サムソン

(編者註:)サムソンの出生に関しては士師記 13:2 から記述があるのだけど、13章のほとんどは、不妊の女であったサムソンの母(哀しいことに名前は出て来ず、夫の名で「マヌアの妻」とだけ呼ばれる)のところに神さまの使いが現れて、イスラエルを解放する「救いの先駆者」を身籠る、と告げられるくだりに費される。生まれて育って、ティムナというところで後の妻を見初めていきなりムラムラし始める。そして「獅子を引き裂き」「獅子からかき集めた蜜を食べ」(このエピソードは欧米ではよく知られている)……

父がその女のところに下って来たとき、サムソンは若者たちの習慣に従い、宴会を催した。サムソンを見て、人々は三十人の客を連れて来てサムソンと同席させた。サムソンは彼らに言った。「あなたたちになぞをかけたい。宴会の続く七日の間にその意味を解き明かし、言い当てるなら、わたしは麻の衣三十着、着替えの衣三十着を差し上げる。もし解き明かせなかったなら、あなたたちが麻の衣三十着と、着替えの衣三十着を差し出すことにしよう。」彼らは、「なぞをかけてもらおう。聞こうではないか」と応じた。
サムソンは言った。
「食べる者から食べ物が出た。
強いものから甘いものが出た。」
彼らは三日たっても、このなぞが解けなかった。
七日目になって、彼らはサムソンの妻に言った。「夫をうまく言いくるめて、あのなぞの意味を我々に明かすようにしてほしい。さもないと、火を放ってあなたを家族もろとも焼き殺してやる。まさか、我々からはぎ取るために招待したわけではないだろう。」
サムソンの妻は、夫に泣きすがって言った。「あなたはただわたしを嫌うだけで、少しも愛してくださらず、わたしの同族の者にかけたなぞの意味を、このわたしにも明かそうとなさいません。」彼は答えた。「父にも母にも明かしていないのに、お前に明かすわけがないだろう。」宴会が行われた七日間、彼女は夫に泣きすがった。彼女がしつこくせがんだので、七日目に彼は彼女に明かしてしまった。彼女は同族の者にそのなぞを明かした。七日目のこと、日が沈む前に町の人々は彼に言った。
「蜂蜜より甘いものは何か
獅子より強いものは何か。」
するとサムソンは言った。
「わたしの雌牛で耕さなかったなら
わたしのなぞは解けなかっただろう。」
そのとき主の霊が激しく彼に降り、彼はアシュケロンに下って、そこで三十人を打ち殺し、彼らの衣をはぎ取って、着替えの衣としてなぞを解いた者たちに与えた。彼は怒りに燃えて自分の父の家に帰った。サムソンの妻は、彼に付き添っていた友のものとなった。
士師記 14:10-20
しばらくして小麦の収穫のころ、サムソンは一匹の子山羊を携えて妻を訪ね、「妻の部屋に入りたい」と言ったが、彼女の父は入らせなかった。父は言った。「わたしはあなたがあの娘を嫌ったものと思い、あなたの友に嫁がせた。妹の方がきれいではないか。その妹を代わりにあなたの妻にしてほしい。」サムソンは言った。「今度はわたしがペリシテ人に害を加えても、わたしには罪がない。」サムソンは出て行って、ジャッカルを三百匹捕らえ、松明を持って来て、ジャッカルの尾と尾を結び合わせ、その二つの尾の真ん中に松明を一本ずつ取り付けた。その松明に火をつけると、彼はそれをペリシテ人の麦畑に送り込み、刈り入れた麦の山から麦畑、ぶどう畑、オリーブの木に至るまで燃やした。
ペリシテ人は、「誰がこんな事をしたのか」と言い合った。「あのティムナ人の婿のサムソンがした。彼が婿の妻を取り上げ、その友に与えたからだ」と答える者があった。ペリシテ人はそこで、彼女とその父のところに上って来て、火を放って焼き殺した。サムソンは彼らに、「これがお前たちのやり方なら、わたしはお前たちに報復せずにはいられない」と言って、彼らを徹底的に打ちのめし、下って行って、エタムの岩の裂け目に住んだ。
士師記 15:1-8

