知らない人は哀しさすら解らない

ニコニコ動画を覗いていると、現在の音楽というものに関して、つくづく考えさせられることがある。ほんの少し、新しさの希望を感じることがあるかもしれないけれど、多くの場合、感じることといえば絶望の方が圧倒的に多い。

たとえば、この間の『俺の妹が……』のときのこと。他の人々がどんなデモを出しているのか、試しにいくつか聴いてみて、結局ほんの3、4本でやめてしまった。かなりの割合で、vocaloid(いわゆる『初音ミク』のような人工発声ソフト)を使っているし、歌を入れている場合でもほとんどが autotune で補正をかけていたからだ。

autotune というのは、いわゆるピッチチェンジャーの登場と共に概念的にはあったようで、ブラックミュージックなどで密かに使われていて、「あれこれヴォコーダーじゃないよね?」などと思ったことがちょこちょこあったのを記憶している。で、そんな風に、もともとはあまりポピュラーなものでなかった autotune が世間で広く認知されるようになったのは、おそらく Cher の "Believe" が最初だろうと思う。

Cher という人は大変にキャリアの長い人である。元旦那の Sonny Bono とのデュオ "Sonny & Cher" でデビューしたのが1964年、しかもそれ以前は Sonny Bono がかの Phil Spector の Gold Star Studios で働いていたのが縁で、あの "Be My Baby" をはじめとする数多くの Phil Spector のプロデュース曲でコーラスをやっていたのだという。歌唱力に関しては何も問題はない。いや、実際うまいんですよ、この人は。本当に。

そんな彼女がシンガーとしてやや低迷していた90年代の終わりに出たこの曲は、実はアメリカに先行してヨーロッパで発売されている。欧州各国でトップチャートを記録してから、アメリカで堂々のトップを獲得しているわけだ。これはこの "Believe" を今聴くと実に真っ当なやり方であることがよく分かる。要するに、ヨーロッパのクラブ寄りの人々を起爆剤と位置づけて、実際見事に火をつけることに成功したのだ。

Cher が autotune を使ったのは、勿論稚拙なヴォーカルを補正するためなどではなく、autotune による「不自然さ」をアクセントにするためだ。日本でも、当初は実際そういう使われ方をしていた、はずだった。それがどうもおかしくなりだしたのは、おそらく中田ヤスタカがプロデュースする Perfume が売れ始めてからだ、と思う。

Perfume における中田ヤスタカの方法論は実は明快で「Perfume の3人のヴォーカルラインをエレクトロニカ的視点で楽器とシームレスに扱うこと」である。要するに、autotune をがっつりかけたあの3人のヴォーカルは、オケの上に乗る歌ではなくて、エレクトロニカ的論法(音楽の構成要素をマテリアル化するような処理を施し、配置する)に則って配置された、オケを構成する音ともはや区別されない要素として扱われているのである。

トータルとしての音楽制作においては、これはまあ一手法としてオッケーなんだろうと思う。しかし、もし Perfume を世間の多くの人々が思っているようなポップアイドルとして捉えようとすると、この方法論は実に大きなパラドクスを生んでしまう:あの3人の女の子は「アイデンティティを主張する」のではなく、「アイデンティティの喪失によるポップなキャラクター化」を以て差別化されているのである。じゃあ、あれがあの3人の女の子である必然性は何処にあるのだろうか?こんなことを書くと Perfume のファンの人達には申し訳ない気がするんだけど、Perfume があの子達である必然性すら、実はとっくの昔に喪失しているのである。

僕も、決して上手い方ではないけれど、一応は自分の曲は自分で歌う。歌う以上は自分が歌うんだから、そこにアイデンティティを主張することすらあれ、それを消すようなことをするわけがない。だから僕は、autotune を使うくらいなら、喉から血が出てでもリテイクを重ねて自分の歌を録音するのである。しかし、どういうわけか、世間ではいまや僕のようなのは少数派である。

個性をコントロールできないなら抑制した方がいい、という、世間の方法論の行く先は、ちょっと考えれば想像がつく。もはや人が歌う必要すらないのである。だから「初音ミク」がこれほどまでに普及したに違いない。mixi などで音楽関連のコミュニティに入っていると、初心者を自称する人のどうしようもない程愚かな質問に嫌気がさすものだけど、実際、彼らのほとんどは「初音ミク」を使っている(使えているかどうかは怪しいところだけれど、少なくとも「持っている」「使おうとしている」のは間違いない)。まあ、世間の現状は、こんな感じなのである。

時々、僕もそういうものを使うことがあるのだろうか?と考えることがある。しかし、どう考えてもそういう気にはなれそうもない。僕が「歌」という言葉で思い浮かべるのは……古いところだったら藤山一郎とか、少年時代から死ぬ程聞いている山下達郎とか、吉田美奈子とか、大滝詠一とか、あまり知らない人が多いかもしれないけれど小坂忠とか、西岡恭蔵とか、いや永ちゃんでもクールスでもシャネルズでも、何でもいい。歌ってそういうものなんじゃないの?僕にとって「歌」ってのは、機械なんかなくったって、風邪ひいてガラガラの声でも絞り出すことがあって、それが自分の何かを表出するのに重い重い意味を持つものなのだ。そうじゃない「歌」なんて、僕には到底考えられない。

ふとこんな言葉を思い出した:「仏作って魂入れず」いや、Perfume の曲に魂がこもってない、とまでは言いませんよ。でも、もしこもっているならば、それはあの3人の女の子の魂じゃないと思うんだよな。だって、あんなフィルタリングされた声にこもる魂がもしあるならば、手法としてのフィルタリングを駆使「している」人のものであって、素材に成り下がった声の主のものじゃないと思うもの。僕のこういう考えって、何かおかしいんでしょうかね?

