何故コンビニで麦茶を買うと……

前々から、どうしても理由の分からないこと、というのがいくつかある。大抵は実につまらないことなのだけど、妙にそのことが徹底されていると、自分の方がおかしいんじゃなかろうか、などと不安になるときもある。

昔、Monty Python's Flying Circus というテレビ番組があって、その番組のコントに、クソ真面目かつ伝統偏重主義のイギリス官僚を徹底的に皮肉った The Ministry of Silly Walks (直訳すると「馬鹿歩き省」とでも言うのだろうか)というのがあった。巨漢で知られる John Cleese が、それはもう奇妙奇天烈な歩き方を貫くのだけれど、もしあんなことが現実にあったら、僕たちはしばしばそれを暗黙の常識として受け入れてしまいがちである。

僕のその手の不安をかきたてる疑問がひとつあって、それは、

「何故コンビニで紙パックの麦茶を買うと、ストローを付けるのだろうか?」

というものだった。いや、実につまらないことなのだけど、あの紙パックの麦茶を家や職場で飲むならば、おそらくコップ位使うであろう。戸外で飲む人は、きっと開けた注ぎ口に直接口をつけて飲んでしまうだろう(そういう光景はよく高校生の集団などに出くわすと目撃する)。それに、1 リットルの紙パックにあのストローを突っ込んでみると、咥えるところがほんの3、4センチ程で、飲むのに楽だとは到底思えない。あっても不便なものを、何故わざわざ付けるのか。これが積年の疑問であった。

しかし、だ。最近、僕はついに仮説に到達したのである。自分がこういうことの恩恵に与ることはまずないのだけど、確かにあのストローで恩恵に与る人、というのがいるのかもしれない、それならばきっとこういうことなのではないか、と。

ショーケン以来(もはやこれでは通じないか?)、男は紙パックを開けて口をじかに付けて中身を飲み干すのがかっこいい、というか、面倒じゃなくていい、みたいなイメージがあった。確かに僕も時々やる。やった以上は飲み干す。なぜならば、飲み残したものを冷蔵庫に放り込んでおいたとしても、雑菌が入って必ず残りを捨てるはめになるからだ。いや、俺ぁそんなこたぁ気にしないぜ、という人もいるかもしれない。けれど、やや酸味がかった麦茶とか、なんとなくとろみが増したような牛乳を飲むことを考えると、やはり飲み残すなど考えられなかった。

しかし、1リットルのお茶や牛乳を一回で飲み干す人は、実のところそう多くはあるまい。飲み残しを劣化させないためには、一度口唇に触れた液体が、紙パックに戻らないようにする必要がある。まあ、普通の人はだからコップを使うわけである。

ここで、中途半端にものぐさな人、というのが、実は僕が思うよりも多い、としたらどうだろう。コップは使うのが面倒だ、だけど劣化したものを飲みたくはない……と、ここでストローの効能が発揮されるのではないか。

ストローを差し込んだ紙パックの飲料をすすり、飲み終わるときに液面からストローを上げるようにすれば、確かに一度口唇に触れた液体が紙パックに戻るのを(完全とは言えないけれど)防ぐことができる。で、ストローを挿したままか抜いてからかは分からないけれど、飲み残しを冷蔵庫に戻せば OK、と、そういう風に考える人が少なからず存在するのかもしれない。

なんとも馬鹿馬鹿しい話ではある。しかし、こういう妙な尺度でのストリクトな行動を厳守している人(きっとその大多数が単身生活の男性だと思うのだけど)がいるとしたら……なんともわびしい話ではなかろうか。

2009/07/16(Thu) 18:27:04 | 日記
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T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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