日和った民主党執行部

会期末前夜の迷走劇  四面楚歌の首相“軟化”

(東京新聞 2011年6月22日 朝刊)

菅直人首相の退陣時期と今国会の会期延長幅をめぐる二十一日の調整は迷走に迷走を重ねた。退陣時期の明示を嫌がる首相に対し、民主党執行部の説得工作は難航。同日夜になって、首相もやや柔軟姿勢を示し、八月中の退陣につながる可能性がある七十日間延長を容認したが、野党側が受け入れるかどうか。前代未聞の迷走劇の結末は結局、国会閉幕日の二十二日に持ち越した。 (政局取材班)

「世の中はままならぬものだ」。民主党の岡田克也幹事長は二十一日午後、首相が説得に耳を貸さないことに周辺にこう漏らした。

同日、岡田氏がまとめた案では延長は五十日間程度とし、成立させるのは公債発行特例法案と二〇一一年度第二次補正予算案に限定。わざわざ、第三次補正予算は新首相が編成することも加え、首相が八月には退陣することを事実上約束した形になっていた。

どちらかといえば、首相よりも早期退陣を求める野党側に配慮したといえる。岡田氏としては首相の意向よりも、国民生活に影響を及ぼしかねない公債発行特例法案の成立を確実にしたかった。

野党側は岡田氏の狙い通り、賛成する考えを示したが、首相は納得しなかった。首相の退陣時期を事実上明示するのは首相にしてみれば、岡田氏らによる「クーデター」に映る。

首相がこだわっている再生エネルギー特措法案の扱いを成立ではなく、「審議を促進する」にとどめたことも許せなかった。

首相は岡田氏に対し、公債発行特例法案の成立について「本当に成立の担保がとれるのか」とかみついたという。

首相の態度に党幹部は「もう、やるべきことはやった」と一時、あきらめ顔になった。

同党の平田健二参院幹事長は記者会見で「何が再生エネルギーだ。公債発行特例法案を早く通さないと予算執行もできないではないか」と首相を強く批判した。

党内が首相批判に傾く中、首相も同日夜になって変化した。岡田氏との同日夜の会談で首相は延長規模を七十日とした上で、再生エネルギー特措法案の扱いを「審議促進」ではなく、「早期の審議・採決に協力」と修正し、「新首相」の表現を「新体制」に弱めることで岡田氏の提案を受け入れた。

今後を考えれば、首相としても与野党合意による円満な形で延長したい。「四面楚歌(しめんそか)」の中、首相としては再生エネルギー特措法案成立の可能性をかろうじて残すことで折り合わざるを得なかった。

三次補正の表現を「新体制」に弱めさせたのは、可能性は薄いが、なおも自分が続投して関与できる細い糸をつなぐための首相の計算ともみられる。

問題は自民党など野党だ。自民党の石原伸晃幹事長は検討する考えを岡田氏に伝えたが、党内で協議した結果、少しでも首相の延命につながる道が残るのであれば、延長を拒否する可能性もある。

上引用記事で「新たな首相」という文言を「新たな体制」に改めた、とある。これはどうも菅直人が「新たな首相」という文言に対して抵抗したためだ、と言われているらしいのだが、これでは菅直人の粘り勝ちである。

こういうものは、決めるプロセスでゴチャゴチャした話になっても、後まで効力を発揮するのは、結局は決められた文言それ自身のみである。「新たな体制」とあるのをそのまま解釈するならば、それは「新たな首相」を意味するものではない。新たな内閣、つまり内閣改造を行いさえすれば、この文言に合致することになるのだ。これでは菅直人を辞めさせる上での効力を持ち得ない。

岡田幹事長は、最悪の場合は自らの辞任と引きかえに菅直人に辞任を迫るだろう、と言われているのだが、鳩山由紀夫のときに彼が小沢氏を道連れにしたのとは話が違う。おそらく岡田が辞めれば、菅直人はもっけの幸いとばかりに骨抜きになった新たな幹事長を据えて、自らの思うままに振る舞うだけのことである。

民主党執行部が本当に菅直人の辞任を実現したいのならば、上引用記事にあるような文言変更は「日和った」以外の何ものでもない。菅直人を本当に辞めさせたいならば、期日を切って承諾させ、それを国民に対して会見で、菅直人自らの声を以て表明させなければならない。密室でどれだけ口約束を交わしても、菅直人は平気で反故にするだろう。いい加減、皆、この菅直人という男を信用しないように努めなければならないのだ。

2011/06/22(Wed) 08:15:03 | 社会・政治
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Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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