料理とエサの違い

今日、たまたま家に居たときに、よみうりテレビ制作の『ミヤネ屋』を観ていたのだが、毎週火曜のこの番組では、かつて『探偵!ナイトスクープ』で人気を博した林裕人氏の料理コーナーというのが放映されている。林シェフが、料理に悩む主婦の家を訪問して料理を伝授する、という内容なのだけど、あまり何も考えずに、それを観ていたのだった。

今日登場した主婦は、あさりの入った海鮮塩焼きそばが上手く作れないのだ、と言う。まずその主婦に作らせて試食し、それから料理の伝授に入る、という構成なので、まず、その主婦が焼きそばを作るのだが……これを観ていて、僕は絶句してしまったのだった。

おそらくこの主婦は、料理はあまり得手ではないのだろう。だから料理にも力が入らない。まあそれは分からないでもないし、それを責める気は毛頭ないのだが、フライパンに材料を投入するその手つきが、どうにも他に言い様がない程に「ぞんざい」なのである。麺を入れるのにも、まるでフライパンの底面に叩き付けるが如く「放り込む」のだ……これを観ていて、何か、哀しくなってしまったのだった。

僕は別にグルマンを気取っているわけではないのだけど、まあ自分でも普通に料理を作る。おそらくUよりも僕の方が料理は上手いと思うのだが、しかし、Uも、こんな作り方はしない。もしそんなことをするようだったら、おそらく一緒には居られないと思うのだ。僕自身も、勿論そんな作り方はしない。したことがない、というよりも、そういう作り方をするなど、考えもしなかった。

料理を作るということは、作ったものを食べる、ということである。主婦だったら、その料理を旦那と一緒に、そして子供と一緒に食べるのだろう。誰かと一緒に食べるものは、それを食べるということが、ほんの少しでもよりよい生き方に繋がるように作る。そういうものとして食べてもらえるように、そして自分でもそういうものとして食べられるように作る。そういうものだと思うし、そうでないのだったら、そもそも作る意味がないと思うのだ。

たとえば、最近僕は料理にかける金をケチっていて、今日は出先でたまたま覗いたスーパーで、1個の 1/4 になった冬瓜が見切り品78円の値札が付いていたのを買ってきた。で、皮を剥いて、ワタを外す。身はちょっと大き目に切って、鶏肉を叩いたものを炒りつけたものと一緒に鰹出汁で煮て、醤油と塩、生姜の絞り汁で味を整えて餡を引いた。皮は千切りにして、胡麻油と鷹の爪を入れたフライパンで炒めて、醤油と味醂で味をつける……要するにキンピラである。ワタは、切り分けてからワカメと合わせて、土佐酢で和える。冬瓜のそぼろ餡掛け、冬瓜の皮のきんぴら、そして冬瓜のワタとわかめの土佐酢和え。冬瓜のフルコースである。

鶏肉にしても、他の調味料にしても、まあ金額は知れたものだ。本当に、今夜の料理には金がかかっていない。けれど、この残暑厳しい折に、こういうものを食べて、暑さの中を元気に生きていきたい。そう思うから、こういうものを作るわけだ。食べるものには、ほんの少し先の未来への思いがこもる。だから、ぞんざいにしたくないのだ。

かつて僕が共同研究をしていた某大学の OB に F 君という人がいる。彼は今アメリカで仕事をしているのだが、最近の彼は冷凍のアジフライを揚げて、タルタルソースとウスターソースをかけて食べるのがささやかな楽しみになっているらしい。彼は少し恥ずかし気に、そのことをブログに書いていたけれど、人が心を保つ上で、こういうささやかな行為は無視し難い程に意義深いものだ。ソウルフードとはよくも言ったもので、人は、ささやかな食の支えがあれば、過酷な状況においても魂が折れることを避けることすらできるのだ。

今日、テレビで観たその主婦が、まるでゴミをゴミ箱に放り込んでいるようなぞんざいさで、フライパンに蒸し麺を放り込んでいる光景を目の当たりにして、そういう食の機微とでもいうようなものを根底から否定されたような気がした。この国が、金の多寡の問題ではなく、ここまで貧しくなってしまったのか、と、ただただショックを受けたのだった。

blow

何かに集中していると、妙なことが起きることがある。今日の場合もそういうことだった。

書きものを始める直前に、たまたま残っていたポップコーンを食べていた。数個つまんだだけで、いつも通りコーヒーを横に置いてキーボードを叩き始めたのだが、どうもポップコーンの殻か何かが喉の奥に引っかかっていたらしい。ちょっとややこしい年号の書き換えをしていて、ふと横を向いてコーヒーを飲もうと口に含んだら、抑制し難い程の喉からの反射がきた。気管に異物が流入するのを防ごうとしてこうなったのだと思うけれど、ヤバい! と思った僕は、顔をコンピュータの横へ向けることしかできなかった。