(編者註: サムソンは、「今度はわたしがペリシテ人に害を加えても、わたしには罪がない。」と言い、ペリシテ人がティムナ人( = ペリシテ人)の元花嫁と義父を焼き殺したとき、それに対する復讐として、ペリシテ人を打ちのめしている。)

そのころ、イスラエルには王がいなかった。またそのころ、ダンの部族は住み着くための嗣業の地を捜し求めていた。そのころまで、彼らにはイスラエル諸部族の中で嗣業の地が割り当てられていなかったからである。ダンの人々は土地を探り、調べるために、自分たちの氏族の者でツォルアとエシュタオル出身の勇士五人を自分のところから遣わして言った。「行って、土地を調べよ。」彼らはエフライムの山地のミカの家まで来て、そこで一夜を過ごした。
士師記 18:1-2
五人は更に進んでライシュに着き、その地の民が、シドン人のように静かに、また、穏やかに安らかな日々を送っているのを見た。その地には人をさげすんで権力を握る者は全くなく、シドン人からも遠く離れ、またどの人間とも交渉がなかった。五人がツォルアとエシュタオルの兄弟たちのもとに帰ると、兄弟たちは、「どうだった」と尋ねたので、五人は答えた。「彼らに向かって攻め上ろう。我々はその土地を見たが、それは非常に優れていた。あなたたちは黙っているが、ためらわずに出発し、あの土地を手に入れて来るべきだ。行けば、あなたたちは穏やかな民のところに行けよう。神があなたたちの手にお渡しになったのだから、その土地は大手を広げて待っている。そこは、この地上のものが何一つ欠けることのない所だ。」
士師記 18:7-10
彼らはミカが造った物と彼のものであった祭司を奪って、ライシュに向かい、その静かで穏やかな民を襲い、剣にかけて殺し、町に火を放って焼いた。その町はシドンから遠く離れ、またどの人間とも交渉がなかったので、助けてくれる者がなかった。それはベト・レホブに属する平野にあった。彼らはその町を再建して住み着き、その町を、イスラエルに生まれた子、彼らの先祖ダンの名にちなんで、ダンと名付けた。しかし、その町の元来の名はライシュであった。
士師記 18:27-29
彼らがエブスの近くに来たとき、日は大きく傾いていた。若者は主人に、「あのエブス人の町に向かい、そこに泊まることにしてはいかがですか」と言ったが、主人は、「イスラエルの人々ではないこの異国人の町には入るまい。ギブアまで進むことにしよう」と答えた。更に彼は若者に、「さあ、このいずれかの場所に近づいて行き、ギブアかラマに泊まることにしよう」と言った。彼らは旅を続け、ベニヤミン領のギブアの近くで日は没した。彼らはギブアに入って泊まろうとして進み、町の広場に来て腰を下ろした。彼らを家に迎えて泊めてくれる者はいなかった。夕暮れに、一人の老人が畑仕事を終えて帰って来た。この人はエフライム山地の出身であったが、ギブアに滞在していた。土地の人々はベニヤミン族であった。老人は目を上げて、町の広場にいる旅人を見、「どちらにおいでになりますか。どちらからおいでになりましたか」と声をかけた。彼は老人に答えた。「わたしたちは、ユダのベツレヘムからエフライム山地の奥にあるわたしの郷里まで、旅をしているところです。ユダのベツレヘムに行って、今、主の神殿に帰る途中ですが、わたしたちを家に迎えてくれる人がいません。ろばのためのわらも飼い葉もありますし、わたしとこの女、あなたの僕の連れている若者のためのパンもぶどう酒もあります。必要なものはすべてそろっています。」老人は、「安心しなさい。あなたが必要とするものはわたしにまかせなさい。広場で夜を過ごしてはいけません」と言って、彼らを自分の家に入れ、ろばに餌を与えた。彼らは足を洗い、食べて飲んだ。
