tar

tar というのは UNIX 関連の環境で使われるソフトで、複数のファイルをひとつのファイルに束ねたり、逆に束ねられたファイルをもとのファイル群に戻したりするのに使われる。ZIP や LHA のようなソフトとは異なり、本来の tar にはファイルを圧縮する機能はなかった。だから、外部のファイル圧縮ソフト…… compress や gzip, bzip2, xz 等……と組み合わせて使われる。

しかし、僕等が通常使っている GNU tar は、このような外部圧縮ソフトを内包したかたちになっている。たとえば、

$ tar cfJ ./hoge.tar.xz ./*.pdf
などのように、xz の機能を併用することを示す J オプションを付与すると、カレントディレクトリに存在する全ての PDF ファイルを束ねて xz で圧縮したアーカイブファイルが一発で生成される。同様に、
$ tar xfJ ./hoge.tar.xz
とやると、圧縮を復調した上で個々のファイルが一発で展開されるわけだ。

ところが、僕が気付かないうちに、このオプションが一部不要になったらしい。展開時には、

$ tar xf ./hoge.tar.xz
のように、J オプションがなくても、xz で圧縮されたアーカイブが一発で展開されるのだ。もちろん、他のファイル圧縮ツールのフォーマットでも同様である。

まあ、ファイルを展開するときには、暗黙のうちに「圧縮する前の状態」に展開することが一意的に定まっている、と見て良いだろうから、このようなことになったのだろう。しかし、正直言ってあまり便利だとは思えないんだが……これで問題が生じることもないかもしれないけれどさ。

鳴かぬなら

コンピュータに関わることで質問をされることがある。まあ、質問するからにはそれなりに困ったことがあって、それで聞いてきているのだろう、と仏心(カトリックで仏心というのも妙な話だが)で答えたりするのだけれど、どういう訳か、逆ギレとしか言いようのないことを言われたり、返されたりして、嫌な気分にさせられることが少なからずある。いっそ、そういう質問に答えるのも、質問が集まってくる場所を見ることも、やめてしまった方がいいかもしれない、と思うのだけど、中には本当に困っている人もいたりするので、完全に回答を放棄するわけにもいかない。

嫌な気分にさせられるのは、ほとんどの場合パターンが決まっている。僕はそういう質問者を「傲慢な質問者」と呼ぶことにしているのだけど、まず、そういう質問者は、何でどう困っているのかを最初に明示しない。たとえば、こんなことがしたいのですが、これこれこんなファイルをこういう OS 上のこのソフトで処理しようとしたら、意図と異なるこんな結果になりました、当初の目的を達するためにはどうしたら良いでしょうか……というようには、まず絶対に書いてこない。こうしようとしたらこうなった、どうしよう……それしか書かないのである。5W1H とか、最近は小学校でも教えるんだろうに、そういう教育を受けていても、もうそれは遠く忘却の彼方らしい。

そういう書き込みを見て、周囲の人々は、その人がどのように困っているのかを想像するしか術がない。せめて、そのトラブルが再現されるファイルなり、トラブルの結果として出力されるファイルなり、そのトラブルの模様を記録したログファイルなりを示してくれれば、そんなことで生じる無駄な手間も、無駄な時間も発生しないのである。しかし、傲慢な質問者は、自分がしたいことができない、それだけが全てなのである。

そして、隔靴掻痒の態で話が進まず、なかなか solution に到達できない、となると、傲慢な質問者は予想し難い反応を示す。「私の欲しい答をアンタラは提示できないのか」と逆ギレしてみたり、「ご意見を頂き、有り難うございました。****** はアンインストールし、使わないことに致します。」と逆ギレしてみたりするのである。「鳴かぬなら殺してしまへホトトギス」……いや、ちょっと違うな。信長はそんな馬鹿じゃなかったはずだ。