『夏なんです』に関して

先日録音した『夏なんです』だが、Vo. のオーバーダブはまだ行っていないので、今しばらくお待ちいただきたい。

で、歌録りの前に、あの『夏なんです』をどう録ったのかを書いておくことにしよう。ニコニコ動画の方のコメントは、毎度おなじみ(結構アクセスがあるのだけどコメントは少ない)の状態である。まあそれはそれでいい(むしろあの曲に何千もコメントがついたら、それはそれで異常事態であろう)のだけど、数少ないコメントは概ね好意的なもののようで、正直ちょっとだけほっとしている。

先日も書いたけれど、『夏なんです』は、僕が弾き語りをするときのレパートリーのひとつである。曲的には結婚式などで歌うことはないのだけど、こんな夏の休みに飲み会とかあったときに、もしギターを弾ける環境で飲むとすると、ああいうものを弾き語るわけだ。で、それにはちゃんとした理由がある。

『夏なんです』は、細野晴臣が書いた曲である。細野氏自身が弾いているアコースティックギターを聞いてみると、ベーシストならではのポイントを押さえた演奏がされている。例えばイントロでは、ペダル・ノート(ベースが動かずに上ものの和音構成音が動く)を使ったオンコード(いわゆる分数和音)の進行が使われていて、そこから入るAメロの部分では、今度は逆に上ものが動かずにベースが動くかたちのオンコードが使われている、という具合である。転調する部分でも、ベースノートとメロディに実に気を配った進行で書かれている。こういう曲を演奏するときには、6〜4弦の開放弦をうまく使ったかたちで演奏するように工夫するものだが、『夏なんです』は、実はそういう工夫をすると曲の構造がよく見えてくるようになっている。ベーシスト(もっとも細野氏がベースに専念するようになったのは「エイプリルフール」以降のことらしいのだが)が書いた曲だということが実感できるのである。

そんなこともあって、僕は大学時代あたりからこの曲をレパートリーにしている。しかし、よくよく考えてみると、ちゃんと録音したことがないのだった。他にも、結婚式で何か一芸を……というときに歌う曲とか、酔っ払っていい気分のときに歌う『ピンク・シャドウ』とか、そういう曲がいくつかあるのだけど、どれもこれもちゃんと録音したことがない。よし、では、自分の弾き語りをちゃんと録音してみよう、ということで、まずは(何分暑かったので)この曲を録音したわけである。

僕は今、アコースティックギターを6本持っている。そのうちの2本はガットギター(ジャパニーズヴィンテージのギターで二束三文で売られているものをヤフオクで購入し、現在調整中)、1本は「ギグ・パッカー」(黒澤楽器がちょっと前に出していた、アパラチアン・ダルシマーみたいなかたちのギターで、『なんでか?フラメンコ』の堺すすむ氏が使っている)、1台は12弦ギターで、残りがタカミネの PT-108 とヤマハの FG-152 である。

PT-108 は、エレアコなので今ひとつ鳴りが鈍重というか、良くも悪くもがっちりした感じである。問題なのは、音のピエゾ臭さが結構あることで、正直言って録音にはあまり使いたくない。ということで、ヤマハの FG-152(僕とあまり年齢が変わらない、いわゆるジャパニーズ・ヴィンテージである)で録ることになる。このギターには自分でコンタクト・ピエゾを入れてあるのだけど、出力はあまり高くないのだが、音は結構使える。本当はアコギはマイクを立てたいところなのだけど、今回はこのコンタクト・ピエゾだけで録音することにした。

録音してみると、やや低音域が弱いのと、3 kHz 辺りにピークがある(これはコンタクト・ピエゾの特性である)のが気になるので、パラEQで補正をかける……と、おお、なんだ、このまま全然問題なさそうじゃないの。ドレッドノートのアコギでガッツリ弾いた音よりはややナローレンジだけど、このまま録音することにして、3テイク位録ってみる。勿論、メトロノームだけを鳴らしておいて、「せーの」で録り始めて、一気に最後を弾き切るまで録り続け……を3回位行ったわけだ。ミスタッチが気にならないものが録れた時点でオッケーとする。

これにオーバーダブして、はっぴいえんどのテイクと同じようなアレンジにすることも考えたが、せっかく弾き語り用にアレンジしてあるのだから、と、低音とリズムの補強のために、ベースを小さめにオーバーダブするに留めた。ベースは、これも2、3回通しで録ってオッケーである。

歌うのには時間が遅くなってしまったために、とりあえずはギターでメロディラインを入れることにする。これは少しコンプをかけて、オベーションとかを弾いているときに似た状態(オベーションの場合は、おそらくギターのプリアンプが飽和してあんな感じになるのだと思うけど)を作ってやる。これは一発録り……へろへろなのはご愛嬌ということにする。

ミックスはオールドスタイルで、3つの楽器を全て中央定位として、深めのプレートエコーで立体感を出してやる。普通にこういうエコーをかけるとわんわん言ってどうしようもない状態になるのだが、そこはとある手法でそうならないようにしてある(どうやるかは秘密)。で、、入道雲の写真をつけて動画にして、ニコニコ動画で公開……と、こういう流れであれは出来上がったわけである。

朝、目が覚めると

テレビが映らなくなっていた。昨日の話である。

土曜の深夜、タモリ倶楽部(レコーディングエンジニアとしてあまりに有名なかの内沼映二氏が出演して、ミックスダウンに関する短いが非常に実践的な話を聞くことができた)を観ていたときには何ともなかったのだが、朝起きると、どのチャンネルもアウトである。うーん……