彼らがくつろいでいると、町のならず者が家を囲み、戸をたたいて、家の主人である老人にこう言った。「お前の家に来た男を出せ。我々はその男を知りたい。」家の主人は彼らのところに出て行って言った。「兄弟たちよ、それはいけない。悪いことをしないでください。この人がわたしの家に入った後で、そのような非道なふるまいは許されない。ここに処女であるわたしの娘と、あの人の側女がいる。この二人を連れ出すから、辱め、思いどおりにするがよい。だがあの人には非道なふるまいをしてはならない。」しかし、人々は彼に耳を貸そうとしなかった。男が側女をつかんで、外にいる人々のところへ押し出すと、彼らは彼女を知り、一晩中朝になるまでもてあそび、朝の光が射すころようやく彼女を放した。朝になるころ、女は主人のいる家の入り口までたどりつき、明るくなるまでそこに倒れていた。
彼女の主人が朝起きて、旅を続けようと戸を開け、外に出て見ると、自分の側女が家の入り口で手を敷居にかけて倒れていたので、「起きなさい。出かけよう」と言った。しかし、答えはなかった。彼は彼女をろばに乗せ、自分の郷里に向かって旅立った。家に着くと、彼は刃物をとって側女をつかみ、その体を十二の部分に切り離し、イスラエルの全土に送りつけた。これを見た者は皆言った。「イスラエルの人々がエジプトの地から上って来た日から今日に至るまで、このようなことは決して起こらず、目にしたこともなかった。このことを心に留め、よく考えて語れ。」
士師記 19:11-30
イスラエルの人々は皆出て来て、ダンからベエル・シェバ、またギレアドの地まで、一団となって一人の人のようになり、ミツパで主の前に集まった。イスラエルの全部族、すべての民の要職にある者たちも、神の民、剣を携えた四十万の歩兵たちの集いに参加した。ベニヤミンの人々は、イスラエルの人々がミツパに上って来たことを伝え聞いた。イスラエルの人々が、「このような犯行がどうして行われたのか説明してもらいたい」と言ったので、殺された女の夫であるレビ人はこう答えた。「ベニヤミンのギブアに来て、わたしは側女と共に宿をとっておりました。ギブアの首長たちがわたしに向かって来て、夜、わたしの泊まった家を取り囲み、わたしを殺そうとし、側女を辱めて死に至らせたのです。わたしは側女をつかみ、その体を切り離して、イスラエルの嗣業の全耕地に送りました。彼らがイスラエルの中で極悪非道なことをしたからです。あなたたちイスラエルのすべての人々よ。ここで話し合って協議していただきたい。」すべての民は一人の人のように立ち上がり、こう言った。「我々はだれも自分の天幕に帰らず、だれも家に戻らない。我々が今、ギブアに対してなすべきことはこうだ。ギブアに対してまずくじを引いて攻め上ろう。イスラエル全部族から百人につき十人、従って千人なら百人、一万人いれば千人を選んで糧食を調達させ、部隊をベニヤミンのギブアに行かせ、ベニヤミンがイスラエルの中で行ったすべての非道を制裁しよう。」こうしてイスラエルの者が皆、一人の人のように連帯を固めてその町に向かって集まった。
イスラエルの諸部族は、全ベニヤミン族に人を送って、こう告げた。「あなたたちの中で行われたあの犯行はなんということか。今、あのならず者の犯人がギブアにいれば、引き渡せ。犯人を殺してイスラエルの中から悪を取り除こう。」だが、ベニヤミンの人々は、その兄弟たち、イスラエルの人々の声を聞こうとはしなかった。かえってベニヤミンの人々は町々からギブアに集まり、イスラエルの人々と戦おうとして出て来た。その日、町々からはせ参じたベニヤミンの人々は、数を調べると、剣を携えた兵士二万六千人、そのほかにギブアの住民からえり抜きの兵士七百人であった。七百人のえり抜きの兵士からなるこの部隊の皆が左利きで、髪の毛一筋をねらって石を投げても、その的をはずすことがなかった。
一方、イスラエルの人も、ベニヤミンを除いて数を調べると、剣を携えた兵士四十万で、彼らは皆、軍人であった。彼らは立ち上がってベテルに上った。イスラエルの人々は神に問うて言った。「我々のうち誰が最初に上って行ってベニヤミンと戦うべきでしょうか。」主は、「ユダが最初だ」と言われた。