一瞬の後、僕はマーライオンのように口からコーヒーを吹き出した。床一面にコーヒーが広がる……あ゛〜、と、まだむせながらも、とりあえずはタオルを取って辺りを拭き始めた。服にまでコーヒーは染み込んでしまっている。もう、午前中から何やっているんだろう、俺は……

Windows パーティションの掃除

前にも何度か書いているけれど、僕は音楽関連の作業をするとき以外、ほとんど Windows のシステムを使うことはない。仕事は9割以上は Linux 上で作業をしているし、残りの1割も Mac OS X での作業比率が高いので、Windows なしで困るということはないのだ。

しかし、時々は Windows のシステムを立ち上げて作業しなければならないことがある。今日もそういう一日で、昼過ぎから Windows を立ち上げて、まずはシステム関連のアップデートをきっちり済ませた。それからすることは……要するに、NTFS パーティションの掃除である。

この作業をするときに便利に使っているのが、Piriformのツール、特にCCleanerDefragglerである。自動的に行えるレベルでのレジストリの掃除、そして NTFS では当初は不要と言われていた defragmentation の作業において、これらのソフトはもうなくてはならないものになってきている。

そもそも、NTFS はフラグメントが生じにくい、と言われていた。僕が NTFS を使い始めたのは Windows NT 4 の頃からだけど、この当時の Windows NT にはそもそも「デフラグ」というツール自体存在しなかった。しかし、結局はファイルのフラグメントが少なからず生じる、ということで、現在の Windows 7 に至るまで、システムには「デフラグ」が入っている。

Linux 系のファイルシステムでは…… ext2/3/4、そして btrfs に関しては、デフラグは必要ないとされている。僕が知っている限りでは、たしか XFS にデフラグツールがあるはずだが、これだってそうそう使う必要があるものではない。Mac OS X の HFS+ の場合も、バックグラウンドでちょこちょこデフラグをしている程度で、ユーザが自らデフラグを行う必要はない。

Windows で言う C:\ に充当するパーティション以外の場合なら、バックアップを他のパーティションに取っておいてフォーマットして、そこにバックアップを展開すれば、これ以上ない、という程にきっちりとデフラグされるわけだけど、さすがに C:\ に関しては怖くてそれをする気にはなれない。そういうわけで、さっきまでまさにデフラグをしていたわけなのだが、何と言うか、ひたすらに時間の無駄、と言うか……不毛な作業である。どうして Windows はこんなに馬鹿なのだろうか?

程度が低過ぎる

民主党の代表選の話題で、ここ何日かのニュースは賑やかである。あの菅直人の後だから、誰に決まっても今以上に悪くなることはないだろう、という話がそこここで聞かれる。しかし、本当にそうなのだろうか。

海外から電力輸入を=小沢元環境相

民主党代表選出馬を目指す小沢鋭仁元環境相は22日、時事通信のインタビューに応じ、原発からの段階的撤退を目指す立場を改めて示した上で、代替エネルギーに関し「海外から電力の直接輸入を行う」と語った。ドイツなどは電力を輸入しているため「脱原発」への転換が可能だったとの指摘があることから、日本も原発依存度を減らすため、電力輸入に踏み切るべきだとの考えを示したものだ。

小沢氏は「(輸入先は)韓国、中国などいろんな国の可能性があっていい。国と国の間に海底ケーブルを1本引けば全て解決する」と語った。同氏は代表選の目玉公約として訴えていく考えだ。(2011/08/22-19:08, 時事ドットコム)

僕は、このニュースを聞いて、正直言って我が耳を疑った。はぁ?という感じである。

おそらく、小沢氏はヨーロッパにおける売買電の現状から安易にこういうことを言ったのではないか、と思う。しかし、ヨーロッパでの国際間の売買電は、そのほとんどが EU 圏内の話である。では日本はどうなのか。中国から電気を買う?では、先日のレアメタルのような「売り惜しみ」が起きた場合にどうするというのか。こんなことは小学生でも気がつきそうな話である。

政治家のちょっとした間違いだ、などと片付けてはならない。この小沢鋭仁という人は元環境相である。環境政策というのは、常にエネルギー政策と表裏一体の如くあるものだ。しかるに、エネルギー政策においてこのような不見識を平気で露呈する輩が、果たしてまともな環境政策を進めていたのだろうか?僕にはとてもじゃないが、そうは思えないのだ。そしてこういう不見識を平気で露呈してはばからない輩が総理大臣になったとしたら、この国の行く末は限りなく暗いと、言わざるを得ないのである。