うちの機材のトラブルを疑ったが、結局どれもシロだった。ということはアンテナか……昼近くに、屋根に登る音が聞こえたので、あーやっぱりアンテナだったか、と得心したのだが、しかしやはり根本的に納得できない。なぜって、今住んでいる集合住宅の大家は電気屋なのだ。おそらくは連日の猛暑で、屋根か何処かの金属部が膨張したのか、樹脂の部分が劣化したのか、いずれにしても、アンテナの施工がちゃんとしていたら、こんなことが起こるはずがないのだ。日曜の未明に突風が吹いていたわけでもないというのに。

僕はアマチュア無線をやっていたから、無線のアンテナ施工は当然だけど自分でやっていた。アマチュアは助け合いで成立しているので、前の職場の上司が別荘に建てたタワーの上で、命綱をつけて施工したりしたこともある。それに比べたら、テレビアンテナの施工なんてかわいいもので、ちゃんとステーを張っていさえすればそんな変なことは起こらないはずなのだ。しかし、高いところから世間の屋根のアンテナを見てみると、ステーを張る上での定石(ステーを別のステーで引っ張っても意味がない、とか、ステーはできるだけ2箇所でとるべきだとか)を守っているアンテナは、見つけることが難しい程に少ない。

集合住宅だと自分で施工できないから、こんなことになるわけだ。あー嫌だ嫌だ。今やテレビもライフラインのひとつなのにさ。

で、昨日2時間ほどごそごそやっていた業者は、うちのポストに「今日中の復旧が不可能と判断したので後日対処します」という紙を放り込んで行っただけ。今朝もテレビは映らないままだった。

【後記】アンテナはその後復旧したのだが、外から見ると、飴のようにぐんにゃり曲がったマストをそのまま使っている……よくあんな仕事しててプロだとか言えるよなあ。

『愛のテーマ』 ("Love's Theme" by Barry White's Love Unlimited Orchestra, 1973)

昔あれだけ聴いた曲なのに、誰の何というタイトルなのかが分からない……ということはちょくちょくあるものだ。僕も何度かその悩みに動かされて音源を探してきた。

最近は便利な時代になったもので、メロディを符号化して類似性を検討するタイプの「メロディ検索エンジン」なるものがいくつか公開されている。それらの中で僕が使うことがあるのはMusipediaなのだが、今日は昨日に引き続き、暑い夏を少しでも過ごしやすくするための(以前、最初にこの Musipedia を使ってみたときにタイトルを特定できた)曲を下に引用する。

この曲は、キャセイパシフィック航空がイメージソングとして使っていたために、子供の頃から日常的に耳にしていたのだが、今ちょっと調べていてびっくりしたことがある。

皆さんは、このようなインストゥルメンタルのダンスチューンというと、おそらく Van McCoy & the Soul City Symphony の "The Hustle" を連想されるのではないかと思う。

この "The Hustle" がビルボードでトップチャートを記録したのは1975年の夏のことである。しかし先の "Love's Theme" は、実はその前年、1974年の初頭にビルボードでトップになっているのだった。ちなみにインストゥルメンタルの曲がビルボードでトップを取る、というのはかなり珍しいことらしい。

そうだよなあ……実際、こういう曲が僕の音楽的原体験なんだろうと思う。テレビやラジオが歌謡曲漬けになっていたとはいえ、探せばまだ The Beatles のアニメとか、今回引用したような曲とか、ふつーに聴くことができたし、実際探して聴いていたわけだし。その体験は、勿論今の僕の嗜好にも色濃く反映されているんだろうと思う。

『夏なんです』

僕がなぜニコニコ動画で音楽公開をしているのか、というと、まさに今回のようなケースのためである。つまり、誰かの曲をカバーしたいときのため、なのだけど、おそらく理由をここで説明しなければならないだろう。

ニコニコ動画では、他人の著作物を用いて二次的に何かを作って、公開するユーザが多い。だから著作権の問題が以前から指摘されていた。かつて、ニコニコ動画では、YouTube 経由で動画を配信することで、運営会社であるニワンゴが著作権問題をかぶることを回避していたことがあったのだけど、これのせいで YouTube のサーバのトラフィックが異常に増えたために、ニコニコ動画は YouTube から締め出しを食ってしまったのだった。

自前で何とかしなければならなくなったニワンゴは、最終兵器とも言える措置を下した……もし、ニコニコ動画上のコンテンツが他者の著作権(ただし原版著作権ではなく、楽曲著作権の方だけだが)に関わるものである場合、ニコニコ動画がそのコンテンツの著作権に関する問題を処理してくれるのである。これを足がかりにして、ニコニコ動画は有料コンテンツを含む著作権の絡んだ動画・ファイル配信を本格的にビジネスにすることができたわけだけど、これは僕のような零細ミュージシャンがカヴァーをするときに非常に有り難い仕組みである。

というわけで、夏の暑さに耐えかねた僕が、こんな風に『夏なんです」をカヴァーしても、ニコニコ動画で公開すれば、著作権絡みの問題もなく、とにかく便利なのである……

しがらみのない強さなのか

池上彰氏は、NHK の『週刊こどもニュース』に出ていた頃にその存在を初めて意識した。思い返してみると、新宿西口バス放火事件や、日航機墜落事故のときに、ブラウン管(そう、当時はまだブラウン管だった)でお目にかかっていたはずなのだが、子供相手でも手抜きしないその解説に感心させられたのを鮮明に覚えている。

