なぜ二番を目指してはいけないのか

蓮實重彦という人がいる。仏文学者で、映画評論などでも有名な人だ。この蓮實氏、以前、東大の総長を務めていたことがあるのだけど、ちょうどその頃(具体的には1987年から1988年にかけて)、こんな事件があった。当時東大教養学部教授であった西部邁(「朝まで生テレビ」などで御記憶の方も多いと思う)氏が、浅田彰と並んでいわゆるニューアカデミズムの若きホープとして注目されていた中沢新一氏を東大教養学部助教授として推薦したのだが、学部内でゴタゴタに発展して、結局中沢氏の任用はなし、西部氏も上職を辞任した、というものである。これは「東大駒場騒動」として知られているのだけど、このとき学内は揉めに揉めて、公開討論会などが行われたらしい。蓮實氏は中沢氏に対して好意的であったので、当然そちらの側に立ってこれらの討論に顔を出していたわけだが、その席で、一人の学生が蓮實氏にこう聞いたという。

「なんで大学の先生の言葉遣いというのは、こんなに難しいのですか」

この問に対して、蓮實氏はこう答えたという。

「何故、難しいのか。それはあなたが馬鹿だからです」

この話は、大学時代に聞いたのだけど、当時の印象は、うわー東大怖い怖い、というのが半分、残り半分は「あんな日本語書いてる人が言っても説得力ないよなあ」というものであった。蓮實氏の日本語は、だらだらと(率直に言うと、無駄に)長く、断定的になることを極力回避したもので、ああもだらだら続く日本語というのは、蓮實氏の他には石川淳位しか思い浮かばない。ジャック・デリダの書いたものを、ノーム・チョムスキーは「単純なアイデアをむやみな修辞で記述している」と酷評したという話があるけれど、なるほど、ポスト構造主義好きの蓮實氏は、そういうところも良く似ているのかもしれぬ。

蓮實氏の主張は、好意的にみれば「いやしくも東大に在籍する学生が、学術的厳密性を満足するような論理的表現を『難しい』などと片付けてはならぬ」という意図だったのだろう(夏目漱石も書いている:「精神的に向上心のないものは、馬鹿だ」(『こころ』41章))、と考えられなくもない。こういう意図であるならば、僕も頷けないことはない(というか、この主張の通りであったならどれだけ楽に生きられるだろうか、と思う)のだが、世間というのは残念なことに、学術的厳密性を満足するような論理的表現を『難しい』と切り捨てる連中が生殺与奪権を握っていることが往々にしてあるのだ。

そろそろ、民主党の事業仕分け第二弾が始まるのだけれど、今度は大学入試センターを民営化しろ、などという話が出ているらしい。そもそも、大学入学資格の認定に関わる業務が世間でどういう扱いになっているか、と考えると、ヨーロッパでおなじみのバカロレアはスイスの財団法人 国際バカロレア機構(Organisation du Baccalaureat International)が(正確には、バカロレア資格の得られる教育課程の)認定機関になっている。アメリカの場合だと、たとえば SAT がこれに該当するわけだけど、SAT を運営しているのはCollege Boardという組織で、ここも非営利目的の独立法人である。国の教育システムの最上部をなす大学の入学資格を扱う機関は、こうやって見てみても、民間営利法人とはあいいれないものであって、私大も使うし受験生は受験料を払うから民営化できるだろう、というのは、国の根幹をなす教育システムに対する暴挙だと思うのだけど、この国ではもはや施政者がそういうことも理解できない状況なのだ……大学入試センターを民営化する前に、国会議員全員の給与を2割カットする(一人あたり年額で500万近く、衆参両院で年に数十億の節約になる!)方が財政への効果は大きいと思うのだけど、当然こういう話が連中から出てくるはずもない。

とはいえ、連中は施政者である。蓮實氏のやったように「馬鹿」と片付けてそれで済む訳ではない。だから、こういうときには、馬鹿でも分かるように説明しなければならないのだ。少なくとも、前回の事業仕分けのとき、仕分ける側が馬鹿だ、という前提が、仕分けられる側に欠けていたのは、これは戦略不足と言われても仕方がないだろう。

たとえば、スパコンの予算を削るのにあの蓮舫が言った「二番を目指しちゃ駄目なんですか?」という質問にどう答えるべきだったのか:

解答例:「高速なコンピュータは同一の計算量をより安く得るために必要なのです」
理由:
同じ時期に作られた高速コンピュータのランニングコストはそう変わらないと考えられますから、より速い計算速度を得られれば、速く計算ができる分、同一計算量あたりのコストをより低く抑えることができます。しかも、新しい世代のコンピュータはより低ランニングコストでの運用が可能となるように設計されますから、世界ランキングで少しでも上位のコンピュータを得ようとすることは、より安い計算コストのコンピュータを得ようとするのと同じことなのです。

彼らにはおそらく、こういう説明をしなければならなかったのだと思う。ただね……馬鹿は、あまり馬鹿丁寧に説明されると、自分が馬鹿だと思われているんじゃないかと勘繰って逆ギレすることがあるからねえ……その匙加減は、なかなかに難しいのかもしれない。馬鹿なセンセイ様相手のときは、特に、ね。

2010/04/19(Mon) 11:41:44 | 社会・政治

Re:なぜ二番を目指してはいけないのか

追記しますが、僕がこの発言を聞いたときに思っていたのは「馬鹿に馬鹿と言って分かるようなら苦労はない」ということです。馬鹿に限って馬鹿と言ってもそれが自分のこととは考えないもので、馬鹿に馬鹿と分からせるためにはそれ相応の手間がかかるのだ、ということですね。だから、そんな手間も惜しいところ(国政の最前線とか)に馬鹿がいる、というのは、この上なく有害だと思うのです。

# 「私は何回『馬鹿』と書いたでしょう……とか言いたく
# なるような文章ですね……
Thomas(2012/10/02(Tue) 15:51:30)

Re:なぜ二番を目指してはいけないのか

いや、僕は:
「いやしくも東大に在籍する学生が、学術的厳密性を満足するような論理的表現を『難しい』などと片付けてはならぬ」
と書いているわけですが、この学生が本当に「難しい」(難解で理解し難いという意味での)と思っている、と考えているわけではありません。書かれているように、一種の(大衆迎合型とでも言うような)アンチアカデミズムの意図を込めて、蓮實氏をやり込めようという意図での「冴えた質問」として、この学生はこの稚拙な発言をしたのでしょう。そこに関してはまさにあなたの書かれている通りだと思います。
Thomas(2012/10/02(Tue) 15:44:04)

Re:なぜ二番を目指してはいけないのか

見解を異にするので書かせていただきますが、中沢事件のシンポでの蓮實氏の発言についてです。
学生の質問には「難しいことを判りやすく話すことが真の優秀さではないか」などという、絶望的な凡庸さが含意されています。蓮実氏の専攻であるフローベールの「紋切り型辞典」に「アカデミズムを揶揄する方法」として引用されるのではないかと思われるほどに凡庸です。
しかし質問者自体はこの質問をアカデミックな論者たちを揶揄する「冴えた質問」だと勘違いし、そうした質問をすることが「優秀なのだ」と勘違いしています。
蓮実氏はそれを強烈に「批判」したのです。
「判らないという学生の能力の低さ」を馬鹿といっているのではないですよ。
guest(2012/10/02(Tue) 05:04:05)
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T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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