Smokey Robinson

最近、Wham! の音源を納戸の奥から出してきて(何故こんなものがあったかは謎なんだが)、iTunes / iPod に突っ込んで聴いていたのだけど、実は Wham! の音源の中には、R&B ファンがニヤリとさせられるカバーが入っている。一番有名なのは Isley Brothers の If You Were There のカバーだが、デビューアルバム "Fantastic" にもなかなかニヤリとさせられるカバーが入っている。George Michael という人は、ソウルや R&B が好きで好きで仕方がなかったんじゃないかと思うのだけど(最近のドラッグ絡みでの彼の状況には胸が痛むのだけど)、この "Fantastic" に入っているのは、The Miracles の "Love Machine" のカバー、というより完コピに近いテイクである。

この頃の The Miracles からは、既に Smokey Robinson は脱退しているのだが、クラブなどに通っていた人だったら、きっと一度は聴いたことがあるに違いない(って、僕はクラブ DJ には知り合いがいるのだが、クラブという場所自体にはほとんど縁がないのだけど)。そういえば、モーニング娘。とかいう集団が同じような名前の駄曲を出したときには、仲間連中で「名前までパクるかぉぃ」なんて話になったっけ。まぁ、The Miracles のそれとは、そもそも比較にもならないので、モー娘。なんてのはどうでもよろしい。

で、この流れで、無性に Smokey Robinson が聴きたくなった。で、音源を納戸の奥やらブラジルの密林やらから集めてきて、iTunes / iPod に突っ込んで聴いているところなのだけど……ううむ。自分でも、いつ頃から聴き親しんでいるのか分からないのだけど、Smokey Robinson ってこんなに聴いていたんだっけ、という印象である。確実に染み込んでいる。あまりに有名な "Ooo Baby Baby" とか、誰でもヴァースを知ってる "The Tears Of A Clown" とか、確実に子供の頃に聴いている、らしいのだ。うーむ。

で、今回再認識したのだけど、ソロになってからのヒットである "Quiet Storm"。これは今聴いても古くない。うん。まだまだ僕は音楽に飢える心配はしないで済みそうだなぁ。

期日前投票行ってきました

……とは言っても、今週の月曜の話なのだが、一応書くだけ書いておこう。

たまたま時間が空いたところに、期日前投票所になっている市役所の近くにいたもので、とりあえずさっくりと投票してしまおう、と考えた。勿論、自分で書いた国民審査関連の document で、どの最高裁判事に×を付けるかを確認し、最後に一応、小選挙区の立候補者のリストを確認した。

この選挙区には、民主党の候補(新)、諸派の候補(新)、そして自民の候補(前)が一人づつ立候補している。自民の候補は、パチンコ業界から多額の献金を貰っている上に、トヨタ関連の企業とも良好な関係を築いており、何かテレビ番組があればすぐに出てくる(しかし、やしきたかじんの番組に呼ばれることは何故かない……笑)ような輩なので、何が何でもこいつには入れたくない。では……と、「諸派」と書かれている候補の背景を調べたら、なんと幸福実現党の候補であった……アブネーアブネー、確認しておいてよかったよ。まぁ、消去法でいくと、選択の余地はなくなってしまった。

比例区には……かなり悩んだのだが、自公以外(あ、幸福実現党でもありません)の某党を選択した。

……まぁ、僕のこんな投票を参考にされる必要はないし、それ以前に他人の投票など参考にしないでいただきたいのだが、判断材料として、ぜひこれだけは皆さんに見て頂きたい、というものがある。自民党と公明党「だけ」が、いわゆるネガティブキャンペーンを展開しているのだが、その動画である。

(自民党)


公明党の『永田町学院小学校シリーズ』の方は輪をかけて下らないので、埋め込まずにリンクだけ。

まぁ……お寒いとしか言いようがない。アメリカなどでのネガティブ・キャンペーンの CF はある意味もっとちゃんとしていて、誰の何がどう悪いのか、数字なども込みで真正面から批判するものが多いのだが、アニメ作ったり、小学生集めてドラマ撮ったり、自民党や公明党はどうも余程施政以外に使える金をたくさん抱え込んでいるらしい……こんなことやってるから(以下略)。ああやだ、ぺっぺっぺっ。

8月27日に生まれて

今日は僕の誕生日である。誕生日が自分にどれだけの影響を与えているのか、と考えても、正直言ってまるっきり分からない。影響があった、としても、夏休み中なので級友に祝われることがあまりなかった、というのと、姉と誕生日が1週間違いなので、いつも誕生会がニコイチだった、ということ位だ。

昔から、「門松は冥土の旅の一里塚」などという。昔は数え年で、元日に皆歳が増えるためにこんな言葉があるわけだけど、要するに今日は僕の冥土の旅の一里塚なわけだ。この「門松は……」というのは一休宗純が『狂雲集』に遺した言葉で、歌でいう下の句がちゃんとあるのだが、それは「めでたくもありめでたくもなし」。まさに今の僕の心境(というか、同世代の人の誕生日の心境って大抵はこんなものなのではないだろうか)そのものである。

そういえば、何年か前から人気のある本で『誕生日占い』というのがあるけれど、あれで8月27日生れの人に関して見てみると、なんだか美辞麗句のオンパレードで気が滅入る。せめてこの何 % かでいいから、社会が僕をこう認知してくれればいいのに……などと思ったりもするのだけど……最近は net 上でも見られるのがあるから、いくつかリンクしておこう:

……はぁ、そうですか。でも何も保証なんかしてくれないのにさ。ほめ殺しに遭っているような気分になる僕なのであった。

「最高裁判所裁判官国民審査」に有意義に参加するために

[緊急追記]
今朝、新聞配達と共に行われた選挙公報・審査広報の配布で、ようやく公式の最高裁判事の審査判断材料が手元に来たのだが、これを見て驚いた。なんと、櫻井龍子氏涌井紀夫氏宮川光治氏、そして金築誠志氏の関与した裁判のリストに、あの『御殿場事件』が入っていないのである。

『御殿場事件』の上告棄却決定日は平成21年4月13日であるが、裁判長を務めた櫻井龍子氏の関与裁判リストを見てみると、同年1月22日の判決が2件、同年6月2日の上告棄却決定が1件記述されているだけで、社会的に最も大きな物議を醸したであろう御殿場事件に関して記述されていない。審査広報における各人の文責は本人にあると思われるが、これらから推測されるように、審査広報に記述されている「実績」は本人の恣意的選択を経て書かれている可能性が極めて高い。皆さん、この点にはぜひ着目しておいていただきたい。(20090828)


いよいよ衆議院議員総選挙も公示され、皆さんの手元にも投票所入場券が送付されている頃だと思う。公示の翌日から期日前投票も可能なので、あるいは皆さんの中で、

「もう投票してきてしまいました」

などという方がおられるかもしれない。

しかし、だ。それはこの総選挙に並行して行われる、ある大事な国民審査を無視してしまっていることになる。有権者の方だったらご存知だろうけれど、ここで言いたいのは「最高裁判所裁判官国民審査」のことである。どういうわけか、最高裁判所裁判官国民審査の期日前投票は、「投票日の7日前から」ということになっている。だから、今期日前投票に行くと、最高裁判所裁判官国民審査の方は票を投ずることができないのだ。

いや、勿論、期日前投票に2回行けば物理的には問題ないわけなのだけど、そもそもそういう手間を除いて少しでも投票しやすいようにするための期日前投票である。どうしてこの二者の期日前投票の期間を同じくしないのか。いかにも「お役所仕事」だ、と思わざるを得ない。

このような現状に、どうも僕は納得し難いものを感じたので、これをいい機会として、「最高裁判所裁判官国民審査チュートリアル」になるような文書をここに書くことにしようと思う。毎度毎度蔑ろにされているこの国民審査、一国民としては、もっと意味のあるものに「立ち返らせねば」ならない、と、強く感じたからだ。そういう訳で、以下、ざっくりとしたものではあるが、「最高裁判所裁判官国民審査」の情報をまとめてみよう。

裁判所というところも、さすがに最近は disclosure をやっていて、最高裁判所の裁判官一覧とその略歴等を、以下の URL:
http://www.courts.go.jp/saikosai/about/saibankan/index.html
で参照できるようにしている。この中から審査対象となる最高裁判所裁判官は、任命後初の衆議院選挙を迎えたか、前回の審査から10年以上経過した後の衆議院選挙を迎えたか、のいずれかにあたる裁判官である。今回の該当者は9名いるのだが、その氏名と公式プロフィールを以下に示す:

さて、大切なのはここからの話である。この各々の裁判官の来歴に関しては、最近は便利なサイトがあるのでそちら(『Yahoo! みんなの政治』:国民審査)を見ていただいた方が早いかもしれない。ここでは、このサイトで列挙されている事件の中で、特に審査の上で問題になりそうな事案に関して、メディアの記事を見ていくことにしよう。

最初に、ここだけは誤解なきように願いたいが、最高裁判所裁判官の審査は、あくまで、

  1. 任命されるにふさわしい人物が任命されたか否か
  2. 最高裁判事としてふさわしい事案の取り扱いをしているか否か
という観点に立った上で行われるべきだ、ということである。この点は、皆さんも審査者として厳密に考えていただきたい。ここでは、上記 2. の方を重視して、各判事が最高裁で扱った事案に関してみていくこととする。