自分の欲しい答を得るために、いささかも自分の時間、手間、あるいは金をも費さず、挙句の果てにはそれを他人やソフトウェアのせいにする。いやはや、こんな傲慢さは、一体どうしたら持つことができるのだろう。僕もそういう傲慢さがあれば、気鬱に溜息をつくことなどなく、もっと楽に生きていけるのかもしれないけれど、もちろん僕はそんな傲慢さなど欲しくはない。そんな手合いは唾棄すべき輩としか言いようがないし、そんな輩になるなんて御免被る。

しかし、残念なことに、この10年程を考えてみても、この手の傲慢な質問者は増加する一方である。20年程昔の Linux 関連のコミュニティみたいに「タコは重要な存在だ」なんて牧歌的なことを言っていられた時代があったなんて、信じ難い状況である。あの頃、「タコはタコでなくなろうとしている」ということが暗黙の前提だったわけだけど、今のタコは、自分がタコであることを確信犯的に利用し、それで自らの権益を護っているとしか言い様がない。この「傲慢な馬鹿」の強みを利用する、ということが定着してしまった今、従来の voluntary な共同体で当たり前のように成立していた相互扶助は、もう成立し得ないのかもしれない。ああなるほど、だから iPhone も android も、バナーの出ないアプリが欲しかったら金を払うしかないような状況になって、しかも皆それが当たり前だと思っているわけか。

しかし、人がより良き存在になろうとする、ということこそが、共同体全体が緩慢であってもより良き方向に転がっていく上での driving force だったはずなのだ。それが忘れ去られてしまうのだとしたら、これから先の世の中は、どれ程住みにくく、生きにくくなるのだろうか。

どうしちゃったんだろう

先日のことである。出先で赤ペンを使っていたら、急に書けなくなった。あれれ、と思い芯を出してみると、綺麗さっぱりインクがない。ここまで綺麗に使い切ったことがなかったので、しばし唖然として眺めていたのだが、ああそうだ、この後も赤ペン使わなきゃならないんだった、と気付いた。この後他の場所に動く途中で買うことにしよう、と思って、ふと、その場所までの行程中文具店がひとつもないことを思い出した。うーん、どうしようか。

歩いていると、某大手コンビニが見えてきた。メントールキャンディも欲しかったし、そこで赤ペンを探してみると……おー、単色の赤ペンというのを、この店舗では置いていないらしい。参ったなあ……2色とか3色とかのボールペンを見ていると、このコンビニのブランドで出している3色ペンが目に留まったので、それを買うことにした。金280円也。

やがて到着した出先で、早速そのペンを使おうとしたのだが、この段になって、このペンに問題があることに気付いたのだった。芯か、芯を押し出すボタンのところかが擦れ合うようになっているらしく、そこで芯同士が引っかかってしまい、選んだ色のペン先が出てこない。先に出たままになっている前の色のペン先を何かに押し当てて無理矢理引っ込め、更に3つのボタンを半押しして位置を整えないと、次に選んだペン先が出てこないのである。

「…… Thomas さん、何やってるんですか?」
「いやあ、このペンがね……引っかかってねえ」

傍で見ている人には、僕が何に四苦八苦しているのか分からなかったろう。でも当の本人としては、軽いパニックだったのである。

帰ってから U とその話になったとき、

「それはちゃんと言った方がいいんじゃない?」

うーん、クレーマーみたいに思われるのも嫌だ……とも思ったのだが、勿論、こういうことは向こうさんに伝える方がいいのは明らかだろう。僕のように、このコンビニのブランド商品だから少し高いのを買ってみて、それで同じめに遭っている人が、おそらく全国で何千人とかのオーダーで出現する可能性だってあるわけで、それを未然に防げれば、僕だけでなく、このコンビニにとっても利益になるわけだろう。

改めて、このボールペンをよく見てみると、商品企画はこのコンビニ(以下Xと称す)、製造はこれも大手の筆記用具関連メーカー(以下Y社と称す)、生産は……タイで行われているらしい。うーむ。中華品質、なんて話は聞くことがあるけれど、タイやベトナムというのは、基本的にはこういうものの品質に関してそう悪い話は聞かないんだけどなあ。しかし、実際にやり直してみても、芯はやっぱり引っかかるわけで、とにかくこの商品に問題があるのは間違いない。

