尖閣防衛にオスプレイ?

世間には、奇妙なことを言う人が大勢いるようである。最近、「オスプレイ配備は尖閣防衛の切り札」などという記述をネット上のあちこちで目にするのだが、おいおい、本気でそんなこと言ってるのかね?

オスプレイが何のために使われるのかを、まず考えていただきたい。オスプレイは主に兵員を運ぶための輸送機である。それが投入されるということは、米海兵隊が人民解放軍と交戦状態になる、ということである。アメリカがそんなことをするか?否。それは何がどうなってもあり得ない。

抑止力としての効能を主張しているのかもしれないけれど、じゃあ C-130 があるからって抑止力になるだろうか? 空挺部隊や強襲部隊を投入する輸送機があるからって、それがプライマリーな抑止力にならない、という、そんな簡単なことも分からないのだろうか? いくら海兵隊が「斬り込み部隊」だと言っても、一定の制空権・制海権を確保しなければ、投入されることは有り得ない。つまり、海兵隊が動く前段階があって初めて、彼等は投入されるのだ。湾岸戦争が、イラク戦争が、海兵隊の投入で始まったかどうか、まず調べてみればいいのに、そんなことも分からないのだろうか。

もし尖閣周辺で米軍がプレッシャーを感じる程の事態になったとして、米軍がまず何をするかと言えば、当然空母の展開であろう。彼等はプレッシャーに応じて、相手に相応のプレッシャーを返すように、将棋の駒を置くが如く、海軍、特に空母のような航空機を即時展開できるものを配置する。なにせ人民解放軍は空母をようやく手に入れたばかりなのである。そんな相手に、どうしてオスプレイなのか。ここでその名が出てくることは「馬鹿の一つ覚え」以外の何物でもあるまいに。

いや、本当に、馬鹿は消えてくれよ。

足し算・引き算

中国で大騒ぎになっているのは、勿論皆さんご存知のことと思う。ニュースなどでも報道されている通り、日本から中国に進出している小売業、製造業において、デモ……もとい、暴動による破壊行為のために、とんでもない被害を既に被ってしまっている。

青島のイオンは、表のガラスが全て割られ、店内も甚大な被害を受けた。また、平和堂も大きな被害を受けている。僕は彦根の某大学と一緒に仕事をしていたことがあるので、彦根駅前の平和堂を頻繁に利用していたのだけど、いわゆる近江商人の典型で、極めて良心的な営業活動を行っている会社である。こういう会社の店舗が、何故あんなことにならなければならないのか。とにかく理解不能だとしか言いようがない。

この暴動で、イオングループは青島だけで20数億の被害を受けたといわれている。平和堂に関しても、数十億の被害を受けたといわれている。これらを誰が賠償してくれるのか。平和堂は、保険に望みをつないているようだけれど、このような暴動は免責事項に入っている可能性もあるので、やはり中国側の公が賠償しなければ、このまま彼等は泣き寝入りすることになりかねない。

しかも、こういうときはとかく責任の所在がいいかげんにされるものだ。中国政府も地方行政の方も、おそらくは不可抗力だ、と、責任を負わずに逃げるであろうことは想像に難くない。ではどうしたらいいのだろうか。

僕は、今回の被害額を耳にしたときにピンときたのだが、来年度の ODA で中国に振り向けられた予算を、そのままこの賠償に充当したらどうだろうか。2010年の実績で、中国向けの ODA の無償供与額は1300万ドル、現行レート換算で約10億円である。これでもまだ弁済分には程遠いが、政府貸付の6億3000万ドル(いわゆる円借款の返済残高?)、あるいは技術供与分の3億4700万ドルから残りを充当する手がある。特に、政府貸付に関しては、問答無用で今回の弁済分を貸付額に上乗せするという手だってあり得る。当然中国側は猛烈に反発するだろうけれど、だったら貸した金をすぐに返せ、と迫るのも一法である。

まあ、今回のポイントは、踏み倒しようのないところを活用して、踏み倒すことが容易に想像される相手にどのように弁済させるか、ということになるだろう。こういう方策を早いところちゃんと決めておかないと、この問題は日本国内でもうやむやにされかねない。僕は、平和堂のような会社がそんなメに遭わされるのは、正直見るに耐えないのだが。

この記者の活動目的は?

