自分を疑わない人々

USENET の頃から、ネット上で他人の質問に答えるようになってもう20年程が経過したわけだけど、特にこの数年、僕を苛立たせる人々が増殖している。

一例を挙げよう。mixi の「DTM 宅録倶楽部」というコミュニティで:

[質問]C3 マルチ コンプレッサーというフリーソフトがあると聞いたのですが、どなたかご存知在りませんか?
(長ぇんだよゴルァ)というスレッドが立った。

があると聞いたのですが、

どなたかご存知在りませんか?

僕はMacintoshを使っています。

と、まあ、典型的な「教えて君」的な書き込みである。

こういう質問を脊髄反射的にスレッドに仕立てる連中の頭は、一体どういう構造をしているのだろうか。いつも僕は不可解さを感じる。もし僕がこのような疑問があるならば、とりあえず "C3 multi compresser" で google で検索をかける。造作もないことである。その結果としてこのようなものが得られ、そこを見たら、

http://www.geocities.jp/webmaster_of_sss/vst/
という URL に行き着く。実に単純な話である。というか、他人に聞いて調べてもらうだけ面倒な話である。

で、僕はこう書いたのだった:

どうしてトピを立てる前にまずググらないのだろう。

http://www.geocities.jp/webmaster_of_sss/vst/#c3

すると、こんな書き込みがされたのである:

すみません、Macで動くものが見つからなかったので・・・

リンクして頂いたURLから、
apulSoftをクリックして、

*Click here to download the OSX versions. (06/11/07)*

をクリックしたのですが、

ダウンロードしたファイルが開けません。

「開くために指定されているデフォルトのアプリケーションがありません」

と出ます。

OSXヴァージョン、であっているのでしょうか。

僕が使っているのでは i mac です。

http://www.geocities.jp/webmaster_of_sss/vst/を辿っていくと、"* version 1.2(VST-X and AU)special thanks to apulSoft." という記述があって、http://www.apulsoft.ch/freeports/にリンクされている。リンク先には、"Slim Slow Slider: C3 Multi Band Compressor 1.2" というタイトルで当該ソフトの紹介が書かれていて、"Click here to download the OSX versions. (06/11/07)" という風に:

http://www.apulsoft.ch/freeports/C3_Multi_Band_Compressor_1_2_2007_06_11.dmg
へとリンクされている。拡張子 dmg で表される Apple Disk Image に関しては、今更僕がここに書くまでもない話だけど、バイナリファイルを破壊でもしない限りは MacOS X で開けない筈がないのだ。試しに U の Intel iMac でダウンロードしてみると、何の問題もなく開くことができる。で、僕は:

他人を疑う前に自分を疑う方がいいですよ。今手元の Intel iMac で試しましたけど、

http://www.apulsoft.ch/freeports/C3_Multi_Band_Compressor_1_2_2007_06_11.dmg

が問題なく取得できるし、dmg として開くことも何の問題もありません。

# ただ僕は MacOS 上で Cubase を使っていないので VST 自体の検証はしていませんが。まあ、
# ボランティアでこれ以上検証する必要性も感じないけど ;-p

で、こういう書き方をすると、また逆ギレしてどうのこうの書かれそうなので、あらかじめここに毒を吐いておくことにする。

まず、僕には、このような質問をする「教えて君」が理解できない。いくつかのキーワードが分かっているのに google などで検索しない、というのがまず理解できない(今日日、小学生だってやりますぜ?)し、情報を必要としているのに、それを取得する最短経路を模索しないというのも理解できない。mixi なんかで、僕のような奴が戯れに質問に答えるとしても、そこには保証も何もない。ただボランティアとして回答しているだけだし(勿論、僕の場合は、自分が答える以上は充分な正確さを以て答えるようにしているけれど、それは相手の為ではなくて自分の為のことである)、そこに金銭や契約の縛りがあるわけでもない。だから、最終的には自分で確認するしか術はないわけだ。で、キーワードは分かっている。だけど検索しない。そんな態度は、無用な手続きや手間を増やすだけではないか。

そもそも、この「教えて君」の motive は何なのか? Cubase などの上で動作するVSTとして提供されているところの、マルチバンドのコンプレッサーを使いたい、それも商用に市販されているものを買うのではなく、フリーのプラグインが欲しい、ということなのではないか?だったら、ネット上でそれを探して、自分の持っている VST クライアントで動作させてみて、期待通りの動作をすればそれでオッケー、それだけの話ではないか。他人に教えてもらわなければならない訳でもないし、教えてもらうにしても、しょせんはフリーのプラグインに関する話で、しかも mixi の同好の士に聞くわけだから、そこに何事かが保証されるわけがない。on one's own risk で使うなら、さっさと探して、使ってみて、○か×かをさっさと見定めればいいだけの話だし、それ以上を望んでも何も満たされるわけがないではないか。

結局、この「教えて君」は何をどうしたいのだろうか。上につらつら書いてきた通り、僕にはそれが皆目分からない。ただ言えるのは、この手の「教えて君」の特徴として、以下のようなことが指摘できることだ。

  • 自分一人でさっさとできるはずのことを(何故か)しない
  • 安易に他者に質問する
  • 何をどうにかする上で、何がどう分からないのか、を整理できない
  • ぶっきらぼうな回答に対して、「自分はちゃんとやったけどできないんだ」、と自己正当性を主張する
  • しかし、その「できない原因」はほとんどの場合「自分がちゃんとやっていない」ためである
  • 回答が得られたり、キツいことを言われたりすると、すぐに消える
  • 自らの問とそれに対する答を「資源化」する、という概念がない