とにかく、(民主党に限定した話ではないのかもしれないが)最近の政治家のこの手の発言は、あまりに程度が低過ぎる。あまりに程度が低過ぎるから、メディアも呆れてあまり批判しないのかもしれないが、こういうことはちゃんと指摘されなければならない。馬鹿は放置しておけば良いのではない。ちゃんと「こいつは馬鹿だ」と指摘しなければならない。そうせずに、それが周知されている保証は何一つないのだから。

nkc+

先日、『初めて文字コードで』に書いた文字コード変換で、どうしても QKC っぽい感じで変換をしたいので、ちょっと考えてから、もう公開されていない nkc のコードを読んでいた。

ruby という言語は、実は今まで一回も触ったことがないのだけど、まあ見て何も分からないというわけでもない。見ると、日本語コードの判定のために専用のライブラリを書いているのだが……そうか、これって ruby1.8 時代のコードなんだよな、と気付いた。ruby はかつて Perl よりも日本語処理においてパワフルでなかった時期があって、その頃に書かれたこのコードは、検出し誤りを防ぐために、検出部を自力で書いている。そして変換は iconv で行っている……のだが、今は、ruby のモジュールで新しい nkf の機能がフルに使えるので、こんなことをしなくてもいいかもしれない。

現在の nkf というのは、実は結構強力で、--guess オプションを使うと簡単に文字列のエンコーディングを判定できる。これを使わない手はない……ということで、独自ライブラリと iconv を使うところを nkf で済ませるように書き換える。まあね、ruby いじるの初めてでも、これ位はいけるんですよ、ええ……

などとやっていたのだが、1箇所で思いっきりハマった。改行コードの変換に gsub を使って、

body = body.gsub(/(\r\n|\r|\n)/) { newline }
……などと書いていたのだけど、場合によってここでエラーが出てしまう。んー???と思いつつ挙動を探ると、どうも body に ISO-2022-JP の文字列が入っているとこうなる、らしい。うーん???……などと考えつつ、30分程を空費してしまう。

おそらく ruby に慣れた方は、ここまで読んで「はいはい」と気付かれたことだろう。僕は、ruby が ISO-2022-JP の文字列操作を直接できないことを、今日まで知らなかったのだ。そりゃそうだ。ruby のスクリプト書くのは今日が初めてなんだから。しかしなあ。

え。で、どうしたか、って?

if to == "ISO-2022-JP" then
body = NKF.nkf("-m0 --cp932 --oc=UTF-8", body)
body = body.gsub(/(\r\n|\r|\n)/) { newline }
body = NKF.nkf("-m0 --cp932 --oc=ISO-2022-JP", body)
else
body = body.gsub(/(\r\n|\r|\n)/) { newline }
end
……まあこれで、QKC に UTF-8 拡張をしたのと同等の処理ができるようにはなった。なったけれど、これは、美しくない。ダメダメだ。あ゛ー。

【後記】後で気付いて、gsub を使わず NKF で変換するように変更。

  if newline then
case newline
when "\r\n"
print " (CR+LF)"
optio = "-m0 -x -Lw -c --ic="+to+" --oc="+to
when "\r"
print " (CR)"
optio = "-m0 -x -Lm --ic="+to+" --oc="+to
when "\n"
print " (LF)"
optio = "-m0 -x -Lu -d --ic="+to+" --oc="+to
end
body = NKF.nkf(optio, body)
end
……こんな感じ。こういう発想が出て来ないという時点でダメダメだ。頭が固くなってる。

……などとやって、夕食後、手持ちのテキストで変換を試していて、再びドツボにはまる。文字コード検出で不具合が出てしまうのだ。

CODES = {
NKF::JIS => "ISO-2022-JP",
NKF::EUC => "EUC-JP",
NKF::SJIS => "Shift_JIS",
NKF::UTF8 => "UTF-8",
NKF::ASCII => "ASCII",
NKF::BINARY => "BINARY",
NKF::UNKNOWN => "UNKNOWN",
}
(中略)
from = CODES.fetch NKF.guess(body)
のようにしてコード種別の検出を行っていたのだけど、
/usr/local/bin/nkc:96:in `fetch': key not found: #<Encoding:Windows-31J> (KeyError)
と怒られる。うーん……と、NKF の仕様を読んだり、ネットの海を彷徨ったりした挙句、
CODES = {
NKF::JIS => "ISO-2022-JP",
NKF::EUC => "EUC-JP",
NKF::SJIS => "Shift_JIS",
NKF::UTF8 => "UTF-8",
NKF::ASCII => "ASCII",
NKF::BINARY => "BINARY",
NKF::UNKNOWN => "UNKNOWN",
Encoding::EUCJP_MS => "EUC-JP",
Encoding::CP51932 => "EUC-JP",
Encoding::WINDOWS_31J => "Shift_JIS",
}
(中略)
from = CODES.fetch NKF.guess(body)
とする。--CP932 オプションも、不要な部分は消してしまう。これで……今度は OK ね。はぁ。