Xの web ページを見てみると、商品に関する問い合わせ等は web のフォームでのみ受け付けるようになっていて、郵送での窓口住所に関しては一切記述がない。ということは……どこに送るかね。Xの持株会社の大代表しか住所が分からないので、仕方がないからそこ宛に書状を送ることにする。

手紙を書いて、封筒にボールペンと共に入れて、切手を貼って投函すると、料金不足で返送されてきた。ボールペンの厚みで引っかかったらしい……舌打ちしながら、合計120円以上になるように切手を貼り足して、再びそれをポストに放り込んだ。昨日の夕方のことだ。

そして今日、いきなり電話がかかってきた。Xの商品担当の人だという。平身低頭謝られた後に、製造メーカーであるY社の担当にも電話させますがよろしいですか、と言う。大事になっちゃったなあ、と思いながらも了承すると、1時間程してから、Y社の担当者から電話がかかってきた。これまた平身低頭の態で、僕の方としても対応に困ってしまうような感じだったのだが、とりあえず、同じトラブルが複数起きているでしょうから、早々に対策をお願いします、後は書状でお願いしますね、とお願いして、電話を切ったのだった。

それにしても解せない。Y社といえば老舗だし、僕も今まで散々この会社の文房具を使ってきたけれど、こんな初歩的な問題でトラブルが生じた記憶は一度もないのだ。製造コストを削減するために海外生産にするのは仕方ないかもしれない。しかし、ひょっとしたら、先方に商品開発の実際の業務までやらせて、それをちょいとつまんで「よしよし」と自社ブランドで売る……そんなことでもしているのだろうか。

先日、テレビで、ある発展途上国に単身滞在しているパイロットの現地法人社長を取材したのを観たのだけれど、パイロットが彼の地で売っている主力商品のボールペンは、中国製の同等商品の数倍もするのだという。しかし、現地の学校などに行くと、生徒のほとんどがパイロットのボールペンを使っている。彼らは、決して豊かでない懐の中から、あれこれやりくりして、ようやくペンを買う。そのペンが簡単に使えなくなってしまっては困るのである。経済水準が低いからこそ、顧客は信頼性を求め、それに応えることでビジネスが成立する、というのである。

僕は、その国の子供達よりはまだ経済的に豊かなわけだけど、でも280円出して買ったペンが使えなかったときには、正直がっかりしたものだ。しかし、日本製品というものは、時としてオーバークオリティと言われる程に、十分な信頼性を有していたのではなかったのか。そうでなくなってしまったのだとしたら、そして世間がそれをよしとしてしまっているのだとしたら、この国の未来は、親から買ってもらったパイロットのペンを大事に大事に使っている子供達の国と比べて、どちらが明るいのだろうか。たかがボールペン、と言われるかもしれないが、そんなことを考えてしまったのだった。

限界

ちょっと前に android のタブレットを入手した。これは現在に至るまで便利に使っているのだが、色々試した結果、ひとつの結論に達せざるを得なかった。この端末ではものを書けない。

僕が何かを書く、というのは、多くの場合は GNU Emacs 上で書くわけだ。日本語の場合は SKK で書くし、英語の場合だったらそのまま打つわけだけど、打った原稿は TeX で PDF にして、これを何処かで印刷したりする。そして作成した原稿のやりとり等に、ネットワークへのアクセスが不可欠である。GUI は必ずしも必要ではないけれど、画像を貼り込んだりしたときの確認のためには、使えるにこしたことはない。以前はこれに加えて、Microsoft Office が使える、ということが必要要件のひとつに入っていたのだけど、LibreOffice がある現在では、これはもはや必要要件ではない。

さて。こういうことを android 端末で実現しようとすると、bluetooth でキーボードを接続して、端末上でどうにかして Emacs を動かすことになるわけだけど、bluetooth キーボードが、CTRL や ESC を併用したキー入力に対して完全には対応し切れない。こうなると、Emacs を使う上でも、SKK やそれに類似した IME を使用する上でも問題になる。

