案の定

月曜にひいた風邪がまだ治り切っておらず、微熱で苦しんでいる。喉の炎症がひどくて、微熱はおそらくこれのせいだと思うのだが、抗生物質で治らないのが恐ろしい。心身共に疲労が蓄積されているのか、ストレスが多いためか。いずれにしても、これを書いている今も、微熱で頭が重く、時々咳込む。

さて。菅直人と民主党執行部はやはり予想通りの論理を展開しているらしい。目処がつくまで、というのが、鳩山=菅会談で確認された内容を示す文書:

  • 民主党を壊さない。
  • 自民党政権に逆戻りさせない。
  • 東日本大震災の復興ならびに被災者の救済に責任を持つ。
    1. 復興基本法案の成立
    2. 2011年度第2次補正予算案の早期編成のめどを付ける
の内容が充されたとき「ではない」と、岡田幹事長が記者の前で言ったとき、あー案の定こうきたか、まるで小学生の諍いと一緒だな、と思わされた。鳩山氏は「それは執行部がウソをついているんだ」と言ったそうだけど、鳩山さん、言質を取らないと岡田や菅はそういう風にとるんですよ。卑劣漢というのはそういうものなんです。

ちなみに、菅は「原子炉が冷温停止の状態に至るまで」が「目処」だと発言した。しかしだな……東電の工程表によると、それは今年の暮れから来年の1月にかけて、であって、当然だけどこの工程表の予定は延びるだろうから、おそらく今年度一杯、菅は首相の座に居座ることになる。この3か月の間のような停滞が、下手をするとあと9か月は続くのである。

しかし、これで本当に、菅は9月に「呼ばれたから」とアメリカに日米首脳会談に行くつもりなのだろうか? おそらく、アメリカのような国に冷たくあしらわれたとしても尚、あの男は蛙の面に小便、という態でいるのかもしれない。やはり、あの男は辞めさせなければならなかったのだ。

現時点の報道の一例を以下に示しておく:

鳩山氏「ペテン師」、枝野氏「専権事項」 退陣時期で混乱
2011/6/3 11:30 (2011/6/3 13:29更新)

退陣する意向を表明した菅直人首相が来年1月ごろまでの続投に意欲を示したことを受け、民主党内で3日、対立が続いた。鳩山由紀夫前首相は「ペテン師だ」と批判し、早期退陣を要求。執行部刷新のための党両院議員総会の開催を求めた。枝野幸男官房長官は「(退陣時期は)まさに首相の専権事項だ」と突っぱねた。

鳩山氏は都内で記者団に「政治家同士だから約束したことを守るのは当たり前だ。できないならペテン師だ」と非難。「人間としての基本にもとる行為をするなら党の規則の中で首相に辞めてもらう」と述べた。党執行部が内閣不信任決議案に賛成した松木謙公、横粂勝仁両氏を除籍(除名)処分したことには「冗談ではない」と批判した。

鳩山氏は2日の首相との会談で(1)東日本大震災の復興基本法案の成立(2)2011年度第2次補正予算の編成にメドを付ける――の2点を終えた段階で首相が退陣することで合意したとの認識だ。

鳩山氏は3日、自らを支えるグループの議員約25人と協議し、両院議員総会を執行部に要求する方針で一致した。党代表でもある首相の代表解任決議案の提出を検討中だ。両院議員総会は党大会に次ぐ党の議決機関で、両院議員総会長は党所属国会議員の3分の1以上の要請があった場合、速やかに招集しなければならない。

首相は同日の閣議で「今国会は事実上の通年国会になる」と表明するとともに、第2次補正予算の編成準備を指示した。退陣時期を巡って鳩山氏と食い違いがあることには「鳩山氏と自分の会話は紙に書いてある通りで、それ以外は一切話はしていない」と説明した。

この後の参院予算委員会で首相は震災復興や原発事故の収束に向けて「これまで以上に全力を挙げて取り組む。与野党を超えて協力をお願いする」と述べ、続投へ改めて意欲を示した。民主党の舟山康江氏への答弁。

閣議後の記者会見では閣僚から退陣時期を巡る発言が相次いだ。松本龍防災担当相は「6〜7月ではないか」と述べ、早期退陣の見通しを示した。与謝野馨経済財政担当相は「一定のメドがついたら辞任するとはどこにも書いていない」と強調。海江田万里経済産業相は「(首相が触れた)原発の冷温停止の目標は最短で事故発生から6カ月、最長では9カ月だ」と来年1月までの政権継続の可能性に言及した。

自民党の谷垣禎一総裁は総務会で「死に体政権に協力はできない」と明言し、復興基本法案以外の協力には否定的な考えを示した。小池百合子総務会長は記者会見で「詐欺という印象だ」と断じた。民主党内では「不信任政局」の調停役となった鳩山氏について「混乱を拡大させた鳩山さんも責任を取ってほしい」などと批判が広がっている。

(日本経済新聞 6月3日付)

2011/06/03(Fri) 09:59:57 | 社会・政治
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T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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