うーむ。やはり perl で書き換えた方が早かったような気がする。僕は ruby のエヴァンジェリストでも何でもないしなあ。

【後記】後でちょっと考えて、半角カナの処理も付け加える。まあ、この辺にしておこう。いわゆる「外字」のことまでケアするとなると面倒な話になりそうだしなあ……はあ。


LaTeX で用紙サイズがおかしくなるときは

実は、TeX Live 2010 以降に、妙な問題に悩まされていた。LaTeX の文書内でハイパーリンクを張るための hyperref というマクロがあるのだけど、これを使うと用紙のサイズがおかしくなってしまうのである。

具体的には、A4 よりもやや横に大きなサイズにタイプセットされてしまう。どうも、用紙サイズがレターサイズになってしまっているようで、\documentclass の引数に用紙サイズを a4paper 等と明示(って、普通明示するんだけど)しても治らない。困った挙句に、

\usepackage[a4paper]{geometry}
と書いて押し込んでいたのだけど、こう書くと、文字のポイント数が小さくなってしまう。うーん……と、困っていたのだった。

で、何となくググっていたところ、『4403 is written(終了しました)』2010年2月 7日 15:15 に辿りついたのだった。なになに……

ポイントはPDFしおりの文字化け対策と用紙サイズが適切に認識されない問題への対応です.PDFのしおり文字化け問題は昔のエントリーを見てください.documentclassのオプションにpapersizeを付けてやると用紙サイズがdvipsやdvioutに送られます.詳しくはマニュアルを読んでください.参考にしたのはこの情報.だいぶ昔からあった問題みたい・・・.何故,オレが博論執筆していたときは問題が具現化しなかったんだろう??
PDF のしおりが文字化けするのは既に分かっていて、これには対策を施していたのだけど、「documentclassのオプションにpapersize」というのは不明にして知らなかった。これを試すと……嘘のように簡単に、hyperref に関する問題が解決したではないか!

やはり、思い出したときにはマニュアルには目を通さなければダメだなあ、と、今更ながらに思い知らされたのであった。

W32TeX

基本的に、僕は音楽関連の作業をするとき以外は Microsoft Windows を立ち上げることはない。勿論、基本的な UNIX 系のコマンドセットを入れ、日本語変換も SKKIME で行うようにして、perl や ruby も使えるような環境を整えているのだけど、無理して Windows を使う理由がないのだ。

しかし、僕の Windows のシステムで、アンチウイルスソフトを更新する時期が近付いているので、それに合わせてメンテをしているうちに、ちょっと入れてみようかなあ、と、ふと思ったのだった。最初は TeX Live にしようと思っていたのだが、Windows 版の TeX Live は未だに 64 bit 化されていない。それだったら、角藤氏の W32TeX を入れるのとあまり差がない(まあ TeX Live は tlmgr で常に最新の状態に維持できる、というメリットはあるのだけれど)。ということで、W32TeX を導入することにした。

基本的な導入手順は、角藤氏のページに書かれている通りである。彼のアーカイブは RING server 等に置かれているので、wget 等を利用してあるディレクトリにごそっと取っておいて、インストールを実行するだけである。

フォント埋め込み用のファイルや、先日導入した emath なども、Linux から NTFS パーティションをマウントして、全て C:\w32tex\share\texmf-local に流し込む。後は TeX Live 同様に、texhash で ls-R データベースを更新するだけである。

タイプセットしてみると、Linux 上で行うのと何ら変わらない。まあ、こんなものでしょうねえ。しかし……だったら 64 bit native の TeX Live を Linux で使う方がいいわけで、やはり Windows を使うことには何もメリットがないのであった……

初めて文字コードで

先日導入した emath のテストのために、tDB 氏の書かれたドキュメントをいくつか LaTeX でタイプセットしていたのだが、そのままでは変換できないものがいくつかあった。

TeX Live の platex は、iconvでプリプロセスするような仕様になっているので、.tex ファイルの文字コードが何であっても、通常は問題が生じないはずである。事実、僕の場合も、JIS と UTF-8 が混在する環境で使っているのだが、今迄これでトラブったことはない。しかーし、今回のファイルはいわゆるシフト JIS だったので、初めてこれを疑ったのだった。