そして、android 端末を使っていてウンザリしてきたのが、フリー版のユーティリティに必ずといっていい程入っているバナー表示。いちいちこれを外すのになにがしかを支払うのも阿呆らしいのだけど、快適にしたいなら金を払え、的な android(や iOS ?)の世界観が、僕にはもう嫌で嫌でならないのだ。

というわけで、持ち歩き専用に、ミニノートを1台買おうかと画策中である。そう懐が潤沢なわけでもないんだけど、仕事に使う以上これでは困るのだ。もう限界である。

android の文字コードの怪

最近は、android 端末に PDF を突っ込んだり、漫画を自炊した画像ファイルを突っ込んだりすることが増えてきた。2、3人でプチプレゼンみたいなことになったときには、android 端末を見せながら……というのは便利だし、行き帰りで本を読むときにも、確かにこれは便利である。

しかし、前々からどうにも気になっていることがあった。他人と FAT32 フォーマットの USB メモリスティックや micro SD カードでファイルをやりとりするときに、ファイル名に日本語を使われることがあって、これを Linux 端末を経由して android に持ち込むと化け化けになってしまうのだ。

更に都合の悪いことに、僕は、

  • Microsoft Windows (xp, Vista, 7, 8)
  • Mac OS X
  • Debian GNU/Linux
  • android
という具合に、複数の OS を行ったり来たりしながら日常を過ごしている。こうなってくると、もう何が何だか分からない状況なのだ。

今までは、とりあえすファイル名を UTF-8 にしておけば、不都合が生じることはあまりなかった。しかし、android 端末では、これをやってもファイル名が化け化けになってしまう。もう何が何だか……という感じである。

ファイル名の文字コードを変更するユーティリティとしては、convmv という perl スクリプトがある。これであれこれ変えてみるのだが、どうしても android 上に持ち込むと化ける。何だろう……と思いつつ調べていると、メディアを Linux で mount するときに、オプションに "iocharset=utf8,shortname=mixed,utf8" を付けておくといける、という話を聞く。vfat で mount する際に試してみると、なるほど、android 上で作成した日本語ファイル名のファイルが、ちゃんと名前が化けることなく表示できる。まあそれはいいんだが、じゃあ化けるファイル名をどう変換したら読めるようになるんだ?

android 上で作成した日本語ファイル名のコードを調べようと、kcc -c とかやってみると、ASCII でござい、と返事が返ってくる。あー kcc は Unicode を正しく判別できないんだっけ、と "echo * | nkf --guess" などとやってみると、化けているものも表示できるものも、どちらも UTF-8 です、と言われる。うー。じゃあどうして片方は化けてもう片方は化けないのさ。

結局、Windows とか今回のような android とかの話になると、こういう問題が出てくるわけだ。奥村氏の blog でファイル名の文字コードに関するボヤキを発見してしまい、何とまあ面倒な話なのかねえ、と僕も軽く溜息をついたのであった。

Kaspersky, again

以前から、僕は Kaspersky のユーザーだったのだけど、この1年程は、フリーのアンチウイルスソフトで環境を構築してみよう、ということで、ClamAV をエンジンとして使っている Immunet FREE Antivirus と、スパイウェア対策として Spybot – Search & Destroy® を組み合わせて使用していた。しかし、さすがにこういうセキュリティ関連のソフトに関しては、安心できるものを金を出してでも確保しておくべきだろう……ということで、再び Kaspersky に戻すことにしたわけだ。

最新の Kaspersky Multi Platform Security 2013 は、手持ちの Windows・Mac OS X・Android の端末に台数無制限でインストール可能なプライベートライセンスというのが設定されている。これの3年ライセンスがパッケージ付きで6000円を少し切る。しかも、JCB のチケットで3000円のキャッシュバックまで受けられる、というのだ。ということで、これを購入することで手続きをする。

