執行設備公開

まず最初に書いておくけれど、今日は僕の誕生日である。もう誕生日をにこやかに祝うような歳でもないけれど、さすがに今日のニュースを観たときには「何も今日でなくたって」と思ったものだ。2010年8月27日……今日、おそらく日本で初めて、死刑執行に関わる設備がマスコミに公開されたのだ。

日本では死刑というと絞首刑を指す。なぜかというと、これは刑法11条1項にその旨定められているからなのだが、この絞首刑の執行は、札幌、仙台、東京、名古屋、大阪、広島そして福岡の拘置所で行われることになっている。しかしながら、今まで法曹関係者以外に執行施設が公開されたことは、記録されている限りは1回しかない。「死刑廃止を推進する議員連盟」の申し入れに対して、当時たまたま改装されたばかりであった執行設備が公開されたのだ。

社民党の元衆院議員である保坂展人氏は、このときに執行設備を見学し、後にそのときのことをドキュメンタリー作家の森達也氏のインタビューで述べている(詳細は『死刑』森 を参照のこと)。そのときの話を『死刑』で読んだとき、僕は「同じだ」と思ったものだ。何が「同じ」なのか?まずはこのパイロットフィルムを見ていただきたい:

この、大島渚氏の『絞死刑』を、僕はビデオで観る機会があった。この映画では、死刑執行に関わった人などから徹底的な取材を行い、死刑執行の一切を忠実に再現しているのだが、この『絞死刑』冒頭部における描写と、保坂氏の証言は、ほとんど死刑執行の実情が1960年代から変わっていないことを示していた。

これを今日お読みの皆さんは、おそらく今夜のニュース番組等で取材された東京拘置所の死刑執行設備を観ることができるだろうから、まずは『絞死刑』冒頭部をぜひ観ておいていただきたい。保証してもいいけれど、この2010年になっても尚、死刑執行の設備というものはほとんど変わってはいない。あえて変わっているところを指摘するならば、昔はハンドルを回すことで外されていた床板が、現在はボタンを押すことで外れるようになっていること位であろう。

東京拘置所の現在の死刑執行設備においては、床板の設置されている部屋からカーテンを隔てたところに、3つのボタンが設置されている。これは、どのボタンが実際に機能するかを変更できるようになっていて、3人の刑務官が一斉にこのボタンを押すことによって、誰が実際の死刑執行を行ったのか分からないようにするためである。しかし、仮にこのボタンが巧く作られていて、本当に誰が押したために床板が抜けるのか分からなかったとしても、3人の刑務官は、自分が押したために1人の死刑囚が縊死したのではないか、という念を抱くことになる。これはもう、間違いのない事実である。

刑務官という職の本来のミッションは、死刑という刑罰のそれとは著しく異なるものである。日本における刑罰は、一般的には教導的な意味合いの強いもので、刑務官のミッションは「受刑者に罪を悔い、償うよう教導すること」なのである。死刑制度を簡単に肯定する人々は、おそらくはこの辺から分かっていないのだと思う。「受刑者に罪を悔い、償うよう教導すること」をミッションとしている刑務官が、受刑者の命を奪うことを職務として実行しなければならない。こんな矛盾に満ちた話はないのである。

僕が聞いた話では、死刑執行による臨時手当で、刑務官は皆したたかに酔ってこの念を逃れようとする、という話だった。しかし、実際には、その手当を持って寺院を訪れ、死刑囚の供養を依頼する刑務官もいたのだという。これらもまた、死刑執行設備と同じく、おそらくは何十年を経ても尚、変わらない現実なのだろうと思う。

今までも何度か書いているけれど、僕は大阪教育大附属池田小学校の隣で働いていた。あの宅間守元死刑囚が牛刀を持って侵入し、8人の子供達が殺されたとき、僕は前日遅くまで職場で働いていたために、遅めに職場に出た、丁度その頃だった。その日のことは、今までにも書いたことがあるから省略するけれど、ここで書かなければならないことは、宅間元死刑囚の刑が執行された後に遺族から出されたコメントが「虚しい」というものであったことである。特に、宅間元死刑囚は、獄中結婚を経て、自らの罪に対してわずかながら後悔の念を抱き始めた、まさにその頃に刑が執行された……哀しみにケリをつけるために望んだ早期刑執行は、結局は永遠に悔罪の念をもたらさないという結果に至る。結局、周囲の人の人生の一部も、永遠に死んだままに終わってしまう。

簡単に「応報意識を持つことは正当だ」とか「死刑囚の生活費を何故公費で負担し続けるのか」とか「命は命で償われるべきである」とか言うのは、誰だってできることである。しかし、そういう人々は「罪と罰」というものを、本当にちゃんと考えたことがあるのだろうか?僕は、そんな放言乱発の輩は、きっとそういうことをまともに考えたこともないのだろうと思う。そして、何よりも当たり前のこと「命は命で償えない」ということを理解していないのだろうと思う。加害者を殺して、被害者が生き返りでもするというのか?そんなことも分からないような連中は、きっと他の償いも満足に果たしたことのないような輩に決まっている。

2010/08/27(Fri) 14:34:57 | 社会・政治

Re:執行設備公開

guest(2018/09/29(Sat) 21:30:55)
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T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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