昔から、テキストファイルを複数の環境で扱う人間にとって、この文字コードの問題は悩みのタネだった。伝統的に、UNIX 等のシステム上では EUC-jp か JIS を使うことが多かったわけだけど、パソコンという代物は皆シフト JIS が一般的であった。昔は、自宅のパソコンを常時接続環境で使っている人などまず存在しなかったので、家と学校 / 職場で作業を行う場合、これらの間で文字コードを変換することは不可避だった。

それだけならまだよかったのだけど、これに加えて、UNIX 系のシステムと Microsoft 系のシステムでは、テキストファイルにおける改行を示すコードが違っていた。前者は LF、後者は CR + LF というコードで改行を示していたのだけど、丁度僕が大学に入る頃から出てきた Mac では、困ったことにこれを CR で表わしていた。つまり、

文字コード 改行コード
UNIX EUC-jp / JIS LF
Microsoft Shift-JIS CR + LF
Mac(〜 OS9) Shift-JIS CR
……という、ややこしい状況になっていたわけだ。

こういう状況で、僕等が便利に使っていたのが QKC というソフトだった。この QKC は、JIS・EUC-jp・シフト JIS の3種類の文字コードの間での相互変換、そして LF・CR+LF・CR の3種類の改行コードの間での相互変換を簡単に行うことができる。しかも、ワイルドカードで複数のファイルを指定することができるので、とにかく便利だった。

今も僕は /usr/local/bin/ にこの QKC を入れているのだが、今回のような事態では、QKC だけでは用が足りない。というのも、QKC は UTF-8 を扱うことができないのである。この辺の話はこの blog でも『今更漢字コード』(on 2011/01/24)で触れているのだが、ここで言及している NKC という ruby スクリプトはもう入手できなくなっている。公開元サイトがドメインごと消失してしまったのだ。

ということで、とりあえず頭の体操である。先の LF とか CR とかいうのをエスケープシーケンスで書くと、前者が \n で後者は \r である。だから、文字コードが単一であるならば、この2者を置換してやればいいということになる。UNIX には tr という便利なコマンドがあるので、たとえば LF を CR に置換するならば、

$ tr \\n \\r < foo.txt > bar.txt
とかしてやればいい。CR+LF を LF にするのなら、-d オプションを使って、
$ tr -d \\r < foo.txt > bar.txt
で出来そうだ。逆だったら……まあ、僕はこういうときは sed を使うのだけど、
sed -e 's/$/\r/' foo.txt > bar.txt
……こんな感じか。

しかし、tr を使うにせよ、sed を使うにせよ、ワイルドカードで一発処理、というわけにはいかないので、スクリプトを書くことになる。それが面倒なことがあるので、僕はこの手の処理をするときには、改行コードの変換を QKC で行い、文字コードの変換を NKF で行うことが多い。たとえば、

nkf -w --in-place ./*.txt
のように --in-place オプションを使えば、NKF でもワイルドカードを使った一発処理が可能になる。実は今回は、Microsoft のシステム上で作られたと思しきファイルを、まず QKC で改行コードを変え、次に NKF で文字コードを UTF-8 に変えた。このご時世、こんなことでバタバタやっているのは僕位なのかもしれないけれど、メモ代わりに、そして時代の記録として、これを書いておくことにする。

emath を入れる

相変わらず、GNU Emacs で書きものをして LaTeX でタイプセットする機会は頻繁にあるわけだけど、最近は解説のようなものを書く頻度が増えているので、たとえば数学の教科書などにあるような書き方をしたい、と思うときがある。

まさにこういう目的で作られたのが emath である。どのようなものなのかは、http://homepage3.nifty.com/emath/pdf/sample.pdf をご覧いただければお分かりいただけると思う。この emath は非常に多機能だし、便利だろうと思うのだけど、僕は今迄手を出すのに二の足を踏んでいたのである。

それは何故か、というと、この大熊一弘氏によるマクロ集は、コマンドが日本語ローマ字書きのものが多いので、書きながらさくっと使う上での直感性がイマイチなのである。では、50音索引付きのマニュアルのようなものがあるのか、というと、先の sample.pdf の基になった原稿から生成した sample.idx を mendex に読ませて索引を生成させればいい(上のリンク先の PDF はそうなっている)わけだけど、これは目次用のインデックスで作成した索引なので、充実した索引にするためには更にインデックスを付け足していく必要があるだろう。しかし、その作業の量を考えると……これは結構大変そうである。

