ホトトギス

ホトトギスと聞いて、皆さんは何を連想されるだろうか。僕が第一に連想するのは、正岡子規である。子規が創刊した俳句雑誌の名が『ホトトギス』であることは、皆さんも国語の授業などで教わった記憶があるのではないかと思うのだが、実はこの『ホトトギス』、現在も存続している。松山で1897年に立ち上げられた合資会社「ホトトギス社」は、現在は高浜虚子の孫である稲畑汀子氏が主宰しており、ちゃんとhttp://www.hototogisu.co.jp/というサイトもある。目下の最新号は『ホトトギス第百十三巻第六号』(平成二十二年六月一日発行)ということで、現役バリバリの俳句雑誌として活動しているのである。

で……何故「ホトトギス」なのか、というと、これは子規の俳号からとっているわけだ。「子規」はそもそもがホトトギスの別名であって、子規は、血を吐きながら執筆を続ける己の姿を、血を吐くまで鳴き続けるといわれるホトトギスに擬えたわけだ。余談だが、子規が東京帝大在学中にこの俳号を使い始めていることから考えると、彼には既にその頃から死の影が従っていたことを窺わせる。

では、俳句に縁遠い人は「ホトトギス」と聞くと、何を連想されるだろうか。おそらく、この話なのではないか、と思うのだ:

 夜話のとき或人の云けるは、人の仮托に出る者ならんが、其人の情実に能く恊へりとなん。
 郭公を贈り参せし人あり。されども鳴かざりければ、

 なかぬなら殺してしまへ時鳥    織田右府
 鳴かずともなかして見せふ杜鵑    豊太閤
 なかぬなら鳴まで待よ郭公    大權現様
これは松浦静山(まつらせいざん)の著した『甲子夜話(かっしやわ)』巻五十三〔八〕からの抜き書きである。誤解なきように書き添えておくけれど、この件は松浦静山が何処かで聞いた話を書いているものらしく、初出は不明である。

ともかく、郭公(この場合はホトトギスを指す)を贈られたけれど鳴かなかったとき、信長・秀吉・家康がどう言ったか、というこの話で、各々の性格を反映させた三つの川柳が登場する。「なかぬならころしてしまへほととぎす」、即ち、鳴かないホトトギスなど殺してしまえ、と詠んだ信長に対して、秀吉は「なかずともなかしてみせふほととぎす」つまり、鳴かないホトトギスをどうにかして鳴かしてやろうじゃないの、と詠む。そして粘り勝ちで天下人となった家康は、「なかぬならなくまでまちよほととぎす」つまり、鳴かないのなら鳴くまで待つまでよ、と詠んだ……と、こういう話である。

さて。では本題に入ろう。民主党連立政権が成立して以降の政治の動向は、困難な課題がいくつかあって、あたかも「郭公を贈り参せし人あり。されども鳴かざりければ」の状況だったわけだけど、ではそんな民主党のやってきたことは、先の三つの川柳のどれに擬えることができるだろうか?皆さん、こう問われたら、どうお答えになるだろうか。僕は迷うことなく答えるだろう:民主党のやってきたことは「なかぬなら殺してしまへ時鳥」だったのだ、と。

まず(これは前にも書いたことがあるけれど)、民主党は実に便利な言葉を発明した。それは「ゼロベース」というもので、

  • この約束は反故にします
  • マニフェスト守れないんで前言撤回させてもらいます
  • 前政権がそれなりの案をすすめていたけれど現政権色をアピールするために問答無用で全部ぶち壊しにします
等のような、公に発言すると批判を浴びそうな文言をこの「ゼロベース」にすり替えることで、あたかもそこに高度な政治判断と、民衆の視線で単純に理解し得る明解な論旨が内在するかのように見せかけて、内実に上に箇条書きにしたような「本音」を率直に込めて吐くことができるようになるのだ。この言葉は実に便利に使われた。僕らが正規表現で便利に使っているwild cardの如く、明示的に表明すると著しく体裁が悪いような言葉が、何度となくこの「ゼロベース」にすり替えられたことを、僕たちは忘れてはならない。可及的速やかに対処すべき事案(普天間問題はその代表格だろう)も、粘り強く議論を重ねなければならない事案(放送法の改正などがその代表格だろうか)も、十把一絡げに、この「ゼロベース」という枕詞でうやむやにされてきたのだから。

このように、抗いがたい程に大衆へ迎合する力を秘めた(そしてその実空虚な)「ゼロベース」を振り回したことは、票田にウケがよろしくないものは何でも「ゼロベース」、という適用のされ方を招いたわけだ。これはまさしく「なかぬなら殺してしまへ時鳥」である。「さえずる」のに時間を要する事案を「ゼロベース」という枕詞で処理してしまう、この姿勢こそが、信長の川柳のような野放図な暴力性を秘めている、ということを、どうして誰も言わないのだろうか。

これは「事業仕分け」においても同じである。当初「仕分けは指摘であって、最終結論ではない」と言っていたはずが、先日の事業仕分けでは、仕分けの結果に拘束力を持たせる、ということが言われている。これはあたかも、刑事裁判をADRで裁こうとするが如き暴挙としか言いようがない。十分な意見の吸い出しとその吟味の機会なしに、劇場型の吊し上げで国のプロジェクトを裁くのを見て、どうして皆恐ろしさを感じないのだろうか。その場だけの透明性なんて、演出次第でどうとでもなるものなのに、どうしてそこだけで皆安心してしまうのだろうか。そういう「議論と言えない議論」で仕分けを行うというのは、やはりそこにいる「鳴かないホトトギス」を血祭りにあげているだけの話なのではなかろうか?

とにかく、現政権成立以降、内閣と民主党が「なかして見せふ」とすることも、「鳴まで待よ」とすることも怠ってきたことは、誰もちゃんと言わないけれど、ちょっと周辺状況を見てみれば明らかなことではないか。このことを、僕たちは忘れてはならない。民がホトトギスならば、今こそ喉から血を流してさえずるときなのではないだろうか。

機動洋上基地案、だぁ?

普天間問題に関して、こうすれば万事解決じゃーん?みたいな軽佻浮薄なご意見を、今までここでも二つ程(だったっけ、数える手間もかけたくない程阿呆らしい)ばっさりやったけれど、今日の『たかじんのそこまで言って委員会』で、またその手の阿呆な意見を開陳する人がいたので、ここに記録・批判しておきたい。

これが実に下らない話なのだけど、普天間の代替ってヘリの発着できればいいんでしょう?だったらひゅうが型護衛艦みたいなヘリコプター搭載護衛艦 (DDH)を3隻位運用すればいいんじゃないの?というもの。もう、阿呆か、と。馬鹿か、と。放言にもあきれたけれど、こんな話で眼から鱗を落としたつもりの連中が Twitter でつぶやいているんだから、もう本当に嫌になる。

これの何が問題かは、普天間飛行場の写真を何枚か見ればすぐわかることで、普天間では海兵隊はヘリだけじゃなくて輸送機(具体的には C-130……それも最新型の J 型がメイン……)も運用していて、DDH でどうやって C-130 運用するんだ、という話だ。こんな話で盛り上がる連中が少なからず存在していることこそが、普天間問題を迷走させる一助になっているのは確実だと思うんだけど。本当に、そういう手合いはこの世から消えていただきたい。

ニコ生動物虐待事件

昨夜、久しぶりにニコニコ動画を覗いていたら、「ニコ生で動物虐待」というタイトルの動画が再生件数トップになっていた。ん?何が起きたんだ?と、検索をしながらつらつらとその動画を見たところ、どうもこういうことらしい。

まず「ニコ動は分かるけどニコ生って何よ」という話になりそうなので、その説明から。ニコニコ動画では、ユーザ登録をしている人に対して30分の「生放送枠」というのを提供している。これは、ユーザ側のオーディオとカメラのデータをAdobe Flash Media Encoder経由でニコニコ動画のストリームサーバに送って、そこ経由で大規模配信を行える、というサービスで、プレミアム会員(月額使用料を払っているユーザ)になれば、誰でも30分枠の「生放送」(ニコニコ動画経由でのストリーミング」が行えるというものである。僕はこのサービスを知らなかった(個人の生放送なんて観る暇がないので)のだけど、この生放送、実はかなり人気のあるものらしい。

で、10代の女性が、このサービスを利用して自宅から生放送をしていたらしい。その内容を記録したものが以下の通りだ:

注:文字は消して観ていただいた方がいいだろう……生放送配信時につけられたコメントは画像と一緒に記録されている。ニコ動ユーザの方はタイムシフトストリーミングが以下の URL で観られるので、ご参考まで:http://live.nicovideo.jp/watch/lv17839408

で、だ。この「五郎」と名乗っている女性の言動、特に彼女のペットらしいミニチュアダックスフントに対する扱いの酷さに不快感を感じた人々が、上のような糾弾動画を配信し、さらには2ちゃんねるでもこの件を糾弾するスレッドが立ち、経過をまとめたウィキが公開されている。このウィキから辿ると、驚くべきことに、五郎なる女性の:

  • 氏名
  • 生年月日
  • 血液型
  • 未成年なのに喫煙癖があること
  • 住所
  • 通っていた都内の高校名
  • その高校を中退していること
が特定され、公開されてしまっている。剛の者に至っては、その高校に電話して現在の状況確認をする人まで現れた:

