今日の heavy rotation

どなたでもあることだろうと思うのだが、ふと聴いた音楽がずっと頭の中で鳴っている、というようなことがある。まるで FM のヘビーローテーションのようなのだけど、今日の僕の場合はこれである:

Neil Sedaka は、いわゆるポップアイドルの時代から不遇の時期を経て、1970年代に数々の名曲を残しているのだけど、特に有名なのは、エルトン・ジョンのレーベルである "Rocket" で出したアルバムである。僕は "The Hungry Years" というアルバムが好きなのだけど、この "Bad And Beautiful" という曲は、その次の "Steppin' Out" に収録されている。

アニメ関係に明るい方は、この曲を聴いて「あれっ?」と思われるだろう。この曲に日本語詞を付けたものが、某アニメのエンディングに使われていたことがあるからだ:

……いや、アニメ好きな方には悪いんだけど、やっぱり僕はオリジナルの方がいいですよ。やはり、その曲を書いた人しか出せないものがあると思うし、今聴くと幻想的な原曲のアレンジの方が古さを感じさせない(弦なんか生じゃないのにね)。

英語は難しいなあ

先回の blog に書いたので、ふと聴きたくなって、納戸の奥から Phoebe Snow の "Never Letting Go" を出して iTunes / iPod に入れた。余談だが、もともとこの Phoebe Snow という人は、ニューヨークでブルース等の弾き語りをギターでやっていた人で、そのギターが聴ける 1st solo の "Phoebe Snow" の方がお薦めです(僕の持っているのは初期のデモも入っていて非常によろしい)……ただ、僕の大嫌いなロン・カーターがベースを弾いているのがちょっとアレなのだけど。まあそれはさておき、Phoebe Snow の "Never Letting Go" を聴き返していて、ん?と引っかかったのだった。

更に納戸の奥を漁ると、Stephen Bishop の "On and On" というベスト盤があるわけだが、これも今迄入れていなかったのを iTunes に入れ、聴き返す……うーん……なるほど。いや、何に引っかかったのかというと、歌詞の一節に、

I'm crazy about you, but I can't live without you.
というのが出てくるのであるが……日本人がもし同じことを書くならば、
I'm crazy about you, and I can't live without you.
と書いてしまいかねないなあ、と思ったのである。日本の学校の英語の授業でこの but / and が空白になった問題が出たとしたら、but という回答に自信を以て×をつける先生がいそうな気がする。しかし、だ。英語的に考えると、ここではむしろ but を使う方が正解なのである。

何故かというと、単純な理屈で、「単純肯定の文と単純否定の文をつなぐ」ときは but を使うことになっているからだ。日本語の上で考えると、「君に夢中なんだ」→「君なしでは生きていけないんだ」の→は「だから」なわけだけど、"I am crazy about you."→"I cannot live without you."の間の→は "and" ではなく "but" になるわけ。もちろん意味は日本語で「だから」をつないだ場合と何ら変わらない、ということになる。

Never Letting Go ―― あんな引き合いに出してほしくない

松本龍氏の今回の顛末は、まあお粗末としか言いようがない。まあ彼が宮城県知事相手に不機嫌になることに、三分の理がないこともない……宮城県の復興計画立案には、野村総研が深く深く食い込んでいて、復興計画を討議する会議の委員は、十数名のうち、宮城県内在住者がわずかに二名、という状況である。なんでも、第二回の会議のときは「委員のほとんどが東京近郊に在住のため」、県知事達の方が東京に出張して、東京都内で会議が行われた、という。まあこんな風な、ちょっとにわかには信じ難いような状況になっているのだ。それに苛立っている、というのなら、まあ分からないでもない。

しかし、実際のやりとりがどうだったかは、報道されている通りである。トドメはあの「オフレコ」発言である。書いたところはそれで終わり、なんて言われたら、そりゃメディアは全力でネガティブな報道をするに決まっている。そんなことも分からない人があの震災の復興をやり仰せるとは、ちょっと思えないのだ。

まあ、それはさておき、僕が引っかかったのは、彼が会見で、カズオ・イシグロの "Never Let Me go"(邦題『わたしを離さないで』) と Phoebe Snow の "Never Letting Go" を引き合いに出したことだ。そもそも、あの文脈で何故なのか、どうにも分からない。朝日新聞の記事『「岩手でキックオフ、3日でノーサイド」復興相会見全文』から該当部を引用すると:

いろいろ言いたいことはあるが、謎かけをしようと思ったが、今日、これからいなくなるから。私はこれからは、4月に亡くなった歌手でフィービー・スノーというのがいる。また、5、6年前に出たカズオ・イシグロの本ではないが、これからは子どもたちのためにネバー・レット・ミー・ゴー。私は被災された皆さんたちから離れませんから。粗にして野だが卑ではない松本龍、一兵卒として復興に努力をしていきたいと思っている。
たしか、僕の記憶に間違いがなければ、『わたしを離さないで』っていうのは、ドナーになることを運命付けられ、人工生殖によって生まれ、育まれてきた子供達の話だったはずだ。まあ、「あまりに短い人生を、人はどのように人として生きるのか」という主題から、過酷な運命にある被災者の子供達の生きる姿を想起した……とかいうなら分かるけれど、「私は被災された皆さんたちから離れませんから」ってところからの想起……はぁ?って感じだ。本当に『わたしを離さないで』を読んでるんですか、松本さん?