まず、金築氏の関わった事件だが:
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2009/07/16/08.html
の記事をここに引用しておこう。

警察署の塀によじ登って“塀の中”4年確定

 警察署のコンクリート塀(高さ2・4メートル)によじ登ったことが建造物侵入罪に当たるかどうかが争われた刑事裁判の上告審決定で、最高裁第1小法廷は15日までに「塀は“建造物”に当たる」との初判断を示し、罪の成立を認めた。

 建物自体のほか、塀や壁で囲まれた建物周辺の敷地は「建造物」とする最高裁判例はあるが、塀についてはなかった。

 金築誠志裁判長は「塀は、庁舎とその敷地を他から明確に画し、外部からの干渉を排除する作用を果たしており“建造物”の一部を構成する」と指摘した。

 争っていたのは、大阪市の瓦職人、奥村亮祐被告(23)。上告は棄却され、懲役4年とした2審判決が確定する。決定は13日付。決定によると、奥村被告は、交通違反を取り締まる捜査車両のナンバーなどを把握するため、大阪府八尾市の八尾警察署の塀に登ったとして現行犯逮捕された。

(2009年07月16日 Sponichi Annex)

……一応書き添えておくが、この被告には執行猶予は与えられていない。


次に櫻井龍子氏のかかわった事件だが、これはあまりに有名な事件なので、Wikipedia からリンクしておこう:『御殿場事件』

この事件は、公判中から被害者の供述が二転三転し、果てには被害者側が複数の虚偽の供述をしていたことが判明し、検察側は犯行日そのものを変更するという訴因変更請求を行った。検察側がここまであやふやな振る舞いをするのもまずないことなのだが、裁判所がこの請求を認めた、というのがまた前代未聞。とにかく、あまりに問題の多い審理が進められた。そして最高裁で、犯人とされた3人の元少年のうち2人に実刑判決を言い渡した東京高裁の判決への上告を棄却した(2人は現在服役中)のが、この櫻井氏である。


宮川光治氏が最高裁裁判長として関わった事案としては、旧満州に取り残された、いわゆる「中国残留婦人」が国に損害賠償を請求した訴訟の上告を棄却した:
http://www.47news.jp/CN/200902/CN2009021201000833.html
というものがある。この結果だけみると、宮川氏の裁定を問いたいところだが、これに関してはもう少し深く見なければならない。

いわゆる「中国残留孤児」「中国残留婦人」等への援助活動を行っている『NPO 法人 中国帰国者の会』の公開している情報を見てみよう。件の訴訟に関する情報
の中で:

 最高裁第一小法廷は、2009年2月12日、当会鈴木則子さんらが提訴した「中国残留婦人」等の国家賠償請求訴訟について、上告棄却と上告は受理しないとの決定を行いました。これは多数意見によるもので、宮川光治裁判長は上告を受理すべきという反対意見(少数意見)を付しました。

 宮川裁判長の反対意見は、「自立して生活できない状態で帰国を余儀なくされたのは国策で移民させられた結果であり、自立支援義務は法的義務と解する余地がある。国家賠償法の違法があるか否か議論する必要があるため上告を受理すべきである」というもので、この反対意見こそこの問題を的確にとらえています。

と書かれている。判事の合議の上、最終的に裁判官全員一致の意見として棄却の判断を下したにも関わらず、裁判長の宮川氏がわざわざ反対意見を出している、というのである。

決定文(いわゆる判決文に相当)を同サイトで見ると、この反対意見の全文を読むことができるが、反対意見が決定文全体のほとんどの割合を占める程の詳細なものであり、しかもこれが裁判長の示したものであるということは、非常に興味深いものである。

そして、もう一点、注意しなければならないことがある。この裁判に参加した4人の判事のうち、宮川氏と、今回審査対象から外れている一人を除いた二人は、今回審査対象になっている涌井紀夫氏櫻井龍子氏だ、という点である。この点は、今回の審査において考慮すべき点であろう。


涌井紀夫氏に関しては、いわゆる南京事件に関する判決で興味深い事案がある。以下に『産経ニュース』の記事をリンクしておこう:

南京事件研究書で賠償確定 (2009.2.5 22:05)

 南京事件の研究書で事件の被害者とは別人と指摘され、名誉を傷つけられたとして、中国人の夏淑琴さんが、著者の東中野修道・亜細亜大学教授と出版元の展転社に損害賠償を求めた訴訟で、最高裁第1小法廷(涌井紀夫裁判長)は5日、教授と同社の上告を退ける決定をした。東中野教授と同社に計400万円の支払いを命じた1、2審判決が確定した。

これだけだと分かりにくいので、2審の記事も引用しておく。

2審も著者らに賠償命令 南京事件研究書訴訟 (2008.5.21 16:19、現在元記事は消滅)

 南京事件の研究書で、事件の被害者とは別人と指摘された中国人の夏淑琴さん(79)が、著者の東中野修道・亜細亜大学教授(60)と出版元の展転社(東京都)に計1500万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決が21日、東京高裁であった。柳田幸三裁判長は東中野教授と同社に計400万円の支払いを命じた1審東京地裁判決を支持、双方の控訴を棄却した。

 問題とされた研究書は「『南京虐殺』の徹底検証」。東中野教授は同書で、事件の生き残りと主張している夏さんを「別人」と指摘。夏さんは「偽者扱いされて名誉を傷つけられた」と訴えていた。

 柳田裁判長は、東中野教授が執筆に当たって調べた英語の資料について、「東中野教授の解釈は不合理で妥当とはいえない」と指摘、1審の「夏さんが別人だとは立証されていない」とする判断を支持した。

ここで僕が南京事件に関して総括するには、あまりに時間とスペースが足らないので、軽く触れるだけにしておくが、中国側の発表している死者数があまりに誇張されているとはいえ、南京で、中国側の平服に着替えた戦闘員が市内に潜伏し、民間人との区別が付かなくなった状態に、当時の日本陸軍がパニックを起こし、誰彼構わず捕縛して殺して川に捨てたりした、というのは、海外のジャーナリストの記録にもある事実である。この辺りに興味のある方は『南京事件―「虐殺」の構造』(秦郁彦 著、中公新書)辺りから、最近の文献ならば『「南京事件」の探究―その実像をもとめて』(北村稔 著、文春新書) 等をお読みいただければよろしい。特に後者は、南京事件の資料に多大なる改ざんがあることや、アメリカのプロパガンダの影響等を指摘しつつも、最終的に「裁判なしの便衣兵の処刑は違法であり、それがある限り「虐殺は無かった」とはいえない」との立場をとっている(便衣兵は兵士扱いで、慣行上裁判なしで殺して構わない、と主張する連中が多いのだが、そもそも彼らは逃亡する目的で便衣=平服に着替え、しかもその服装での戦闘行為はほぼ皆無だったのだから、彼らは「便衣兵」ではなく「敗残兵」であった(ハーグ条約で保護の対象となる)可能性が極めて高く、おまけに、平服の兵士と勘違いされて殺された民間人の立場はどうなるんだ?という疑問を無視してかかっている以上、このような主張は妄言としか言わざるを得ない)ことが興味深い。

さて、このようなナイーブな問題に関わった涌井氏だが、他には、

在外被爆者訴訟 国への賠償命令が確定 最高裁判断 (2007.11.1 19:15)

 太平洋戦争中に広島に強制的に連行され被爆した韓国人の元徴用工40人が、国などに計約4億4000万円の損害賠償を求めた訴訟の上告審判決が1日、最高裁第1小法廷であった。涌井紀夫裁判長は、元徴用工と国双方の上告を棄却。在外被爆者への健康管理手当支給を認めなかった国の通達を違法とし、国に慰謝料などとして計4800万円の支払いを命じた2審広島高裁判決が確定した。在外被爆者対策をめぐり、国への賠償命令が確定したのは初めて。

 旧厚生省は昭和49年、「出国した被爆者は、健康管理手当などを受ける権利を失う」と通達。原告らは「違法な通達で精神的損害を受けた」と訴えていた。

 涌井裁判長は、まず通達の違法性について検討し、被爆者救済の法律は国内外の被爆者を区別していないことを指摘した上で「通達は法律解釈を誤った違法なもの」と判断。さらに、違法な通達を「業務上、通常尽くすべき注意義務を尽くしていれば当然に認識することが可能だった」と述べ、「国家賠償法上の違法の評価も免れない」と結論付けた。

 その上で、平成15年に通達が廃止される前に、通達の違法性を訴えて提訴した原告の精神的損害を認定した2審判決を「是認できないではない」との表現で認めた。

 判決は裁判官4人のうち、3人の多数意見。横尾和子裁判官は、通達を所管した旧厚生省保健医療局の企画課長だったため、審理を担当しなかった。

 甲斐中辰夫裁判官は、通達の違法性を認める一方、通達のような解釈をする根拠があったことを指摘し、「国家賠償法上、違法なものとする点は賛同できない」との反対意見を述べた。

 1審広島地裁は原告の請求を退けたが、2審判決は通達を違法と認め、国に1人当たり計120万円、計4800万円の支払いを命じていた。

これは画期的な判決として知られている。その一方、

「住基ネットは合憲」 最高裁が初判断、訴訟終結へ (pp.1/pp.2、2008.3.6 15:47)

