そういうことにしたいのですね

先日も、日記で質問者に対して書いたばかりだが、今日もそういう話を書く。どうも、厭なめにあうことが多いもので。

何事か人に質問されることの多い立場に、この何十年か身を置いているわけだけど、質問者というのにも色々いる。前回の『質問は何のために』に書いたような手合いもいたりするわけだけど、これに限らず、問題があるな、と感じる質問者に共通しているのは、何事かを前に進めるために質問しているのではなく、彼もしくは彼女が「安心したいから」質問してくるらしい、ということである。

たとえば、最近多いパターンなのだが、漠然とした質問をしてきて、「一体何がしたいんだアンタは」と思いながら、その質問の意図するところを訊き出そうとしていると、「やっぱり無理なんですね」という言葉を返してくる。回答のために他人を動かしておいて、それを後目に、どうしてそういうことが言えるのだろう、と思うわけだが、向こうさんはそういうことは欠片程も考えていないらしい。悪意はないのかもしれないが、自分ができないかと思っていることが無理なのだ、と安心したいがために動かされる方はたまったものではないのだ。

あと、これも多いパターンなのだが、訊きたいことをまとめることのできない人というのが大変に多い。何かひとつ質問する→答える→「じゃあこっちは」と質問→答える→何が訊きたいのか分からずに訊き返す→「実は……」という話が返ってくる……まあ、こういう状況になるわけだ。

何か分からないことがあるときに、本気でそれをどうにかしたいのだったら、どこまで出来てどこから出来ないのか、とか、それ以前に何をどうしたいのか、とか、頭の中でも紙の上でもいいけれど、まず整理するものだろうと思う。しかし、この手の質問者達はまずそういうことをしている気配がない。要するに、「これは無理だね」という答が出てくることを期待しているから、手近の順に質問を投げてくるのではないか。そう思えてならないのだ。

どうにかしたい、と思っていないんだったら、最初から諦めて指を咥えていればいい。それに他人を巻き込むなんて、傲慢の極みだと僕は思う。他人の時間や手間を奪っているのだから、それに応えるだけの何かにつなげてほしいと思うのだ。別にそれが回答者に直結する利益につながらなくてもいい。回答者は、回答によって誰かがより良い状態になることにボランティアとして手を貸しているのだ。だから、質問者はその期待に応え切れなくてもいいけれど、裏切ったり無駄にしたりするのは、勘弁してもらいたい、と僕は思うのだけれど。

2014/07/06(Sun) 17:40:50 | 日記
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T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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