日伊文化交流に何も貢献できない烏合の衆

国家間の文化交流を目的に設立される団体、というのが数多くあることを皆さんはご存知だろうか。たとえば財団法人日仏会館とか日独協会などがよく知られている。

で、この手の団体は、パトロンになる企業に対して、駐日大使などの要請があって立ち上げられることが多く、大概は、

  • 語学教育
  • 文化交流目的のセミナー
  • 映画鑑賞会
などを行っている。大使館のある東京で立ち上げられるものがほとんどだが、地方である国の文化紹介のイベントが行われた際(例えば絵画展とか)に、後援者である駐日大使館から地方イベントのパトロン格の企業などに要請があって、その地方の団体が立ち上げられる場合も多い。先の例でも、日仏会館の場合などは各地に200を超える地方協会が存在する。日仏 = 東京・パリ、ではないので、当然と言えば当然の話なのだけど、各団体がそのようなスピリットをもって活動しているか、は、表層的な情報だけでは見えてこない。

中には「何が文化交流だヴォケェ」と言いたくなるような連中もいるのかなぁ……などと思いつつも、そんなことはない、と信じていた。いや、正確には、そんなことはない、と信じたいと思っていた。

しかし、先週の金曜日に、僕のこの淡い期待は脆くも崩れ去ったのである。このことを blog に書こうか書くまいか、僕は正直悩んでいて、しばらくの間何も書かずにいた。しかし、ドイツ在住の知人に以下のような動画の存在を教えられ、書くことに決めたのである。

この中で、フジテレビの長谷川豊アナが、滝川クリステル氏のことをついつい「外人」と言っているのである。

ささいな間違いだ、と片付けるのは簡単である。しかし、「外人」という言葉自体(日本人というコミューンの「外の人」という意味で排除する)差別用語として機能していることが多いし、ましてや滝川氏は日本国籍である。そもそも「外人」という言葉を向けること自体(原義からいえば)「言葉の誤り」であり、それを知った上であえて向けるのならば、見た目や「クリステル」(おそらく、多くの日本人男性は、この名前から『エマニエル夫人』のシルビア・クリステルを連想するのだろう……単純、かつ下種な上に、シルビア・クリステルはオランダ人だから、三重の恥を晒していることになるわけだけど)という名前からの連想を誇張する意図が必ずやどこかしらかにあったはずだ。

この動画、そしてそれを教えてくれた知人の書いたものを読んでいて思い出したのだが、以前、ミュージシャンの小野リサ氏のインタビュー記事を読んだことがあって、その中で小野氏は、ブラジルからの帰国子女だったために学校で「ブタジル」という仇名をつけられ、いじめに遭った体験について語っていたのであった。子供の世界は、残酷なまでに人の心の中に隠蔽されている陰を具現化する。「外人」という呼び方は、つまるところ、この小野氏の体験したような、異文化に対する「不寛容」「排除」「否定」を内包したものなのである。

知人も言及していたが、自分が「外人」になったとき、つまり外国でひとりになったとき、僕達は同じような経験をすることがある。食事に入った店でウエイトレスにシカトされるとか、ホテルのポーターに荷物をいい加減に扱われるとか、酔っ払いに悪し様に罵られるとか……そういう経験があって、はじめて我々は、気軽に使っていた「外人」という言葉の残酷さに気が付くのである。だから(自分を含めて)僕の同業者達が「外人」という言葉を使うのを、僕はまず聞いたことがない。皆、一度や二度はこの手の体験をしているからなのだろうけど。


さて、前置きが長くなったが、先週の金曜日に何が起きたか、を書くことにしよう。

僕のツレである U は、洗礼を受ける際の要理教育を、イタリアに本部のある某修道会のシスターから受けた。僕もそのシスターと話をする機会が多くあり、パソコンの不具合などの相談にのることもあり、聖書の分かち合い(皆で聖書の一節を読み、そこから想起される信仰の視点からの心象に関して話し合い、分かち合う)などでその修道会に出入りすることも多くなった。

男性が修道院に出入りする、と聞くと脊髄反射的に眉をひそめる人が時々いるのだけど、僕の場合は少々事情が違う。僕の母は教会付属の幼稚園の教諭だったので、幼稚園・小学校時代は、母が仕事を終えるまで、教会や修道院の庭が僕の遊び場だった。シスターにお茶に誘われることも多く、トラピストのガレットにミルクティーがおやつ、ということも多かった。だから、普通の人は教会や修道院に近づき難いものを感じるのかもしれないけれど、僕にとってはそれらは遊び場であり、家の延長線上のようなものであり、そして、手の空いたシスターや神父様と話をする場でもあった。その気持ちは今も変わらない。だから、パソコンだけではなく、庭の芝刈りや、生垣の刈り込みなど、僕はそのイタリアに本部のある修道会の手伝いをすることが何度もあったのだ。

