初歩の論理学

3年という短い間であったわけだが、僕は国家公務員だったことがある。途中からは「みなし公務員」という妙な立場になっていたわけだが、身の回りにいたのは研究者だけでなく、公務員試験を受けて入ってきた人達も多かった。彼らの多くは研究に従事し、学位を得て、独立した研究者になっていった人達だが、中にはいわゆる技術官僚とでも言うべき方向に向かう人達も存在した。とりわけ当時の僕とは随分と違うスタンスの人達で、何やら見ていて複雑な気分になったのを覚えている。

彼らに共通していたのは、自分の意志だけで大きなことを進めることは決してない、ということ。これはとにかく徹底していた。何か公言を憚られるようなことが行われるとしても、そこには必ず根回しや下地作り、ロジックの準備が伴った。それを見ていただけに、それだけ上の位にあったとしても、官僚が自らの意志で指示を出し、たとえば森友問題のようなことをやらかすことはまずないと言える。

あれが官僚だけで閉じた意志決定構造の中から実行に移されたものではない、というのは、それを推進する上でのエビデンスとして主張された材料を見ても分かるだろう。あそこで「〜さんの意志」「〜さんの意向」というフレーズが出てくる時点で、官僚はそれをエビデンスとして主張しているのであって、それを主張させる側、もっと分かりやすく言うなら「忖度させる側」の意志があってこそのそのアクションなのである。

しかし、世間で森友問題や加計問題に関して官僚の暴走に過ぎない、と思っている人達は、おそらくそういう組織の力学以前に、実に単純な判断基準に従ってああいうことを信じ込んでいるのだろうと思う。「マスコミの言うことは信じられない」という、おそらくはただこれだけの理屈である。

ここに一人の人がいたとしよう。この人物は嘘をつく。しかし、この人物が常に確実に嘘しか言わないのであれば、この人物は世間の大概の人よりも尚正直な人物である。仮に論に上っているのが二元論であるならば、この人物の言っていることの反対が常に必ず真なのだから、こんなに正直な話はないのである。

しかし、実際の嘘つきはそう単純ではない。彼らが邪悪であるのは、彼らの言うことが常に嘘だから、ではないのだ。彼らの言うことがもっともらしいけど、それが本当か嘘かが分からないから、なのだ。嘘つきの言う目に張っても、あるいはその裏に張っても、それが当たりである保証はない。だからこそ嘘つきは厄介なのだ。

メディアは嘘を報道してしまうことがある。それは彼らの能力不足や情報量不足が原因であることがほとんどで、世論をある方向に誘導しようという程の根気も執念もそこにはない。しかし、「メディア嘘つき論」の信奉者はそう信じ込んでいるように見える。そして、彼らの言うことを排除しさえすれば真相に迫ることができると信じているように見えるのだ。

しかし、初歩の論理学、いや、それ以前の問題だと思うんだけど、ある集合全体集合Uの中に、「真相たる集合」Aと「メディアが報ずる集合」Bがあったとき、A⊅B を保証するものは実は何もないのである。実際には A=B かもしれない。メディアが嘘つきであったとしても、こうなる可能性は少なからず存在するわけだ。つまり、メディアの裏に張っておけば OK、というのは、およそ非論理的だとしか言いようがないのだ。

しかも、そこの判断を、いわゆるまとめサイトや、twitter 上のある特定のID から発信される情報に依拠している人の多いこと!結局自分では何もマトモに判断していないわけで、もうはっきり言ってお話にならない。しかし、そういう人々にここに書いたようなことを言っても、残念ながら彼らは自分の目を閉じ、耳を塞いでしまうんだよね。まるで子供が「わー!聞こえなーい!」とかやるようにね。なら黙ってろって話なんだが。

2018/06/05(Tue) 11:20:56 | 社会・政治
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T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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