善意の園の住人?

善意の園は何処?

 先の事例に対する反応としてよく耳にするのが、
私はいままでそのような目に遭ったことはないし、私の知人はそんなことはしない

というものです。しかし、それはその人の 思い込み ではないでしょうか?

 そんな目に遭ったことがないというのは、 たまたま今まで遭わなかったというだけ です。先の例のように、いつ何事かに巻き込まれないとも限りません。

 そもそも人は、その人の善悪の別なく、自分のあずかり知らないところで恨 まれる可能性があるものです。

というだけで恨みをかう例もあります……上記の各事項は相反するものを含み ますが、要はどのような状態にあっても他人の(逆)恨みをかう可能性がある、 ということです。

 また、ストーカーの例をあげるまでもなく、異性(ときには同性)に対して 一途に何かを思いつめる輩が存在することは自明だと思います。

 つまり、他人の目に触れる以上、こうしていれば他人に恨まれることはない、 という定式や一般法則は存在しないということなのです。

個人特定が困難なメディア

 私の知人は……というのも、 自分と交流のある人しかその視野に入っていない ということではないでしょうか? WWW 上のページは、特殊な方法でアクセス 制限をかけない限りは誰でも読めるものですし、誰もが読んでいる可能性があ るものなのです。

 WWW のサーバは、アクセスログ(アクセスの記録)を取っています。プロバ イダのサーバでは、

というような記録を取っているはずです。しかし、それだけ記録していても、 「誰」がサーバに対してアクセスしているかを正確に同定できるとは限りませ ん。

 WWW の HTTP というプロトコルは、原理的には、

どの端末からアクセスがあったか

しか分からない仕組みになっています。しかも、proxy サーバを経由した場合、 サーバにはその proxy サーバからのアクセスの記録しか残らないのです。

 この問題を解決するために、いくつかのサーバでは Cookie というものを使っ ています。サーバはアクセスしてくるブラウザに一種の認識番号(この番号を Cookie と言う)を与え、ブラウザ単位で相手が誰なのかを特定できるように するという仕組みです。しかしこれも、相手の使っているブラウザが Cookie に対応していなかったり、Cookie の受け取りを拒否するような設定になって いる場合は、効力を発揮しません。

 もちろん、原理的には、サーバから相手の端末までの経路で取られている全 てのアクセスログを入手し、解析すれば、そのユーザを特定できる可能性があ ります。しかしプロバイダには、ユーザの privacy を維持する責務がありま すから、それらのアクセスログの公開要求には刑事事件でもない限りは応じな いでしょう。また、プロバイダは、他のユーザの privacy を守るために、情 報公開時に当該ユーザの記録だけを抽出する作業をしようとすると思われます が、、これに要する時間と労力は馬鹿になりません。

 そして、仮にログが入手できたとしても、そこに書かれた端末名が正しいと は限りません。IP spoofing と呼ばれる手法を使うことで、あたかも他のマシ ンのようなふりをしてアクセスすることが可能なのですから……もっとも、こ れには結構技術力を要しますから、皆が皆このようなことができるわけではあ りませんが。

 更に、

を使われたら、もはや完全に経路追跡の道は閉ざされます。

 このような状況に対応するために、パスワード認証を経ないとページへアク セスできないようにする機能が WWW サーバにはあります。しかしこれも、サー バが暴走した場合などに認証なしでアクセスできるようになってしまう場合が あるそうです……ですから、たとえ何らかの手段を講じたとしても、WWW で privacy を完全に維持することは非常に難しいと言わざるを得ません。

「自業自得の原理」の嘘

 こういった意見も見受けられます。
自分のことを自分のページで書いて何が悪い?自分で被害を被ったって、そ れは誰にも迷惑をかけないのだし。

それも 思い込み ではないでしょうか?攻撃を受ける可能性を持つ対象は本人に留まらないから です。その document に登場するもの全てが攻撃の対象になり得るのです。

 人は、自分だけのことを描写しようとしていても、どこかで必ず(自分に対 して何らかの関わりを持つ)他人に関して言及するものです。人と人の接触す る社会の住人である以上、これは半ば当然のことなのかもしれませんが…… WWW 上の document で他者との関係に安易に言及することは、先に書いたよう な状況に第三者を巻き込む可能性を秘めているわけです。

 この場合問題なのは、

というようなことです。自らのあずかり知らぬところで攻撃の原因を作られた ら、これはもうどうしようもありません。「自業」は決して「自得」にばかり 至るとは限らないのです。


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