我慢しない

最近、何事に対してもすっかり嫌気がさしてしまって、ここの更新もゆっくりになっているわけだけど、やはり、最近話題のこの動画に関してはコメントしておかなければならないだろう。

最初に断っておかなければならないけれど、僕はこの手の「何が何でも天下り禁止」という意見には賛成しかねる。というのも、僕が独法の研究所から民間の研究所に移籍するときに、それが天下りなんじゃないか、ということで散々疑われたことがあったからだ(期限付きの研究職で移籍して何が天下りなの? って話なのだけど)。僕のような「特殊技能者」の場合は、その職能で職場が決まることが多いわけで、こういう人間が官民の間で自由に行き来できない、ということは、研究者は死ね、と言われているようなものだ。官から民に行く者が皆馬鹿みたいな月収や待遇や退職金を貰っているなどと、現状を見聞きもしない連中にオートマチックに規定されたらたまらない、という話なのだ。

しかし、だ。この野田氏の過去の演説と現在の見解とのあまりにもあまりな齟齬に関しては、これは当然違和感を感じて然るべきであろう。そもそも、マニフェストが現状にマッチしていませんでした、という話になったら、それは当然オープンな場で組み直されるべきだし、それに関しては国民の審判がなされるべきなのである。それを、聞こえないふり、で押し切ろうというのは、これはあまりにひどすぎる。

もう、我々は、黙っていることをやめるべきなのだろうと思う。東日本大震災後、復興も、それ以前の問題である放射能汚染に関しても、一向に明確な道筋が示されない。本来だったらこれは国家浮揚の一大チャンスであって、復興事業を適切に立案・運用するだけでも、その経済効果は極めて大きいはずだ。そして、雇用、特に復興が進められる地域での雇用に、これは直結できるわけで、本来だったら、雇用保険が切れる……などと青息吐息の人々でハローワークが麻痺状態になる、なんてことは、あり得べからざる話なのである。

我々は、もっとデモや座り込みやハンストをすべきなのだろうと思う。勿論、その行為を目的化すること(反原発関連ではそういう人をよく見かけるけれど)は避けなければならない。そういう「手練の活動者」が暗躍することのない、活動に関してのド素人の集団が、個々の生活に密着した生の声を上げるべきなのだろうと思う。統率されていないそれの効力なぞ知れたものだ、と「手練の活動者」達は言うだろうけれど、我々の日常の苦悩を、できる限り生々しく表出すること、そして為政者に、それが己の次の選挙の得票に直結しているのだ、という恐怖心を煽るものであることの方が、はるかに効力を発揮するに違いない。不慣れでもいい。もう我慢するのは、やめにしようではないか。

2012/01/23(Mon) 15:54:19 | 社会・政治
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T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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