まあ、毎度おなじみの2ちゃん丸裸現象というのは、やりすぎだとは思うけれど、でもこの「五郎」なる女性のペットの犬の扱い方、言動等を見ているに、こちらの方もやはり問題があると言わざるを得まい。ネット上で何かを公開するということは、自分を特定できる情報の断片を与えていることと同意なので、こういうことになってしまうんだけどなあ……

SO BAD

今日はどういうわけか、納戸の奥から取り出したるは中西圭三。えーそんなの聴くんだ、とか言われそうだけど、これはちょっと別扱いかもしれない。中西氏の 5th アルバム "graffiti" というのがあって、これのアレンジをやっているのが山弦でおなじみの佐橋佳幸氏だったりする。

まー佐橋氏に関しては、山弦オタクとかネルソンオタクとか(そう、僕はそういう人々が嫌いなのだ)色々書きたがりな方々が多いと思うので、そういう人に書いていただければいいのかもしれない。せっかくだからそういう人達があまり書かなさそうなことを書いておくと、1980年代の EPIC SONY 華やかなりし頃の中心に清水信之という人がいて、この人が佐橋氏の高校の二級上の先輩で、佐橋氏と清水氏の間にいたのが佐藤榮子氏(EPO)である。恐ろしい話だけど、某高校の一年に佐橋氏、二年に EPO、三年に清水信之氏がいた時期があって(ちなみに補足しておくけれど、佐橋氏の5年後輩には更に渡辺美里氏がいるのだった……デビューは当然 EPIC SONY)、しかもその二年後位に、佐橋氏は EPO のデビューアルバムでギターを弾いていて(まだ高校在学中のはずだ)、清水氏に至っては、竹内まりやの『不思議なピーチパイ』のアレンジでレコード大賞の編曲賞に入っていた(二十歳そこそこだ)のだ……こう、どういうシーンにも、溢れんばかりに若い才能が集まってブレークスルーをしてのける時期というのがあると思うのだけど、佐橋氏というのはそういう中で世に出た人なわけだ。表舞台のデビュー(ウグイスというバンドだった)はアルバム1枚で終わってしまったけれど、その後はあの怒涛のような EPIC 時代の音源を経て現在に至っている。

まあ能書きはどうでもいいんだけど、件の "SO BAD" という曲は、中西氏の "graffiti" の一曲目である。これが、今聞き返すと、アコギのガッツリしたカッティングとザラッとした Rhodes を中心に据えたアレンジで、実にいい。中西氏の歌があまりにスムース(いや悪い意味じゃないんだけど……やはり上手いよなあこの人)で、普通のオケと歌の関係とちょっと違うような気すらする。こういうのをやりたいんですよ。こういうのを……と呟きつつ(なんかアブナイなあ)、二度三度と聞き返しているのであった。

以下余談。上の文章を書いて、ふと思いついて EPO の DOWN TOWN を聞き返していたのだけど、そうかこれって、Isley Brothers の "If You Were There" を Wham! がカヴァーしたのとよく似てるよなあ。いや逆か。Wham! の "If You Were There" は 84年、EPO のデビューは 80年だからね。

ワウ・無間地獄

2009年3月26日の日記に書いたけれど、僕はちょっと前の VOX V847 を持っていて、内部回路はイタリア製の VOX V846 と同じ特性になるように自分で作り替えてある(石もインダクタもコンデンサもモノはオリジナルと違うけれど)。僕はジミヘンやスティーヴィー・レイ・ヴォーン(でも彼が亡くなった日は覚えている……僕の誕生日だったからだが)のフォロワーというわけではない(好きだし結構よく聴く……意外に思われそうだな……のだけど)のだが、なにせ一般的なワウ(と言っていいのか?)は僕はこれしか使ったことがない。VOX は踏みしろが少ないから大変でしょうとか、色々言われることは多いのだけど、いいんですおそらく一生これ使うから。ちなみにワウはもうひとつ、BOSS PW-1(ロッカーワウ……ペダルにホール素子を使っていてガリが出ない)を持っている(これも実は隠れた名器だと思う)のだけど、やはり VOX のワウの方をよく触っている、というか、踏んでいる。

最近のミュージシャンで、ワウのプレイが上手いよなぁ、と思うのは、やはり誰が何と言おうともスガシカオなのだけど、彼は Ibanez WF10 を使っているそうな(ちなみにレッチリのジョン・フルシアンテも姉妹機の Ibanez WH10 を使っているそうで、そのためかこれらは中古相場で法外な値段がついているらしい……昔は貧者の友みたいな扱いだったのに)。意外にもスガ氏は普通はテレキャスをこの WF10 に通して、フルテンのミニアンプに突っ込んで弾いているんだそうな。だからまあ、ワウも人の好み次第であって、出す/録る音が良ければ何でもありなわけだけど。

で、標記の件に戻るけれど、このワウというエフェクターは、ペダルの踏み込みをラック & ピニオンでポテンショメータ(可変抵抗器)の回転に変えてやって、ワウの音色変化をコントロールしている(僕の二台目のワウ BOSS PW-1 の場合は、本体上部のセンサでペダル裏面に貼りつけられた磁石との距離を検出して同じことをしている)のだけど、ポテンショメータの回転角度は、ラックの全ての歯数より多くなっている(でないとポテンショメータが壊れてしまう)。だから、この噛合わせを、ワウが開いた方に寄せたり、逆に閉じた方に寄せたりすることができるのだけど、これをどうセッティングするかで、踏んだときの感じが変わってくるし、いわゆる「美味しい部分」を有効に使えるかどうかも決まってしまう。

で、このワウを手に入れてから一年の間、どうもしっくりこないなー、と思っていたのを、先日ちょこっと修正したら、なんだか今までより「美味しいところ」が使いにくくなってしまった。で、裏蓋を外した状態で、ちょっとずらしては踏み、またずらしては踏み……という無間地獄に陥っていたのだけど、これが、実は昨日ようやく解決したのである。いやー嬉しいなあ、と、まるで猿のように(?)踏んでいたりする。うーむ、面白い。でも、自作の曲等に使う機会が実は今までまるでなかったんだなあ。一体いつ使うのだろうか……ぉぃ。

口蹄疫生物兵器説

宮崎の口蹄疫の問題は、既に皆さんよくご存知だと思う。あれに関して、どうも引っかかっているのが、標記の件である。僕は別に何でも陰謀説を唱えたい人々のようなことを言っているのではない。歴史的経緯と、今回の騒ぎの始まった時期を知っているから、この話を書かずにおれないのである。

生物兵器の歴史というのは、実はかなり昔まで遡ることができる。一説によると、中世の戦争において、敵の城などに、伝染病で亡くなった人の遺体を放り込み、城塞内部でその伝染病が蔓延することを以て攻め落とす、ということが行われていたらしい。あのヨーロッパの 1/3 の人を殺したというペストの大流行も、1346年のキプチャク汗国(現在のモンゴル)とハザール王国の城塞都市カッファ(現在のウクライナ……黒海の北に位置する)の戦いで、キプチャク汗国の軍勢がカッファの城塞にペストで亡くなった人の遺体を放り込んだことに端を発する、という伝承がある位だ。

しかし、近代における生物兵器のルーツは、残念なことに、この日本が大きく関わっている。関東軍第731部隊……『悪魔の飽食』などの名を聞いたことのある方もおられるだろう……が、防疫活動を表の仕事に、そして生物兵器の開発と実験(それは3000人ものマルタと呼ばれた捕虜による生体実験を含んでいる)を裏稼業としていたのが、近代戦における細菌戦のルーツである。この頃の資料に目を通すとよく分かることなのだけど、この頃から、生物兵器のターゲットは人間に限定されてはいなかった。731部隊と並んで活動していた第100部隊(この部隊は毒ガスの研究でも有名である)は、家畜に対する生物兵器の研究を行っていて、中国やソ連に対して実際に細菌兵器を用いた記録が残っている。当時は畜産動物と、軍事行動において必要な馬をターゲットとしていたようだが、炭疽菌のように家畜にも人間にも脅威になるような病原体は、この2部隊に留まらず、世界中で研究が行われてきた。

さて、では、口蹄疫がこのような流れとどのような関係があるのか、というと……実は、口蹄疫はウイルス性感染症の中でも最も初期から研究対象とされてきた疾患なのである(参考文献:『口蹄疫ウイルスと口蹄疫の病性について』村上洋介)。しかも、口蹄疫はヒトにはほとんど影響を及ぼさない。おおっぴらにされることはなかったにせよ、生物兵器の研究の中で、この口蹄疫が研究対象になっていない、と考える方がむしろ不自然なのだ。

そして、韓国軍の哨戒艦「天安」が沈没した時期と、口蹄疫が確認された時期がそう離れていないことが、ますます疑念を募らせる。「天安」沈没は3月末で、今回の口蹄疫の感染が宮崎県で確認されたのが4月20日である。ひと月も離れているではないか、と思われるかもしれないけれど、実はこれに先立って、今年の1月から3月にかけて、韓国の京畿道、漣川郡と抱川市という二つの地域で口蹄疫が発生しているのである。しかも、この二つの地域は、共に北朝鮮と軍事境界線を挟んで対峙しているのである。