 住民基本台帳ネットワーク(住基ネット)は住民のプライバシー権を侵害し違憲だとして、住民が住基ネットからの離脱などを求めた訴訟のうち、4件の判決が6日、最高裁第1小法廷であった。2審で唯一の違憲判断をしていた大阪訴訟の判決で、涌井紀夫裁判長は住基ネットを合憲とする初判断を示し、大阪高裁判決を破棄、住民の請求を退けた。他の3件の判決では、同小法廷は住民側敗訴の2審判決を維持。「住基ネットは合憲」との司法判断が確定した。

 判決があったのは(1)大阪(2)千葉(3)愛知(4)石川−の各県の住民が提訴した訴訟。4件の地高裁計8つの判決のうち、(1)の大阪高裁と(4)の金沢地裁は、住基ネットを違憲と判断していた。

 一連の訴訟で住民側は「情報漏洩(ろうえい)の危険性がある」「住基ネットを使えば、多様なデータベース中の個人情報を収集・統合するデータマッチングが可能で、プライバシーが丸裸にされる」と主張していた。

 大阪訴訟の判決で、涌井裁判長は、住基ネットで管理されている氏名、性別などの情報について「個人の内面にかかわるような秘匿性の高い情報とはいえない」と指摘。

 また、システム上の欠陥から個人情報が漏洩する具体的危険はないと判断。さらに、データマッチングについては、刑罰の対象になることなどを挙げ、「具体的な危険は生じていない」として、「行政が住基ネットを利用することは、憲法が保障するプライバシー権を侵害するものではない」と結論付けた。

 大阪高裁判決は、「データマッチングされる危険性が生じている」と判断していた。

 住基ネットをめぐる訴訟は、弁護団が把握しているだけでも全国で計16件起こされ、現在も地裁で2件、高裁で9件が係争中。いずれも争点が同様であるため、最高裁判決を受け住民側が敗訴する見通しとなった。

という判決も出している。このように見ていくと、やはり裁判官も人間であり、清濁併せ持つ存在として審査に立ち会う必要があることを感じさせる。ひとつの事案で脊髄反射的に「罷免だ!」などと、軽々しく書く連中の口車にのせられてはならないのだ。


次に、竹内行夫氏に関して。事案云々以前の問題として、この人は、そもそも経歴からみて最高裁判事に任命されるというのがちょっとおかしい……と、少なくとも僕は考える。

官僚経験者が最高裁判事になるケースはないわけではない。今回の審査対象では櫻井氏が官僚経験者である。ただし、櫻井氏は旧労働省時代から、労働法のエキスパートという扱いで、阪大・九大の法学部で教鞭を執った後に任命されている。

では竹内氏はどうだろうか。確かに、平成19年度に政策研究大学院大学連携教授を務めている。しかし、この一年を除くと、40年程の月日を一貫して外務畑を歩んだ(そして外務事務次官まで上り詰めた)人物である。明らかに、このキャリアの人物が法曹、しかも最高裁判事になるというのには違和感があるのだ。

最高裁判事以前の経歴に関しての「後ろ暗さ」に関しては、以下の blog をご参照いただくのが早いだろう:
弁護士阪口徳雄の自由発言:国民審査で、竹内行夫に×を!(2008/11/3 17:52)

先にも書いた通り、任官以前の所業を以て審査でバツを付ける……というのは、これはもはや審査とは言えないだろう。ただし、

  1. 任命されるにふさわしい人物が任命されたか否か
  2. 最高裁判事としてふさわしい事案の取り扱いをしているか否か
という観点に立った上で、任命のプロセスに違和感があるならば、その問題を考慮することは不可避であろうと思われるのだが。

ここでは最初の視点を維持して、任官後に扱った以下の事案を見てみることにしよう:

元オウム幹部の無期確定へ 地下鉄サリンで散布役送迎 (2009/04/21 17:46 共同通信)

 地下鉄サリン事件でサリン散布役を送迎したり、信者を殺害したりするなどして殺人罪などに問われた元オウム真理教幹部、杉本繁郎被告(49)の上告審で、最高裁第2小法廷(竹内行夫裁判長)は21日までに、被告の上告を棄却する決定をした。無期懲役とした1、2審判決が確定する。決定は20日付。

 杉本被告側は「従属的な立場にすぎなかった。反省もしており、無期懲役は重すぎる」などと主張していた。

 一連の事件では、松本智津夫死刑囚(54)=教祖名麻原彰晃=ら5人の死刑が確定。残る審理中の被告は、早川紀代秀被告(59)ら2審で死刑となった8人となった。

 1、2審判決によると、1995年3月20日の地下鉄サリン事件で、杉本被告は松本死刑囚らと共謀。散布役の林泰男死刑囚(51)を車で運んだ。

 また松本死刑囚らと共謀し94年1月、山梨県内の教団施設で男性信者=当時(29)=を絞殺。7月にもスパイと疑った男性信者=当時(27)=を絞殺し、遺体を焼却した。

信者二人を殺害、うち一人は死体遺棄、さらに地下鉄サリン事件の運転手……ということだが、この判決は妥当だと思われる。普通人を二人殺したら死刑になる可能性が極めて高いのだが、共謀……というより、宗教的なヒエラルキーと恐怖政治的な雰囲気の中で犯行を犯した、ということが考慮されたものだろうと考えられる。これに関しては、取り立てておかしなところはないと思われる。


さて、ではいよいよ最高裁長官である竹ア博允氏に関してである。竹ア氏の最高裁長官への登用は、一部で「サプライズ人事」と言われている。確かに、今までの法曹としてのキャリアはまさにエリートと言ってもいいだろう。

竹ア氏が最高裁判事になってから扱った事案には、遠隔操作のカメラシステムで顧客確認を行う自動販売機を用いることが、対面販売行為として認められない、というのがある。まあこれに関しては、今回の審査の上では、ある種「薬にも毒にもならない話」なので、これ以上書くことはしない。

竹ア氏に関する問題で一番大きいのは、氏が「裁判員制度」の確立に大きく関わってきた人物であり、今回の登用も、裁判員制度の運用に向けたものとしての意向が大きい、ということである。この問題に関しては、やはり今更ここに書くまでもなかろう。僕が蛇蝎の如く嫌っている副島隆彦なんぞと似たような意見を言うのは非常に不快なのだが、以上の点だけでも、その任命、任命後のミッション双方においていささか問題があると言わざるを得まい。


次に近藤崇晴氏に関して。近藤氏が扱った事案としてあまりに有名なのが、これである:

植草被告の実刑確定へ=電車で痴漢、懲役4月−最高裁 (2009/06/27 10:55 時事ドットコム)

 電車内で女子高校生に痴漢行為をしたとして、東京都迷惑防止条例違反罪に問われ、一、二審で懲役4月の実刑とされた元大学教授植草一秀被告(48)について、最高裁第3小法廷(近藤崇晴裁判長)は25日付で被告の上告を棄却した。実刑が確定する。

 植草被告は無罪を主張したが、一審東京地裁は2007年、「被告の供述は信用できず、被告が犯人との認定は揺るがない」と判断。「再犯の恐れも否定できない上、真摯(しんし)な反省が全く認められない」とし、翌年の二審東京高裁判決も実刑を支持した。

 一、二審判決によると、植草被告は06年9月、品川−京急蒲田駅間を走行中の電車内で女子高校生の尻を触った。

いわゆる世に言う「ミラーマン事件その2」である。とかく物事の真相は藪の中なので、100 % の確信をもって植草氏が有罪だ、と言うことは僕にはできないのだが、植草氏を知る人は、皆彼の酒癖の悪さを指摘するし、この前の鏡を使った窃視事件「ミラーマン事件」の、そのまた前にも窃視騒ぎを起こしている、という経緯を考えると、この判決が冤罪である、などと軽々しく吠えることはできない。

最近、植草氏は、僕が蛇蝎の如く嫌っている副島隆彦なんぞと共著を出したりしているので、副島はこの近藤氏にも×をつけよう、などと運動を展開しているらしいが、この一点でそのようなことを軽々しくも言うから僕は蛇蝎の如く嫌っているのである。

さて、近藤氏の関わっていた事案で、植草問題などより余程重要な事案がある:

婚外子差別 国籍法は違憲 最高裁逆転判決 比人母の子に日本籍 (2008年6月5日 東京新聞)

 結婚していない日本人の父とフィリピン人の母から生まれ、出生後に父に認知された子どもたちが、国に日本国籍の確認を求めた二件の訴訟で、最高裁大法廷(裁判長・島田仁郎長官)は四日、「両親が結婚していないことを理由に日本国籍を認めない国籍法の規定は不合理な差別で、法の下の平等を定めた憲法一四条に違反する」との判断を示し、二審判決を破棄、原告全員に日本国籍を認めた。

 国籍法の規定を違憲とした最高裁判決は初めて。大法廷の違憲判決は、二〇〇五年九月の在外選挙権をめぐる違憲判決以来、戦後八件目。

 結婚していない日本人の父と外国人の母から生まれた子(婚外子)が日本国籍を取得するには、出生後認知の場合、父母の結婚が要件とされる。裁判では国籍法のこの要件が違憲かどうかが争点となったが、大法廷は違憲無効と判断した。国会は法改正への早急な対応を迫られる。

