重みを軽んずる人々 II

先日、拙 blog 『重みを軽んずる人々』で、僕の所属教会のグダグダぶりを書いたわけだが、今日はその後日談を。これをどうしても書かずにはおれないのだ。

まず、所属教会の広報誌のようなものが毎月配布されているのだが、その今月号に、何の前触れもなく以下のような記述が出た。

tayori.png
毎度お馴染みの事後承諾である。さて……これを見て分かったのだが、例の押し売りの書状を送りつけられた人の数は、なんと720名にものぼるという。ということは、『重みを軽んずる人々』での僕の試算はほぼ妥当な規模だったということになる……つまり、この押し売りのために、20万円程の金が浪費された、ということである。

そして、僕のところにも記念誌らしきメール便が送り付けられた。その写真を以下に示す:

sasshi-01.png
sasshi-02.png
……何故2部も送り付けられるんだ?

要するに、こういうことなのだろう。先日僕が耳に挟んだ、発送の重複が実際にあったかなかったかというそれ以前に、僕は信徒会の名簿に重複記載されている、ということなのだろう。しかし、発送時にそういうことにどうして気付かないのだろうか? 名簿をチェックするときって、住所や名前でソートをかけてチェックしたりしますよね? まあそれ以前に、重複などがないようにチェックするのは基本でしょう。そういうこともできていない。ますますもってグダグダである。

さて。僕は今、この2冊の冊子の入ったパッケージ(もちろん信徒会の奴に叩き付けるのだから開封なぞしてはいない)を前に、これは一体どういう意図なのか、と考えているところだ。これは俺に、2000円以上寄付しろ、ということなのか? いやいや、そもそも寄付なんて自由意思なんだから、本来だったらこの2冊をそのままいただいて金なぞ振り込まなくても何も問題などない筈だ。倫理的に問題がある、と言われる方がおありかもしれないが、僕はその分を東日本大震災に寄付している。寄付というものは、その先を寄付する者が選択する自由が尊重されて然るべきだし、こんな冊子を作って、よりにもよってあの大震災から1年が経つ今年の三月十一日のその日に記念式典だなどと騒いでいた連中に、どうして寄付などする必要があるのだろうか? 僕にはその理由が何ら思い当たらないのだ。

まあしかし、こんな冊子に金を出したくない、というこの意志を鮮明に表明するためにも、この冊子は叩き返す方がいいに決まっている。今度の日曜、教会で、衆人環視の前で、僕はこの要りもしない2冊の記念誌を突き返してくることにしたのだ。ああ、日曜が楽しみで仕方がないぜ。

2012/07/10(Tue) 17:25:20 | 日記

Re:重みを軽んずる人々 II

こんにちは。
私のところには告知の封書は送られてきていたのですが、例のブツ、いつまで待っても送られて来ません。まあ不要なので、来ないならそれで構わないのですが…一体どうなっているんでしょうね…ナゾだらけですね。
guest(2012/07/10(Tue) 17:39:02)

Re:重みを軽んずる人々 II

> ああ、日曜が楽しみで仕方がないぜ。

ワイルドだろぉ〜?
guest(2012/07/10(Tue) 17:34:03)
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Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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