……そうか。こう書いてきたけれど、僕の意識は世間の人々と若干ギャップがあるのかもしれないな。その辺を一応書いておくことにしよう。

僕は、何か分からないことがあるときには、まず自分で調べる。昔だったら図書館に行ってカードを繰ったり、大型計算機センターのコンピュータにログインして INSPEC データベースを使ったりしていたわけだけど、たとえば僕が INSPEC を使い始めた頃は、文献検索はそのヒット件数に応じて課金されることが多かった(データベースの使用料金が、そのデータベースにどれだけ情報を披瀝させたかによって決まる、という、まあある意味フェアな思想ではある)から、如何にして無駄な情報を省いて、密度の高い情報を得るか、ということは、ある意味死活問題だった。だから、ワイルドカードや正規表現に代表されるような記号論理学的手法は最大限活用せざるを得なかったし、それ以前にそんなことは知っていて当然で、そんなものを知らないような奴は居場所がなかった。

そして、その過程で自分の欲しい情報が得られないとき、僕らは自分の過ちをまず疑った。検索で l と r を間違う、なんていう三歳児レベルのミスは、恥ずかしくてとてもじゃないけれど他人に話したりはできない。そんな細かいことで……などと思う不遜な奴のために、僕の出身学科の情報処理教育のプログラムでは、プログラミング演習の課題のひとつに、文献検索ユーティリティの作成、というのがあった。テキストファイルの文献データベースを read only で open して、任意の検索語で大小文字の別、複数形、複数行に渡る場合……等々に対応した検索を行えるユーティリティを FORTRAN 77 で書け、という、今考えるとちょっとアレな課題ではあったけれど、この課題は、文献検索というシステムには何が望まれていて、それをどう活用すべきなのか、ということを考えさせるという意味では、非常にいい課題設定だったと思う。何より、求める側の不遜な態度というものを僕らに理解させる上では、その効能は高かったのではなかろうか。

そして、研究テーマの設定を自分で行わなければならなくなってからは、このような情報探索の重要性はさらに増してくる。自分の考えているテーマが、今迄誰も設定しなかった研究テーマなのか、あるいは散々しゃぶり尽された、もはや面白くも何ともない代物なのか。誰も考察したことのない現象に対して、理論的アプローチの先達が何処かにいないだろうか。そういうことを問われたとき、僕らは真っ暗な大海原に放り出されたような心境になる。かつて、セクスタントとコンパス、それにクロノグラフで大洋を行き来した船乗りのように、僕らは INSPEC データベースとコピーで膨らんだファイル、それに、日常会話のどこに潜んでいるか分からないキーワードに常に耳目を向けていることで挑んでいたのである。

学部のときは、同じ学科で誰もやっていないコンピュータシミュレーションと、摂氏千度を超える温度で融解した液体を試料にした実験を二本建てで行っていた。特に前者は、誰も教えてなどくれはしない。僕は1960年代からの英語とフランス語(僕はドイツ語選択だったけれど、半泣きになりながら論文を読み込んだ……だって、誰も教えてくれないし、指導教官を詰ったって彼が教えてくれるわけでもないのだから)の論文と格闘し、スパコンの利用料金が払えなかったので、自分で情報関連の教官と交渉して、年末年始の情報処理教育センターで遊んでいる NeXT 数十台をリモートでブン回して計算を行って、研究を進めた。

修士のときは、試料が摂氏数百度で起こす構造変化に関して調べる必要があって、あちらこちら探して辿りついた文献はやはりフランス語だった……でも、そのときはもう、そんなこと位でどうのこうの言う程ガキではなかったから、さっさとそれを読んで、その情報を基に実験計画を建て直したけれど。

そしてドクターのときは、理論計算のバックボーンになる概念を探って、行き着いたのは1930年代の論文だった。60数年前の論文を基にプログラムを書き、計算を行いながら、オリジナルの計算モデルを構築する……なに、こんなのはいつものことだ。そんなことよりも、六十数年前に先達がいたことが、何と心強く思えたことか!

まあ、こういう時期を過ごした結果として分かったのは、プログラミングができないから、フランス語を習っていないから、教官が必要な知識を有していないから、という、どれ一つたりとも言い訳にはならないし、そもそもそれを言い訳にしても、何も問題は解決しないということ。頑張った、というだけでは、誰も何も評価してはくれないのだ。だって、そこに何も進展がないんだから。

こういう話は、研究だけじゃなくて、たとえば営業やってる人とか、八百屋さんとか、農業やってる人とか、漁師さんとか、どんな職種でも、大なり小なりあることだと思う。教えてもらえないから契約取れませんでした、では金は儲からないし、作り方知らないから転作できません、では、減反しながら作物を出荷できないし、魚探の使い方知りません、では、網を入れることもできやしない。何をしたいのか?契約取って金稼ぎたい、作物作って売りたい、魚を獲って港で売りたい……食うために必要なことは、皆やっているはずなのだ。そして、そういうプロセスにおいて、人は己のミスにはシビアにならざるを得ない。己のミスの責任は、己でとるしかないからだ。人が言う通りに自分でやったけどできませんでした。はあそうですか。できなかったのね。それだけでしょ?

しかし、最近の世間では、そういうときに自分を疑わない人々が確実に増殖しているのだ。何かできないのは、それをできるようにフォローしない他者の不適切な行為によるものだ、と言わんばかりである。そうやって何もかも他人のせいにして生きていけるのは、どうしてなのだろうか?僕にはやはり、そういう人々がてんで理解できないのだ。

2010/10/14(Thu) 11:32:00 | コンピュータ&インターネット
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Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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