Phoebe Snow にしたってそうだ。"Never Letting Go" ってのは、彼女の同名アルバムに入っている曲だけど、Stephen Bishop(シンガーソングライターで、フィル・コリンズが歌った "Separate Lives" を書いた人)の手になる曲で、もともとは Stephen Bishop 自身が Phoebe Snow のアルバムの出る前年にリリースした 1st solo に入れたのが初出だったはずだ。二人のテイクを聞くと、まるで The Isley Brothers が James Taylor の "Don't Let Me Be Lonely Tonight" をカヴァーしたときの二者の関係みたいに感じられる。まあ、あれ程アレンジを変えているわけではないんだけど、どちらの場合にも言えるのは、初出、カヴァーの双方とも、いずれ劣らぬ名曲である、ということだ。

この歌詞を読むと……うーん。切ない切ない詞なんだけど、やはり、松本さん、アンタまともな思考じゃないって。それか、題名だけで平気な顔して作品を語ってるのか。到底、彼のようなシチュエーションで引き合いに出すようなものではないと思うんだが。

まあ、でも、これもひとつのチャンスなのかもしれない。Phoebe Snow、そして Stephen Bishop に、この機会にスポットライトが当たってくれれば、それでいいことなのかもしれないしね。それに、あの愚にもつかない発言で、この曲の価値にいささかの瑕疵が生じることもないし。

実はニューウェーブ?

「生まれて初めて買ったレコードは何?」という質問は、今は二重の意味で通用しない質問になってしまった。もちろん、音楽がデジタルメディアベースになった、ということもあるけれど、現在の音楽ビジネスではもはやメディアがやりとりされなくなりつつあるわけで、そういう意味でもこの質問は過去のものになりつつある。

僕の場合は、初めて買ったレコードは……そう、レコードだった。45 RPM のドーナツ盤というやつだ。まあここまではいい。何を買ったか話すと「えー Thomas さんがそれぇ?」と大抵言われるのだ。まあ確かに、今の僕の音楽嗜好だとこれは想像し難いかもしれないのだけど、僕が初めて買ったレコードは SALON MUSIC の『デュエットに夢中 (WRAPPED UP IN DUET) / Muscle Daughter』なのである。

SALON MUSIC というユニットは、カテゴライズが非常に難しい存在なのだけど、とりあえず、僕がこのドーナツ盤を買った頃やそれ以前の括りで言うならば、おそらくニューウェイヴ(それ以降の彼らを知る人々から猛攻撃を受けそうだけど)ということになるんだろう。今になって顧みるに、この時期に、まさかホンダの CM に彼らが起用されるなどとは誰も思わなかったろうし、それを実現させた人々はまさに先見の明があった、と言うしかない。

そう言えば、この事実を告白すると、一時期「うんうん」と言われることがあって、何故かと思っていたら、

「そーだよねえ、あの人達 Moon にいたもんねえ」

いや、違いますから。別に山下達郎と同じレーベルだったから聞くとか聞かないとかじゃないし、そもそもこのシングルの頃は彼らはポニー・キャニオンに在籍していた筈だ。ちなみに今は、あの小山田圭吾のトラットリアである。まあ、吉田仁という人はパーフリのプロデューサーだったしね。

僕のように、自分で多重録音で音楽を作りたい、と考えていた人間にとって、SALON MUSIC の存在はとにかく憧れだった。アナログ・オープンリールの 8 tr. や 16 tr. を使って、プライベート・スタジオで音楽制作、なんて話を雑誌で読んでは、悶絶せんばかりの羨望を感じて溜息をついていたものだ。

しかしなあ。今の僕の周辺状況は、おそらく当時の彼らなんかよりもっと楽に音楽制作ができる状況なんだろうと思うけれど、とかく何かとままならないことが多くて、制作が滞っているのが、何ともなあ。ある精神科医が「アートは完全に自由な心が必要なんだ」と言っていたけれど、そういうマインドを作る努力なしには、たとえアマチュアでも、制作なんてままならない。そんなことを思いつつ、久し振りに今夜は、その僕が初めて買ったシングルと同じ音源を聞いたりしているのだった。

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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