韓国における口蹄疫はこの後、4月8日に仁川広域市江華島に、19日には京畿道金浦市に、そして22日には忠州特別市に拡大している。今回の宮崎で確認されているウイルスの型はO型といって、これは4月以降の韓国での流行の型と一致する。それだけではなく、遺伝子配列の類似性も既に確認されているという。2月に香港でも同じO型のウイルス感染が確認されているのでまだ断定はできないが、今回の宮崎の口蹄疫ウイルスが韓国からもたらされた可能性は低くはない。そして、その出所がどこなのか……これもまだ完全には判明していないのである。どうも、またきな臭い話になってきたような気がするのは、果たして僕だけなのであろうか。

あって当然と思っていたものが

4月2日の日記に書いたように、ここしばらくの間は XFS ベースのシステムを使っていたのだけど、大きなファイル操作をしているときに background で仕事をしていると重くて重くて仕方がない。まあ覚書とかで、システムの復旧にそう手間がかからない状態なので、今日の空いた時間を使って、エイヤっと ext4 上に再度システムを構築し直した。

こういうときは、squeeze/sid のインストールイメージを取ってきて netinst するのだけど、最小限のシステムから必要なものを足しつつ、いつも使うツールを make していたときにふと気付いた……おいおい、default で ed って入らないの?

ed と言っても、普通の方にはお分かりいただけないかもしれない。僕も、直接使う機会はなかなかないのだけど、ed というのは「ラインエディタ」と言われるエディタである。現在のシステムに慣れた方は、エディタというと、Windows の notepad(いわゆる「メモ帳」)とかのように、あるウインドウの中に文書が展開されていて、好きな場所を好きなように編集できるものを想像されると思うのだけど、このようなエディタ以前に、いくつかのエディタの形式があったわけだ。ed はそのひとつである。

MS-DOS の時代にコンピュータを使い始められた方は、VZ エディタとか MIFES とかいう名前を御記憶の方もおられるかもしれない。これらは、GUI ではない DOS のコマンド画面上に文書を展開し、好きな場所を好きなように編集できるエディタである。こういうエディタを、スクリーンエディタと言うのだけど、これの登場以前にもエディタは存在した。その頃は、画面全体を使う利便性より、それに要するディスクやメモリの余裕がなかったり、あるいはダム端末などの、一画面の書き換えに時間や操作が必要な端末だったりしたために、画面の書き換えを最小限度に抑えて文書編集ができる方が優先された時代である。

僕が MS-DOS 上で最初に使ったエディタが、まさにこれだった。EDLIN と言うのだが……おそらくご存知の方はかなりの少数派だと思う。これは、1行単位で文書を展開し、修正し、保存する……その繰り返しで文書を編集するというエディタだった。VZ を入手するまでの何日か、僕はこれで泣きそうな気分で FORTRAN のソースを書いたりしていたのだった。DOS の標準エディタはこの EDLIN なのだけど、UNIX の標準エディタとして実装されたのが、先の ed である。

もちろん、このご時世には、ed をリアルタイムの文書編集に使うことはほぼ皆無である。システムに深刻なトラブルが生じたときのために、一応僕も使い方は覚えているけれど、これでソースや blog を書く気にはとうていなれそうもない。僕は UN*X 系のシステムの管理を行うときには vi を使うことが多いけれど、最近では vi を使えない UN*X ユーザも多いらしい。僕が UNIX を使い出した頃には、vi なんてライブラリのリンク次第でいつでも使えなくなる可能性があるんだから、admin は echo と ed で非常時を乗り切れなければダメだ、なんて話があったんだけど……

まあ、そういう話は大袈裟かもしれないけれど、でも ed がないのは困る。何故かというと、shell script でファイルの処理を行うときに、script から呼び出して使うことがあるからだ。今日の場合は、upTeX のインストールをしようとしていたら、妙なスクリプトエラーが出て、ん?あーこれ ed 入ってないじゃん、と気付いたのであった。しかし……要するに、ed がなくても困らないということは、shell script 使えなくても問題ないってこと?あーなるほど、自分で make とかしない UN*X ユーザってのが存在するわけか……しかし、じゃあ何が楽しくて UN*X 使ってるんだろう。不思議な話である。

ストラトの音作り

昨日の日記にリンクしたのは、暑さで何だか厭になって、スッキリした曲を作りたくなって試作したものである。ああいう断片が僕の HDD にはたくさん入っていて、それが膨らむときにはそれが完全な曲になるし、膨らまないときはそのままになるわけだ。

で、あのデモで弾いているギターはストラトである。僕はカッティングのときにはほぼ必ずテレキャスターを使うのだけど、今回はちょっと思うところがあってストラトを使った。その話を今日は書こうと思う。

テレキャスにはピックアップが二つついている。ネックに近い方をフロント、ブリッジに近い方をリアという。各々のピックアップの出力は 3 way selector で切り替えられるが、3 way の名の通り、selector を真ん中にすると、フロントとリアの出力をミックスした出力が得られる。このとき、二つのピックアップが拾っているノイズが相殺されるようにミックスされている。

ストラトキャスターにはピックアップが三つついている。ネックに近い方をフロント、ブリッジに近い方をリア、そしてその中間にあるものをミドルという。各々のピックアップの出力は 5 way selector で切り替えられるが、5 way の名の通り、selector で二つの隣接するピックアップの出力をミックスした出力が得られる。二つのピックアップが拾っているノイズが相殺されるようにミックスされているのは、テレキャスターと同じだ。

……などと書いていても、ギターを弾かない人にはさっぱり分からないかもしれないので、以下に各ポジションで弾いた生音を挙げておこう:

  1. Telecaster Rear
  2. Telecaster Rear - Front Mix
  3. Telecaster Front
  4. Stratocaster Rear
  5. Stratocaster Rear - Middle Mix
  6. Stratocaster Middle
  7. Stratocaster Middle - Front Mix
  8. Stratocaster Front
……違いがお分かりになるだろうか。

さて、では、普段僕がこれらをどう使い分けているのか、だけど、実はテレキャスターの場合、9割方は (2) Telecaster Rear - Front Mix を使っている。カントリーとか、あるいはジミー・ペイジのように歪ませて使う人は (1) のリアを使うことが多いと思う。ちょっとジャズっぽいプレイをする人は、ひょっとすると (3) のフロントを使うかもしれない。ただし、もともとテレキャスターのフロントピックアップは、ギターをベースの代用として使うために追加されたものなので、(3) を常用する人はあまりいないかもしれない。僕のように歪ませずカッティングメインで使う場合は、selector を動かすことはほとんどないと言ってもいいだろう。

ではストラトでは……と、これが問題だったのだ。僕は普段は専ら (5) Stratocaster Rear - Middle Mix を使っていたのだけど、他のポジションを有効に活用できていなかった。うーん、なんだかなあ、と思いつつ、昨日の録音をしていたのだった。

自分でアレンジをして、あれを録音していたわけだけど、時間はトータルで2時間程度しかかけられない。うーん、カッティングにストラト使ってみよう、でもからっとした感じにするのに、どうするのがいいのかなあ、と考えていたときに、そう言えば今回のアレンジ、大貫妙子の『夏に恋する女たち』に似てきたな、と思ったのだった。

『夏に恋する女たち』は、大貫妙子の "SIGNIFIE"(シニフィエ……あーそーか、いわゆるニューアカデミズムの華やかなりし頃の名残、かな)に収録されている。たしかドラムは坂本龍一が叩いている(と書くと意外に思われるかもしれないけれど、『い・け・な・いルージュマジック』とかでも叩いている)のだけど、ギターは確か大村憲司だったはずだ。大村憲司と言えば天下無双のストラト使い……というわけで、納戸の奥をごそごそやって聴いてみると……あー、これリアで弾いてるっぽいなあ。

家でギターを録音するのに、アンプを鳴らすわけにはいかないから、僕はほぼ 100 % ラインで録音をするのだけど、こういうこともあろうかと、ちょっと前にギターやベースは自作の真空管プリアンプを通すようにしてある。このアンプは少しだけだけどオーバードライブできるようになっているのだけど、今回はリアで、歪むか歪まないか、のぎりぎりのところにセッティングする。もう少しゲインを上げると、いわゆる「クランチ」になるのだけど、この辺りのセッティングを今まで追求していなかった。弾いてみると……あー、ストラトってこうやって使うんだ。これも自作の BOSS OD-1 のクローンを突っ込んでみると……そうかそうか、こうやって音を作ればいいわけね。ようやく納得できた。で、録音したのが、昨日のあれだった、という次第だ。

……と、なんだか軽音の高校生みたいな話だけど、今までほとんど歪ものを弾いていない僕は、ようやくストラトと真空管プリと OD-1 で音のバリエーションを整えることができるようになったのだった。

あーなんかスッキリしないかなぁ

鳩山切腹論

僕は、2010年に入ってからあちこちで公言していた。沖縄問題が原因で、鳩山総理は腹を切る可能性がある、と。これを言うと皆さん「いやそんなことはないでしょう」とか、甚だしきに至っては「民意の反映としての政権交代を邪魔するな」みたいなことまで言われた。

初めに公言しておくけれど、僕は自民党シンパでも、民主党シンパでもない。当然だけど公明党のシンパでもない。ついでに書くと共産党や社民党のシンパでもない。既存政党に関しては限りなく絶望に近い感覚で捉えていたし、それは現在でも変わらない。ではなぜそんな僕が、わざわざ「鳩山切腹論」を口にしていたか、というと、それは当然理由がある。

