ホトトギス

ホトトギスと聞いて、皆さんは何を連想されるだろうか。僕が第一に連想するのは、正岡子規である。子規が創刊した俳句雑誌の名が『ホトトギス』であることは、皆さんも国語の授業などで教わった記憶があるのではないかと思うのだが、実はこの『ホトトギス』、現在も存続している。松山で1897年に立ち上げられた合資会社「ホトトギス社」は、現在は高浜虚子の孫である稲畑汀子氏が主宰しており、ちゃんとhttp://www.hototogisu.co.jp/というサイトもある。目下の最新号は『ホトトギス第百十三巻第六号』(平成二十二年六月一日発行)ということで、現役バリバリの俳句雑誌として活動しているのである。

で……何故「ホトトギス」なのか、というと、これは子規の俳号からとっているわけだ。「子規」はそもそもがホトトギスの別名であって、子規は、血を吐きながら執筆を続ける己の姿を、血を吐くまで鳴き続けるといわれるホトトギスに擬えたわけだ。余談だが、子規が東京帝大在学中にこの俳号を使い始めていることから考えると、彼には既にその頃から死の影が従っていたことを窺わせる。

では、俳句に縁遠い人は「ホトトギス」と聞くと、何を連想されるだろうか。おそらく、この話なのではないか、と思うのだ:

 夜話のとき或人の云けるは、人の仮托に出る者ならんが、其人の情実に能く恊へりとなん。
 郭公を贈り参せし人あり。されども鳴かざりければ、

 なかぬなら殺してしまへ時鳥    織田右府
 鳴かずともなかして見せふ杜鵑    豊太閤
 なかぬなら鳴まで待よ郭公    大權現様
これは松浦静山(まつらせいざん)の著した『甲子夜話(かっしやわ)』巻五十三〔八〕からの抜き書きである。誤解なきように書き添えておくけれど、この件は松浦静山が何処かで聞いた話を書いているものらしく、初出は不明である。

ともかく、郭公(この場合はホトトギスを指す)を贈られたけれど鳴かなかったとき、信長・秀吉・家康がどう言ったか、というこの話で、各々の性格を反映させた三つの川柳が登場する。「なかぬならころしてしまへほととぎす」、即ち、鳴かないホトトギスなど殺してしまえ、と詠んだ信長に対して、秀吉は「なかずともなかしてみせふほととぎす」つまり、鳴かないホトトギスをどうにかして鳴かしてやろうじゃないの、と詠む。そして粘り勝ちで天下人となった家康は、「なかぬならなくまでまちよほととぎす」つまり、鳴かないのなら鳴くまで待つまでよ、と詠んだ……と、こういう話である。

さて。では本題に入ろう。民主党連立政権が成立して以降の政治の動向は、困難な課題がいくつかあって、あたかも「郭公を贈り参せし人あり。されども鳴かざりければ」の状況だったわけだけど、ではそんな民主党のやってきたことは、先の三つの川柳のどれに擬えることができるだろうか?皆さん、こう問われたら、どうお答えになるだろうか。僕は迷うことなく答えるだろう:民主党のやってきたことは「なかぬなら殺してしまへ時鳥」だったのだ、と。

まず(これは前にも書いたことがあるけれど)、民主党は実に便利な言葉を発明した。それは「ゼロベース」というもので、

  • この約束は反故にします
  • マニフェスト守れないんで前言撤回させてもらいます
  • 前政権がそれなりの案をすすめていたけれど現政権色をアピールするために問答無用で全部ぶち壊しにします
等のような、公に発言すると批判を浴びそうな文言をこの「ゼロベース」にすり替えることで、あたかもそこに高度な政治判断と、民衆の視線で単純に理解し得る明解な論旨が内在するかのように見せかけて、内実に上に箇条書きにしたような「本音」を率直に込めて吐くことができるようになるのだ。この言葉は実に便利に使われた。僕らが正規表現で便利に使っているwild cardの如く、明示的に表明すると著しく体裁が悪いような言葉が、何度となくこの「ゼロベース」にすり替えられたことを、僕たちは忘れてはならない。可及的速やかに対処すべき事案(普天間問題はその代表格だろう)も、粘り強く議論を重ねなければならない事案(放送法の改正などがその代表格だろうか)も、十把一絡げに、この「ゼロベース」という枕詞でうやむやにされてきたのだから。

このように、抗いがたい程に大衆へ迎合する力を秘めた(そしてその実空虚な)「ゼロベース」を振り回したことは、票田にウケがよろしくないものは何でも「ゼロベース」、という適用のされ方を招いたわけだ。これはまさしく「なかぬなら殺してしまへ時鳥」である。「さえずる」のに時間を要する事案を「ゼロベース」という枕詞で処理してしまう、この姿勢こそが、信長の川柳のような野放図な暴力性を秘めている、ということを、どうして誰も言わないのだろうか。

これは「事業仕分け」においても同じである。当初「仕分けは指摘であって、最終結論ではない」と言っていたはずが、先日の事業仕分けでは、仕分けの結果に拘束力を持たせる、ということが言われている。これはあたかも、刑事裁判をADRで裁こうとするが如き暴挙としか言いようがない。十分な意見の吸い出しとその吟味の機会なしに、劇場型の吊し上げで国のプロジェクトを裁くのを見て、どうして皆恐ろしさを感じないのだろうか。その場だけの透明性なんて、演出次第でどうとでもなるものなのに、どうしてそこだけで皆安心してしまうのだろうか。そういう「議論と言えない議論」で仕分けを行うというのは、やはりそこにいる「鳴かないホトトギス」を血祭りにあげているだけの話なのではなかろうか?

とにかく、現政権成立以降、内閣と民主党が「なかして見せふ」とすることも、「鳴まで待よ」とすることも怠ってきたことは、誰もちゃんと言わないけれど、ちょっと周辺状況を見てみれば明らかなことではないか。このことを、僕たちは忘れてはならない。民がホトトギスならば、今こそ喉から血を流してさえずるときなのではないだろうか。

2010/05/31(Mon) 22:03:17 | 社会・政治
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Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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