で、先週の日曜日のこと。U からこんな話を聞いたわけだ。

「シスターが講演みたいなのをするらしいんだけど、行かない?」
「いつ?場所は?」
「金曜の夜7時から、場所は CBC だって」
「CBC?放送局内でやるとは思えないんだけど、CBC 何とかセンターとか言ってなかった?」
「ううん。CBC で、とだけ言ってたよ」
「……それ、放送とかするのかね」
「そういうわけではないらしいけど……」

このシスター、というのは、イタリアに30年以上在住経験があって、そのうちの20年以上をフィレンツェで過したという経歴を持つ人である。フィレンツェといえばルネサンス発祥の地でもあることから、このシスターはフィレンツェ滞在中に中世イタリア芸術に関して徹底的に学んだ。これはシスターとしては決して余技のための勉強ではない……中世イタリア芸術は、そのほとんどがカトリックのために作られたと言っても過言ではない。だから、中世イタリア芸術を知ることは、中世のカトリックを芸術という切り口から知ることに等しい。

そんなわけで、僕もその辺のアートに関しては、最低限の一般教養程度は知るようにしているつもりだ。U の方はもともとアート畑なので、こちらは僕が何も言うことはない。

「で、講演のテーマは?」
「バチカンにあるルネサンス期のアートに関して、だって」
「え。じゃ、ミケランジェロとか?行く行く」

ということで、早速行くことになった、の、だが……問題はこの後であった。とにかく、どういうイベントなのか分からないので、主催者が何者なのか調べておこうと思い、U に聞くと、日伊協会だという。

「うーん……」
「何?」
「この手の団体ってのは、大体ビッグネームを理事なんかに据えて、やってることは仲良しクラブというか、サロンみたいなことやってるようなのが多いんだよなぁ……」

と僕がぶつぶつ言っているのを、U は「ま〜た言ってるよ」というような呆れ顔で見ていたのだが、不幸なことに僕のこの懸念は見事に的中してしまうことになった。

金曜の夕刻。僕と U は CBC の周辺をうろうろしていた。どこの放送局でもそうだけど、通常は、一般人の集まるイベントを局内で開催することはまずありえない。そういう用途のために、「放送センター」などと称する別棟の施設……ホールと、中小規模の集まりを行なうための、丁度大学の講義室のような部屋をまとめたもの……があって、通常はそちらに行くことになる。しかし、CBC の放送センターで守衛の人に聞いてみると、局の横の入口から入ってくれ、と言う。U は、ほら自分の言った通りじゃないか、と、機嫌を悪くした顔で僕の前を足早に局の方に急いだ。

局の入口で、名前と用向きを書いて、出入り記録用の札を持たされる。こんなにしてまで入るのか……と思いつつ、エレベーターに向かって歩いていると、後ろから年配の女性が小走りで追いついてきた。話してみると、名古屋日伊協会の会員で、今回のイベントに参加するために来たのだ、と言う。僕と U は、今回の講師のシスターに誘われたのだ……などと話していると、エレベーターが会場のある階に止まった。

場所がよく分からないので、今度はこの年配の女性の後ろについて歩く。と。丁度学校の教室程の大きさの部屋の前に机が置かれている。ここが受付らしい。

年配の女性は、おそらく知りあいなのだろう、受付にいる、これも年配の男性に親しげに声をかけた。

「ごめんなさーい……今日、予約していないんだけど、大丈夫ぅ?」
「ええがねええがね〜。ほれ、ここに名前書いて、会費払ってもらって……」

ふーん。結構オープンな雰囲気なのか?と思いつつ、僕と U も受付を済ませようと、その年配の男性のところに行き、「あの、今回の講師のシスターに呼ばれたのですが」と声をかけると、そのにこやかな表情がコロリと変わる。はは〜ん。愛知県特有の「仲間内にはオープンに、余所者には閉鎖的に」ってやつだな、と思いつつも、事情を説明すると、U の方はシスターが予約を入れてくれていたらしいのだが、僕の方の予約は入っていない。人数が多少オーバーしても問題はない、と話を聞いてきたので、その旨説明すると、しかめつらしたこの年配の男性、こうのたもうた。