NHK の一番の失敗は、彼を解説委員室付にしなかったことだろうと思う。2005年に NHK を辞職してから、フリージャーナリストとして活動してきた池上氏は、この1、2年で大きくブレイクした。NHK 専属でニュースを解説してもらえるなら、こんな安い投資はなかったと思うのだが……まあ、とにかく、現在の池上氏はフリーの「ニュース解説人」とでも言うべきスタンスである。

先日、宮崎の口蹄疫問題を解説していたとき、池上氏は大きなミスを犯した。ブランド牛の産地で宮崎産の仔牛を肥育しているところを挙げるときに、神戸牛と但馬牛をその中に入れてしまったのだ(神戸牛と但馬牛は、同じ兵庫県の三田産の仔牛を中心として、専ら県内産の仔牛を肥育する)。これに関してリンク先のサイトではかなりきつい記事を書いているけれど、まあこれは難しいところだろう。僕は関西に10数年住んでいたから知っていたけれど……これに関しては、次の週の同じ番組で訂正とお詫びを入れていたが、これで池上氏は評価を下げてしまうのか、と、僕は密かに心配していたのだ。

しかし、だ。池上氏はやってくれた。先日の参院選の選挙速報番組で、他のどのメディアも斬り込まない部分に見事に斬り込んでくれたのだ。以下に動画サイトで公開されている該当部分を示す:

上リンク先の動画で、特に注目していただきたいのは3箇所である。まず、0:52〜の、谷亮子候補へのインタビューをご覧いただきたいが、このインタビューで池上氏は、

「……ということはつまり、国会の開会と柔道の大会がもし重なるようなことがあれば、これは国会を優先するということですか?」

と(おそらく皆が一番谷氏にぶつけたいと思っているであろうことを)質問し、

「当然そうです、はい!」

という回答を引き出しているのだ。これで谷氏はもう逃げが利かなくなった。高揚しているときにこの質問をあえて、それも民主党と小沢元幹事長が鳴り物入りで擁立した「最強のタレント候補」にぶつける、というのは、おそらく他のメディアでは腰が引けて無理であったろう。

次に注目していただきたいのは、4:26〜の蓮舫候補へのインタビューである。このインタビューでは、

「……『一番じゃなきゃダメなんですか?』という、あの発言が、結局、自民党が『一番じゃなきゃダメなんです』『一番、一番!』という、自民党のスローガンの『一番』に取られてしまいましたねえ」

と(おそらく皆が一番蓮舫氏にぶつけたいと思っているであろうことを)質問し、

「……あの、他党のことはよくわかりません」

という回答を引き出しているのだ。実は、蓮舫氏はよくこのような回答をする……これは、自分にとって都合の悪い質問をされたときの彼女の常套句なのだ。選挙戦が迫った6月17日、蓮舫氏はあの有名な「一番じゃなきゃダメなんですか?」などなかったかのような顔で、しれっとこんなコメントをしている:

「科学技術の分野でもほかの分野でも(日本が世界で)1番を目指すのは当然だと思っている」
(2010年6月17日20時01分付 YOMIURI ONLINE)

自分の言った言葉には、最後まで責任を果たさなければならないのが、政治家として当然求められるべき態度である。それをいい加減にし続けていることを、この池上氏の質問とその回答、そしてそのときの蓮舫氏の振る舞いは実に鮮やかに露呈してくれた。

とどめは、4:45〜の、公明党の山口代表にぶつけた、この質問である。

「……これはあの、特に、公明党の支持団体の創価学会がですねえ、管さんや、あるいは仙石官房長官のことを、大変に嫌っているから、えー、だから民主党と組むことは有り得ない、と、こう言う人もいますが、その点どうですか?」

……いやあ、ここまで斬り込む場面を、今のテレビで目にすることができるとは思わなかった。いつぞやの桂ざこば氏を超える快挙である。山口代表は、

「そういうことは全くないと思います。支持団体と、我々政党は、政教分離で、別な考え方で対応いたしますので。我々は政治サイドとして、こういう、今申し上げたような考えを持っている、ということであります」

と回答しているが、このときスタジオが一瞬静まりかえったように聞こえるのは、僕の気のせいだろうか。もっとも、この山口代表の態度は、先の蓮舫氏のそれなどとは比較にならない程にきっちりしたものだったけれど。そう、政治家の発言というのは本来こうあるべきものなのだ(まあ、公明党が優等生回答をした、と言う向きもあるだろうけれどね)。

ひょっとしたら、池上氏が TXN(テレビ東京系列……新聞社でいうと日経の系列である)で番組出演をしたのは、こういう鋭い切り口を示したかったからなのかもしれない。僕も、少しは期待していたけれど、ここまで池上氏が鋭く斬り込むとは思っていなかった。ジャーナリストの矜持を示した、というところなのだろうか。

「ねじれ」る前の「歪み」

「やまと新聞社」という団体が存在する。もともと『やまと新聞』というのは明治19年に創立された新聞で、今でいうスポーツ新聞のような存在(戦前はそのような新聞を「小新聞」と称していたらしい)だったのだが、昭和15年、この会社を買収したのが、かのロッキード事件で有名になった児玉誉士夫である。児玉は戦後にこの『やまと新聞』を『新夕刊』と改名して売り出すが、程なくして児玉は戦犯として収監され、『新夕刊』は何回ものオーナー交代を経ながら、その名称を:

『新夕刊』→『日本夕刊新聞』→『新夕刊』→『国民タイムズ』→『東京スポーツ』
と変えていった。そう、『やまと新聞』は、現在のあの『東スポ』のルーツなのである。

ところが、現在も「やまと新聞社」を名乗っている組織が存在する。幹事会社を名乗っているのだが、その背景はどうもはっきりしない。ただ言えるのは、この「やまと新聞社」が国会議員にタブロイド版の『やまと新聞』を配布していること、そして web においても『やまと新聞』を運営していること、そしてそれらの内容がかなり右傾したものであるということである。