昨日、たまたま石原東京都知事の尖閣諸島問題に関する緊急記者会見を観ていたときのことである。記者との質疑応答で、実に奇妙なやりとりがなされたのだ。以下、その箇所を聞き取ったものを引用として掲載する:

【記者】キューバの、グランマー通信社の、日本人特派員やってる稲村です。あのー、2、3日前、大阪維新の会の……あのー、メールを打ったんですけれども、ま、今の、尖閣問題で、そのー、竹島だとか北方領土だとか、日本の、とにかく、領土問題というのは、何か、大変、火がついたような感じで、あのー、中国との衝突、は、その活動を(一部判読不能)必至だと思うんです。まー、あのー、それで、えー、この、えー、沖縄領土問題から日本を救うには、そのー、大阪維新の会が道州制言ってるわけで、やはり、終戦直後のように、えー、琉球という感じで、奄美と沖縄は、米領に復活させて信託統治領にして、した方が、いいんじゃないかと、いう風な、案を、出したんですけど。

【知事】誰が? 君が?

【記者】はい。

【知事】君は何人だね。

【記者】私は、2、3代前までは琉球人です。

【知事】今は何人だよ。国籍は?

【記者】今は、あー、残念ながら、同化政策で、えー、日本の国籍を取りますが、子供と孫はアメリカ人です。

【知事】ああ、かなり違う日本人だね。君の言うことは全く通じないよ。早くこの国から出てった方がいいんじゃねぇか。

その発言内容のムチャクチャさもさることながら、そもそもこの稲村なる人物は記者としての姿勢がおかしい。記者会見というのは、記者が個人の考えを会見参加者とたたかわせる場ではないのだから。ここだけ取っても、この稲村なる人物が本当に記者なのかどうか、実に疑わしいと言わざるを得ないのだが、そもそもその肩書「キューバのグランマー通信社の日本特派員」というのは何なのだろうか。調べてみると、これはキューバの Granma International という新聞(キューバ共産党中央委員会の機関紙)のことらしいのだが、その特派員が何故日本の領土問題に、それも大阪維新の会に提言をした云々、などという話を持ち出すのだろうか。

この稲村なる人物に関して調べてみると、http://www.tourism.co.jp/ なるサイトに行き着く。このサイトの主宰者であるところの稲村宏史なる人物が、先の記者会見の稲村氏の正体らしい。

上サイトの profile を見てみると、「霞が関通信社・大使館新聞社 社主 (CEO) 兼 編集主幹」と書かれているのだが、「大使館新聞」なるものの存在の痕跡は、少なくともネットワーク上ではなに一つ確認できなかった。では「霞が関通信社」の方はどうか、というと、中国のニュースポータルサイトである 中国網 (China Net) 上のこんな記事が引っかかってくる。「霞が関通信社の白髪頭のベテラン記者」というのが、この稲村氏のことらしいのだが……

この稲村氏、今回の記者会見の前にも、石原都知事に何度となく記者会見で絡んでいる。一例として、2012年4月27日の都知事定例記者会見の際の映像を以下に示す(16分25秒位から):

少なくとも、ネットで散見されるこれらのやりとりを見る限り、この稲村氏が一記者として報道に携わる目的で会見に臨んでいるとは到底思えない。明らかに、自らの主張を披瀝する場として、石原都知事の会見に食いついていて、そういう場で他の国の記者と記者然として交わした言葉が、上にリンクしたような場所で「日本の(マトモな)ベテラン記者の言」として引用されてしまっている。これは、僕のように右でも左でもない人間から見ても、有害極まりない行為だとしか思えない。

時々目にすることがあるのだが、リタイアした後に自分の組織(研究所だったり財団だったり会社だったり、まあ色々なパターンがあるのだが)を興して、自分はある組織を主宰しているんだ、と、しきりにその肩書を披瀝する人がいる。機関誌をあちこち送りつけたり、定期的に懇話会やら講演会を開いてみたり、と、熱心にやるのだが、どういう訳か、その組織の本来のミッションと思しき分野において、その活動の形跡を窺うことができないのである。何故そうなるか、というのは簡単で、そういう組織の主宰者の目的は、その組織で何らかのミッションを果たすことではなく、そういう組織の主宰者であることそれ自体が目的だから、である。

そもそも、この稲村氏は本当に Granma の日本特派員なのだろうか? そうならば、署名記事のひとつも出しているに違いない、と "Cuba Granma Inamura" という検索語でググってみると、Granma の記事はただのひとつも引っかからないのである。Granma では、海外特派員の記事にはちゃんと名前が入るようなので、これはとても奇妙なことだとしか言いようがない。