まあ、でも、無いと困るんだから、これは作るしかなさそうである。こうやって僕のお盆休みは順調に潰れていくのだろうか、と、少し鬱な気分になるわけだけど、まあ、後でやっておくことにしよう。

インストール自体は単純である。まず emath の index page から emath のページにアクセスし、この「入口」からアーカイブにリンクされたページを見る。「スタイルファイル」の「丸ごとパック」のページから、基本となるアーカイブを取得するのだが、ここで ID とパスワードを要求される。これは「入口」に書いてある(すぐ暗記出来る程度の単純なものである)ので、それを入れればよろしい。アーカイブ取得後、同じく「スタイルファイル」の下にある「修正パック」と「実験版」の最新のアーカイブを取得する。

まず手近な作業用ディレクトリを確保し、emathf??????c.zip を展開する。sty.zip, doc.zip, pdf.zip の3つのアーカイブと readme が出てくるのだが、これらを LaTeX のファイルを置くべき場所に展開する。僕の場合だと、

$ cd /usr/local/texlive/texmf-local/tex/latex/
$ sudo mkdir emath$ cd emath$ sudo unzip ~/tmp/emath/emathf??????c/sty.zip
$ sudo mkdir -p /usr/local/texlive/texmf-local/doc/emath
$ cd /usr/local/texlive/texmf-local/doc/emath$ sudo unzip ~/tmp/emath/emathf??????c/doc.zip
$ sudo unzip ~/tmp/emath/emathf??????c/pdf.zip
$ sudo /usr/local/texlive/2011/bin/x86_64-linux/texhash

のように /usr/local/texlive/texmf-local/tex/latex/emath 内にスタイルファイルを、/usr/local/texlive/texmf-local/doc/emath内にドキュメントと PDF ファイルを展開して、最後には texhash で ls-R データベースの更新をしておく。

「修正パック」も「実験版」も、同様の手順で(「丸ごとパック」のファイルを上書きするようにして)入れればよろしい。大熊氏も警告されているようだが、必ず「丸ごとパック」→「修正パック」→「実験版」の順に作業を行うこと。なお、Perl スクリプトのインストールに関しては、emathWiki の『perl との連携』に詳しく説明されているので、そちらを御参照いただきたい。

……と、ここまでやってから、あーそう言えば一番面倒な作業をしてないじゃん、と思い出した。emath は前提として必要としているスタイルファイル・クラスファイルが結構な数あるのだけど、それらをチェックしながら入れなければならないのだ。詳細は、『math に必要なスタイルファイルなど』を参照されたい。

というわけで……これから TeX Live のファイルとバッティングしないように、この必要なファイルのインストールをすることになりそうだ……

というわけで、今さっき作業を終えたところである。僕の環境(TeX Live 2011)の場合は、

  • EMwallpaper
  • eclarith
  • eclbkbox
  • hhdshln
  • jcm
  • kunten2e
  • mbboard
  • random.sty
  • ruby.sty
  • uline--
……と、ざっとこれだけを入れる必要があった。

しかしなあ、うーん……この emath って、おそらく中高の数学の先生とか塾講師なんかが使うんでしょう?まあ、数学専攻の人だったら LaTeX を使うことにはあまり抵抗はないかもしれないけれど、tfm や pk フォントの生成とか、分からない人はどうするんだろう。あと、おそらく DOS / Windows 以来の弊害かもしれないけれど、マクロ名が大文字小文字混在になっているところでトラブルが発生することが何度かあった(たとえば EMwallpaper とか)。これも、分からない人には理解し難いような気がする。そういう辺りを(分かっている人には面倒なだけなのかもしれないが)refine することが、今後求められるのかもしれない。

薄ら寒い (4)

ついに、東海テレビは「ぴーかんテレビ」の打ち切りを内々に決めたらしい。

「ぴーかん」打ち切り 東海テレビ、不適切テロップで判断

2011年8月11日 09時58分

東海テレビ放送(名古屋市東区)が情報番組「ぴーかんテレビ」で、「怪しいお米 セシウムさん」などの不適切なテロップを放送した問題で、同局が番組の続行は困難と判断したことが分かった。今後、スポンサーなどと番組終了に向け最終調整に入る。

この問題では、フジパングループ本社(同市瑞穂区)、流通大手のイオンリテール東海カンパニー(同市中村区)などが不快感を示し、スポンサーを降りる企業が相次いだほか、視聴者から1万4千件を超える苦情のメールや電話も殺到した。