鳩山氏の「普天間移転は国外、最低でも県外」という主張が知られるようになったとき、僕はどうしても一つ、引っかかることがあった。基地移転を唱える場合、基地跡地に関して何か言及しても良さそうなのに、奇妙な程にそれが鳩山氏の口から出ることがなかったのだ。もし僕が政治家で、鳩山氏と同じことを言うならば、絶対「ここが空けばこうなるんだから」と主張するに決まっている。「夢」が提示されれば、人はそれを求めて動くからだ。

普天間飛行場の跡地は約 4.8 km2。その利用に関しては、「駐留軍用地跡地利用の促進及び円滑化等に関する方針」(平成11年12月28日閣議決定)に沿って設置された「跡地対策準備協議会」「跡地対策協議会」、そして周辺市町村の連絡機関として「跡地関係市町村連絡・調整会議」が立ち上がっている。これに関しては:

http://www.pref.okinawa.jp/kichiatochi/taisei-btm.htm

に会議資料があるので、詳しくはそちらをご参照いただきたいのだが、これらはいわゆる実務者レベルの協議内容で、基地跡地の (1) 現状回復 (2) 埋蔵文化財等の調査 (3) 地主問題等の解決 に関して検討がなされているようだ。これらの資料と、宜野湾市が出している「基地政策部 基地跡地対策課(普天間飛行場に係る取り組みの経緯)」、そして内閣府が出している「普天間飛行場の跡地利用の促進及び円滑化等に係る取組分野ごとの課題と対応の方針についての取りまとめ」に眼を通すと、沖縄県や宜野湾市としては、普天間飛行場跡地には埋蔵文化財があるので、公園化して文化財保護を行いつつ再開発を行いたい、ということのようだ。

ところが、である。これらの会議、どうもこの数年は止まっているようである。これはおそらく、自民党時代には、キャンプシュワブ沖への移転が規定路線として動いていたので、それが走り出してから実際の計画立案等を行おう、ということだったのだろう。そんなところに、民主党連立内閣が成立し、基地関連の計画が凍結されたのと共に、この跡地開発に関する国レベルのアクションもまた止まったのだろう。しかし、民主党連立内閣は、どうやらこの再開発に関する議論を再開することを考えもしなかったようだ。

普天間の移転を既定路線とするためには、跡地の利用に関するビジョンが明確になっている方がいい。どう考えてもそうだろう。実際、跡地開発に関して、市町村・県・国レベルで協議してきた経緯もある。それを踏まえるにせよ、反故にする(民主党は「ゼロベース」という便利な言葉を発明したけれど)にせよ、沖縄の地方自治体を巻き込んで普天間飛行場跡地の開発ビジョンを提唱することは、移転推進のためにはきわめて重要だと言わざるを得ない。しかし、現状として、それは止まったままで、総理からの明確なコメントもない。それはなぜだろうか。

ここで、沖縄の人にとっては耐え難いであろう可能性が浮上してくる。普天間飛行場という牌を、鳩山首相は抱え込んだままで、それを切るか、手の内に入れるのか、未だに明らかにしていない、つまり、「普天間飛行場を移転しない」という可能性を、鳩山首相は否定していない、ということである。今月末に国外、もしくは県外へ移転する、という構想が頓挫した現在、今後の進め方としては、最低でも飛行場はキャンプ・シュワブ沿岸、もしくは沖に移設するというところに落としたいわけだけど、これに関しても自然に影響を与えないというのは無理な話である。結局、辺野古に泣いてもらいましょう、ということで話が進んでいるわけである。しかし、今までの首相の言行に、これは明確に矛盾する。

ここで、最悪のウルトラCの可能性が見えてくる。新たに飛行場を作らなければ、自然を破壊することはない。だから、普天間にそのまま基地を置きっ放しにして、それでは世間が納得しないのを何とかする、というシナリオだ。アメリカも普天間に基地を置いておきたくはない訳で、周辺住民もアメリカ政府も納得しない。それを無理に通すことができるのか……その可能性を考えると、もはや腹を切る位しか手がないわけだ。

普天間問題は何もかも放り出します(これを「ゼロベースからの再検討」と読むらしいけれど)。それでは皆さん納得しないでしょうから、首相の座を辞します。後は皆さんよろしくね……と、こんな可能性があるわけだ。これは、辺野古移転の場合でもあり得る話だ。やっぱり辺野古の海しか飛行場を作れる場所はありませんでした、それでは皆さん納得しないでしょうから、首相の座を辞します。後は皆さんよろしくね……と、こんな感じだ。マニフェストと言質を、首相の座と引換えにひっくり返そう、というわけだ。

もちろん、僕は、これを望んで書いているわけではない。しかし、ひょっとすると、鳩山氏は、普天間問題の自民案への回帰と引換えに、こんな行動に出る可能性もある……ということだけは、ここに書いておくことにしよう。

強化ガラス製滑走路?

いま、宮根誠司氏が司会している「Mr.サンデー」を観ているのだけど、共同通信社の記者が、現在政府が強化ガラス製滑走路を検討している、という情報を出している。

しかし、これが本当だとしたら、本当に民主党関係者は「鳥頭」だとしか言いようがない。ガラスで滑走路を作れば、日光を遮らないから海底への影響がない、というのだけど、水際にガラスが常設されていたらどうなるか?藻だってフジツボだって着くに決まっている。ガラスだって、付着物が着いたら、所詮は日光を遮ってしまう、というのは、小学生だって分かりそうなものだ。

もちろん、定期的に、ガラスの両面を掃除すれば、この問題はクリアできるかもしれない。しかし、仮に 2000 m 級の滑走路だとして、幅が 20 m と仮定すると、その面積は両面で 80000 m2、実に 280 m × 280 m ということになる。これを定期的に掃除する?しかも片面は海の直上である。ランニングコストがいくらかかるのか考えてみろ、っての。

そして、もう一つの可能性として、はいはい出てきましたね、鳩山切腹論。あーあ、また僕が言った通りになるのかいな。こんな予言、当たってほしくないんだけどなぁ。

続・敬虔という言葉

昨日書いた件だが、今日も継続して情報を捜していたところ、以下のようなものを目にした:

http://catapaw.blog17.fc2.com/blog-entry-645.html

なるほど、ここに書かれていることが事実ならば、ただ野放図に餌やりをしていた、ということでもないようだ。その点、書き過ぎた点があれば、お詫びする次第である(削除はしない――過ちも含めて記録してこその blog なので、上記記述を公開することで訂正としたい)。

ただし、やはり加藤氏のやり方には問題があったと言わざるを得ない。上リンク先にある:

加藤元名人は、動物愛護の精神から、
平成14年から集合住宅の自宅専用庭で野良猫に餌を与えるようになりました。
側に猫用トイレを設置し近所のパトロールをして掃除をし、
野良猫が増えないように自費で不妊去勢手術を施し、里親に出すなどして、
最盛期には18匹だった猫を、現状2匹までに減らしてきました。
と書かれているのが事実の真相であるとするならば、すぐに指摘できる問題点が二つある。

ひとつは、加藤氏が、地域とのコンセンサスなしにこの活動を続けてこられたこと。何よりもまず、地域のコンセンサスなしには「地域猫」など存在し得ない。臭いや猫がいることそれ自身を嫌悪する人に対しても、一定のコンセンサスを得なければ、地域で猫を保護するということは出来はしない。それが得られていない状況で、8年間もこのような活動を継続したからこそ、訴訟などということになるのだから。

もうひとつは、人が一人でできることには限界があるということ。14匹を8年かけて2匹に減らした、ということは、逆に言えば、協力が得られれば半年や1年で解決できたことを、自分一人で行うことに固執した結果として、8年も長引かせてしまった、ということである。

カトリックの聖職者としてあまりに有名なマザー・テレサという人がいる。彼女はコルカタの聖マリア学院の校長を務めていたときに啓示を受け、貧しい人の為に尽したいと志す。しかし、彼女はただ無鉄砲に飛び出したのではない。時の教皇ピウス12世の許可を辛抱強く願い、それを得てからスラムに赴いた。そして、彼女の行動と志が呼んだという面は勿論あるにせよ、学院時代の教え子を中心とした協力者を得、そして「神の愛の宣教者会」を設立したのである。彼女は一人の偉大さ同様、一人の無力さも骨身に沁みるが如く理解していたのだ。彼女の遺したことばを読み、彼女が「わたし」と「わたしたち」をどう使い分けているかを見ると、このことはよく分かるだろう。

徳を積むことはよいことである。しかし、僕たちは、積むべき徳を一人で抱え込もうとはしていないだろうか。積まれた徳の高さは、積んだ手の数で割引かれないものだということを、僕たちは肝に銘じなければならないのだ。

敬虔という言葉

プロ棋士の加藤一二三氏が、自宅マンション周囲の猫に餌付けをし、糞尿などの問題で周囲の住人とマンションの管理組合から提訴されていた裁判の判決が、地裁で出た。結果は加藤氏の敗訴である。裁判所は、マンション敷地内での猫への餌付けを禁止する命令を出した。

僕にとってこの問題はふたつの側面を持っている。連れのUが猫を飼っている関係上、猫に関する様々な話を聞く機会があるので、まずはその方向からこの件に関してコメントしよう。