U の知人が、今回の参院選に出馬していた蓮舫に関して、選挙違反があったのではないか、という噂を聴いた、というので、早速ググってみたところが、この『やまと新聞』の記事に行き着いた。読んでみると……なるほど。これは左右の別なく問題かもしれないな。

蓮舫に関して『やまと新聞』が主張していることは実にシンプルだ。蓮舫の選挙運動が、公職選挙法第146条に抵触しているのではないか、というのである。該当条文を以下に引用する:

(文書図画の頒布又は掲示につき禁止を免れる行為の制限)
第百四十六条  何人も、選挙運動の期間中は、著述、演芸等の広告その他いかなる名義をもつてするを問わず、第百四十二条又は第百四十三条の禁止を免れる行為として、公職の候補者の氏名若しくはシンボル・マーク、政党その他の政治団体の名称又は公職の候補者を推薦し、支持し若しくは反対する者の名を表示する文書図画を頒布し又は掲示することができない。

この問題に関する記事は以下の URL で読むことができる:

http://www.yamatopress.com/c/1/1/2718/

要するに、蓮舫陣営は、選挙運動時に揃いの赤のシャツを着ていたのだが、このシャツには、事業仕分けの際の蓮舫のシルエットがプリントされ、その下に「SHIWAKE 2010」とロゴが入っているのだ。なるほど、これは確かに上の条文に抵触すると言われても仕方がない。しかもこの記者はちゃんと東京都の選管に確認を取り、

「公職選挙法第146条によりスタッフが同色のシャツを着ることだけでも違反になります。選挙期間中に候補者の氏名を連想させるものは全て禁止されています。シャツに名前やキャッチフレーズなどは認められるはずがありません」

というコメントまでもらっている、というのである。

そしてこの話はそれだけに留まらない。今回比例で立候補した有田芳生氏の選挙陣営でも、同一の行為が行われていた、というのである。この問題に関する記事は以下の URL で読むことができる:

http://www.yamatopress.com/c/1/1/2722/

この記事において、記者は有田氏の陣営と、自民党から出馬した安井じゅんいちろう候補、そして社民党から出馬した保坂のぶと候補の陣営を比較している。記者は東京都の選管から、

「スタッフと一般の方とを識別する目的で色をそろえる程度はよいとされています。選挙運動用にそろえて作ったもの、候補者や候補者を連想させるようなものは違反となります」

とのコメントを得ている(さっきと話が違ってるなあ……まあでも原理主義的解釈と、運用における解釈ということならこういうコメントになることがないとも限らないかな)が、安井候補と保坂候補の陣営では無地のシャツで色を揃えるに留めている。これに対して有田候補の陣営では揃いのキャッチフレーズの入ったシャツを着ている。キャッチフレーズというのは、先の「原理主義的」な東京都選挙管理委員会の見解から見るとアウト、ということになるはずだが、公職選挙法違反にならないのか、と質問した記者に有田陣営と有田候補本人がかなりぞんざいな応対をしているのを動画に記録されてしまっている。あーあ。底が浅いのが見えちゃいましたね、有田さん。

まあ、いずれにしても、蓮舫陣営の揃いのシャツに入っていた蓮舫議員のシルエットと「SHIWAKE 2010」のロゴ、これは:

何人も、選挙運動の期間中は、著述、演芸等の広告その他いかなる名義をもつてするを問わず、第百四十二条又は第百四十三条の禁止を免れる行為として、公職の候補者の氏名若しくはシンボル・マーク、政党その他の政治団体の名称又は公職の候補者を推薦し、支持し若しくは反対する者の名を表示する文書図画を頒布し又は掲示することができない。
にバッチリ該当するのは自明であろう。蓮舫さん、これはどう説明するんですかね?

『きっと言える』に関して

昨日公開した『きっと言える』に関して。

『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』に関しては、前に書いたけれど、特に思い入れがあるわけではない。というか、ライトノベルというものに関してそもそも懐疑的なので(さも新しいものみたいに言われるけどさ、「集英社コバルト文庫」みたいな土俵はそれこそ30年位前から存在してるわけだし)、その周辺で狂喜乱舞する人々を見ていても、正直、気味が悪い。

というわけで、自分のための楽曲制作に集中しようと思っていたのだけど、まああと1曲位応募しておいてもいいだろう、と、考えを変えたのだった。『すこしあるこう』は、80年代の歌謡曲みたいな曲調で書いたわけだけど、普段僕が演らない作風……渋谷系の流れ……で1曲書こう、と思った理由は、実はカジヒデキである。

僕はつい最近まで知らなかったのだけど、漫画の『デトロイト・メタル・シティ』が映画化されたときに、主人公の根岸崇一――気弱な青年で、ポップでオシャレな曲を歌うべくレコード会社と契約したのに、なぜかメタルバンド「デトロイト・メタル・シティ」の Vo. & Gt. "ヨハネ・クラウザーII世" として売りだされてしまう――が歌っている「ポップでオシャレな曲」として、カジヒデキが『甘い恋人』を提供していたのだった。


カジヒデキという人は、もともとロリポップ・ソニックというバンドに強い影響を受けて世に出た人である。ロリポップ・ソニックというのは後のフリッパーズ・ギターだけど、このロリポップ・ソニック自体がレッドカーテンというバンドの影響を強く受けている……レッドカーテンというのは、後のオリジナル・ラブである……。まあそんな出自で、ある意味今では最も「渋谷系」の色を濃く残しているのがカジヒデキだ、と言っていいと思う。