同局幹部は「過去の放送事故の事例を鑑みても番組を続行することは困難」としており、打ち切りは避けられないと判断した。

中日新聞

まあ、スポンサーがつかないからこれ以上放送出来ない→打ち切り、という理屈は分かる。しかし、まだ東海テレビは勘違いをしてはいないだろうか。前にも書いた通り、これは打ち切れば済む話ではない。その辺を勘違いしていると、これは「東海テレビ排斥運動」という最悪のかたちに発展してしまいかねない。皆厭だろうとは思うけれど、局関係者は一刻も早く、自分達の何がどう悪かったのかを総括するべきだ。そうしない限り、このネガティブなイメージは払拭し得ないと思うのだけど。

【追記】東海テレビの浅野碩也らは、今夜八時から記者会見を行う、とのことである。一週間経ってしまった今日、というのは、あまりに遅過ぎだと思うけれど、どうするんだろうか。まさか画像を作成した本人を晒したりしないだろうな……今あの社員が晒されたら、家族も含めて危険だろうから、管理側としては(あの社員がしたことはともかくとして)個人を特定できるようなことは絶対に避けねばならないだろう。さて、どうするのか。まあ、こういうときに腹を切るために、社長ってのは普段から高い給料貰っているんだけど。

初めて言った

今日、ある意味で画期的な発言があった。菅直人首相が、初めて自らの口で退陣の意向を明言したのである。

菅首相、退陣を明言

これまで辞任などの言葉を使わなかった菅総理が、ついに退陣を明言しました。退陣条件となっていた特例公債法案と再生可能エネルギー法案の今月中の成立に見通しがついたことを受けたもので、民主党内の関心は代表選に移っています。

「私自身が内閣総理大臣として身を処すことが当然必要になる。新しい代表が選ばれたときには、私の総理という職も辞するという、そして新たな総理を選んでいただくと」(菅首相)

これまで「辞任」という言葉を使わなかった菅総理。10日の委員会では、退陣条件の2つの法案が成立したときには、速やかに民主党の代表選挙の準備に入らなければならないとした上で、「身を処す」「職を辞する」などの言葉を使い、ようやく退陣を明言しました。

特例公債法案は民主党などの賛成多数で、10日夕方、委員会で可決。11日の本会議で衆議院を通過する見込みです。

残るもう一つの退陣条件である再生可能エネルギー法案についても、民主・自民の参院国対幹部の間で26日までの成立を目指すことで合意し、修正案の民・自・公3党の協議も10日、始まりました。

総理退陣の環境整備が事実上整い、民主党内の関心は代表選に移り始めました。代表選の日程について執行部は、今月末を軸に実施する方向で調整を始めています。

こうした中、「菅降ろし」の旗振り役を担ってきた小沢元代表が、党所属議員およそ140名を集め勉強会を開きました。

「本当に2年前に民主党が唱えた国民主導の政治、政治主導の政治なのだろうかという疑問が問いかけられているのではないかというふうに思っております」(民主党 小沢一郎元代表)

10日は、菅政権への批判や代表選に向けた自身の考えなどには一切触れなかった小沢氏、しかし、今後も定期的にこの勉強会を開いていきたいとしており、代表選に向けた布石の一つと捉えることができます。

菅総理の月内退陣が現実味を増す中、お盆明けにも代表選をにらんだ動きが活発化しそうです。

(10日16:54, TBS News i

上引用元の動画を見てもらえればお分かりかと思うけれど、おそらく初めて、菅直人は自らの口から「総理という職も辞する」と明言したのである。

これには実は伏線がある。午前中に開かれた衆院決算行政監視委員会中、公明党の東順治議員の質問における、

「……やはり、国民の前でですね、そろそろ明言をなさった方がいい。このように思いますがいかがですか」

という問に対して、それらしいニュアンスのことを発言していたのだ。

首相、退陣の意向明言 「2法案の成立時に実行」民主、28日代表選へ準備

2011/8/10 13:30

菅直人首相は10日、自らの退陣条件に掲げていた赤字国債発行法案と再生エネルギー特別措置法案が今月下旬に成立するのにあわせて、退陣する意向を固めた。同日午前の衆院決算行政監視委員会で「2法案が成立したときには私の言葉をきちんと実行に移したい」と明言した。民主、自民両党は10日の参院国会対策委員長会談で2法案を26日までに成立させる方針で一致。民主党は後任を選ぶ代表選を28日にも実施する方向で準備を進めた。

首相は午前の決算行政委で「やるべきことはやっているという意味で残念とか悔しいという思いはない」と述べた。首相(総理)と民主党代表を別の人が担う「総代分離論」は「こちらは譲るがこちらは譲らないということはない」と否定。民主党代表選や首相指名選挙の日取りは「私の方から日程的なことを申し上げるのはあまり適切ではない」と言及を避けた。