世間での評判を聞く限り、どうも Mac OS X との相性がよろしくないらしい……のだが、ひょっとするとこれはインストール等の作業を root 権限でやるかどうか、等の、いわゆる昔からの Mac ユーザが分かっていない問題に起因することなのかもしれない。まあ、U は U で ESET のライセンスを更新しようかという話らしいし、手元の Windows 端末と Android 端末に入れることだけを考えても、悪い買い物にはならないだろう。

amazon の処理がモタついていて、パッケージの発送は今日、到着は明日になりそうなのだけど、評価版を先立ってインストールしておくことにする。パッケージが来たら、その ID で activation をすればいいだけの話なので。

ということで、今しがた、評価版を入れた後の完全スキャンが終了したところである。パッケージがきたら早速 activate することにして、このまま暫く使ってみることにする。

終身刑?

今日、仕事から戻ってきて、TBS 系列の NEWS23X を観ていたときのこと。

今日、僕はどうしてもニュースに集中する必要があった。ローマ教皇ベネディクト16世が生前に退位する、という話を聞いていたからだったが、二番目のニュースとして、その話が始まったときのことだった。

「ローマ法王は終身刑……」

ハァ? と思ったところで「終身制」と言い直したのだが、謝罪や訂正はその後一切なかったのだった。膳場貴子さん、一言あってもいいんじゃないんですか。大体あなた、NHK 出身とはとても思えないようなアナウンスで、ミスの後もニコニコ笑ってるけれど、少しは恥じ入るということをお知りなさいな。

SCIM again

このところ、Linux 上での日本語変換には専ら iBus-SKK を使っていたのだが、どうも昨日辺りから調子がおかしい。何だろう、と思って調べると、ibus-setup を起動しようとすると python スクリプトのエラーで終了してしまう状態になっているらしい。

世間の大半の方々にはあまり問題ではないのかもしれないが、僕は日本語入力で SKK が使えないと困ってしまう。とにかく通常の日本語変換ではイライラさせられてどうしようもないのだ。思案した挙句、何年かぶりに SCIM に日本語変換のシステムを戻すことにする。

SCIM-SKK を入れて、テストがてら今これを書いているのだが……まあさすがに違和感はない。しかし、そもそも SCIM から iBus に移行したのが、SKK のキーバインドが一部 SCIM とバッティングするから、だったような……あー、面倒だなあ。

duplicate

あくまで一般論を書くことにしよう。UNIX 系のソフトを使っていると、あるいはこういう目にあうことがあるかもしれない、そんな話である。

あるソフト(以下 A とする)を、それまでは distro が供給するパッケージでインストールしていた、とする。で、distro におけるそのソフトの更新が滞っていて、ソースから自分でビルドしてインストールすることにしよう、と思い、ソースを持ってきて make、そしてインストールしたとする(こちらを以下 A' とする)。これをたとえば /usr/local/A-dash 以下にインストールして、PATH を /usr/local/A-dash/bin に通して、使い始めたとしよう。

A' がなかなかいい感じなので、A をアンインストールしようと思い、distro のパッケージ管理ソフトでアンインストールを試みる。しかし、どういうわけか妙なエラーが出て、アンインンストールがうまくいかない。どうして? ……はいはい、まああり得る話ですね。

A のアンインストールのプロセスで、システムが A やその周辺のソフトを起動するのはよくある話である。しかし、A' の方が優先されるようにユーザーの PATH は設定されているはずだ。アンインストールのプロセスを sudo で起動すると、設定次第ではユーザーの PATH がそのまま sudo で走るプロセスに引き継がれる。だから、システムは A を起動しているつもりで、実は A' を起動してしまっている。だからアンインストールがうまくいかないのだろう。

こういうときに、A' をインストールするのは馬鹿のやることである。何がどうなっているか何も自分で考えていないから、そんなことをするハメになる。マトモなオツムを持っているならば、まず PATH を変更して、A' が起動しない状況にして、A をアンインストールし、しかる後に A' に再び PATH を通しておけばいい。それだけの話である。