前に何度か書いたことがあるかもしれないけれど、僕は渋谷系というのが大嫌いである。オリジナル・ラブは例外的によく聴くのだけど、剽窃とヘタウマで理論武装した「渋谷系」というのは大嫌いである。高校時代に同世代の誰も知らないはっぴいえんどとか The Beach Boys を愛好していて、大学に入った途端に渋谷系ブームがやってきて、曽我部恵一のサニー・デイ・サービスのファンに生煮えなはっぴいえんど論を語られたり、フリッパーズ・ギター愛好者に Pet Sounds を語られたりしたときの不快感が、今でもフラッシュバックするのだ。聴く方までヘタウマで、おまけに消費することを以て自己主張するんだからたちが悪いったらない話で、だから僕は渋谷系が大嫌いなのだ。

だから、フリッパーズ・ギターや、件のカジヒデキみたいな作風を、今まで僕は意図的に避けてきたのだが、じゃあもし僕がそういう方法論で曲を作ったらどうなるだろう……という発想で書いたのが、この『きっと言える』である。

本当は、この手のギターポップというのは、もっともっとギターを重ねて作るものなのだけど、今回は自分のための曲ではないので、オーソドックスなギター2本のアレンジでいくことにした。ドラムは(僕は普段は「人間の叩けないフレーズ」を避けるのだけど)普段自分では絶対に使わないパターンを使い、なおかつループのように同じパターンを使い倒した。ベースは、本当なら自分の手弾きにするところなのだけど、メインで使っているジャズベの調子が最近悪いので、今回はシンセベースで組んだ。エレピっぽく聞こえている鍵盤は、実はアナログシンセで組んだ分厚いパッドである。

「おしゃれ」なアレンジ、というとフルートに走ってしまうのは、どうも即物的な気がするのだけど、今回は王道の「フルート + Glockenspiel(いわゆる鉄琴である)」でいくことにした。サンプリングされたフルートをそれっぽく聞けるようにするには、奏法的にはグリスをうまく使うこと、録音ではディレイをうまくつかうことが定石(最近は音楽作ってる人でこんなことも知らない人が実に多いらしい……昔の音楽をもっと聞いていればすぐ分かることなのだけど)なのだけど、今回僕がどうやったか、は秘密である(そんなに簡単にノウハウ公開するわけがない)。

ギターはとにかく簡単に録っている。左のギターはストラトを BOSS OD-1 に通して録ったもの、右はテレキャスを BOSS CE-3 に通して録ったものである。ギターポップ的には、更に2、3本、アコギも含めてオーバーダブするところなのだけど、今回はデモなので、そこまではしていない。ソロのギター(これも BOSS OD-1 を通したストラトである)をオーバーダブした位であろうか。

トラックダウンに関しては、唯一渋谷系っぽくない感じにしてある。このミックスは、前回の『すこしあるこう』と同じく、プレートエコーをかなり厚くかけて、深い音像になるようにしてある。

オケができて、メロディーも作って……さて、問題になるのは詞である。アニメソングの詞を真似ても仕方ないし、カジヒデキの詞を真似る気にもなれない。アニメを観る年齢層に合わせる、と言ってもなあ……などとうだうだやっていると、何時まで経っても書けないので、とりあえず書き始めたのだけれど、そもそも自分のために書いていない曲に詞を書くのは非常に苦痛である。こういうときの詞は大抵暗い世界になるものなのだが……案の定、暗い世界になってしまった。困ったなあ。しかもこの曲、女性が歌うようにキーを設定してあるので、詞とキーとが相俟って歌いづらいことこの上ない。なんだか、要らぬ苦痛を味わってしまったのだった。

まあ、そんな感じで書いた曲ではあるが、現時点でたったひとつついているコメントが「おしゃれ」というもの。うーむ。そうなのかなあ。どうなんでしょうね。

きっと言える

(投稿コメント)

二作目です。いきなりですがすみません。普段の自分の作風と全く違うので曲は書けても詞が書けず(って書きましたけど)、しかもキーが合ってない(もっと上かもっと下だといいんですが)ので歌が生煮えなことこの上ないですorz。どなたか曲調に合った詞なんか書いていただけませんか?

ノッテケノッテケ

最近、ホンダの CM で、波にのせてクルマの絵を出してきて、マスコットキャラクターが1車種出てくるたびに「のってけのってけ」と言う……というのが流れているのだけど、

「うーん、これ見て分かる人って今はどれくらいいるんだろうか」

などと要らぬ心配をしてしまう。

昔、いわゆるサーフィン&ホットロッドブームというのがあった。もともとは instrumental のバンドがその主流を占めていたのだが、Jan & Dean などが先駆けとなって、やがてはあの The Beach Boys などが登場する、アメリカ西海岸の一大音楽ブームである。しかしながら、このブームの中で登場した数々のバンドは、実はアメリカでは言うほど「売れて」はいない。The Beach Boys なんかは例外中の例外で、あの "Misirlou"(The Beach Boys はデビューアルバムの ”Surfin' USA" でこの曲をカヴァーしている)で有名な Dick Dale も(いや、彼は Capitol と契約してたんだからまだ売れてる方なんだけど)全米規模でいうとそれほどの大ヒットに恵まれたわけではない。彼の "Let's Go Trippin'"(これも The Beach Boys が頻繁にカヴァーしていた曲である)が全米チャートでは60位というから、やはり西海岸の局地的ブームというべきなのだと思う。