 最高裁の判事十五人のうち九人の多数意見。三人は立法不作為による違憲と判断したが、うち二人は国籍取得を認めなかった。合憲は三人だった。

 多数意見は、両親の結婚要件は一九八四年の法改正当時は合理的だったとしたが、家族観や家族形態が多様化したことを踏まえ▽婚外子差別を禁じる条約を日本が批准▽諸外国は同様の要件を廃止−など社会的変化を指摘。原告らが国籍取得届を出した〇三年には、要件の合理性は失われていたと判断した。

 さらに「国籍取得は基本的人権の保障に重大な意味があり、子の不利益は見過ごせない」と言及。「日本人の父の婚外子にだけ国籍を認めないのは不合理な差別で違憲」と結論付けた。

 上告していたのは、日本人の父とフィリピン人の母から生まれ、出生後に認知された八−十四歳の子ども十人。一審の東京地裁はいずれも「国籍法の規定は違憲」として日本国籍を認め、原告側が勝訴。しかし二審の東京高裁は憲法判断をせず、「国籍を認める規定は国籍法にはない」としていずれも原告側の逆転敗訴とした。

これは憲法に関わる問題でもあり、大法廷(最高裁の全ての判事が参加する)で審議された事案だが、今回の審査に関わる判事の中では、近藤崇晴氏田原睦夫氏が関わっている。ちなみに近藤氏と田原氏の参考意見は次の通り。

 【近藤崇晴裁判官の補足意見】
 国籍法改正でほかの要件を加えることは立法政策上の裁量権行使として許される。日本国民の父による出生後認知に加え、出生地が国内であることや国内に一定期間居住していることを要件とすることは選択肢になる。

 【田原睦夫裁判官の補足意見】
 国籍法三条一項自体を無効とし、生後認知子について、認知の効力を国籍取得にも及ぼす見解は多くの法的な問題を生じ、多数意見の通り、同項を限定的に解釈することが至当だ。

まあ、やはり……こっちの方が重要なんじゃないですかね。


次に田原睦夫氏に関して。実は田原氏は、今回審査対象になっている判事の中ではいささか変わったキャリアの持ち主である。弁護士出身なのだが、弁護士時代は民事、特に破産や商取引関連の問題のエキスパートとして知られた人物なのである。

丁度、田原氏の扱った事案に関して詳しく解説している blog を発見したので、リンクしておく:
『企業法務戦士の雑感』(2007-12-15)

これ以外の事案としては、

防衛医大教授に逆転無罪=電車内痴漢「慎重な判断を」−事件捜査に影響も・最高裁 (2009/04/14 18:19 時事ドットコム)

 電車内で女子高校生に痴漢行為をしたとして強制わいせつ罪に問われ、一、二審で実刑とされた防衛医科大学校の名倉正博教授(63)=休職中=の上告審判決で、最高裁第三小法廷(田原睦夫裁判長)は14日、「被害者の証言は不自然で、信用性に疑いがある」として、逆転無罪を言い渡した。教授の無罪が確定する。五裁判官のうち三人の多数意見。

 判決は「客観証拠が得られにくい満員電車内の痴漢事件では、特に慎重な判断が求められる」とした。同種事件の捜査や裁判に影響を与えそうだ。

 同小法廷は、手に残った繊維の鑑定などの裏付け証拠がないことから、唯一の証拠である被害者の証言について、慎重に判断する必要があるとした。

 その上で、痴漢被害を受けても車内で逃れようとせず、いったん下車した後も車両を変えずに再度教授の近くに乗ったとする女子高生の証言を、不自然で疑問が残ると指摘。全面的に証言の信用性を認めた一、二審の判断を「慎重さを欠いた」と退けた。

ただし、田原氏はこの判決に対して以下のような反対意見を出している。

 女性の供述が信用できないということは虚偽の被害申告をしたということである。弁護側は学校に遅刻しそうになったから被害申告したと主張するが、合理性がない。

 また虚偽申告の動機として、一般的には(1)示談金を取る目的(2)車内で言動を注意された腹いせ(3)痴漢被害に遭う人物であるとの自己顕示−などが考えられるが、本件でそれらをうかがわせる証拠はない。原判決を破棄することは許されない。

また、

母親の交際相手、懲役16年確定へ=秋田園児殺害−最高裁 (2009/07/29 17:38 時事ドットコム)

 秋田県大仙市の保育園児進藤諒介ちゃん=当時(4)=を殺害したとして、殺人罪に問われた元高校非常勤技師の畠山博被告(46)について、最高裁第3小法廷(田原睦夫裁判長)は27日付で、被告の上告を棄却する決定をした。懲役16年が確定する。

 一審秋田地裁、二審仙台高裁秋田支部判決によると、畠山被告は交際していた諒介ちゃんの母親進藤美香受刑者(34)=懲役14年確定=と共謀。2006年10月、大仙市内の駐車場に止めた車内で諒介ちゃんに暴行して失神させ、進藤受刑者が諒介ちゃんを自宅近くの農業用水路に投げ込んで窒息死させた。

これも田原氏の関わった事案である。

我々の生活に直結するような事案としては、いわゆる「一票の格差」裁判がある。

この問題に関しては、過去、何度も訴訟が行われてきたが、田原氏は、第44回衆議院議員総選挙 (05年) の最大の格差が 2.17倍であったことへの上告審(この訴訟は大法廷で開かれたので、全ての判事が参加する)で裁判官を務めた。この上告は結局棄却(合憲と判断)されてしまったのだが、他の2人の弁護士と、以下のような反対意見を述べている。

「過疎地域への配慮という目的、手段は合理性に乏しい。憲法の趣旨に沿うものとはいい難く、是正を要する」
との見解を示したうえで、99年判決がこの方式を「合憲」と判断していたことなどから、
「国会が放置したことをもって直ちに違憲とは断定できない」
と述べた。

上記した事案のひとつだけを挙げて、やれ×だ○だと断じている人のなんと多いことか。やはり、複数の情報を以てこのようなことは考えなければならないのだ。


さて……いよいよオーラス、那須弘平氏である。

まず、「那須弘平」を検索語として google で検索した結果を見ていただきたい。上の方に、何やら穏やかならぬリンクが出てくるのを確認できるであろう。その名も:
「那須弘平最高裁判所裁判官を罷免する会」
などというのである。これは何だろうか。

元静岡大生、無期懲役確定へ 2人殺害で死刑回避 (2008/09/30 18:27 共同通信)

 静岡市の健康用品店で2005年、女性従業員2人を殺害し現金を奪ったとして強盗殺人罪などに問われた元静岡大生高橋義政被告(28)の上告審で、最高裁第3小法廷は30日までに、被告と検察双方の上告を棄却する決定をした。死刑の求刑に対し、無期懲役とした2審判決が確定する。決定は29日付。

 那須弘平裁判長は「冷酷かつ残虐で、死刑の選択も十分に考えられるが、当初から金を奪う意図はなく、殺害も計画的ではなかった。反省もしており、若い。不遇な成育歴が偏った価値観に影響を与えた可能性を否定できない」と指摘した。

 検察側は「被害者は2人で、矯正可能性もない」として死刑の適用を主張。弁護側は「強盗殺人罪は成立せず、有期刑が相当」と訴えていた。

静岡大の男子学生を逮捕 2女性店員殺害 (2005/03/10 12:42 共同通信)

 静岡市の健康用品販売店で1月、女性従業員2人を殺害し現金を奪ったとして静岡県警は10日、強盗殺人容疑で、静岡大4年生の高橋義政容疑者(24)=静岡市大谷=を逮捕した。容疑について黙秘しているという。

 静岡中央署捜査本部は、高橋容疑者が健康用品販売店と関係のある脳神経外科医院に反感を抱いていたことが背景にあるとみて捜査。この医院は同店と同じビルの1階に入居し、店長の夫が院長を務めている。以前、同容疑者の知人女性が通院し、その後死亡したという。

 調べでは、高橋容疑者は1月28日午後5時から同6時ごろにかけ、静岡市新伝馬1丁目のビル2階にある健康用品販売店「クオリテ」の店内で、いずれも従業員の井本嘉久子さん(60)=同市西島=と竹内真知子さん(57)=同市清水村松原=の2人の首を刃物のような凶器で切り付けて殺害し、店内にあった現金数万円を奪った疑い。

……と、これだけでも分かりにくいと思われるので、犯行のいきさつを先の「罷免する会」のページから引用しよう。

高橋義政は1980年4月19日、東京都足立区の団地で生まれました。2歳ごろから父親にビール瓶で殴られるなどの、ひどい虐待を受け、学校ではいじめにあい、強烈な人間不信におちいりました。しかし、静岡大学在学中に、夜学部で母親のように思える、本当に自分を慕ってくれる年上の女性(当時50歳)に出会いました。しかし、女性は直腸ガンのため、出会ってから4年ほどで亡くなってしまいます。そして、高橋義政は、医療ミスを犯したわけでもないのに、慕っていた女性の担当医に恨みを抱き、殺害を計画します。そして2005年1月、医師を殺すために担当医のいる医院が入っているビルにナイフを持って侵入します。医院はそのビルの1階にありましたが、担当医は不在でした。そこでビル2階の健康食品店の店員、井本嘉久子さん(当時60歳)と竹内真知子さん(当時57歳)を問い詰めたところ、担当医は2日後まで帰らないと聞き、担当医を殺害するためには口封じのためふたりをナイフで刺して殺害するしかないと判断し、ふたりを殺害。そして強盗目的に見せかけるため現金6万6000円を奪って逃走しました。