しかし、どうも、この世には僕の知らない世界があって、そこでは僕の知らないロジックに依拠した、僕に理解できない経験則が通用しているらしい。まあ、そういう人と関わりを持たないことこそが人生を有用に保つ術なのであって、こんな手合いと関わってしまった己を、まずは恥じるべきなのかもしれないけれど。

守られるべきは誰なのか

先日の女子柔道のナショナルチームにおける暴力問題に関して、JOC に告発した選手の氏名を公表すべきだ、という意見がある……という話を聞いて、最初、耳を疑った。新聞などを見ると、どうもこういうことらしい:

女子柔道暴力問題:告発選手、調査進まず 氏名公表巡り混乱

毎日新聞 2013年02月07日 東京朝刊

柔道全日本女子代表選手らに対する暴力問題で、被害の実態や背景に迫るカギとなる問題を告発した選手15人への聞き取り調査(ヒアリング)は6日時点で進んでいない。日本オリンピック委員会(JOC)は今週中にヒアリングを開始する方針だが、選手の氏名公表をめぐって関係者の間で見解の相違も。匿名での集団告発への対応の難しさが、浮き彫りになっている。【井沢真、中井正裕、藤野智成】

この問題でJOCは、プライバシー保護の観点から全柔連にも15人の氏名を伏せている。だが、ヒアリング担当者の一人でJOC理事を務める自民党の橋本聖子参院議員が6日開かれた党参院議員総会で「あまりにも選手のプライバシーを守ろうとする観点から、15人が表に出ていないことをどう判断するかは非常に大きな問題」と持論を展開。さらに「プライバシーを守ってもらいながらヒアリングをしてほしいというのは決していいことではない。長年の問題を訴えることは、非常に大きな責任があると選手一人一人が理解しなければならない」と強調した。

この発言が一部で「選手の氏名が公表されるべきだとの認識を示した」と報じられた後、橋本議員は「氏名を公表すべきだとする発言はいたしておりません」とコメントを発表したが、混乱を招いた感は否めない。

選手の代理人を務める岡村英祐弁護士は「現状では選手の不安が大きく、公表は難しい。ヒアリングの担当者(橋本議員)がそういう姿勢だとスムーズに進まない」と懸念を示した。

……いやはや、あきれてものが言えないとはこのことである。

そもそも、なぜ JOC が匿名のまま話を進めているのか。それはここに書くまでもないと思うのだが、もし告発した選手の名前が全日本柔道連盟に知れたとき、その選手達の今後のキャリアにおいて、全日本柔道連盟内で不利益を被らない、という保証がないからだ。

なにせ、今回の件でも、最初は告発を正面から受けずに内々に済まそうとし、事を JOC が公にするや、関係者が辞めること以外に対策らしい対策を何もしていない組織である。この時点で告発者の名前が知れたら、選手生命、あるいは今後の指導者としてのキャリアを絶たれる可能性は、決して低くないだろう。

そもそも、こういう騒ぎが起きているのだから、自分達の組織のことだけを考えていたとしても、コンプライアンスをどのように確立するか、というような話が出てこないのがおかしい。しかし、実際に何処からもそういう話が出てきていないのである。彼らのやったことと言えば、逆ギレめいた会見をして何人かの人間が辞めた……それだけではないか。

全日本柔道連盟寄りの人々(これには谷亮子参院議員も当然含まれるであろう)は、こういうときにそもそも誰が保護されるべきかがてんで分かっていない。最も立場が弱く、最も未来にまでこのことが関わる存在こそ、ここで最も保護されなければならないのである。武道を志していて、こんなことも分からないオツムだったら、それこそ文武両道という武道の均衡を欠いたデクノボウだと言わざるを得まいに。

そして、これに関して、国会議員、そしてオリンピック関連にも顔の利く立場にありながら、橋本聖子(敬称は使わない……今回の所業は到底敬意を向けるに値しないものだからね)は何をホザいているのか。女子柔道選手の芽を摘むためにアンタは議員センセイやってるのか? 本当に、いい加減にしてもらえないだろうか。

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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