そして、上の検索では、2011年4月7日の外国人特派員向け記者会見の議事録が引っかかってくる。この会見は動画も公開されているのでそちらの URL を示しておく(1:11:10 辺りから):

http://nettv.gov-online.go.jp/eng/prg/prg2075.html

この会見も実に奇妙だと言わざるを得ない。日本語、英語、双方ともオーケーの会見なのに、稲村氏は英語で質問している。しかし「犠牲者」を意味する victim という単語が出てこない、って、一体どういうことなんだろう? 前置詞とかも無茶苦茶だし、およそ英語で教育を受けた人の英語とは思えない。上の方にリンクした profile によると、この人は UNC の大学院中退、とあるんだけど、ノースカロライナ大学チャペルヒル校と言ったらアメリカでもかなりの名門校なんだけど。そういうインテリジェンスが、上のやりとりからは欠片程も感じられない。まあ、そういう人でも推薦があったら UNC に入ることはできるかもしれないし、入れれば「中退」を名乗ることはできるわけだから、嘘をついているわけではないのかもしれないけれど。

いすれにしても、こういう暇人は、己の内部だけで完結して時を楽しんでいただきたいものだ。記者面をして、識者面をして、表に出てこられると、現役世代の一人としては有害極まりないとしか言いようがないのだ。いや、本当に、早いところ「完全に」リタイアしていただきたいものだ。

ウヨウヨ

僕は、世間の人達にどういう風に思われているのだろうか。ああ、いや、人間性とか資質とかいう話ではなくて、政治的スタンスの話である。

クリフォード・ストールという天文学者がいる。彼は一時期カリフォルニアのローレンス・バークレー研究所で admin(コンピュータシステムの管理者)として職を得ていて、そのとき偶然侵入者を発見、ヨーロッパまでネットワークを追跡して捕まえさせた(この顛末は彼の著書『カッコウはコンピュータに卵を産む』で読むことができる……もはや古典と言うべきなのだろうけれど)。この本の中で、彼がこんなことを書いていた記憶がある:「自分は、天文学者にはコンピュータの専門家だと思われていて、コンピュータの専門家には天文学者だと思われている」と。

これは僕にも似たような経験がある。僕はもともとバリバリの実験屋だと思っているのだが、自分の仕事の関係で、分子動力学計算や熱力学計算、あるいは複雑な金属間化合物結晶の Rietveld 解析、あるいは FDTD 法による電磁界計算、といった、計算機を使う仕事もやっていた。これらは皆、その計算だけを専門に行っている人々が各々存在しているのだけど、僕の場合は本当に必要に迫られてやっていたわけだ。

ソフトだけではない。修士時代は、研究室の隅に転がしてあったデジタイザを使って、金属単結晶の背面反射 Laue 写真を解析するシステムを組んだし、最初の職場では電子天秤とパソコンで熱天秤の自動計測システムを組んだりしていた。まあでも、それらは本当に必要に迫られてやったことで、僕は実験装置のスペシャリストというわけではない。

要するに、

  • 電子工作が好きだった
  • コンピュータに慣れていた
  • 機械工作が好きだった
  • アマチュア無線をやっていた
……ということが、たまたま仕事の面で役立ったに過ぎないのだが、同業の材料科学の専門家の中で、僕は「計算に詳しい」「コンピュータを用いた数値解析に詳しい」あるいは「実験装置のスペシャリスト」などと言われることがちょくちょくあった。しかし、僕はそれらを必要に迫られてやっていただけだし、その過程で、本当にそれらの分野で飯を食っている「凄腕」に接触したことがあるから、彼等に比べたら自分なんてちょいと器用なだけだ、ということが骨身に沁みて分かっているのだ。

この件で僕が学習したのは、人は、ある局面での印象を以て誰かのことを規定してしまいがちなものだ、ということである。たまたま誰かの目前で、僕がコンピュータを走らせていたり、旋盤を回していたり、半田付けをしていたりすると、それが強調されたかたちで僕という人間が規定されてしまう……そういうことを知ったわけだ。いやまあ、自分の書いたり作ったりしたものはそれなりに価値はあると思うけれど、それを以てその道の……と言われるのは、これは正直言って申し訳ないような気持ちになる、ということである。

さて、「人は、ある局面での印象を以て誰かのことを規定してしまいがちなものだ」という経験則を、最初の僕の問いに適用するとどうなるか。僕は不安になるのである。僕は政治的にどういうスタンスだと思われているのだろうか、と。

