業務連絡

alternative を見られる方は御一読を。それだけ。

「罵り」考

時々街中で罵られることがある。おそらく、何か不快なことがあったときに、私が露骨に嫌な顔をし、時には反撃を行うからだろうと思う。取るに足らない輩なんか放置しておけ、その手合いをこちらが再教育してやる必要もないし、そんな連中に何か言われても痛くも痒くもなかろう……と、私も思うのだけど、理不尽なめに遭って泣き寝入りするのは私も嫌なので、こういうことが起きることもあるわけだ。

そして、その経験の中で、私にはある仮説を持つに至った。それは:

他人を公然と罵るような輩に限って、普段自分が苛まれている文言を以て他者を圧倒しようとするのではないか
ということである。

もう何年も前の話だけど、台風か何かのときに、普段絶対に乗らない時間帯のバスに乗っていて、隣に座った男に絡まれたことがあった。私はそいつを言い負かしてしまい、逆上したその男を、運転士は次のバス停で強制的に下車させてしまったのだけど、その男が去り際に私にこう怒鳴りつけたのである。

「エタ!」

私は息の止まるような心地がした。人が実際にこの言葉を、他人を侮辱する目的で口にするのを、私はそれまで一度も聞いたことがなかった。同和問題に関して複雑な状況を抱えている大阪に十数年住んでいても、そんな経験は一度もなかった。だから、当然だが、他の文言の聞き間違いではないかと我が耳を疑ったが……しかし、どう考えてもそうとしか聞き取れなかった。

今はもう、この言葉を平仮名でしか見たことのない方が多いのかもしれない。私が教科書で見たときもそうだった。しかしこの言葉は漢字を知らないと、その言葉、そしてそれを人に対して使うことの暴力性と残忍さを理解できないと思う。「エタ」は漢字では「穢多」と書く。教科書ではよく「えた・ひにん」と書かれているようだが、「ひにん」は「非人」である。これが人のある層に対する呼称として使われていたというのだ……

しかし、まさか21世紀に、それも自分に対してこの言葉が向けられるとは思いもしなかった。そもそも普通の人にとっては、この言葉自体まず浮かんでこないと思う。なぜ、先の男は、よりにもよってこんな言葉を選び、持ち出してきたのだろうか。

あの日、家に帰ってその話をしたら、カミサンが、

「ひょっとしたら……これは推測だけど」

と、言いにくそうにこう言ったのだ。

「その人、ひょっとしたらそういうことを言われているのかもしれないよ」

誤解なきように願いたいのだが、カミサンには一切差別的な要素を込めているわけではない。そもそも我々は日本のカトリックで、江戸時代から明治初期の禁教令解除までの間、そういう被差別階級よりも更に下に置かれていたのは捕縛された潜伏キリシタンであった。そして長崎にも同和問題があるので、カミサンはそのことをよく知っている。知っていてその上であえてこのことを言ったわけだ。

「いや、でも差別される側の人がそんなこと言うか?」
「じゃあ、その言葉がポンと出てくるってどういうことよ」
「うーん……」
「その言葉と何の接点もなかったら出てこないじゃない」

……まあ、確かにそうかもしれない。あくまで真相は分からないわけだが、とにかく、この言葉がそういうところで出てきたのだから、自分が同和地区出身かどうかは分からないが、何らかの意味でその言葉との接点のある人だったのかもしれない。

しかし、もしそうだとしたら、それはまさに天に唾するようなものだし、その唾は自分だけでなく、自分の近しい人々まで含めてかかるもの、ということになるのだから、何ともやり切れない話としか言い様がない。まあ、あの男が「暴言蒐集・試用マニア」であった可能性もゼロではないのだろうが、いずれにしてもこんな後味の悪い話もなかった。

で……今日の話である。所用で名古屋市の外れの方まで来ていたのだが、この辺りは運転免許試験場の最寄り駅ということもあって、週末には様々な人が地下鉄やバスの辺りをうろうろしている。その中にはやはりコワれた人というのもいるわけだ。

私はここに来るとき、この車輌のこの出口から出ればすぐにエスカレーターに乗れる、という場所を知っているので、そこに立っていた。すると、後ろの方で一人の男がうろうろしている。そして、私の立っているところが最もエスカレーターに近いと分かるや、私を押し退けるように出口を出ようとする。私の方が前だったので、私は巧妙にブロックしてしまった。するとエスカレーターの上で、強引に私の横を擦り抜けて上がろうとする。思わず舌打ちが出た、そのときだった。

「舌打ちすんな、このハゲ!」

と、その男に罵られたのだ。うーん……私も、生え際がややポヨポヨしてきたかもしれないが、ハゲと言われる程でもないのに、と、男を見て、私は凍ってしまったのだ。

男はメッシュのキャップを被っていた。その頭が……明らかに禿げているのだ。え?何故こいつが人に向かって「ハゲ」って罵るの?何故?何故?……頭の中が「?」だらけになってしまったのだった。

