Mono

唐突かもしれないが、僕は「ものづくり」という言葉が嫌いだ。嫌い、というよりも、憎んでいる、と言った方がいいかもしれない。今の日本をこんな状態にしたのが、この言葉だと思っているからだ。

そもそも「もの」とは何だろう。もちろん、これはもともと「物」だったはずなのだけど、まずこれをカタカナで「モノ」と表記するようになったのが、おそらくはそもそものはじまりだろうと思う。経済関連の業界では、物質的な「物」に留まらず、金融上の価値を持つ物、そして金融商品のような、物質的な存在を伴わないけれど経済的に存在意義のある存在を「物」であるかのように扱うわけだけれど、そういう存在は「モノ」と呼ばれ、文字にするときにはカタカナ表記することが多かった。その主体が物質的存在なのか、あるいは経済的存在なのか、を区別するために、後者が「モノ」とカタカナで表記され、この表現が便利なものとして定着したのであろう。

そして、「モノ」という表現がひろく認知されるようになったのは、ワールドフォトプレス社が1982年に創刊した『mono magazine/モノ・マガジン』によるところが大きい。この場合の「モノ」は、もともとは collector's item のニュアンスで用いられたのだと思われるのだけど、この雑誌は収集物の範囲を超えて、消費物一般に対してこの「モノ」という単語を当てはめた。コレクターが収集物や収集の形態でアイデンティティを主張するが如く、消費物の選択でアイデンティティを主張する……という、この雑誌が提案したスタイルは、やがてバブルの時期にひろく社会的認知を得て、雑誌は大きくブレイクしたわけだ。

そして、バブル以後……1990年代後半、どういうわけか、創造的な新規技術開発を「ものづくり」と称することが多くなった。僕は関わっていたことがあるので知っているのだけど、この手の流行に敏感なのが、実は国の省庁関係で、特に予算を獲得するための提案書類には、この手の流行語が用いられることが多い。僕が某研究所に着任したときの直属の上司は、申請書類の添付資料に「アメニティ志向」と書くのが大好きだったけれど、おそらくは「ものづくり」という言葉も、このような場において重宝に使いまわされたに違いない。

そして、1999年3月19日に公布・同年6月18日に施行された「ものづくり基盤技術振興基本法」と、2001年4月に開学した「ものつくり大学」が、「ものづくり」という言葉を世間に定着させるダメ押しとなった……と、「ものづくり」という言葉の歴史は、おそらくはこんなところだろう。

このような成立過程をみてみると、「もの」「モノ」という言い方が、物質的存在としての「物」を超えた何ものかが込められた存在を言い表すために登場したことがわかる。しかし、今の社会において、果たして本当に、そういう意味を込めて「もの」「モノ」が使われているのだろうか。むしろ、この言葉を向けたものが、すべからく「物質的存在としての「物」を超えた何ものかが込められ」ているかのように思い込ませたい、信じ込ませたい、あるいは自らがそう思い込みたい、信じ込みたい、そういうときに、この言葉が乱発されているような気がしてならないのだ。

そして、「もの」「モノ」という単語で記号化された対象は、その記号の単純さをそのまま反映した単純な取扱い方をされる。日本の企業で、この「ものづくり」という言葉を乱発する管理職はきっとたくさんいるだろうけれど、彼らは自分たちが生産している物に、本当に「物質的存在としての「物」を超えた何ものか」を込めるために、心血を注いでいると胸を張れるのだろうか。

僕も一応工学に携わる一個人なわけだけど、僕は、自分が創りだした物を「もの」とか「モノ」とか簡単に表記されたいなどと、とてもじゃないけど思えない。その言葉の軽さは、何事かを創りだす労苦にはとてもじゃないけれどそぐわないし、世に送り出された後に、自分は何も労苦に耐えなかったような連中にしたり顔で「これが『ものづくり』なんだよ」などと悦に入られるなんて、とてもじゃないけれど我慢ならない。平仮名5文字では語れない重さが、そこに込められていることを、「ものづくり」という言葉を乱発する連中が理解できるはずがない、と思うからだ。

「ものづくり」を海外発信するんだ、などという向きもあるらしい。日本で活動するアメリカ人ビジネスマンのジュリアン・ベイショア氏の2008年03月17日のブログによると……:

というように、monozukuri もしくは monodzukuri という単語がもう発信されてしまっている。これを mono-zukuri とスペリングしないところがミソで、mono-zukuri と書いて、mono →「単一の」という意味が想起されるのを防いでいるつもりなのだろう。しかし、「もの」と一言で片付けられない労苦や思いが籠っているものを創出する行為を、馬鹿の一つ覚えのように「ものづくり」「ものづくり」と言い表していること自体、僕にはただただ monotonous なものに思えてならないのだ。僕が創りだしたもの、そしてそれを創りだした僕の行為を、僕は決して「ものづくり」と呼びたくもないし、また呼ばせたくもないのだ。

2010/10/02(Sat) 15:22:10 | 社会・政治
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Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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