この事件の内容だと、精神的な問題等のない人間の犯行ならば、強盗殺人で死刑、が相場であろう。強盗殺人の場合は一人殺しても死刑になる可能性が大きい。しかし、那須氏は、上述女性の死因に対する被告の強い思い込みや、その後の被告の状態などから、最初に引用したような結論に至ったのだと思われる。

ここから先は私見だが、この手の犯人を死刑にしてしまうのは実に簡単なことなのだ。しかし、悔悛の情がわずかでもあるならば、それがある分、犯人には生きて苦しむ必要がある。死の苦しみより、生きる苦しみが重く、それが償いとしていかばかりかの意味を持つのであるならば、やはり簡単に死刑だ、などと市井の一個人が無責任に断ずる資格などないのである。そう、それはあまりに無責任に過ぎる。

この手の直情的な誹謗中傷、そして罷免推進運動などのリスクを負って、尚那須氏はこの判決を出したわけで、その意味は決して軽いものでもないし、先に言ったように、市井の一個人が無責任に断ずることのできるものではないのである。

僕は「正義」などという言葉を容易くちらつかせる人間を心の底から軽蔑する。そして、信用しない。どうか、上にリンクをはったような下らん呼びかけに応えることなく、自らの権利を行使していただきたい、そう皆さんに心から願うものである。

那須氏の扱った事例としては、他に:
メイプルソープ事件

がある。メイプルソープの写真集に性器を撮影した写真が無修正で収録されていたものを、わいせつ物と扱うかどうか、という事案であったが、那須氏はこれに「わいせつ物にはあたらない」との決定をしている。

判例として重要な意味を持つであろう事案としては、

30年前の「時効殺人」賠償確定 最高裁、民法の除斥期間適用せず (2009.4.28 18:58 産経ニュース)

 東京都足立区立小学校で昭和53年、教諭の石川千佳子さん=当時(29)=を殺害して遺体を自宅に26年間隠し、殺人罪の時効成立後に自首した同小の元警備員の男(73)に、遺族が損害賠償を求めた訴訟の上告審判決で、最高裁第3小法廷(那須弘平裁判長)は28日、警備員の男側の上告を棄却した。男に約4200万円の賠償を命じた2審東京高裁判決が確定した。

 遺族が提訴したのは殺害から約27年後の平成17年。不法行為から20年で損害賠償請求権が消滅する「除斥期間」が適用されるかどうかが争点だったが、同小法廷は「死亡を知り得ない状況をことさら作り出した加害者が賠償義務を免れるのは、著しく正義、公平の理念に反する」と判断、除斥期間を適用しなかった。

 最高裁が除斥期間の例外を認めたのは平成10年の予防接種訴訟に続き2例目。今回の判断は事件の特異な事情を考慮した上で、個別に救済を図ったといえる。

 判決などによると、男は昭和53年、警備員として務めていた学校で石川さんを殺害、遺体を足立区内の自宅床下に埋めて住み続けた。区画整理で立ち退きを迫られたことから、平成16年に自首。しかし、当時15年だった公訴時効の成立で起訴されなかった。

 1審東京地裁は、殺害行為に対する賠償は除斥期間を適用して認めなかったが、2審判決は今回の最高裁判決と同様の判断を示し、適用しなかった。

 判決後に会見した石川さんの弟、雅敏さんは「裁けない殺人事件はあってはならない。逃げ得を許さない素晴らしい判決」と語った。

この事例では、最高裁の判例として「除斥期間の例外」の2例目を定めたことになる。遺体の隠蔽が例外事項として今後認められることになるわけだが、その基準等に若干不安定な点がないわけでもない。しかし、現状の「殺人罪にも時効がある」という状況下、時効廃止までの暫定的見解としては意味の大きいものと言えるかもしれない。


というわけで、9人の判事の扱った事例を中心に、国民審査の参考になる情報をまとめてみた。もちろん、実際の事例数を全て解説しているわけではないが、なるだけ特徴的なものに関して提示したつもりである。是非、これを参考に、もしくはこれを端緒として御自分で調べられた上で、国民審査に有意義な参加をしていただければ、と思う。

桜井龍子裁判官、涌井紀夫裁判官、宮川光治裁判官、金築誠志裁判官

あーあ、やっぱり(『北海道の夏山遭難に関して思うこと』補遺)

http://fugenji.org/thomas/diary/index.php?mode=res_view&no=6

で最初に指摘し、

http://fugenji.org/thomas/diary/index.php?mode=res_view&no=10

でメディアにも疑問を呈した北海道での遭難事故に関してだが、北海道警が事故原因の特定に近づいているらしい。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090816-OYT1T00077.htm
(『大雪山系遭難1か月、ガイドらテント持たず野営:YOMIURI ONLINE(読売新聞)2009年8月16日03時01分)における記事内容を(時間が過ぎるとリンク先が消えてしまうおそれが高いので)ここに引用しておく。

 北海道・大雪山系のトムラウシ山(2141メートル)で先月16日、東京の旅行会社が企画した縦走ツアーの参加者ら18人が遭難、計8人が凍死した事故で、同行ガイドらは当初、風雨をしのぐためのテントもなく、低体温症で動けなくなったツアー客と山頂付近でビバークしていたことがわかった。

 捜査幹部が明らかにした。道警は、パーティーの人数に対し携行する装備品が不十分で、ガイドが最後に天気予報を確認したのは遭難の2日前だった点を重視。ツアーを企画した「アミューズトラベル」(東京)側の刑事責任追及も視野に、事故から約1か月の17日、ガイド立ち会いの下で、遭難現場での実況見分を行う。

 一行のうち低体温症で動けなくなったツアー客らの一部が山頂付近でビバーク。しかし、簡易テントを持参していたガイドが下山したため、0度近い風雨の中で救助を待っていたという。その後、登山道整備業者が非常時用に残していた大型テントと毛布、ガスコンロなどの装備品を、付き添っていたガイドが偶然発見。テントに入った5人中3人は湯を沸かして体を温め、無事救助されたが、2人が死亡。テントから数百メートル離れた場所にいたガイドとツアー客の2人も凍死しているのが見つかった。

 また、ガイドは16日に天候が回復すると判断していたが、2日前の14日に携帯電話の天気予報サイトの情報を確認しただけ。捜査幹部によると、出発後に強風がやむと判断していたことも正確な情報に基づいていない可能性が高いという。

 道警では、ガイドの判断が適切であれば被害を防ぐことができたと判断。ツアー日程を優先して出発を強行した可能性もあるとみて、今後はアミューズ社の安全管理体制について調べを進める方針。

……結局、あのとき僕が書いていたことがそのまま問題になっているだけである。無論、それは僕が特別だからとかいうことではなく、「普通おかしいと思う」ことを率直に書いただけなのだけど。何処ぞの会長さんか何かの話でツェルト問題を総括した某新聞社(僕との対話後の記事【参考】の中にもツェルトという単語は一度も登場していないようだが)の担当者の方には、alternative な意見をぜひ載せていただきたかったし、他の全てのメディアからツェルトの問題が出なかったことに関しては、ここに猛省を促したいと書くしかない。

『なぜ覚せい剤を使ってはいけないのか』再掲

警視庁渋谷署は2009年8月3日未明、覚せい剤取締法違反(所持)の疑いで、女優・酒井法子(38)の夫で自称プロサーファーの高相祐一容疑者(41)を現行犯逮捕した。高相祐一容疑者が逮捕されたのは渋谷の道玄坂だったのだが、夫に電話で呼び出されて現場に立ち会っていた酒井法子は、夫の逮捕後に長男と共に失踪(長男は後に都内で保護)、現在も発見されていない(追記:8日、警視庁に出頭し、逮捕)。

世間がこの失踪騒ぎで大騒ぎしているとき、僕は嫌な予感がしていた。

夫に電話で呼び出されて現場に立ち会っていた酒井法子が、捜査官に自らの手荷物の検査を任意で求められたのを拒否した。
という話を聞いていたからだ。これは……ひょっとすると、事件のショックだけではなく、自らが覚せい剤と何らかの関わりを持っていたのではないか?という疑念が、どうしても拭い去れなかったのだ。

そして今日の昼、警視庁は、酒井法子と長男の暮らしていたマンションを捜索し、微量の覚せい剤と吸引器具を発見した、とのことで、酒井法子(本名:高相法子)の逮捕状(覚せい剤取締法違反容疑)を請求し、発付された。僕の嫌な予感は、残念ながら見事に的中してしまったわけだ。

以下の文章は、某女優のご子息が覚せい剤取締法違反で逮捕されたとき (2007年11月21日) に SNS サイトである mixi で公開したものである。昨日の文章と重複する部分が多いが、現在 mixi 内でも簡単に読めない状況なので、ここに再掲しておく。


(original: http://mixi.jp/view_diary.pl?id=630428577&owner_id=546064)

先日、某女優の次男が覚せい剤所持で逮捕された。彼は高校生時代に一度、大学生位の頃(と書くのは彼がまともに大学生していたか判然としないから)、そして今回、と、実に3度目の逮捕ということになる。

覚せい剤の怖さを、まずは社会統計の数字で見てみることにしよう。平成18年度の犯罪白書によると、平成17年度における一般刑法犯検挙人員に占める再犯者の比率は、37.1 % (前年比 1.4 ポイント上昇)である。その中で、覚せい剤に限定して再犯者の比率を出すと……ちょっと古くなるが、平成14年度で 53.1 % (内閣府『薬物乱用防止新五か年戦略』より引用)という数字が発表されている。この数字で見ると、覚せい剤に手を染めた人の半分が、また手を出してしまい、その率は犯罪行為全体の中でも有意に高いということになる。

