a man with no principle

標記の語は、意訳するならば「哲学のない人」ということになるだろうか。先日読んでいたある本に、何故日本が海外でバッシングされるのか、という話が載っていて、その中にこんな言葉が出てきたのだった。曰く、日本の企業は上に行けば行く程、a man with no principle ばかりになってしまって、時流に阿ることばかりに終始して、一貫した主張というものがない。そういう企業や企業人と、哲学を持つ者同士の契約というかたちでの信頼関係を結ぶ欧米人が、信頼関係を結べるはずがないのだ、だからバッシングされるのだ、と。


僕はいつでも「じゃあお前はどうなんだ」と問いを向けられるところにしか身を置いたことがないし、仕事以外においても、自分にしかできないことをしたくて、音楽を作ったりものを書いたりしてきたので、「哲学のない人」というのが、どうにもピンとこない。ただ一つだけ言えるのは、確かに周囲にそんな人はいて、自分の信条や思想を以てものを言うということがない人々であって、そういう人々の言うことはうつろうばかりで信用できない、ということだ。なるほど、ということは、僕は日本人的じゃない、ということなのか?


でも、昔の日本人、たとえば明治維新以降に国のために欧米に出ていった人々なんてのは、皆何かしら信条というか、志というか、そういうものを持っていたんだと思うから、そうなると、今の the men with no principle というのは、決して日本に普遍的な存在だというわけではないのだろう。


まあ、その分布に関しては別にしても、「哲学のない人」というのは、互いの責任を担保してロジカルに意見を交わしたり、その結果を共有したり、ということは、とてもじゃないができそうにない。つまり、コミュニケーションや相互理解というものが持てないということで、これは(非常に差別的な書き方だけど)愚者を相手に法を説くようなものなわけだ。ああそうだ、お釈迦様がこう仰ったって話があったよな:「人を見て法を説け」なるほど。大昔から人は全く進歩していないものらしいや。

2010/03/10(Wed) 13:55:27 | 日記
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T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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