さて、そんなアメリカ西海岸シーンの中、1963年に結成された The Astronauts というグループがあった。アメリカでは実はあまり成功していないバンドなのだけど、日本では(どういうわけか)かなりの人気があった、らしい。もちろん日本のエレキブームがその背景にあったわけだけど、先の Dick Dale が確立した「スプリング・リバーブを深くかけたリードギター」を、これでもか、とばかりに前面に押し出したサウンドが、おそらくは日本での人気の理由なのだろうと思う。

大分前置きが長くなってしまったが、その The Astronauts の "Movin'"(邦題『太陽の彼方に』)という曲をご一聴いただきたい:

この曲が、日本のエレキブームに乗っかって(アメリカではヒットチャートにも乗っていないのに)局地的なヒットになった。この時代、アメリカのヒット曲は日本人がカヴァーして人に知られるようになる、というパターンが多かったわけだけど、この曲もその例外ではない。1964年に寺内タケシとブルージーンズ(『エレキの若大将』でご存知の方もおられるかもしれない)の演奏、タカオ・カンベ(この人は東映の大部屋俳優だったらしいが、この時代の欧米の楽曲の訳詞……といっても漣健児と同じで超訳だけど……を数多く残している)の詞、そして藤本好一の唄でカヴァーされている。

これが、先の「のってけのってけ」のルーツである。この8年後にゴールデンハーフ(全員ハーフ……本当は一人日本人が混じっていたんだけど……のガールグループで、スリー・キャッツの『黄色いサクランボ』のカヴァーで有名)もこの曲を再カヴァーしているのだが、こちらの方でご存知の方もおられるかもしれない(今回聴き返して、ファズ・ギターの音がいいのでちょっとびっくり)。

いずれにしても、僕より下の世代でこの辺の曲のことを知っている人なんて、果たしてどのくらい存在するのか疑問だし、知らない人もきっと何の疑問も持たずに聞き流しているんだろうなあ……などと思うと、ちょっと哀しくなってしまう。引っかかったら、まあ「ググれカス」とまでは言わないけど、ちょっとは調べてみましょうよ。ちょっとだけ豊かになれるんだから。

消費税のカラクリ

前回の blog にも書いたけれど、参院選の争点として消費税問題が注目されている。しかしながら、その内実に関して正面から論じられることが、残念ながらほとんどないように感じる。

そもそも、消費税をなぜ上げなければならないのか、ということを考えてみよう。民主党は「日本がギリシャのようになる」と主張している。そうならないために、税率引き上げが必要なのだ、と。しかし、ここにそもそもの嘘があることを、果たしてどれだけの人が分かっているのだろうか。ギリシャの債務というのは、いわゆる国外を相手にした債務が多かったわけだけど、日本の債務、すなわち国債による債務高というのは、これはそのほとんどが国内の債務である。だから、万が一、日本の格付けが下がったとしても、日本の債務が経済破綻に直結することはない、と言っていいだろう。

もちろん、たとえ国内債務であっても、あの莫大な債務額は問題なのは事実である。しかし、そもそも、消費税の税率を上げることでこの債務を減らすことができるのだろうか。国債による債務は1000兆に迫らんとする額である(もし地方債を含めたら、もう1000兆を超えているかもしれない)。対して、消費税率を 10 % にして得られる税収増はたかだか数兆である。こういうのを形容する日本語としてよく知られている言葉を探すと……そうそう、これですよ:「焼け石に水」。要するに国の経済的構造の改革なしには、こんな額の債務を小手先で返せるはずがないのだ。

よく消費税問題で言われるのが「ヨーロッパは税率がもっと高いじゃないか」というフレーズである。確かに消費税率だけ見たら、欧米は日本の倍近くの税率である。しかしここには、実は二つの嘘が内在しているのである。

ひとつは、消費税が「愚かな間接税」であるということ。欧米は数種類の課税対象を定めて、生活への必要度に応じて各々の対象の税率を変えている。水や食料品、医薬品、出版物などに関しては、たとえばイギリスは「無税」だし、他の欧州の国でも極めて低い税率(おおむね数 % 以下)に抑えられている。つまり、ぜいたく品を買うときに高い税を負うように税率が設定されているわけである。これと比較して、日本の消費税は一率同一課税率だし、項目別課税という話がそもそも民主党などから一言も出ていない。このまま税率を上げれば、欧米と比較して明らかに「貧乏人に過酷な」税制となることは自明の理である。

もうひとつの嘘は、消費税の税制全体における割合が適正なのか、ということである。これを簡単に検証するには、税収全体に対する消費税収入の割合を見ればいいのだが、日本の租税・印紙税収入に対する消費税の割合はおおむね 23 % であり、この値はスウェーデンとほぼ等しい。誤解なきよう強調しておくが、これは現状、つまり消費税 5 % のレベルでの値である。要するに、日本は消費税以外の税率を低く抑えようとするあまりに、このような歪んだ税制になってしまっているわけだ。

いや、所得税を上げたら高額所得者の海外流出を、法人税を上げたら企業の海外流出を招くだけでしょう、としたり顔でおっしゃる向きがありそうだけど、じゃあ経団連に加盟している企業が本社機能を海外に移転することがあり得るだろうか?ヨーロッパにおけるモナコのような、地続きで言語の問題なく所得税率が低い国が存在しないこの日本で、金持ちが皆どこかに移住するような事態が発生するだろうか?まあ企業の方は必ずしも確率ゼロとは言えないかもしれないけれど、それにしても、この「したり顔な人々の主張」が、あまりに automatic に受容されてしまうのはいかがなものかと思う。日本は、消費税以外の税収をもっと模索しなければならないのだ。これは実は欧米でも行われている(新聞に課税するとか、ポルノに課税するとか、このご時世にあえてガソリン車に乗る人々に課税するとかね)。

要するに、何が言いたいかというと、消費税率アップは中長期的には必要かもしれないけれど、それ以前の議論……国の債務をいかにして減らすか、とか、税収内訳構造の健全化とか……が何もまともになされないこの状況で、唯々諾々と消費税率だけ上げるのに首肯して本当にいいんですか?ということである。もう少し、裏のカラクリというものを考えなきゃだめなんじゃないの?