しかも、この1,2年の各都道府県の警察が発表している再検挙率は、この数字を更に上回っている。数字の多少の差異はあるものの、覚せい剤でつかまった人のうちの約 2/3 が再び覚せい剤に手を出してしまう、というのが、最近の現状なのだ。

では、なぜ覚せい剤でこんなことになってしまうのか。それは脳の神経の仕組みが深く関わっている。

脳の神経は、随所に一種の中継装置のような部分を持っている。これがシナプスというもので、簡単に書くと下のような構造になっている。

  −−−−−−−> >−−−−−−−
「−−−−」の部分が神経、「> >」で書かれた部分がシナプス(化学シナプス)と呼ばれる部分である。左から信号が伝わってくると、左側の>が「神経伝達物質」と呼ばれる物質を分泌する。右の>(受容体)がその分泌を検知すると、検知した伝達物質の量に応じた強さの信号を伝える……ざっくり書くと、まぁこういう仕組みになっている。

神経伝達物質としてよく知られているのは、睡眠などに関係するセロトニン、興奮などに関係するノルアドレナリン、ドーパミンなどがある。最後のドーパミンなどは、この伝達物質の中でも特に「脳内麻薬」という言葉で知られているから、耳にされた方も多いと思う。

このような仕組みに対して、覚せい剤がどのような影響を与えるかというと、覚せい剤を摂取することで、シナプスが過剰な量のドーパミンを分泌してしまう。そうなると、受容体は通常ありえない位の伝達物質にさらされて、通常ありえないほどの強い信号を伝達してしまう。だから、覚せい剤を摂取することで、いわゆる「ぶっとんだ」状態になるわけだ。被投与者は強い興奮と万能感に支配される。しかしそれは所詮は頭の中だけのことであり、実際には極度のそう状態になったり、常動行為(同じことを何度も繰り返す……『天才バカボン』に登場する「レレレのおじさん」というのは、ヒロポン中毒者がモデルだと言われているのだが、まさにあんな感じである)にはまるだけのことである。

そして、覚せい剤が切れてくると、ちょうど大きな音を聴いた後に小さな音が聞こえづらいのと一緒で、通常のドーパミン分泌に対しても、伝達される信号が小さくなってしまう。これはちょうどうつ病の状況に似ていて、先の興奮と万能感から一転して、強い抑うつ感にさいなまれる状態に陥るわけだ。この「天国から地獄にまっさかさま」という精神状態の変容と「覚せい剤さえあれば地獄を脱せる」という経験的認識が、他の麻薬にはない強い精神依存性を生むのである。

天国と地獄の間を覚せい剤で行き来していると、そのうちに、過剰な信号を受け続けたドーパミン受容体の機能が低下してしまう。これは、現在うつ病の原因とみなされている、ドーパミンやセロトニンなどの受容体の機能低下と似た状態である(もっとも、病気で機能が低下するのと、自らクスリでぶっ壊すのとでは大分話が違うわけだが)。だから、某女優の次男の場合も、ドーパミン受容体の機能が低下していて、そのためにうつ病と同じ症状を示していた可能性は高いと思われる。

彼の最大の過ちは、その状態を脱するためにまた覚せい剤を使用したことだ。覚せい剤の使用によって、受容体はどんどん傷ついていき、更なる精神の荒廃につながるのが確実だったわけで……覚せい剤に近寄らない(近寄れない)状態を維持して、覚せい剤使用の後遺症であるうつ状態を、抗うつ剤などで(受容体にこれ以上の負担を与えることなく)改善させるように周囲が認知・援助していれば、こんなことは防げたかもしれないのだが。

僕がなぜこんなことを書くか、というと、覚せい剤というものを知ることによって、そこから身を遠ざける必要性を知ってほしいからだ。覚せい剤の使用者や売人は必ずこう言う:

「このクスリは、ヘロインみたいな肉体的依存性はないから大丈夫だよ」
肉体的依存性が少ない、というのは、たとえば WHO などでも認めている事実である(覚せい剤の評価は(-)、ちなみにヘロインとアルコールはどちらも(+++)である)。しかし、先の精神的依存のメカニズムを考えていただければ、覚せい剤の依存性が強いことは容易に想像できる。先の WHO の評価では、覚せい剤の精神的依存性はカート(主に中東で用いられる植物抽出物)と並んで(+++)である。

そして、クスリの肉体的依存性と、その肉体に与えるダメージとは、決して対応するものではない。上述のような受容体の機能低下は、難治性のうつや統合失調症の原因となる。そして、覚せい剤の作用によって作られた「異常な」神経信号伝達経路が、あるとき突然、クスリを使っていないのに機能してしまうことがある。そう、これが「フラッシュバック」である。

そして、何十年も覚せい剤を使用し続けるとどうなるか……僕は幸いなことに、戦後のヒロポンブームから20年以上覚せい剤を常用していた人の記録映像を見る機会があったが、彼はもはや一桁の足し算すらできなかった。持って生まれた己が脳の神経のネットワークを、彼は覚せい剤でずたずたにしてしまったのだ。

覚せい剤の問題は、現在、極東エリアに限定された話ではない。現在、アメリカでは、風邪薬からエフェドリンを抽出して覚せい剤を密造・密売・使用することが大きな社会問題になっている。あの麻薬大国のアメリカが、現在もっとも手を焼いている薬物……それが覚せい剤なのである。

ま、お約束だが、上の説明を読んだ後ではこの言葉も違って聞こえるだろう。

覚せい剤やめますか、それとも人間やめますか?

しつこいけれど、もう一度書く(少し新しい情報を含めて)。

  • 覚せい剤を使用した人間は、どれだけ悔いていてもその 2/3 がまた同じ過ちを繰り返す。
  • 麻薬大国のアメリカで今最も問題視されているのは覚せい剤である。
  • 覚せい剤の連用は、特にドーパミンに関わる神経細胞を器質的(=物理的)に壊す。
  • 覚せい剤の連用は唾液の分泌を抑制するため、容易く歯周病を患い、歯を失う。
  • 覚せい剤の影響は、神経の器質的変化により使用後も確実に残る。抑うつ状態は再び使用したいという欲求の大きな源となるし、フラッシュバックは本人や周囲の人々の命にも関わる結末に至らしめる。

なぜエクスタシー (MDMA) を使ってはいけないのか

以前の Luminescence でも、度々麻薬や覚せい剤・大麻に関することを書いてきた。これは、僕自身も仕事で毒性のある薬物を使用することが少なからずあったために、そういった毒物・薬物に関する情報を収集する習慣がついているためである。

しかし、一番の理由は、中学生のときに見た記録映画での強烈な記憶なのかもしれない。それは啓蒙目的で作られた古い 16 mm フィルムだったのだが、制約のない時代に制作されたらしきその内容は強烈の一語に尽きた。薬剤の依存性を示す有名な動物実験……サルの静脈に薬剤投与用の針を留置し、サルが室内のレバーを操作すると一定量の薬剤が投与されるようにしておいて、薬剤が投与されるためにレバーを操作しなければならない回数を徐々に多くしていくとどうなるか……などをはじめとした、豊富な動物実験を交えた覚せい剤の薬理作用実験、そして何よりも強烈であったのは、戦後のヒロポンブームから何十年も覚せい剤を使用し続けていた人の、精神病院における記録映像であった。彼らは、一桁の足し算・引き算もできない状態だったのである。

その後、僕は覚せい剤の薬理作用に関して色々調べた。覚せい剤が神経伝達機構においてドパミンを過剰に分泌させる作用を持つこと。その結果として、ドパミン受容体の感度が低下(騒音のために聴覚細胞の感度が下がってしまうのに似ている)し、そのために様々な問題が生じること。そして、一度痛めつけられたドパミン受容体が、覚せい剤の使用をやめた後も回復しない、ということ。これらは、僕がメディアで見聞きしていた:

「覚せい剤は肉体依存性がなく、精神依存性があるだけである」

という言葉から得ていた印象を、根底から覆すものであった。

上記の覚せい剤に関する話はよく見聞きするものであるが、この言葉だけ見聞きすると、「覚せい剤が人間の身体を変容させることがない」という意味だと誤解しがちである。しかし、実際にはそうではない。「肉体依存」というのは、肉体が薬物のある状態に慣れ、薬物摂取を中止したときに「退薬症候」……オピオイド(あへん由来の薬物)の常用に伴う便秘とか、コデインの使用中止時にみられる強烈な下痢、あるいは発熱、身体のこわばり等……を来すことであって、(脳でない)肉体に症状を来たす依存を指しているに過ぎない。

しかし、覚せい剤の使用後に生じるドパミンの欠乏は、常用者に強い抑うつ状態をもたらす。この状態を脱するために「再び覚せい剤を服用すればアップになる」「だから覚せい剤をまた摂取したい」……この渇望(=精神依存)は、常用者にとっては他の何物にも代えがたいものなのである。それを繰り返す結果として、上述のようなメカニズムで、脳の神経伝達機構に対して不可逆的な器質的変化を与える……もっと露骨に書くならば、「神経のメカニズムを壊してしまい、元に戻らない状態にしてしまう」:つまり、肉体的依存性がなくとも、覚せい剤は確実に人の脳を器質的に壊してしまうのである。