たとえば僕は、民主党政権成立以来、一貫して否定的なことを書いているわけだ。こういう論調を以て、僕はネトウヨだと思われているのかもしれない。しかし、僕はミンスとかチョンとかいう言葉を使うことは(今回のように、その言葉それ自体に言及する必要のある場合を除いて)まずないし、Twitter のアイコンに日の丸を入れている輩をこきおろして、多数のコメントをいただいたりもしている(僕は別に日の丸入れるのを否定しているんじゃなくて、入れるならどうして堂々と、でっかく、オースティン・パワーズのクルマのユニオンジャックみたいに入れないのか、と言っているのだが)。

僕の blog で文句なしに一番アクセスが多いエントリは、『レイテ島からのハガキ』である。これを読むと、僕が太平洋戦争を礼賛しているかのように思う人がいるかもしれない。しかし僕はこの中で、

こんな手紙を書き、こんな歌を詠み、こんな思いを持つ人が、一兵卒として勝ち目のない戦場に投入され、妻やまだ見ぬ我が子を思いながら死んでいったのか、と思うと、ただただ胸が痛む。戦争というものは、人のこういう機微をいともたやすく蹂躙し、破壊してしまうのだ。
と書いているわけだ。そもそも、僕は靖国神社に関してもあまり良い感情を抱いていない(カトリックの信者としては、問答無用であそこにカトリック信者の戦死者が合祀されていることには理不尽さを感じずにはおれないのだ)し、「英霊」なんて言葉を軽々に使う輩を見ると反吐の出る思いがする。あの時代の中で、あの苦しみを自ら負ったわけでもない我々が、軽々にそんな言葉で戦死者を賛美することは、あの愚かな戦争の中で理不尽に死んだ人の存在や、その思いを、上辺だけの安っぽいヒロイズムに問答無用で置換しているだけの行為だと思うから、僕は「英霊」なんて言葉をとてもじゃないが自分の口から吐くことはできないのだ。

では僕はサヨクなのだろうか。そういうわけでもないような気がする。竹島や尖閣諸島の問題に関しては、政治的な妥当性は日本の方にあると考えているし、日本がその領有権を主張することは、国土というものが国のアイデンティティとして極めて重要なものである、という意味からも、妥当な行為だと考えている……と、ここまで書くと、ネトウヨな人々が「うん、うん」と首肯する姿が連想されるけれど、竹島に関しては、いわゆる金鍾泌による独島爆破提案について、現在これ程までに揉めるなら、いっそ本当にやってしまっていればよかったかもしれない、と思うこともあるわけだ。

つまり、僕の政治的な立場は「左」か「右」か、という二元論では規定し切れない微妙なものだ、ということになる。そしてそんな二元論で自分を規定されたくはないのである。

しかし、世間ではどうしてネトウヨと呼ばれる人々がこれ程増え、そういう人々は容易く自分達をステレオタイプな行動で簡単に規定し、「自認」してしまえるのだろうか。ミンスとかチョンとか書き殴っている人々や、子供がロッテのアイスに手を伸ばしたら怒鳴りつける主婦に出会ったりすると、どうしてこの人達には、自分が抱えるような「二元論では片付けられない」微妙な思想がないのだろうか、と不思議に思えてならないのだ。いや、こういう感想も、あるいは僕が先に書いた「ある局面での印象を以て誰かを規定する」行為に過ぎないのかもしれない。しかし、どうして彼等は、ネトウヨならネトウヨ同士で、お互いの微妙な立場の違いを論じ、その認識を深める、という方向には行かずに、声を合わせて罵詈雑言を並べる方に行ってしまうのだろうか。

昔の右翼は、「一人一殺」[一殺多生」に代表されるような過激な思想の下、暴力闘争を展開する人々もいたけれど、もう少し議論というものをちゃんとしていたような印象がある。たとえば「一水会」の最高顧問の鈴木邦男という人がいるが、この鈴木氏の論調などはまさに「論ずる右翼」の好例であろう。この鈴木氏自身も認めているけれど、たとえば新右翼と新左翼の接近などというのも、お互いの微妙な立場の違いを論じ、その認識を深めた結果であると言えないこともない。

しかし、ネトウヨと呼ばれる人々の中で、こういう微妙な議論が醸されない、という辺りに、僕はその存在やその必然性に強い疑義を感じずにはおれないのである。この blog にも、あるいは何か罵詈雑言めいた書き込みがされるのかもしれないけれど、その元気があるのなら、思想的に僕が納得する程に成熟した論を、どうか聞かせていただけないものだろうか。

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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