じ込んでいるように見える。そして、彼らの言うことを排除しさえすれば真相に迫ることができると信じているように見えるのだ。

しかし、初歩の論理学、いや、それ以前の問題だと思うんだけど、ある集合全体集合Uの中に、「真相たる集合」Aと「メディアが報ずる集合」Bがあったとき、A⊅B を保証するものは実は何もないのである。実際には A=B かもしれない。メディアが嘘つきであったとしても、こうなる可能性は少なからず存在するわけだ。つまり、メディアの裏に張っておけば OK、というのは、およそ非論理的だとしか言いようがないのだ。

しかも、そこの判断を、いわゆるまとめサイトや、twitter 上のある特定のID から発信される情報に依拠している人の多いこと!結局自分では何もマトモに判断していないわけで、もうはっきり言ってお話にならない。しかし、そういう人々にここに書いたようなことを言っても、残念ながら彼らは自分の目を閉じ、耳を塞いでしまうんだよね。まるで子供が「わー!聞こえなーい!」とかやるようにね。なら黙ってろって話なんだが。

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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