参院選投票に行ってきた

本当は昨夜に行くつもりだったのだけど、ひどい雨だったので、今日の昼前に、参院選の期日前投票に行ってきた。

今回の選挙のポイントを以下にまとめておく。これは僕がどこに投票するかを考える過程でまとめたものなので、あくまで参考資料として皆さんのお役に立てば幸いである。

まず、宗教的問題から、僕は公明党と幸福実現党を除外した。しかし、参院選においていつも思うのは、公明党が、実は福祉と医療に関しては、結構な数の「まともな」法案を通してきた実績を持っているということである。創価学会のタレントによるあの醜い応援演説には、相変わらず反吐が出る思いがするけれど、民主党があの体たらくでは、公明党の清い一面が余計に光って見えて、どうにも困るのである。

民主党に関しては、もう皆さん忘れているのかもしれないが、普天間問題に関しての最終見解が未だに出ていない、という事実を思い出さなくてはならない。もちろん、僕は普天間を国外・県外に移設すべきだと軽々に言うつもりはない。問題なのは、この問題が、民主党政権成立後、可及的速やかに着手しなければならない案件だったにも関わらず、真っ当なことを何一つ進めず、5月からのひと月であれだけ迷走した挙句、鳩山元首相は自分のポストと一緒に責任を放り出したのである。これは政治家鳩山由紀夫一人の問題ではない。これは民主党という政権与党に問われるべき問題なのだ。

あと、今回何人かの候補が公約として掲げている「子宮頸がんワクチンの公費投与」という話であるが、これはそもそも、先の衆院選における民主党のマニフェストに書かれていた公約である。民主党は、この件に関してまともな施策を何一つしていない……公費投与が実現している地方自治体では、自治体レベルで費用を負っているのだ。仁科亜季子氏が小沢元幹事長に面会してこの件を陳情したとき、小沢はその場で周囲の部下に指示をした、と報じられたけれど、そもそも仁科氏に「マニフェストの実現が進捗はかばかしくなく申し訳ない」と謝るべきだったのではないか。女性諸氏は、この問題に関してもっともっと怒るべきなのだ。

そして消費税問題。遊説先を移るほどに、口にする還付対象者年収が上がっていく、というおマヌケな醜態を演じた管首相であったが、そもそも消費税増税を口にするにもタイミングというものがある。まず、景気対策を可能な限り行い、それでも財源確保ができないとなったときに、「増税分の収入は債務補填に決して回さず、特に短期の景気対策に集中してあてる」という公約をなした後に、はじめて増税を口にしなければならないのである。この確約なしには、いくら増税したって景気はよくならない。景気がよくならないと、中長期での債務減には至らないのだ。

ではなぜ、管首相らは消費税増税に言及したのか?ひとつは、よく知られているおマヌケな理由……自民党がマニフェストに明記したから、というものだろう。しかし、これだけが理由ではない。財務省主計局サイドとしては、実は消費税は 20 % にしたいという思いがある。欧米諸国と同じレベルにしようということだけど、今回の民主党の「消費税 10 % を超党派で協議したい」というコメントの後ろには、10 % は 20 % への布石だ、という考えがあるのだろう。しかし、こういう政治展望みたいなものは、党なり政治家なりのフィロソフィーが反映されるべきもので、こういう automatic な話になってもらっては困るのである。何が困るって、このことは、彼らにフィロソフィーがない、ということを露呈させているわけであって、フィロソフィーのない者が政治家であっては困るのである。

まあこういうわけで、僕は、公明党でも幸福実現党でも、そして民主党でもない候補・比例に投票してきたわけだ。それがどこなのかはないしょにさせてもらうけれど。

Golden Lady

僕はここに今まで Stevie Wonder の話を書いたことがないんじゃないか、と思う。というのも、あそこまで楽曲と歌の独自性が強い人の音楽に浸ってしまうと、そのフォロワーから脱せなくなりそうな気がして、聴くにしても結構距離を取ってきた、という経緯があるためである。

とは言っても、さすがに僕でも、"Talking Book" とか "Innervisions" 辺りはマストアイテムにしている。特に "Innervision" の "Golden Lady" は、ちょっと特別な思いのある曲である。この曲を YouTube で聞いていたら、その音源のコメントに「この曲のベースは誰が弾いているんだ」と書かれていて、Wikipedia で調べたらしき人が、これは Stevie のシンセベースだ、とフォローしていたけれど、このベース、ベーシストが聴くとニヤリとさせられる。導入部のフレージングなんか、明らかに James Jamerson の影響が見て取れるのだ……さすがは Little Stevie Wonder 時代からの Motown の秘蔵っ子である。そして J.J. はこんなところにまで、エレキベースの先駆者としての影を残しているのだ。

さて、そんな "Golden Lady" のライブテイクをあれこれ聴いてみたけれど、実のところ、出来のいいものはほとんどない。やはりこのちょっと難解なコード進行が、他のプレイヤーのフレージングを縛ってしまっているところがあるようだ(これは Stevie のこういう曲全般に言えることなのだが)。うーん……とあれこれ探していたところに、絶妙のカヴァーを発見した。いや、さすがに The Doors やジミヘンからストーンズまで、何でもプレイしてしまうだけのことはありますね、José Feliciano さん。

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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