『誰も教えてくれない聖書の読み方』正誤表(私家版)

pp.55:
「アーロンの代用息子の一人エレアザルが」→「アーロンの孫(代用息子の一人エレアザルの子)ピネハスが」(原著段階での間違い)
pp.55:
脚註「……で、近くの街の人がやってきて」 →「イスラエル人が宿営していたモアブの王バラクが」
pp.59:
原著 pp.37 の4番目が引用されていない
(試訳)神さまは罪人を飢えさせ、彼らが子供を食べるのを楽しむんだって。 ―― 申命記 28:53-57
pp.62:
「犬のように舌で水をなめる者」→「水を手にすくってすすった者」
この箇所に関する記述は原著にはない。
pp.67:
末尾 サムエル記上 11:5-7 → 同 7:10(原著は 7:10 になっている)
pp.67:
原著 pp.42 4番目に相当する訳文なし
(試訳)はじめて神に油注がれたイスラエルの王であるサウルは、イスラエルの民の牛を 皆殺しにすると脅すと、彼らが自分に従って戦ってくれるということを証明したんだ。 ―― サムエル記上 11:5-7
pp.69:
ダビデがゴリアテを殺すくだり:訳はケンの記述に忠実だが、これはケンの勘違いでは?該当箇所の欽定訳からの引用:
And David put his hand in his bag, and took thence a stone, and slang it, and smote the Philistine in his forehead, that the stone sunk into his forehead; and he fell upon his face to the earth. So David prevailed over the Philistine with a sling and with a stone, and smote the Philistine, and slew him; but there was no sword in the hand of David. Therefore David ran, and stood upon the Philistine, and took his sword, and drew it out of the sheath thereof, and slew him, and cut off his head therewith. And when the Philistines saw their champion was dead, they fled.
これでも、石で打ち殺した後に、自らは武器を帯びていないのでゴリアテの剣で首を切り落としたことになっている。
pp.69:
末尾本文・脚註:ペリシテ人を殺した人数は日本語の聖書だけではなく欽定訳でも200人。100人という人数はどこから?
pp.84:
歴代誌下 26:16 → 歴代誌下 26:16-21(原著でこうなっているのを確認済)
pp.101:
イザヤ 34:2-3 と イザヤ 26:19 の間にあった引用が削除されている:
(試訳)エジプトに対する悲観的な預言をドラマティックなものにするために、神さまはイザヤを裸で三年間歩かせる。 ――イザヤ 20:2-4
pp.102:
イザヤ 49:14-15→原著にない引用
pp.123:
ゼパニヤ書の二つの引用箇所の間にあった引用箇所が削除されている:
(試訳……訳文は新共同訳聖書による)その日は憤りの日……わたしは人々を苦しみに遭わせ……彼らの血は塵のようにはらわたは糞(ふん)のようにまき散らされる。 ―― セファニヤ 1:15-17
pp.139-140:
「無原罪の御宿り」がクレアヴォーのベルナールによるものとあるがこれは間違い。ベルナールは反スコラ派の宗教学者で、むしろ「無原罪の御宿り」という概念に反対する立場にあり、ここに挙げるならばヨハネス・ドゥンス・スコトゥスが適切(これに関してはケンの記述の段階からこうだったことを確認済)。
pp.156:
ルカ 8:28-34 → 同 8:43-46(原著ではこうなっている)
pp.167:
ヨハネ 28-30 → ヨハネ 19:28-30(原著の段階で抜けていたのを確認済)
pp.178:
ヨハネ 8:47 → 同 8:42
pp.178:
上に言及した引用部と ヨハネ 8:55 の間に引用箇所があるのが訳本では削除:
(試訳……新共同訳からの引用)神に属する者は神の言葉を聞く。あなたたちが聞かないのは神に属していないからである。」 ―― ヨハネ 8:47
pp.186-187:
バルナバ→バルイエス(原著ではこうなっている。ちなみにバルナバとバルイエスは別人……バルナバはサウロと同じアンティオキアの教会にいた聖職者で、パウロの最初の宣教の旅に同行したといわれている。 )
pp.203:
1番目の引用部の後に引用箇所があるのが訳本では削除:
(試訳……新共同訳からの引用)あなたがたは、自分の体がキリストの体の一部だとは知らないのか。キリストの体の一部を娼婦の体の一部としてもよいのか。決してそうではない。 ―― 1コリント 6:15
pp.211:
ヘブル人への書 12:6 → 同 10:28-31(原著ではこうなっている)
pp.214:
「923ページある聖書の、902ページ目でやっと。」 → 「923ページある聖書の、907ページ目でやっと。」
2010/03/15(Mon) 15:58:00 | 社会・政治
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Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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