足を洗う

今、キリスト教の信者はビミョーな時期である。イエスが昨日、つまり金曜日に殉教したことになっていて、それから数えて三日目、つまり明日の日曜に復活することになっている……とか書くと有難味がないけれど、この、いわゆるイースターの周辺行事というのは、カトリック歴三十数年のワタクシとしては、もはや当たり前の年中行事である。

で、木曜日……「最後の晩餐」にあたる、聖木曜日のミサに行ったのだけど、教会の入口で、教会の典礼委員会の女性に声をかけられた。

「あ、すいません。あのー」
「(一瞬怪訝そうな顔をして、やがてニヤリと笑って)足、ですか」
「そうなんです。足なんですよー。どうでしょう」
「いいですよ。お願いします」
「有り難うございます!よろしくお願いします」

……何のことか分からない?そうかもしれない。えー、

さて、過越祭の前のことである。イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。夕食のときであった。既に悪魔は、イスカリオテのシモンの子ユダに、イエスを裏切る考えを抱かせていた。イエスは、父がすべてを御自分の手にゆだねられたこと、また、御自分が神のもとから来て、神のもとに帰ろうとしていることを悟り、食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。シモン・ペトロのところに来ると、ペトロは、「主よ、あなたがわたしの足を洗ってくださるのですか」と言った。イエスは答えて、「わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、後で、分かるようになる」と言われた。「わたしの足など、決して洗わないでください」と言うと、イエスは、「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」と答えられた。そこでシモン・ペトロが言った。「主よ、足だけでなく、手も頭も。」イエスは言われた。「既に体を洗った者は、全身清いのだから、足だけ洗えばよい。あなたがたは清いのだが、皆が清いわけではない。」イエスは、御自分を裏切ろうとしている者がだれであるかを知っておられた。それで、「皆が清いわけではない」と言われたのである。

さて、イエスは、弟子たちの足を洗ってしまうと、上着を着て、再び席に着いて言われた。「わたしがあなたがたにしたことが分かるか。あなたがたは、わたしを『先生』とか『主』とか呼ぶ。そのように言うのは正しい。わたしはそうである。ところで、主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである。はっきり言っておく。僕は主人にまさらず、遣わされた者は遣わした者にまさりはしない。このことが分かり、そのとおりに実行するなら、幸いである。わたしは、あなたがた皆について、こう言っているのではない。わたしは、どのような人々を選び出したか分かっている。しかし、『わたしのパンを食べている者が、わたしに逆らった』という聖書の言葉は実現しなければならない。事の起こる前に、今、言っておく。事が起こったとき、『わたしはある』ということを、あなたがたが信じるようになるためである。はっきり言っておく。わたしの遣わす者を受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。」

――ヨハネ 13:1-20

……と、こういうことがあったので、これになぞらえて、イースター前の木曜のミサでは、司祭が信徒(使徒になぞらえている関係上男性信者ということになるのだが、女性信者でもオッケーな場合も多い)の足を洗う「洗足式」というのが行われる。しかし、木曜の夕方のミサに顔を出せる男性信徒はそれ程多くないので、僕に「足を洗ってもらえませんか?」というオファーがきたというわけである。

福音書朗読と説教が終わったところで、他の信徒6人と共に前に出る。今日は、身近で唯一僕と同じ「(使徒)トマス」の霊名を持つT氏も来ている。しつらえてあった席に座ると、T氏は僕の隣に座っている。うーん、トマスが二人並んで足を洗われる、というのは、知っている人が見たらなかなか面白い光景だよなぁ、と思いつつ、N司教(僕が通っている教会は司教座教会なので、洗足式は司教が行う)が手桶とたらいを持った侍者を従えて僕の目前に暮るのを待つ。足に水が手桶でかけられると……ん、お湯?しかも心地良い檜の香りが……

いや冷たいとアレかなーって温めておいてくれたのは有り難いんですよ、でもね、こういう儀式だし、水でいいじゃないですか水で、その冷たさで何事か思い遣れることもあるんじゃないかと思うんですが……と思いつつ、靴下を履き直し、席に戻った。

ミサの後、1時間程の時間をかけて祈りと黙想の会が行われた後、帰ろうと思ったら、某シスターがニヤニヤニコニコしながらこう言う。

「Thomas さんは足を洗っていただいたのね」

僕もニヤニヤニコニコしながらこう答えた。

「まあ、洗われるべきものが多々ありますので」

某シスターに同行していた何人かのシスター達のウケを取ってしまった。

2010/04/03(Sat) 09:44:36 | 日記
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T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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