まず、はっきりと断言するが、野良猫に餌をやることは、誰のためにもならない。それは猫自身の為にすらならないのだ。なぜかというと、まず、猫の糞尿に代表されるような、衛生面の問題……これは単に悪臭がある、あるいは不潔だというだけでは済まない。たとえば寄生虫を考えると、猫から人に移行する可能性のあるものは:

  • 回虫(大小回虫、猫回虫)
  • 条虫(猫条虫、瓜実条虫、マンソン裂頭条虫)
  • 鉤虫
  • 鞭虫
  • トキソプラズマ
  • コクシジウム
  • フィラリア
  • エキノコックス
と、ざっと挙げてもこれだけいる。これらの、特に上半分辺りまでのものは、もし人間の体内に入った場合、本来の宿主と体内環境が異なるために、しばしば幼生のまま体内をうろつくことになる。皮下に入り込めば、(依存性薬物の禁断症状でしばしば幻覚でみるというけれど、こちらはリアルな)皮膚の下を虫が移動している、という状態になる。これらの幼生は、しばしば人の眼に入り込む。乳幼児の場合は失明することもある。そして最悪なのは、幼生が脳内に侵入したときだ……幼生には、多くの場合、駆虫薬が効かないので、外科的除去しか対応策がないのだが、開頭してもアプローチできない場所に入り込まれたらどうしようもない。てんかんや麻痺などの、極めて深刻な症状を呈して、死ぬ場合もある。

トキソプラズマは、妊婦の体内に入ると胎児に重篤な障害を与えることがある。コクシジウムはひどい腹下しを起こす。近年、飲用水にこれが混入する事例が報告されていて、水道水への塩素添加だけでは殺し切れないことが問題になっている。

そして、危険順位 No.1 がエキノコックスだ。もともとは北海道のキタキツネの糞から感染することが知られているこの寄生虫は、感染後5年〜10年という長い年月を経て、肝臓や肺に重篤な障害を引き起こす。また、先の幼生と同じく、まれに脳や心臓に入り込み、無残な結果となることもある。従来、北海道に限定されていると思われていたこのエキノコックス、実は野生動物の感染北限がどんどん南下している。手元の資料によると、2001年の段階で、既に大阪や京都でもエキノコックス感染の事例が報告されている。もはや他人事ではないのだ。

小さいお子様をお持ちの方々はあるいはご存知かもしれないが、このような問題を減ずるため、地方自治体などでは、砂場の砂を高温処理して残存する虫卵を殺す処置などを行っている。しかし、近所に猫がいたら、いくら半年や一年に一度こういうことをしても無駄である……そもそも、猫は砂のあるところを選んで排泄を行う習性なのだから。

この他にも、眼からショウジョウバエの一種を介して感染する東洋眼虫など、駆虫管理のされていない動物やその糞便に暴露されていることの危険性は極めて大きい。

そして、猫同士の場合でも、このような問題は無視できない。上述の寄生虫以外にも、感染症として:

  • 猫パルボウィルス感染症
  • 猫コロナウイルス感染症(伝染性腹膜炎 = FIP)
  • 猫ヘモバルトネラ感染症
  • 猫免疫不全ウイルス感染症(猫エイズ = FIV)
等が重篤な症状を引き起こす。例えばペットの猫を公園に連れて行って、そこの野良猫とじゃれ合って掻き傷や咬み傷がついた場合、あるいはその野良猫の糞便に暴露された場合、これらのウイルス性感染症に感染する危険は低くないのだ。その飼い主が複数の猫を飼育していれば、他の猫にも当然感染し得る。

野良猫の寄生虫・疾病の管理をせずに野放図に餌をやることがどのような結果を生むか、これでまずはお分かりいただけるのではないだろうか。しかし、問題はこれだけには留まらない。野良猫は当然生まれながらの生殖能力を持っているわけだけど、繁殖期になれば当然交尾して、仔を産む。しかし、野良猫の集まるエリアであっても、その頭数は知れたものだから、しばしばその集団では近親交配が行われることになる。結果として、眼や四肢に重い障害を持った猫が増殖することになる。生きていけない猫はどうなるか。親が食べてしまうことも珍しくはない。先の寄生虫や疾病の問題も含めると、これが自然だ、と言い切るにはあまりな状況だとは思わないだろうか。

これは野良猫だけの問題ではない。「多頭飼育」「崩壊」「猫」のキーワードで検索をかけてもらえばすぐに分かることだけど、自宅で猫を飼っている人でも、去勢・避妊をサボったためにとんでもない数の猫を抱えてしまう事例は、枚挙に暇がない程に報告されている。以前、僕の知人が関わった事例では、四畳半の部屋にチンチラミックスが60匹……という、生地獄としか言いようのないケースもあったという。

このような問題をどうにかするために、数々の団体が実際に動いている。僕の知人が運営している NPO のPaw Aidでは、野良猫を捕獲し、多頭飼育の猫を引き取り、去勢・避妊・医療措置を講じ、健康を回復させてから、一生面倒をみる旨契約書を取り交わした上で、飼い主に猫を譲渡している。譲渡までに必要な経費は全て寄付やグッズ販売、フリーマーケットなどの収入で賄っているので、気に入った猫を一生ちゃんと面倒みます、という覚悟(これは環境整備も含めて、という意味だが)がある人は、協議・合意の上、誰でも無料で譲渡を受けることができる。

この Paw Aid の例よりもう少し「野良猫」の実情に寄った解決策が、いわゆる「地域猫」というものだ。これは単なる野良猫の黙認ではない。安全な餌の供給・糞便の清掃・猫の個体別管理(個体認識から個々の猫の去勢・避妊に到るまで)を行って、初めて「ここの猫は地域猫だから」と言えるのである。

ここまで書いて、皆さんもお分かりになったろうか。猫に餌をやる、ということは、猫に施しをしているのではなく、餌をやったという行為にただ満足しているだけの行為に過ぎないのである。何の対策もなしに餌をやり続ければ、野放図に猫は(近親交配を含めて)増殖し、衛生環境は劣悪となり、その影響は周囲の人にも動物にも及ぶ。

さて。ひとつの側面から、加藤氏の行動の問題に関してコメントしたわけだが、上述の通り、この問題は僕にとってはもうひとつの側面を持つ。それが何かというと、加藤一二三氏が「自他共に認める、敬虔な」カトリック信者であるという点だ。

加藤氏は1970年に受洗し、洗礼名は「パウロ」だそうだ。1986年にはときのローマ教皇ヨハネ・パウロ2世から聖シルベストロ教皇騎士団勲章(作家の遠藤周作が貰ったものと同じ勲章だ)を受けている。なんでも所属は聖イグナチオ教会で、結婚講座の講師を務めているという。そういうものを公にしているからこそ、今回の問題は僕たちにしてみたら「面倒な話」なのだ。当然世間では「カトリックなのに……云々」と非難されるだろう。で、一種の三段論法的展開の末に、「Thomas さんカトリックだそうだけど、カトリックがあんなことしていいのかね」などと、僕のところにも妙な話が来たりする、かもしれない。

まず書いておくけれど、僕は自分がどう生きるかという分だけでもいっぱいいっぱいだ。勿論、カリタス・ジャパンの募金とか献金とかは出すし、他にもできることはするけれど、カトリックの総意に反映するような何事かを負うというのは無理な相談だ。なにせ、今の世界全体で、大体 15〜16 % の人がカトリックなのだから、十数億人いればありとあらゆる人がいる。そしてキリスト者は皆罪人なのだから、何かしらの十字架を背負っているわけだ。

そして、僕はおそらく世間のカトリック信者の中ではかなり特殊な部類だということも書かなければならないだろう。なにせ、小学校に上がるか上がらないかの頃に、図鑑片手に「天国は何処にあるんだ!」と司祭に食ってかかった僕である。そのくせ、幼少の頃は、教会と修道院が遊び場だった(日本でこんな環境で育った人は、おそらく長崎以外では極めて稀だろう……僕と同じような来歴の人がいるならば、是非一度お目にかかりたい位だ)。中学のときに『沈黙』を読んでからの内省的信仰の日々、そして何でも読んだり書いたり学んだりする性分が加わって、僕という変なキリスト者が形成されたのである。

ただ、そういう「変な」来歴のおかげで、僕は篤信家がしばしば陥りやすい穴を逃れることができた。篤信家と呼ばれる人が総てそうだとは言わないけれど、時として、篤信家たる自分の主観を、神の名のもとに、客観的に適用してしまうことがある。人はしばしば無知で、視野が狭く、そして偏っているものだけど、神にかなうように生きているという感覚のもとに、それらの自分の "歪" を忘れてしまう。そして、目前の何ものかに対して、歪んだ神の代執行者とも言えるような振る舞いをしてしまうのだ。そういう輩は、信仰を他者に評価されたことを以て、自らの主観の確かさをますます確信してしまうから、質の悪い話である。

今回の加藤一二三氏の所業は、まさにそういう(勘違いの結果として)「歪んだ神の代執行者」として振舞ってしまっている典型だと思う。彼にとっては、あるいは、目前の猫の飢えを癒すことが「正義」なのかもしれない。しかし、「正義」という言葉が、多面的でないものの見方の権威付けに使われることは、ここにもはや説明するまでもないことである。特に、信仰を持つ者はなおさら、この危うさを知らなければならないのだ、と、僕は思うのだ。