さて、何日か前に、某俳優が女性の変死事件に関与していたことが明らかになり、取調べ中の不審な行動から尿検査を行った結果、MDMA を使用していたことが明らかになり、麻薬および向精神薬取締法違反容疑で逮捕される、という騒動があった。今回はこの MDMA に関して、「なぜ MDMA を使ってはいけないのか」を書いていこうと思う。


まず、MDMA(通称「エクスタシー」、正式名称 3,4-メチレンジオキシメタンフェタミン 3,4-methylenedioxymethamphetamine)を知る上で、他の薬剤との構造の類似性をまず見ておこう。MDMA の構造図を Wikipedia から引用する。

次に、メタンフェタミン(いわゆる覚せい剤)の構造図を示す。

エチレン環に酸素を介して CH2 が結合しているところがまず違いとしてお分かりであろう。窒素原子の周辺の構造が一部違うように見えるが、これはいわゆる構造異性体としての違いであって、MDMA の化学的構造はメタンフェタミンのそれに非常に似通っていることが分かる。

また MDMA と構造が近い化合物として MDA(正式名称 3,4-メチレンジオキシアンフェタミン 3,4-Methylenedioxyamphetamine)と MDEA(通称「イブ」、別称 MDE、正式名称 3,4-メチレンジオキシ-N-エチルアンフェタミン 3,4-Methylenedioxy-N-ethylamphetamine)がある。ちなみにMDA の構造図は:

MDEA の構造図は:

である。

これらから分かるとおり、MDMA やその類縁の薬剤が、メタンフェタミンやアンフェタミン(いわゆる覚せい剤)の構造を人工的に改変したものであることが分かる。このような薬剤を化学的に合成するところから、これらの薬剤が「合成麻薬」と呼ばれるのである。


このように「合成麻薬」と呼ばれる MDMA であるが、意外にもその歴史は長い。MDMA は 1912 年、ドイツの大手製薬会社である Merck の化学者Anton Köllischが初めて合成した。Merck はこの薬剤に「食欲抑制効果がある」ということで特許取得をしたものの、実際に製品化することはなく、2つの世界大戦が終わるまで、特に注目されることはなかった。ただし、Merck 社内においては度々 MDMA が研究の俎上にのることがあった。1927年、Merck 社内の研究者は、

  1. 血糖値や平滑筋に対してエフェドリンに似た影響を与える
  2. 上記発現時に、エフェドリンの場合には同時に発現する瞳孔拡張がみられない
ことを確認している。このような社内実験は1952年と1959年にも行われている。

第二次世界大戦後、この薬剤に注目したのがアメリカ軍と CIA(終戦前は OSS という名称であった)である。もともと薬物を利用した精神操作……尋問時の自白誘導、洗脳等……に対して興味を持っていた彼らは、1950年代初頭から MDMA の自白剤への応用と、その際必要となる毒性に関する動物実験を開始した。冷戦下、CIA や軍においては「科学の諜報への応用」が極秘裏かつ活発に試みられており(参考)、薬物利用研究としては、1950年に CIA で Project BLUEBIRD(その後、Project ARTICHOKEProject MK-ULTRAと改名)が立ち上げられている。

米陸軍は、1953年から54年にかけて、MDMA やメスカリンを含む複数種の薬物に関して、その毒性と行動に与える影響を動物実験で検証している。この結果は機密扱いとされ、機密解除され、結果が発表されたのは1973年のことであった。

これは余談だが、ドイツでは重要性を意識せずに扱われていたり、アメリカでは機密扱いされていたりした MDMA に関して、世界で初めて学術論文として研究結果を発表したのは日本人である。
薬理学者である粕谷豊氏(元東京大学薬学部教授、東京大学名誉教授、元星薬科大学長)が1958年に『薬学雑誌』で発表した論文において、鎮痙薬のひとつとして MDMA とその合成に関して記述している。
誤解なきように補足するが、これはあくまで薬としての研究であって、麻薬としての研究ではない……粕谷氏は日本最初の合成鎮痙薬であるアスパミノールの開発者である……が、粕谷氏が毒性学の専門家でもあることは興味深い。

さて、では MDMA はいつから、どうして麻薬 recreational drug として使われるようになったのか。これには、1960年代前半からアメリカで安価な麻薬として普及した MDA の存在が無視できない。MDA はもともと MDMA と似通った性質を持つが、幻覚作用と毒性においてより強いといわれている。ある研究例における LD50 の比較によると、MDA が 92 mg / kg (mice), 150 mg / kg (rats)、MDMA の場合で 106.5 mg / kg (mice), 325 mg / kg (rats) という結果が発表されている。LD50 の値は実験条件等でかなりの相違を示すが、MDA の方がより高い毒性を持つということは間違いなさそうである。MDA は、1970年にアメリカで禁止薬物に指定されている。

MDMA は構造も合成法も MDA にかなり近い。つまり、安価に生産することが可能である。また上述の通り MDA と比較して(大量投与時の)毒性が低く、また幻覚がいわゆる幻覚剤のそれのようなものではなく、多幸感や感覚異常(触覚などが異常に敏感になるなど)というかたちで現れるために、recreational drug としてより好ましいものとして受け入れられたのかもしれない。

そして、MDMA が精神的疾患の治療に有効だという考えが、この頃から現れてくる。きっかけは、1970年代中盤、カリフォルニア大学に在籍していた薬理学者 Alexander "Sasha" Shulgin が、学生から聞いた話であった。その学生は「MDMA の服用で、悩んでいた吃音を解消できた」と Shulgin に話したというのである。

この話に興味を抱いた Shulgin は自ら MDMA を合成し、1976年に自ら使用した。そしてその二年後に、Shulgin は同じ薬理学者である David Nichols(合成麻薬とセロトニンの関連を明らかにしたことで有名)と共著で、MDMA の向精神作用に関する最初の論文を発表した。

Shulgin はその後も多くの被験者に MDMA の投与実験を行ったが、その被験者のひとりであった心理療法士の Leo Zeff が、MDMA を用いた心理療法を欧米各所に「伝道」することになる。Leo Zeff はもともと幻覚剤を用いた心理療法を試みていたのだが、MDMA の効果に強い影響を受け、「治療時の心の壁を低くし、意思疎通を促進する」と主張した。漸増投与によって安全に治療に用いられる、ということで、心理治療目的での MDMA の使用が限定的に認められ、欧米の各所で MDMA を用いた心理治療が行われるようになった。これは現在も治験として行われており、特に PTSD におけるトラウマの軽減・除去に対して効果があるとされている。

しかし、recreational drug としての MDMA も、これに並行して普及した。1980年代初頭、ダラスのクラブシーンを発信地として MDMA(当時は「アダム」と呼ばれていた)の利用が広まり、それはレイヴパーティーなどを経由して広く拡散していくこととなる。1980年代中盤には、アメリカでは MDMA の使用が制限されるようになったが、この後も欧米のレイヴカルチャーを中心として、MDMA は急速に普及していったのである。


さて、MDMA の構造と歴史に関して見てきたわけだが、これだけを見ていると、MDMA はむしろ有益なものであるかのように見える。なぜ、MDMA の使用に問題があるのだろうか。

これに関しては、問題を二つに切り分ける必要がある。

  1. MDMA 自体にどのような問題があるのか
  2. underground で「エクスタシー」という名で出回っている錠剤にどのような問題があるのか。
この二点に関して検証していく必要があるだろう。

まず、MDMA 自体の問題である。MDMA の作用機序に関しては未だ完全には解明されていないが、MDMA の薬理学的見地からの重要な性質として、この分子が細胞膜神経伝達物質輸送体であるセロトニントランスポーターに親和的であることが注目されている。これは、MDMA がセロトニンによる神経伝達機構に対して、情報伝達後のセロトニンの「再取り込み」を阻害する機能があることを示唆するが、MDMA は実際には単にセロトニンの再取り込みを阻害するだけではなく、セロトニンの放出を継続させる……つまりセロトニンの放出量を増やす作用もあると考えられている。

また、MDMA はセロトニンだけでなく、ノルアドレナリンやドパミンによる伝達機構に対しても同様の作用をもたらすと考えられている。つまり、セロトニン・ノルアドレナリン・ドパミン(これらはいずれも精神状態に大きな影響を与える物質である)による神経伝達機構における受容体に対して、過剰な信号を伝えさせる効果があると考えられる。

……と書いても、ピンとこない方が大半だと思うので、もう少し分かりやすく書いてみる。神経伝達機構、というのをごくごく大雑把に書くと、こんな感じである。
----------* >----------
……本当か?と思われそうなのだけど、一応説明を書いておく。"-" が神経細胞、"*" がシナプス前細胞、">" がシナプス後細胞と呼ばれるものである。ここでは情報が左から右に伝わっていくのだが、その際のプロセスを大雑把に書くと、
  1. シナプス前細胞が左からきた電気的刺激を受ける
  2. シナプス前細胞から神経伝達物質が放出される。
  3. シナプス後細胞の受容体が伝達物質を検出し、物質量に応じた電気的刺激を右に伝える
  4. シナプス前細胞が充分な刺激を伝えたところで、神経伝達物質を回収(再取り込み)する
  5. シナプス後細胞の受容体が発する電気的刺激が止まる
各々のシナプスが、受けた電気的刺激に応じてどれだけの伝達物質を放出/検知して、どれだけの電気的刺激を送るのか、というのは、シナプス毎に異なっていて、全体で神経伝達、そして伝達された信号による反応(感情や感覚の変遷から筋肉の制御まで、様々な領域にわたる)がバランスを維持することで、人体(脳を含む)機能が適切に制御されるようになっているわけである。つまり、神経伝達物質の放出・再取り込みというものが、人体のさまざまな機能を制御していると言っても過言ではない。