「いや……サンドウィッチがねぇ」
「は?」
「ああ、ご存知ないかもしれませんが」

年配の男性は僕に決して目を合わせることなく、事務的にこう切り捨てた。

「このセミナーなんですが、サンドウィッチをお出ししてるんですよ。ですが、それがもうなくなってしまったみたいで……」

だから御遠慮いただけませんか、と暗にほのめかしてくる。はは〜ん。およそ文化とは程遠いコメントじゃないの。僕もさすがにカチンとなった。学会などでもそうだけど、どうもこういうとき、僕は憮然とした顔でキツいことを言ってしまう癖があるらしい。今回は決してキツいことだとは思わないのだけど、こう言ったのだ。

「僕は食事をしにここに来たんじゃないんですがね。会費、払いますから、入りますよ」

年配の男性は相変わらず、「サンドウィッチ、サンドウィッチが……」と呟いている。阿呆かこいつ。僕は無視して U と室内に入った。

で、名古屋のこの手のイベントでは大概こうなるのだけど、空いている席を探すと、一番前に2つ席が空いている。金払って入ってるのに、かぶりつきで聞こう、などとは、愛知県人は欠片程も考えないのだ。まぁ、こちらにとっては思うツボなので、さっくりそこに座らせてもらう。

程なく、セミナーが始まった。テーマは、システィーナ礼拝堂の左右の壁に描かれた絵画の解説、ということだった。システィーナ礼拝堂は、バチカンのサン・ピエトロ大聖堂に隣接した礼拝堂で、世間ではおそらくコンクラーヴェ(新しいローマ教皇を決めるための会議)が行われること、そして礼拝堂の天井に描かれたミケランジェロの『最後の審判』で有名であろう。ここの天井・壁の絵は、ルネサンス期の著名な画家(ミケランジェロの本業は彫刻家だけど)を招聘して行われたので、まさに先のシスターの守備範囲である。

しかし、僕はこの時点で強い違和感を感じていた。そもそも「シスター」というのは一種の敬称なので、こういう場合は先生呼ばわりする必要はない。シスター某、で構わないのだ。しかし、先の年配の男性、講師紹介で「**先生」「**先生」と、先生の大乱発である。そもそもこの時点で「分かってないなぁ」という感じなのだけど、きっと毎回呼んだ講師をこうやって「先生」呼ばわりして安心しているに違いあるまい。人に対する敬意の向け方を知らない輩は、その時点で信用できるわけがない。

まあ、でも、僕は結構このセミナーに期待していたのだ。僕はここの壁画が汚れていた頃の写真しか観たことがなかったのだが、80年代と90年代を費して、日本テレビの経済的援助によって「洗われた」絵画は、今は描き上げられたばかりであるかのような美しさで観ることができる。もっとも普段はいつ行っても大混雑で、解説など聞きながら観る余裕などないような場所なのだけど、それを(宗教的バックグラウンドを含めた)専門家の解説で観ることができるわけだ。これは貴重なチャンスである。

ところが……そう思っていたのは、どうやら僕と U だけだったらしい。30人程集まった聴衆は、ぺちゃくちゃ喋るは、ジャリ銭を床にばら撒くは、椅子をカタカタ、ギシギシ鳴らす(しかもその犯人は件の年配の男性であった)は、で、およそ話を聞いているとは思えない。

まぁ、たしかに、いくつかの基礎知識がないと、この絵の話を理解することは難しかったかもしれない。たとえば、

  • 中世までの絵画や彫塑はいわゆる工房制で仕事が行われていたこと(ジョットなどはこの代表格で、彼の作品は「ジョット工房」の名義で紹介されることが多い)
  • 当時の壁画はフレスコ画であって、だからこそ「洗われた」絵は描かれた当時のままの美しさで今観ることができるのだ、ということ
  • フレスコ画はその技法上加筆修正が利かず、削り取って描き直すにしても、顔料に高価な宝石(ラピスラズリを砕いたものなどが用いられていたらしい)を用いていたことなどもあり、ほとんどやり直しの利かない状況下で描かれたものであること
あとは旧約・新約聖書に関する知識……そりゃあ宗教画なんだから当然だ……が最低限求められるわけだけど、その辺りまで話していたら数時間でも足りないことだろう。なにせこの日、シスターに与えられた時間は1時間。いや、それでもシスターは最低限、説明しなければならないことは説明されていたのだ。たとえば、絵を横に観ていく順番を考えて、旧約のモーゼに関する絵は礼拝堂後部から見て左サイド、新約のイエスに関する絵は右サイドに描かれている。これは、旧約はヘブライ語で書かれていて、新約はギリシャ語で書かれているので、文字を書く方向と絵を観る方向を合わせるためにこうなっているわけだが、そもそもヘブライ語は右から左に書くのだ、とシスターが説明しても、聴衆は皆鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしているだけだ。