国会議員の通信簿

どうも昨夜に食べたもののせいなのか、体調を崩して、今日は家で寝ている。ふとつけたテレビはよみうりテレビ制作の「ミヤネ屋」だったのだけど、ちょうどタレント議員の問題を話しているところだった。そこで大宅映子女史が「国会議員も通信簿が必要よね」とポロリと言ったのを聞いて、ん?と思ったのだった。考えてみればおかしな話である。大学の講義すら受講者の点数で評価される時代に、どうして国会議員の国民による評価がなされないのだろうか。

http://nensyu-labo.com/koumu_kokka_kokkaigiin.htm

によると、国会議員の年収は平成19年の推定額で約2900万円である。そして、国会議員にはこの収入額に入ってこない、以下のような様々な特権が認められている:

  • 不逮捕特権(国会会期中)
  • 免責特権(議院で行った演説等は院外で責任を問われることはない)
  • 歳費特権(国庫から歳費を受け取ることができる……給与・賞与・退職金に相当)
  • JR全線無料(新幹線、特急、グリーン車も可)
  • 航空機無料(月4往復までは無料)
  • 議員宿舎(悪名高き新赤坂議員宿舎は3LDKで家賃が9.2万円/月。相場は50万円/月ほど)
前にも書いたけれど、これらの費用を仕分けよう、という動きは、どういうわけか全く出てこない。今の議員定数が、衆議院議員480人、参議院議員242人だから、もし年収の2割をカットしただけでも数十億の節約になるのに、である。

国会議員が議員収入のことをつっつかれると、必ずと言っていい程口にするのが「私設秘書を雇ったりして、国政を遂行するのに必要なんだ」という言い分である。ではなぜ、現在の公設秘書の人数(公設第一秘書、公設第二秘書、および国会議員政策担当秘書の3人)を拡大して、その分議員収入を減ずるという「自浄措置」を誰も提唱しないのか。融通の利く金を持たせたら、まあほとんどの人は自分のために使うものなんだけどなあ。

国民の選出した議員に何を言う、などと言われそうだけど、元自民党で官房長官を務めた野中広務氏などが証言している通り、内閣機密費というものの使われぶりは実にひどいものらしい。選挙対策に流用されたり、外遊の餞別に使われることも多かったらしい。性質上この科目をなしにすることができないにせよ、その使われ方に国会議員の品性が現れていることは言うまでもあるまい。だから、使途をつまびらかにできる金は、科目を規定・明示して渡さなければならないはずなのだ。たとえば、同じ年齢の国家公務員一種の俸給を適用する、などして、せめて世間並みの年収に抑えて、その分交付金や議員秘書枠を増やせばいいだけの話だ。

そして、政治資金規制法の開示請求を行い、金の分働いているかどうか、を精査する市民オンブズマンなどが設立され、機能すれば、国会議員は「通信簿」で明確に国民の審判を受けることになる。もちろん、利益直結の姑息的な行動だけが評価されるような精査であってはならないから、この精査を行う組織の中立性・透明性は極めて高いものを要求されるので、そう簡単な話ではないけれど、このような仕組みで、国会議員の収入と経費が適正化され、その使途と業務が全うに評価されるならば、こんないいことはない、そう思うのは僕だけであろうか。

Tighten Up

テキサス出身の Archie Bell & the Drells というグループがあって、そのあまりに有名なヒット曲がこの "Tighten Up" だ。なにせ James Brown Orchestra もカヴァーしているし、最近はおそらくレア・グルーヴ(グルーブ感じる度にレアだ何だって、ならそんな音楽やめちまえ、とか思うけど)とかで有名なのかな。

上のリンク先、実は左右のトラックがひっくり返っていて、本当はカッティングは右から聞こえてくるはずなんだけど、アナログからで、part 1 と 2 と両方入ってるので、何卒ご了承の程を。で……実は僕は不明にして、今日の今日まで、YMO がこの曲をカヴァーしていることを知らなかった。しかも、この曲であの Soul Train に出演していたのである!

もうアッコちゃんノリノリである。そして謎のイトウさん……うーん。しかし、これはおそらく細野氏のアイディアなんだろうなあ。坂本龍一の抽斗に入っているとは思えないし。ちなみにこれは勿論ですが rip sync です。ちゃんと聞きたい方はこちら。

それにしても、細野=高橋のボトムは素晴らしい(あー勿論ギターも……これ大村憲司かな)。こういうワンフレーズものこそ、本来の groove の王道なんだよな。"Tighten up, Takahashi! SAKE NOME Sakamoto! Hurry up with the bass, Papa-San!"

「もんじゅ」再起動を考える

高速増殖炉「もんじゅ」は、僕とはまんざら無縁というわけではない。僕の恩師が、ナトリウム漏洩事故のタスクフォース委員会の委員で、施設内の腐食が起きたメカニズムを明らかにするミッションをこなしていたのだ。

そのときの恩師と僕の見解は概ね一致していた。ガラスや溶融塩を扱った経験があれば、あの施設内が無茶苦茶になったメカニズムの推測は難しくないことで、あれは、漏洩した高温の金属ナトリウムが空気中の酸素や水蒸気と反応して、多量の Na2O が生成したことによるものだ。 Na2O は溶融状態では恐ろしく腐食性が強い。どれ位強いのかというと、 Na2O を高濃度含有したガラスを融かして、そこにステンレスの棒を突っ込んだら、グズグズと溶け込んでしまう(正確には、ステンレスの鉄やニッケル、クロムといった成分が迅速に酸化され、その酸化物が溶け込むわけだけど)程だ。しかもこの Na2O 、大気中に置いておくと、水蒸気と反応して NaOH 、つまり水酸化ナトリウム(苛性ソーダと書いた方が通りがいいのだろうか)になる。こいつは生成初期は極めて細かい粉末になって辺りに飛散して、そこで潮解してくっつくと、丸洗いでもしない限り除去することは難しい。強アルカリの微粉末を吸引したり、皮膚や粘膜を暴露したりすることは、言うまでもないけれど極めて危険だ(強アルカリは生体を構成するタンパク質を溶かしてしまうから……目に入ったらほぼ確実に失明するだろう)。

まあ、こういうことを考えていてもなかなか人には伝わらないので、恩師達は、現場を模した設備を鋼鉄製のチャンバーの中にしつらえた。配管やはしご、マンホールなどがしつらえられたそのチャンバーを通常の大気で満たして、溶融ナトリウムをぶち込むと、マンホールの蓋さえもぐずぐずに溶けてしまった。まあそれはひどい有様だったらしいけれど、それだけにアピールの方も完璧だったらしい。

さて。そんな「もんじゅ」が今日から再稼働を始めた。おそらく数日のうちに臨界に達することだろう。しかし、正直言って、このご時世に「もんじゅ」にこだわるということが、果たしてこの国に対して、そして世界に対して有益なことなのだろうか。皆さんはお考えになったことがあるだろうか?

そもそも、高速増殖炉とは何か。世間の人は、おそらく「『高速』に何かが『増殖』する」炉だ、などとお考えなのではなかろうか。これは頭っから間違っていて、高速増殖炉というのは「『高速』中性子でプルトニウムを『増殖』させる」炉、という意味である。

一般の原子炉では、核分裂で生じた中性子の飛翔速度が低くなるような工夫をしている。これは、連鎖反応を起こすウラン235を効果的に分裂させるために、その方が都合がいいからである。しかし高速増殖炉では、逆に中性子の速度が高く保たれるような工夫をしている。冷却材として金属ナトリウムが用いられるのもその工夫の一環なわけだ。高速中性子は、連鎖反応を起こせないウラン238の原子核に捕捉されて、ウラン238をプルトニウム239に核変換する。つまり、燃料として使えないウラン238を元にして、連鎖反応を起こす(= 核燃料として使用できる)プルトニウムを「増殖」させることができる。これが、「高速増殖炉」の名の所以である。

ここだけを見ると、未来のエネルギー源として魅力的に思えるかもしれない。しかし、プルトニウム239というのは、実はかなりの曲者なのだ。プルトニウム239はウラン235と比較して臨界量、つまり、一所に置くと自発的に連鎖反応が始まってしまう量が小さい。具体的には、ウラン235の臨界量が 46.5 kg、プルトニウム239が 10.1 kg といわれている。このプルトニウム239の臨界量は、たとえば金属プルトニウムの球を仮定した場合、その直径が 10 cm を少し割る位だから、その小ささを実感していただけると思う。

しかも、プルトニウムはウランの場合と異なって、同位体濃縮を行う必要がない。ウラン235は、自然界で産出するウラン全体の 1 % 未満の割合であり、しかもウラン235とウラン238は化学的性質の違いがない。だから、核種の違いに起因する質量差(それもわずか 1.3 % 程度しかないのだが)を利用して、遠心分離法やガス拡散法などで濃縮を行わなければならないのだけど、プルトニウムの場合は、不純物を化学的手法で除去してやればよい。これを実際に核兵器として用いるためには、いわゆる爆縮レンズ(これに関しては未だに米露共に機密扱いにしている)等の、非常に高度な技術的課題をクリアしなければならないから、決して容易ではないのだが、もしもプルトニウムをばらまく、いわゆる「汚ない核」としての兵器利用を行うのならば、高純度精製すら不要である。