また、このような神経伝達物質による神経刺激は、体内のホルモン分泌に対しても影響を与える。MDMA の場合、セロトニンによる神経伝達機能に刺激が与えられることによって、間接的にオキシトシンというホルモンの分泌を活性化する、と考えられている。このオキシトシンは、抱擁やオーガズム、分娩のような性行動の際に分泌され、筋肉(特に平滑筋)の収縮を促すことが知られている。また精神面では人同士の結びつきや信頼関係の構築を促進する可能性が指摘されている。

……と、ここまでややこしい話が続いてしまったが、このような仕組みに MDMA の与える影響、そしてそれが人体制御に対して与える影響、という観点から、その問題点を見ていくことにしよう。


さて、上に長々と書いてきたことから、MDMA 服用時にどのような現象が人体に起きるかを考えると……

  • セロトニン・ノルアドレナリン・ドパミンの過剰作用に起因する肉体・精神の変容
  • オキシトシンの分泌促進に起因する平滑筋・精神面の変容
が考えられるわけだ。

まず、神経伝達物質の過剰作用に関してだが、これは非常に分かりやすい例がある。覚せい剤である

覚せい剤はドパミンの過剰放出を引き起こすのだが、これによって、

  • 異常な興奮
  • 万能感に支配される
  • 全身感覚が過度に鋭敏になる
といった状態になる。そして覚せい剤の効果が切れると、
  • 異常な疲労感
  • 強い抑うつ感
  • 他者に誹謗されている、あるいは攻撃される等の妄想
といった症状が出てくる。これから逃れたい一心で、人は覚せい剤のとりこになってしまうのである。

セロトニンの過剰放出の場合は、先のオキシトシンの分泌促進もあいまって、

  • 多幸感
  • 興奮
  • 性的結合への大きな充足感
  • 異常発汗
  • 緊張
などが引き起こされる。ノルアドレナリンの過剰放出の影響も、セロトニンやドパミンの過剰放出の場合と共通するような状態になる。MDMA が俗に sex drug などと呼ばれるのは、このような状態で性交を行うことが、肉体的にも精神的にも強い刺激を得ることになるからである。

しかし、神経伝達物質の放出促進と再取り込みの抑制が相まって起こる、ということは、実は非常に大きなリスクを負うことなのである。そのリスクがどのようなものかを考える際に、非常に分かりやすい例がある。それはうつ病である。

うつ病の原因として、現在最も有力視されているのが、「セロトニン受容体の機能低下」である。先のシナプスのモデルで、前細胞から充分なセロトニンが放出されても、後細胞で充分な電気信号が発せられないために、セロトニン依存の神経系統の伝達が抑制されてしまい、抑うつ感をはじめとする様々な症状が現れる、というものである。

このような症状を改善させるためには、後細胞が充分な電気信号を発せられるような方法を考えればよいわけで、この場合はセロトニンがより強く後細胞に働きかけるような手段があればいい、ということになる。先のシナプスでの信号伝達のプロセス:

  1. シナプス前細胞が左からきた電気的刺激を受ける
  2. シナプス前細胞から神経伝達物質が放出される。
  3. シナプス後細胞の受容体が伝達物質を検出し、物質量に応じた電気的刺激を右に伝える
  4. シナプス前細胞が充分な刺激を伝えたところで、神経伝達物質を回収(再取り込み)する
  5. シナプス後細胞の受容体が発する電気的刺激が止まる
を見る限り、神経伝達物質の放出量を増やすか、神経伝達物質の回収(再取り込み)を抑制するか、のいずれかで、電気的刺激を大きくすることができそうである。

実際、現在用いられている新しい世代の抗うつ薬である SSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)、あるいは SNRI(選択的セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬)は、その名の通り、神経伝達物質の再取り込みを阻害するように作られている。しかし、MDMA の研究過程で見出された複数の「セロトニン放出促進薬」は、抗うつ薬としては使用されていない。それは何故だろうか。

先に僕は、ドパミン受容体の感度が低下することを、騒音のために聴覚細胞の感度が下がってしまうのに似ている、と書いた。セロトニンの場合もこれと同じで、単純に放出を促進してしまっては、耳の調子の悪い人に大音響で語りかけるのと一緒で、受容体の更なる機能低下を招いてしまうのだ。これと比較すると、再取り込みを阻害した場合は、同じ音量で何度も話しかけるのと一緒で、受容体がセロトニンにさらされる時間を長くするだけなので、受容体の機能をいたずらに低下させる心配がない。だから「再取り込み阻害」に絞った薬がうつ病の治療に用いられるのである。

MDMA の場合は、セロトニンの放出を促進しつつ、再取り込みも阻害する。つまり、右翼の街宣車に耳をくっつけて長時間過ごすようなもので、受容体に対しては何一ついいことがない。しかも MDMA の効果が切れたときに現れる症状は……まさに、うつ病のような受容体の感度低下である。しかも、これは耳における難聴の如く、器質的な影響であって、治ることがない。自ら進んで、治らないうつ病になろうとしているようなものなのである。

しかも、セロトニンが過剰に作用すると、「セロトニン症候群」と呼ばれる症状を引き起こす。リンク先に書かれているように、セロトニン症候群の症状は実に深刻なものであって、場合によっては横紋筋融解症や、心停止などの重篤な症状を引き起こし、死に至ることすらある。sex drug でござい、などと、MDMA を過剰服用してエッサカホイサ、などと事に及んだらどうなるか……まぁ、書かなくともご想像はつくであろう。

また、ドパミンやノルアドレナリンの過剰作用による影響に関しては、覚せい剤による精神への影響などを考えてもらえればご想像がつくと思う。


次に、世間で「エクスタシー」として出回っている錠剤についての問題を考えてみよう。

錠剤というのは、そもそも薬効成分に乳糖とかシリカとかタルクなどの混ぜ物をして作るものだ。錠剤である時点で、そもそも 100 % の MDMA ではないわけだが、昔から、密売されている麻薬には、大概の場合増量目的の混ぜ物がされることが多い。

たとえば、昭和50年代頃に出回っていた覚せい剤には、グルタミン酸ナトリウムの結晶(いわゆる化学調味料)が混ぜられていた、という話がある。これも増量目的なわけだが、最近は drug design と称して、錠剤の中に MDMA 以外の薬効成分を混合する例が多い。例えば、MDMA 類縁の薬物である MDA やMEDA(これらは MDMA 合成時の不純物として混入している場合もある)、覚せい剤、カフェイン、向精神薬(抗不安剤成分等)、かつての合法ドラッグ(幻覚・興奮作用がある)、そして麻酔導入剤(プロカイン、ケタミン等)などが混ぜられることが多い。

これらの混合物の多くが、血圧の上昇や頻脈を引き起こすものであることは、問題が大きいといわざるを得ない。上述のセロトニン症候群が発現しているときに、これらの混合物の作用が加わると、特に心臓への負担が大きくなる。

つまり、世間で「エクスタシー」として出回っている錠剤を安易に服用することは、実際には MDMA 単体を服用するのより更に高いリスクを負っている可能性が高いわけだ。もしそのリスクで死ななかったとしても、連用することで確実にセロトニン受容体は弱り、自分で自分を深刻なうつ病へと追い込んでいくことになる。

これは大げさな話だ、と思われてしまうかもしれないけれど、小森榮弁護士のサイト『薬物乱用防止 ドラッグについてきちんと話そう』で公開されている、ドラッグの売人をしながら自らもエクスタシーを使用していた女性の手記などを読むと、まさにセロトニンへの感受性低下、そしてそれに伴う抑うつ状態の発現が読み取れる。

……と、いささか長くなってしまったけれど、MDMA、もしくは世間で「エクスタシー」として出回っている錠剤を安易に服用することは、残りの人生の道行きに、外すことのできない枷をはめているのに等しい行為である。だから、

エクスタシー (MDMA) を使ってはいけない

のである。


【後記】
上記の「エクスタシー」錠剤の中に MDMA 以外の薬効成分を混合する、という話だが、この混合物としてPMA (para-methoxyamphetamine)という物質が用いられている、との情報を入手した。この物質の構造式を以下に示す。

PMA の構造は MDA によく似ているのだが、毒性に関して言うと、この PMA の方がかなりリスクが高い(LD50 で 40–70 mg / kg との実験結果が発表されている)。MDMA の服用で体温が著しく上昇する、との話が世間で流布されているが、実際にはこの PMA (もしくは類縁物質であるPMMA (Paramethoxymethamphetamine)PMEA4-ETA (4-Ethoxyamphetamine)、そして4-MTA (4-Methylthioamphetamine))が体温上昇の原因となっていると考えられる。それにも関わらず PMA が添加されるのは、PMA と MDMA を一緒に服用した場合、MDMA の効果を PMA が補強することと、PMA が MDMA と比較してかなり低いコストで生産可能であり、かつ少量で効果を発揮するためだといわれている。

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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