翌朝、イスラエルの人々は行動を起こし、ギブアに対して陣を敷いた。イスラエル人はベニヤミンとの戦いに出陣し、ギブアに対して戦闘態勢に入ったが、ベニヤミンの人々はギブアから出撃して、その日、二万二千人のイスラエル兵を地に打ち倒した。しかし、イスラエル人の部隊は奮起し、最初の日に戦闘態勢に入った場所で、態勢を立て直した。イスラエルの人々は主の御前に上って、夕方まで泣き続け、主に問うて言った。「兄弟ベニヤミンと、再び戦いを交えねばなりませんか。」しかし、主は言われた。「彼らに向かって攻め上れ。」二日目もイスラエルの人々はベニヤミンの人々に向かって進撃した。しかし、ベニヤミンは、二日目にもギブアから出撃してそれを迎え撃ち、またもイスラエルの人々一万八千人を地に打ち倒した。彼らは皆、剣で武装した者であった。イスラエルの人々は皆、そのすべての軍団と共にベテルに上って行き、主の御前に座り込んで泣いた。その日、彼らは夕方まで断食し、焼き尽くす献げ物と和解の献げ物を主の御前にささげた。イスラエルの人々は主に問うた。――当時、神の契約の箱はそこにあり、また当時、アロンの孫でエルアザルの子であるピネハスが御前に仕えていた――イスラエルの人々は言った。「兄弟ベニヤミンとの戦いに、再び繰り返して出陣すべきでしょうか。それとも控えるべきでしょうか。」主は言われた。「攻め上れ。明日、わたしは彼らをあなたの手に渡す。」
イスラエルはギブアの周囲に伏兵を配置した。三日目もイスラエルの人々はベニヤミンの人々に向かって攻め上り、前と同じようにギブアに対して戦闘態勢に入った。ベニヤミンも、その軍団を迎え撃とうとして出て来た。彼らは町から遠くへおびき出され、一方はベテルに、他方はギブアに通じる大路を進んだ。野でイスラエルの部隊に死傷者が出始め、約三十人が倒れた。ベニヤミンの人々は、「初戦と同様、敵を打ち負かした」と思ったが、イスラエルの人々は、「撤退して敵を町から大路におびき出そう」と謀っていた。イスラエルの人々は皆、自分の持ち場から立ち上がり、バアル・タマルで戦闘態勢に入った。イスラエルの伏兵も自分の持ち場であるゲバの平原から躍り出た。全イスラエルのえり抜きの兵士一万人がギブアに向かって進撃し、激戦となった。ベニヤミンの人々は自分たちに不幸な結末が訪れるとは思ってもみなかった。主はイスラエルの目の前でベニヤミンを撃たれたので、イスラエルの人々が、その日打ち滅ぼしたベニヤミンの兵は二万五千百人に上った。彼らは皆、剣を携える者であった。ベニヤミンの人々は敗北を認めざるをえなかった。
イスラエル人はギブアに対して配置した伏兵を信頼していたので、ベニヤミンに戦場を明け渡した。その伏兵がギブアを急襲した。伏兵は突入し、町をくまなく剣をもって撃った。イスラエル人と伏兵との間に打ち合わせがあって、町からのろしの煙が高々と揚がると、イスラエル人は戦線に復帰することになっていた。ベニヤミンは、イスラエル人に死傷者が出始め、約三十人の兵を打ち倒したとき、「初戦と同様に、敵を打ち負かした」と思ったが、雲の柱のようなのろしが町から揚がり始め、ベニヤミンが振り返ると、町全体が火に包まれ天に燃え上がっていた。そこへイスラエル人が引き返して来たので、ベニヤミン人は、自分たちに、不幸な結末が訪れるのを知って、うろたえた。彼らはイスラエル人を見て荒れ野の方に向かったが、戦いを逃れることができなかった。町々から出て来た人々も加わって彼らを屠り去った。彼らはベニヤミンを包囲し、追いつめ、手を緩めずギブアの向こう側、東側まで踏みにじった。ベニヤミンの中で一万八千人が倒れたが、彼らは皆、軍人であった。他の者は荒れ野のリモンの岩場に向かって逃げたが、イスラエル人は大路でその五千人を討ち、彼らが、壊滅するまで追い迫り、二千人を打ち殺した。この日、ベニヤミンの全戦死者は剣を携える者二万五千人で、彼らは皆、軍人であった。六百人が荒れ野のリモンの岩場に逃げて、四か月、そこリモンの岩場にとどまった。一方、イスラエル人はベニヤミンの人々のところに戻って来て、町の男たちから家畜まで、見つけしだい、残らず彼らを剣で撃ち、どの町にも見つけしだい火を放った。