結局、僕と U だけのためのようなかたちで講義は終わり、最後に質問の時間になったわけだが、後ろの方で手を上げた男性がいる。この男性、

「その椅子の乗った箱は the Lost Ark なんですか?」

はぁ?と僕も一瞬考えたけれど、ああ、あれが聖櫃なのか、と聞いているつもりなんだな、と分かった。そりゃ、上に椅子が付いてて被ぎ棒が伸びてて、モーゼと一緒に登場していたら、それはどう見ても聖櫃だろう。聞く程のこともない話だ。それに、聖櫃を英語で言うにしても ark と言えばいいだけのこと。せめて言うなら Ark of the Law とかさ。おそらく『レイダース』でも観たのだろうが、邦題にもちゃんとこの部分を訳した副題が添えられていたではないか:「失われた聖櫃」と。

気の毒なのは、こんな質問を食らったシスターである。このシスターは英語の宗教用語に詳しいわけではないし、きっとハリソン・フォードの映画を観ているわけでもないだろう。質問者に、

「どの箱ですか?あの、Ark って何ですか?」

と逆に聞き返していて、これじゃあまるで禅問答だ。僕は見かねてシスターに、

「どうやらあの方は、あれが聖櫃なのか、と聞いているようですよ」

と説明した。で、シスターはやっと何を聞かれているのか分かったらしく、

「はい、そうです。あの箱の中にはマナを受けた器と……」

あああ。シスター、あのオッサンはマナなんて知りませんよきっと。

かくして、およそ文化交流らしいもののないままにセミナーは終わったのだった。何かを享受するにも準備が必要なのに、今回の聴衆は何一つ準備をしていなかった。きっと毎回、こんな感じなのだろう。

もっとはっきり書こうか。彼らにとって、文化交流なんてどうでもいいに違いない。見知った連中、仲間同士で、文化っぽいごっこ遊びのセミナーを連ねることで、満足しているに違いない。つくづく愚かな連中である。


さて、では、こんな酷いセミナーをやっている連中の正体を探ってみようではないか。

名古屋日伊協会:
http://www.ipc-tokai.or.jp/~nichii/index_j.html

で、問題のイベントはこれである:

名古屋日伊協会9月例会:「システィーナ礼拝堂で活躍したフィレンツェの画家たち」
http://www.ipc-tokai.or.jp/~nichii/members/getureikai.html

で……だ。皆さん。この名古屋日伊協会のコンテンツをよーく見ていただきたい。僕はおよそ全てのコンテンツに目を通したが、「文化」という単語が出てくるのは:

名古屋日伊協会 | 協会のご案内:
http://www.ipc-tokai.or.jp/~nichii/info.html

の中で、

名古屋日伊協会は1978年に発足して以来、東海地方とイタリアとの文化、経済、科学、技術等の交流の促進、イタリア語の普及、両国民間の相互理解と親善を増進する活動を続けています。また下記の催し、会報の発行を通して会員相互の親睦を図っています。
このひとつしか出てこないのである。後は、あの愚にもつかない例会とやらと、イタリア料理とワインの会なるイベント、あとはイタリア映画の案内にイタリア語講座の案内位で、文化交流なんぞという単語はまずお目にかかれない。

なるほど。これならば、サンドウィッチがどうとか、という理由で僕を門前払いにしようとしたのも理解できようというものだ。ここに明言しよう:

名古屋日伊協会は日伊文化交流に何も貢献できない烏合の衆である
と。

[後記]
これを書いた後、U から「協会全体をそうこきおろさんでもいいだろう。今回の問題になっているのは年配の男性なのであって、ああいう人間が顔役やってるからあの協会があの体たらくなのであって、皆が皆ああひどいというものでもないだろう……でも年配の男性はあまりにひどかったけどね」とのコメントをいただいた。確かにその通りであると思うので、ここに「『烏合の衆』とまで書いたのは書き過ぎだった」旨、加筆しておくこととする(しかしお詫びはしない……あんな年配の男性をのさばらせるのにも責任の一端はあるんでね)。

2009/10/02(Fri) 18:59:38 | 日記
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Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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