だから、プルトニウムの管理は、それを所有する国だけに限定した問題ではない。IAEA によって、国際的にその状態が明らかになるように、徹底的に監視されるのだ。日本が保有するプルトニウムの量は、国外にある分を含めて 33.9 t(2007年12月31日現在) 、使用済燃料中のものも含めると 133 t 近く(2006年末現在)あって、これはアメリカ・ロシア・フランス・イギリスに次いで多い。中国は使用済燃料中のプルトニウム量を IAEA に報告していないけれど、中国が日本以上に保有していると考えても、この量は世界第6位ということになる。

つまり、現時点で、日本は世界有数のプルトニウム保有国なのだ。それは、日本の核施設を査察するために IAEA が使っている予算額をみれば一目瞭然だ。IAEA は、まともに各国の核施設を査察していたら金がいくらあっても足りないので、「統合保証措置」 (integrated safeguards, IS) という概念を導入して、核の平和利用を行っている国に対しては査察を軽くするようにしているのだが、IS を適用されている日本1国のために IAEA が投じている査察費用は、全査察予算の 1/4。実は日本は、核兵器を否定する国でありながら、同時に最も核に関して監視されている国でもあるわけだ。これが、日本におけるプルトニウムの問題点のひとつである。つまり、日本は、「もんじゅ」が稼動を止めていた時点において、既に「プルトニウムを持ち過ぎた国」なのである。

いや、プルトニウムは核燃料サイクルを成す上で重要な燃料なんでしょ、という指摘がきそうだけど、そもそも、プルトニウムをどのようにして燃料として有効利用していくのか、という問題への答は実に曖昧なものなのだ。プルトニウムは高速増殖炉の燃料として用いられる。しかし、燃料として入れた分よりはるかに多いプルトニウムを「増殖」の結果として得ることになる。だから、得られたプルトニウムを「燃やす」必要が出てくるわけだ。しかし、現時点では、プルトニウムを単体で用いる原子炉というものは存在しない。

プルトニウムを「燃やす」ためには、実は既存の発電用原子炉がそのまま使われている。もともと発電用原子炉で得られる熱量の3割程度が、炉内で核変換されたプルトニウムによるものとされているので、ここに更にプルトニウムを足しても何とかなるだろう、という発想で、ウラン=プルトニウム混合酸化物 (MOx) をペレットにしたものを燃料棒に詰めて、既に発電が行われている。計算上では、MOx を用いることで熱量の5割強がプルトニウムの核反応で得られることになる。

この MOx、ずいぶんと物議を醸してきたものなので、ニュース等でこの名前を御記憶の方も多いと思う。そもそもウラン235で運用する原子炉にプルトニウムを混ぜた燃料を突っ込んで大丈夫なのか、という問題がまずあるわけで、特に炉内の核反応の安定性が求められる原子炉で、このような未知のファクターが入ってくることは、たしかにあまり感心できるものではない。その筋では、充分なデータ蓄積をしている、と言うのだろうけれど、しかしそもそもこんな使い方を前提として設計されていない炉を使う訳だから、想定していなかったトラブルに見舞われる危険性は、ゼロではないだろう。しかも、この MOx をテロリスト等が入手した場合、化学的手法によるプルトニウムの濃縮が可能なので、運用において高いリスクがつきまとうのは否定できない。

僕が知る限り、最も安全そうなプルトニウムを「燃やす」方法は、溶融塩原子炉を使うやり方である。ただし、この炉を作る際には、おそらくコンタクトマテリアル(溶融塩に直接接触する部材)の腐食の問題をクリアしなければならない。あと、既存の原子炉の利権を得ている企業が、このような方式に乗ってくるかどうか、という政治的な問題もあるだろう。

いずれにせよ、現時点で、プルトニウムの量はかなりなものになっているのに、MOx でチビチビ消費する以外の有効な利用手段が確立されていない状況で、しかもプルトニウム自体は非常に危険な核物質である。それなのに、これ以上プルトニウムを増殖させてどうするのか、というのが、僕にはどうも分からない。「もんじゅ」再稼動というのは、こういう問題をはらんだものだということを、僕達は知る必要があるのだけど、おそらく世間ではあまり知られていないんだろうし……

「埋め立てない」の欺瞞

これも今更書くまでもないことだけど、鳩山首相が沖縄で動いている状況なので、ここにも書いておこうと思う。まず現状だけど、鳩山首相は、普天間の移転を完全に国外/県外にすることを断念し、一部を徳之島に、残りは沖縄県内とすることで各方面の了承を得ようとしているわけだ。

これに関しては、もはや笑うこともできない。そもそも、民主党には沖縄との交渉を根回しするパイプがないのだから、政権獲得後、可及的速やかに、鳩山首相は沖縄を訪れなければならなかったのだ。それを、ろくに沖縄とのパイプを築こうともせずに、首相自らがあやふやな言動に終始したものだから、話の落とし所がすっかり見えなくなってしまったわけだ。

そもそも、何故、沖縄にアメリカは海兵隊を置いているのか、を考えなければならない。海兵隊のミッションは、海を経由して陸上戦力の第一陣を送り込むことにあるわけだけど、このような部隊が、日本に対して機能する事態というのは、生じる可能性は高くない。そのような可能性の高いのは、東アジア地域においては、明らかに台湾と韓国なわけだ。だからアメリカは、この2国に対して仮想敵国(この場合は第一に中国、第二に北朝鮮ということになるだろうけれど、現状を鑑みるに、中国こそその仮想敵国だと言ってさしつかえあるまい)が侵攻した場合、即応ができる位置に海兵隊戦力を置いておきたいわけだ。しかし、台湾は表向きは国として正式の付き合いをしているとは言い難い状態だし、韓国に置くことは、中国に対して軍事的プレッシャーを増すということになるので好ましくない。だから、アメリカは台湾と韓国に近い沖縄に、海兵隊戦力を配備しているのである。

このような観点からみると、徳之島という場所がアメリカにとって承服し難いロケーションだということは想像に難くない。徳之島に移設するというのは、ここに断言するけれど、まず 100 % 無理だろう。もし可能性があるとすれば、海兵隊の陸上施設も全て込みで移転する、というのが考えられるけれど、当然ながら徳之島にはそこまでの土地はない。既存の海兵隊戦力と分裂させて飛行場だけを徳之島に移設することは、マスコミも既に取り上げている通り、大阪の人が琵琶湖辺りに駐車場を借りるようなものだ(ヘリの運用を考えた場合、通常装備では徳之島と沖縄を往復しただけで燃料を使いきってしまう……つまり、作戦行動など無理な話なのだ)から、米軍は納得しないであろう。

こんなことは最初っから分かっていたことである。そもそも自民党が、あれこれ場所を選んで検討した末の辺野古案なので、対案としては余程のウルトラCを狙うしかなかった。それは勿論、アメリカの東アジア防衛構想のかたちを変えるものになるわけだから、アメリカとの迅速な実務者レベルでの協議が行われなければならなかったのだ。鳩山首相がオバマ大統領を捕まえて10分話し合ったって何も進まないのである。必要なのは、10分のランチトークではなく、何十、何百時間もの実務者レベル協議(そしてその協議が実りあるものになるための政府内での事前協議が必要なのは言うまでもない)、それも鳩山内閣成立後、可及的速やかにそれが行われる必要があったのだ。

これは僕の想像だけど、民主党内は「ゴねれば何とかなる」と高を括っていた節がある。一番まずかったのは、政権交代後、どういうわけか、辺野古の環境アセスメントが着手される前に、辺野古案の関連業務をストップしてしまったことだ(後記:沖縄防衛局は2009年度で環境アセスメント完了と発表しているのだけど、この環境調査は複数年度を経たものではなく、判断材料としては極めて脆弱なものであるので、十分なアセスメントが成されたとは言えないのだ)。辺野古に守るべきものがあるならば、それに関して綿密なデータを以て主張することは不可欠なわけで、いくら反対派の妨害工作があったとしても、辺野古沖の環境調査を行わなかったことは、失策としか言いようがない。いや、むしろ、下手に辺野古案の環境アセスメントが終わってしまうと、代替案の環境負荷を検討したときに、実は辺野古よりも環境負荷の高いものばかりになってしまうのを恐れたんじゃないか、と邪推すらしたくなるというものだ。

で、今までの反論を収めることができないからって「埋立てより杭打ち」とかいう妄言を言い出した。これもお話にならない。そもそも、杭打ちで空港を作るという発想は、潮流への影響を最小限にすることで、空港周辺の主に漁業資源への影響を低減する、という考えの上にあるものだ。空港施設がたとえ杭の上に建てられたとしても、空港は海への日光を遮る。サンゴは植物性プランクトンと共生関係にあるから、光合成ができないとサンゴはやはり死んでしまうのだ。繰り返すけれど、「埋立てより杭打ち」が、沖縄のサンゴやアマモ(ジュゴンの餌で、今回の辺野古案で問題があると言われている原因)の環境を保護できるなどというのは妄言である。もし、いやそんなことはない、と言うならば、環境アセスメントを行うべきだし、それは今からでは到底間に合わないのだ。

つまり、五月末に結論を出す、というのは、実は無批判に自民党/自公政権の辺野古案を踏襲することと、大同小異の愚策だとしか言いようがないのだ。もし本当に、沖縄の人と自然を守ろうと志すならば、アメリカの東アジア防衛戦略に関わるかたちでの外交が行われるべきだし、それと並行した環境アセスメントが行われるべきで、それは鳩山政権成立後、可及的速やかに着手されるべきことだったはずだし、首相と大統領のランチトークではなく、綿密な実務者レベルでの協議の末に両者合意を得なければならないはずのものなのだ。それを怠った時点で、もうこの話はどうしようもない代物になっていたわけで、今更何をホタえてるんだ、としか言いようがない。

