ある人格障害者とヘタレ教会の記録(まとめ・後日譚)

以前、fugenji.org の復旧前に書いたのだけど、去年のクリスマスから今年のイースターにかけてあったことをまとめた文書がある。その名も『ある人格障害者とヘタレ教会の記録』:

というものなのだが、これに関して続報が入った。本当に嫌な話なのだけど、こんな話を抱えてクリスマスを迎えるのも嫌だし、今年のクリスマスにも上のリンク先で書いたような騒ぎが起きない保証がないので、ここに後日譚を書き添えておくことにしよう。

上の文書で登場する問題人物 Q だが、教会でボランティアに関わっている A 女史がわざわざ大阪の修道院に紹介して、そこで暮らすようになった。この A 女史は、Q の問題を全く理解しようとせず(理解していなかったとは言えないだろう……正確に言うなら、すぐそこにあった事物を観て見ぬふりをしていたのだから)、Q のシンパ(信じがたいことだが、教会に今でもこういうシンパが複数存在する……彼らは Q の「U に『塩酸を浴びせるぞ』と脅された」という言葉を何の疑いも無く頭から信じ込んでいるらしい)の一員として Q をこの修道院に紹介したのだ。

で、数日前のことだが、U のところに A 女史から電話がかかってきた。U は、自らに対する誹謗中傷に対しても「私の評価は私の行動でなされるのだから、臆するところは何もない」と無視を決め込んでいたので、A 女史の電話にも普通どおりに応対したのだそうだが、A 女史は、言いにくそうに U への謝罪を口にしたのだという。

「ごめんなさい…… U さんの言うとおりだった」

まぁ今更何をどう言っても仕方の無いことだろう、と U はクールに応対したのだそうだが、A 女史の話によると、前述の大阪の修道院は、西成の人達に炊き出しをしているのだという。で、いつものように炊き出しに出かけようとして、ニューカマーの Q に声をかけたところ、

「私は炊き出しをするために来たのではない」

と言って拒絶したのだ、という。何言ってるの、皆でこういうことをやっているのは分かるでしょう、とシスター達が言うのに、Q はこう反論したのだそうだ:

「私は名古屋教区で一番レベルの高い教育を受けた。名古屋の某 NPO 法人の理事のオファーがあったのを蹴ってここに来ているんだ」

これ式で、炊き出し(これはこの修道院にいる以上はしなければならない「仕事」なのだが)も、何か勉強会にでも参加したらどうか、というアドバイスも、すべて拒絶したのだという。修道院では、ただいるだけで何もしない Q を持て余し、早々にお引き取り願ったのだ、という。この話を U から聞き、僕は絶句しそうになるのを何とか言葉を連ねて U に聞いた。

「……しかし、それでは Q は今どうしているわけ?」
「結局、その修道院を追い出されて、今はお好み焼き屋さんでバイトしているらしいよ」

しかし、そのお好み焼き屋さんも苦慮していることだろう。U に A 女史はこう言ったのだという。

「あの子(Q)ね、雑巾を絞ることもできないのよ……」

まあそりゃそうだろう。何せ第一次反抗期の辺りで止まっているんだから。A 女史は U にこう言ったのだという。

「私、あなた(U)がお手紙下さったとき、Q さんのことを知りもしないでこんなにひどく書いて、これでは名誉毀損なんじゃないか、と思っていました。けれど、本当に何も知らなかったのは私の方でした。あなたが『こんな危険がある』と書いていたこと、今は自分の危機として感じています。本当に申し訳ありませんでした。嫌な思いをさせました。ごめんなさい」

U は「私と同じめに遭わないと分からないと思っていましたし、とにかく今後はご注意下さいますよう」と応じたのだという。まあ、僕にしても U にしても、Q に関しては、もう正直係わり合いたくない、と思っているので、こちらが何かしてあげることもできないし、そもそもする義理もないのである。

今夜、僕と U は教会に行くわけだけど、今夜辺り、もしかしたら教会に Q が姿を現わしやしないか、という話をしている。まぁ、今度はもう、あの人格障害者の思うようにはならないだろうし、何かすれば何かしただけ、Q が世界に感じている痛みは増すばかりなのだけど。つくづく、受洗しようが受堅しようが、救われないものは救われないものであるし、この言葉に当事者やその周辺の人々がもし反感を感じるならば、問われるべきは「そんな洗礼に、そんな堅信に誰がした」のか、ということなのだ。どこに罪があるかって、そもそもそこにあるわけだし、その罪を犯した人々は未だにその罪を悔いていない…… A 女史は尻に火がついてようやく少しは分かったようだけど……のだから。

2009/12/24(Thu) 10:19:56 | 日記
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Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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