己所不欲勿施於人(己の欲せざるところを人に施すことなかれ)
と言うけれど、この手の輩は、人を圧倒しようとすると、己の欲せざるところを人に施すことでそれを実現しようとしてしまうのだろうか。やはりこの男も、普段は自分がそう罵られているのだろうか。いやあ、哀れだなあ。そして哀しいなあ。

自然なものが自然だというのは幻想である

まだ若い女子プロレスラーが自ら命を絶たれたらしい。洩れ聞く話では硫化水素を使用したのではないかとのことで、何ともやりきれない話である。

この女性は『テラスハウス TOKYO 2019-2020』という番組に出演しており、その中での発言が傲慢だったという非難を受けていたらしい。Twitter では、彼女に粘着的に非難を続けるアカウントが存在していたらしく、死が報じられた日の夕方に、そのアカウントは消された。

また、この番組ではスタジオの面々がかなり辛口、というか、攻撃的なコメントをすることが知られていて、特に山里氏のそれはキツいものだったらしい、発言をまとめたサイトなどで読んでみると、その場の雰囲気が分からない私には、これってもはやミソジニストとかインセルとか言われるレベルじゃないのか……とも見えてしまう。

しかし、他にも指摘されているわけだが、これはあくまでテレビ番組なのだ。そこには当然構成や演出というものが介在している。だってドキュメンタリーじゃないの? とかいう声が聞こえてきそうだが、森達也の著書を出すまでもなく「ドキュメンタリーは嘘をつく」のだ。

たとえば、ディズニーが1950年代に制作した "White Wilderness" というドキュメンタリーフィルムがあって、これにレミングの集団自殺という映像:

が記録されている。これは実にそれっぽい映像で、私も何かでこれを見て、すっかり信じ込んでいたことがある。しかし実はこれは創作であって、撮影時にはスタッフが崖にレミングを追い詰め、果てには手でレミングを掴み、水に投げ込んでいた、というのだ。

恋愛を題材にしたドキュメンタリー(っぽい体裁の番組)を制作するにあたって、何が目をひくのか、ということを考えて演出するならば、そのポイントはいくつかに絞られる。たとえば、およそモテない奴が足掻く様を映像にして、スタジオの面々がそれを面白おかしくいじる(かつて私の大学の同期がこの被害に遭ったのだが)、スタイリッシュに見せたいのなら、鞘当てであったり、無様な様子であったり、怒りを抱くような言動であったり……そしてそれをやはりスタジオの面々が煽る、そういう演出が行われる可能性は大いにあるのだ。

特に連続ものであるならば、怒りという要素は実に効果的だ。怒りは人を執着させるから。だから、登場人物の中に「いけ好かない奴」「腹立たしい奴」を作る、ということは、演出としては効果的なのだろうと思う。

ただし、そういう風に出てきている人物が本当にそういう人物なのか、普段からそういう言動なのか……それはまた違う話だ。しかし、「こうあってほしい」「こうあるべきだ」という思い込みに、怒りという執着が加わった結果なのか、そしてスタジオの煽り(これもまた演出の結果なのだが)にまんまとのせられた結果なのか、全方位的にその人物は批判されるべきだ、否定されるべきだ、と思い込まされる。それがあってこその「視聴者の執着」なのだろうが、それは個人攻撃への危険と常に表裏一体だ。

そして、このコロナ騒動での家への引きこもりである。一日中エゴサーチしようとすればできてしまう。見なければよい、と言っても、わざわざ Twitter でコメントを付けてこられるのはキツいかもしれない。ミュートやブロックを即座にすれば良かったのかもしれないが……受け止めてしまったのだろうか。

自分が21歳のときにこういうことがあったとしたら(って、今あの頃の自分がいても映像媒体における商品価値なんかないんだろうけどね)、これはキツいと思うのだ。しかも女子プロレスラーで、強い自分を演出しなければならない、という思いがあったとしたら、それは尚更のことだろうと思う。

本当なら、Twitter や Instagram のアカウントなんか消してしまえばよかったのではないかとも思う。しかし、番組に出演中ということだと、それも難しかったのだろうか。いずれにしても、この話はちょっとやりきれない。そういう心境である。

TeX Live 2020 pretest 配布開始

https://www.tug.org/texlive/pretest.html
TeX Live 2020 pretest 版の配布が開始された。ここをお読みの方で使われたい方は "TeX Live を使おう──主に Linux ユーザのために──" の「TeX Live 2020 pretest 版のインストール」:
http://fugenji.org/thomas/texlive-guide/install-pretest.html
を御参照いただきたい。

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

New Entries

Comment

Categories

Archives(900)

Link

Search

Free

e-mail address:
e-mail address

Counter

9324951