イスラエル人はミツパにおいて、「我々はだれも自分の娘をベニヤミンに嫁として与えないことにする」と誓った。民はベテルに帰って、夕方まで神の御前に座り、声をあげて泣き叫んだ。「イスラエルの神、主よ。なぜイスラエルにこのようなことが行われ、今日イスラエルから一つの部族が欠けることになったのですか。」翌日、朝早く民は起きて、そこに祭壇を築き、焼き尽くす献げ物と和解の献げ物をささげた。
イスラエルの人々は言った。「誰かイスラエルの全部族の中で、主の御前における集会に上って来なかった者がいるか。」というのは、ミツパに上って主の御前に出なかった者に対しては、「必ず死なねばならない」との、堅い誓いがなされていたからである。イスラエルの人々は兄弟ベニヤミンのことを悔やみ、「今日イスラエルの中から一つの部族が切り捨てられた。その生き残りの者たちに妻を与えるにはどうすればいいだろう。わたしたちは、彼らには娘を嫁がせないと主に誓った」と言った。イスラエルの人々はそこで、「イスラエルのどの部族がミツパに上って、主の御前に出なかったのだろうか」と尋ねた。すると、ギレアドのヤベシュからはだれ一人この陣営に来ることなく、集会に出ていなかった。民の数が調べられたとき、ギレアドのヤベシュの住民は一人もそこにいなかったことが分かった。共同体は一万二千人の兵を派遣することにし、彼らにこう命じた。「行って、ギレアドのヤベシュの住民を女や子供に至るまで剣にかけよ。これがあなたたちのなすべきことである。男はもとより、男と寝たことのある女もすべて滅ぼし尽くさなければならない。」彼らはこうして、ギレアドのヤベシュの住民の中に男と寝たことのない処女の娘四百人を見いだし、カナンの地にあるシロの陣営に連れ帰った。
全共同体は、リモンの岩場にいるベニヤミンの人々に使者を送って和解を呼びかけた。ベニヤミンがこのとき帰って来たので、彼らはギレアドのヤベシュの女たちの中で生かしておいた娘たちをベニヤミンの人々に与えた。しかし、まだ足りなかった。
民はベニヤミンのことを悔やんだ。主がイスラエル諸部族の間を引き裂かれたからである。共同体の長老たちは言った。「生き残った者に妻を与えるにはどうすればいいだろう。ベニヤミンの女は絶えてしまった。」彼らはまた言った。「ベニヤミンに生き残る者を得させ、イスラエルから一つの部族も失われないようにしなければならない。だが、わたしたちは、娘を彼らの嫁にやるわけにはいかない。イスラエルの人々は、『ベニヤミンに嫁を与える者は呪われる』と誓った。」彼らは更に言った。「そうだ。年ごとにシロで主の祭りが行われる。」――シロの町はベテルの北側、ベテルからシケムに通じる大路の東側、レボナの南側にあった。そこで彼らはベニヤミンの人々にこう言い渡した。「ぶどう畑に行って、待ち伏せし、シロの娘がそろって踊りに出て来るのが見えたら、ぶどう畑から出て行って、シロの娘の中からそれぞれ妻にしようとする者を捕まえ、ベニヤミンの地に帰りなさい。もし彼女らの父や兄がわたしたちに文句を言いに来たら、こう言おう。『我々に免じて憐れみをかけてやってほしい。我々は戦争の間それぞれ妻を迎えることができなかったし、あなたたちも彼らに娘を与えることができなかった。与えていたら、あなたたちは罪に問われたはずだ』と。」ベニヤミンの人々はそのようにした。彼らは踊っている女たちを奪い、その中から自分たちの数だけ連れ去って、自分の嗣業の地に帰り、町を築き、そこに住んだ。イスラエルの人々もそのときそこを去り、それぞれ自分の部族、自分の氏族のもとに帰って行った。そこからそれぞれ自分の嗣業の地に向かって出て行った。
そのころ、イスラエルには王がなく、それぞれ自分の目に正しいとすることを行っていた。
士師記 20:1-21:25


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