イエスの物語

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イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」
ヨハネ 3:3
ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。
マルコ 1:14-15

第1部 若き日のイエス

(編者註:)若い頃のイエスの記述だが、マタイ福音書ではいきなり洗礼者ヨハネが出てきて洗礼を受け(1:13-17)、四十日の断食と悪魔の誘惑……という感じ。ルカ福音書では、十二歳のときの神殿でのエピソード(過越の祭でエルサレム詣でをしたときに、両親に存在を忘れられて、神殿に置きざりにされてしまうんだ…… 2:41-51)の後に洗礼、後はマタイと同じ。

天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。
(参考:欽定訳)
And the angel answered and said unto her, The Holy Ghost shall come upon thee, and the power of the Highest shall overshadow thee: therefore also that holy thing which shall be born of thee shall be called the Son of God.
ルカ 1:35

(編者註:)山形訳だけを読むと、「最高のものの力」とあるのでいかにも思わせぶりだが、この「もの」は、欽定訳などを見ても、物体を指し示す「もの」ではなく、人称代名詞、つまり「」(新共同訳では「方」)ととらえるのが妥当だろう。

ここで言及されている「無原罪の聖母」は、カトリック教会における概念。おとめマリアが生まれながらに原罪を免れた存在であるとする考えは、2世紀以来(カトリックや正教会において)信じられてきた「至潔なるマリア」の概念を、ヨハネス・ドゥンス・スコトゥスら、特にフランシスコ会が中心となって13世紀に体系化したものと考えられる。公式には、1854年12月8日の教皇ピウス9世の回勅において、はじめて信仰箇条(キリスト者が信じるべき教え)として宣言された。ケンはこの「無原罪の御宿り」がクレアヴォーの聖ベルナール(12世紀初頭から活躍したフランスの神学者)によってでっちあげられた、と書いている(原著にて確認済)けれど、これはダウト。はじめて「無原罪の御宿り」の論証可能性を主張したのは前述のとおり、スコラ学派(ちなみに先のベルナールは反スコラ派でならした人物なんだけど)であるヨハネス・ドゥンス・スコトゥスだといわれている。

イエス・キリストの誕生

イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。
その名はインマヌエルと呼ばれる。」
この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ、
マタイ 1:18-24
占星術の学者たちが訪れる

イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」
マタイ 2:1-2
そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。
マタイ 2:7-12
さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。
マタイ 2:16
羊飼いと天使

その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
「いと高きところには栄光、神にあれ、
地には平和、御心に適う人にあれ。」
天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。
ルカ 2:8-20

(編者註:)学者の人数に関しては、贈り物が3種類だった、というのを、贈り主が3人だったと誤解したのだろうね。まあ、よくあることですよ……それより、ケンが指摘しているけれど、マタイ福音書(実はマタイ福音書は福音書としては最初期のものだと言われているんだけど)には、あの有名な厩の話が全然出てこないんだね。それに、この学者達、自分の国で星を見つけて、エルサレムに一度行って、そこからベツレヘムに行っているわけだ。ヘロデ王の幼児大虐殺のくだりと合わせると、ケンの指摘もうなづけるところだと思う。

神の子羊

その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。『わたしの後から一人の人が来られる。その方はわたしにまさる。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。わたしはこの方を知らなかった。しかし、この方がイスラエルに現れるために、わたしは、水で洗礼を授けに来た。」そしてヨハネは証しした。「わたしは、“霊”が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た。わたしはこの方を知らなかった。しかし、水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、『“霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である』とわたしに言われた。わたしはそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである。」
ヨハネ 1:32-34


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