児童ポルノ制限を考える

老婆心ながら、一応書いておくけれど、児童ポルノに関しては僕は当然規制の対象にされるべきものだと認識している。ただし、このひと月程の間に、特に原口総務相と警視庁、そして警察庁が打ち出している児童ポルノ制限策に関しては、正直言って有効策でないばかりか、憲法をおかすものだとしか言いようがない。

児童ポルノ:遮断「可能」−−原口総務相

 原口一博総務相は16日の閣議後会見で、インターネット上の児童ポルノ流通防止対策として導入を検討している、問題サイトへのアクセスをプロバイダー事業者が強制的に遮断するブロッキングについて、刑法で違法性を問わないと定める「緊急避難(としてなら可能だ)」との考えを示した。総務相が自身の見解を表明するのは初めてで、ブロッキング実施は確実な情勢となった。

 ただし、警察庁などからは、緊急避難としての整理では、ブロッキングできる範囲が極めて限定的との指摘も出ている。今後、政府の犯罪対策閣僚会議に設けられた児童ポルノ排除対策ワーキングチームで詰めの作業が行われる見通しだ。

 「通信の秘密」は憲法が保障し、電気通信事業法も、通信事業者に順守を義務づけている。原口総務相は、ブロッキングは「通信の秘密」を侵害するが、緊急避難なら可能との認識を示した。警察庁の有識者会議も先月、通信の秘密の侵害については同様の見解をまとめているが、違法性を免れる根拠について、警察庁側はより広いブロッキングが可能な「正当業務行為」と位置づけたい意向だ。

 この点について、原口総務相は「正当業務行為と言い切るには、通信の秘密は重い」と発言。警察庁との考え方には開きがあることも明らかにした。【望月麻紀】

http://mainichi.jp/select/seiji/news/20100416dde007010027000c.html

話がきな臭くなってきたのは、おそらくこの辺からだろう。で、

児童ポルノ紹介も「有害」…警視庁、誘導サイト削除要請へ

 インターネット上で児童ポルノサイトを紹介している「ランキングサイト」が児童ポルノの温床となっているとして、警視庁は30日にも、サイト管理会社4社に削除要請を行う。

 ランキングサイト自体には違法画像は掲載されていないが、リンクによって誘導されるサイトに約3万点の児童ポルノ画像が掲載されており、「有害サイト」と判断した。

 児童ポルノに絡み、警察当局がランキングサイトに削除要請するのは初めて。誘導先の違法サイトについても、順次、児童買春・児童ポルノ禁止法違反容疑などで摘発していく方針。

 削除要請の対象は、東京、神奈川、兵庫に本社のあるサイト管理会社4社が設置する14のランキングサイト。計835の児童ポルノサイトのタイトルが張り付けられ、クリックするとそのサイトに誘導される。誘導先には、小学生以下とみられる児童の無修整画像が少なくとも計1万4500点、中学生や高校生とみられる画像も計約1万4000点が掲載されていた。

 同庁では、今後も有害なサイトを確認し次第、削除要請を続ける方針。

児童ポルノ氾濫、歯止め効かず

 警視庁がランキングサイトの削除要請に踏み切る背景には、インターネット上の児童ポルノの氾濫(はんらん)に歯止めがかからない現状がある。

 1996年の国際会議で「児童ポルノ天国」と名指しで批判された日本が、児童買春・児童ポルノ禁止法を施行したのはその3年後。以後、児童ポルノの摘発件数は増え続けている。2009年の全国の摘発件数は00年の5倍以上の935件に上った。だが、その半数以上の507件はネット上に流れていたことも確認されている。いくら摘発しても、一度ネットに流れた画像は何度もコピーされ、完全に消し去ることは不可能だ。

 プロバイダー(ネット接続業者)の段階で有害サイト閲覧を強制的に遮断する「ブロッキング」という手法も検討されているが、総務省は「通信の秘密の侵害にあたる」との見解を崩していない。被害児童の苦しみを減らすために何をすべきか。それを最優先に対策を講じるべきだ。(ネット問題取材班)

(2010年4月30日 読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/net/news/20100430-OYT8T00347.htm

というニュースが流れて、きな臭さはますます増した。前者に関しては、

児童ポルノサイトにブロッキングを〜総務相


< 2010年5月3日 12:33 >

 アメリカ・ワシントンを訪問中の原口総務相は現地時間2日夜、同行記者団と懇談し、インターネットでの児童ポルノサイトへの「ブロッキング」を、今年度から実施したいとの考えを示した。

 ブロッキングは、インターネットでの児童ポルノ対策として、接続業者側がサイトへのアクセスを強制遮断するもの。原口総務相はブロッキングが児童ポルノの根絶に有効な手段であると判断し、今月18日に開かれる総務省の研究会に、「通信の秘密」「表現の自由」を侵害しない形での指針作りを急ぐよう指示する方針。

 原口総務相としてはこの指針を犯罪対策閣僚会議に諮った上で、今年6月をメドにまとめる政府の児童ポルノ総合対策に盛り込みたい考え。

http://news24.jp/articles/2010/05/03/04158491.html

とダメ押しの発言が出た。ますますきな臭い。

さて、僕が何を問題にしているか、という話をしていこうか。まず、有害情報発信を抑制するためにプロバイダにブロッキングさせる、という話になっているわけだけど、これは有効な抑制策としては機能しない。その理由を書かなければならないことが既に苦痛なのだけど、有害情報を発信するサイトがあったとして、その情報が web で発信されていたとしても、そのサーバが日本に置かれているという保証はないし、日本の国内法が及ぶ範囲内に経営母体がある保証もない。network reachable な国なんてのは山のようにあって、そのほとんどの国にはレンタルサーバの業者がある。その多くは、英語でサーバのレンタルの手続きが可能だ。

その好例が2ちゃんねるである。先のバンクーバーオリンピックのときに2ちゃんねるのサーバが攻撃されて、そのときに大々的に報道されたのでご存知の方も多いだろうけれど、2ちゃんねるのサーバがあるのはアメリカである。日本のサイトのサーバだから、とろくに考えもせずに攻撃を行った韓国の悪しきネチズンが、FBIから訴追されるんじゃないか、と大騒ぎした、というのは記憶に新しいところだけど、この例でもわかるように、日本国内で流通している悪しき情報を取り締まるのに、日本国内のプロバイダにどうこうさせる、という事自体、無意味だとしか言いようがない(誤解なきよう追記するけれど、2ちゃんねるが悪しきサイトだと言いたいわけではない……あくまで日本でよく知られたサイトで海外にサーバがある一例として言及しただけなのでねんのため)。勿論、児童ポルノに関しては欧米は日本よりはるかに厳しい態度で臨んでいるので、欧米にサーバがあったって特に問題にはならないわけだけれど、法規制がまだ充実していない国に仮にサーバを置かれた場合どうするのか。国内からそのサイトへのアクセスをブロックする、などという話になったら、恐ろしい限りだ。これは中国が金盾で行っていることと、何の違いがあるというのだろうか。

おそらく、児童ポルノ関連の情報が流れるのは、web と、BitTorrent・Winny・Share などのいわゆる P2P がメインだろうと思うけれど、分散ファイル共有である P2P の一元的ブロッキングというのは、これはもはや不可能に近い。一番現実的なのは、データを共有している個人を特定して摘発することだけど、要するにこれがうまくいっていないから、こんなブロッキング云々という話が出てくるのではないだろうか。P2P を問答無用で取り締まられると、例えば僕のように Linux 関連のダウンロードに BitTorrent を使用している人間が著しい不利益を被ることになるのだけど。

そもそも、仮にブロッキングが行われるとしたら、一体誰がその責任を負うのか。現時点では、警察がプロバイダにブロック要請を出し、プロバイダがそれに応ずるというかたちでブロッキングが行われることになっているけれど、要請は命令ではないわけで、要請が真の意味での「要請」である限り、ブロックした責任はプロバイダにある、ということになる。しかし、この場合の「要請」というのは、オカミの「命令」に限りなく近いわけで、その場合、責任は誰が負うのか、実にいい加減な話だとしか言いようがない。

しかも、ブロッキングが「緊急避難」とはあまりに暴論に過ぎる。緊急避難というのは恒常的に行われないからこそ緊急避難なのであって、一度や二度では済みそうにないブロッキングを、緊急避難というワイルドカードで片付けようなどとは、政治家としてはあまりに低級な発想だと言わざるをえない。おまけに、hyperlink まで取り締まろう、というのは、もう10年以上前に大きな議論を呼んだ問題であって、また同じ過ちを繰り返すなぞ、お話にならないのである。

ちなみに、この話と一緒に、原口総務相は「消防庁はツイッターを有効活用せよ」と宣ったとか。へー日本はいつから国民皆スマートフォンユーザーになったんですかね。しかもツイッターですよ。一私企業、それも外国の私企業に災害インフラを依存する、なんて、どういう発想だよ。いや本当、馬鹿もここまでくると、こうやって言及すること自体苦痛になってくるけれど、それでもこうやって書かないと同じ馬鹿が踊るだけだからねえ……

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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