退陣条件の一つである赤字国債発行法案については、10日午後の衆院財務金融委員会で与党と自民、公明両党などの賛成多数で可決。11日に衆院を通過する見通しだ。

自民党の脇雅史参院国対委員長は10日午前の党参院議員総会で「参院に送られれば粛々と処理する」と強調。その後、民主党の羽田雄一郎参院国対委員長と会い、19日の参院審議入りで一致した。24日にも成立する公算が大きくなった。

もう一つの再生エネルギー特措法案を巡っては、自民党が10日午前の総合エネルギー政策特命委員会で修正要求案を取りまとめた。政府のエネルギー基本計画の見直し結果などを踏まえ、3年後の抜本的な見直しなどを盛り込んでいる。

民自公3党は10日午後の政調会長会談で、修正協議に入ることを確認する。複数の民自幹部は、修正合意を経て26日には成立するとの見通しを示した。民主党は修正要求に柔軟に応じ週内の衆院通過をめざしている。

2法案の処理が円滑に進めば、31日までの今国会中に民主党代表選を経て新首相が選出される。28日に両院議員総会を開いて新代表を選ぶ案が出ている。ただ、2法案の成立時期が会期末近くにずれ込めば改めての退陣表明にとどまり、新首相の選出は次の臨時国会になる可能性もある。

枝野幸男官房長官は10日午前の記者会見で「首相が説明してきたことがスムーズに実現されるよう、内閣としても官房長官としても努力したい」と述べ、首相の月内退陣に向けた環境整備を進めたい考えを示した。

(日本経済新聞)

この記事に添付された動画を観ると、この時点では「辞める」という言葉は一回も登場していない。日経はこの時点で「辞意」という報道をしたわけだけど、我々は以下の事件を忘れてはならない:

退陣という言葉を私自身は使ったことはない=菅首相

2011年 07月 6日 10:50 JST

[東京 6日 ロイター] 菅直人首相は6日午前の衆院予算委員会で、自身の進退問題について「(首相を)辞める、退陣するという言葉を私自身、使ったことはない」と述べた。

その上で、2011年度第2次補正予算案、公債特例法案、再生可能エネルギー法案の成立を「一定のめど」として「若い方に責任を譲りたい。それまでは頑張らせていただきたい、と申し上げている」と語った。自民党の石破茂政調会長に対する答弁。

そういう意味において、今回の菅直人の発言は、「辞意」と本人の口で明言したという意味で、まさに画期的なのだ。この発言に関して、我々ははっきり記憶しておく必要があるだろう。

薄ら寒い (3)

『薄ら寒い (2)』で僕は、

……うーむ、技術的な問題ではなくて、これはやはり倫理的な問題だよなあ。
と書き、sebe さんはコメントで、
放送事故の改善と、テロップの内容は別問題だと、誰もが言っているのに・・・
と書かれている。おそらく、皆さんの大多数が引っかかっているのは、このことなのではないだろうか。

セシウムさんの東海テレビ、CM打ち切り続々

東海テレビ放送(名古屋市)の情報番組「ぴーかんテレビ」で、岩手県産米のプレゼント当選者について「怪しいお米 セシウムさん」などと不適切なテロップが流れた問題で、子供服メーカーのミキハウス(大阪府八尾市)がすでに同番組へのCM提供を打ち切り、愛知県護国神社(名古屋市)もスポンサーから降りる方針を決めたことが8日、分かった。

ほかに少なくとも4社が同番組へのCM提供を当面、休止することを決定。東海テレビへのCM休止の動きはこれまで農協関連団体に出ていたが、民間企業にも拡大した形だ。

東海テレビは、問題が起きた翌日の5日から、「ぴーかんテレビ」の放映を見合わせ、アニメの再放送などを流している。東海テレビは同番組のスポンサーのリストを公表していないが、ミキハウスは毎週金曜にCM提供してきたことを認め、「打ち切りは問題の発生当日に即断し、謝罪に来た局担当者に強く抗議して伝えた」としている。

7月からCMを提供していた愛知県護国神社の臼井貞光宮司も読売新聞の取材に、「番組が再開されても協力はできない」と語った。

当面休止を決めたのは製パン大手のフジパン(名古屋市)、流通大手イオン(千葉市)、和菓子店の川上屋(岐阜県中津川市)など。フジパンは5日からCM提供を休止しており、イオンは9日から見合わせる。フジパンは「視聴者から厳しい意見が相次ぎ、CM提供を続ければ企業イメージを害する」と懸念を示した。

10年以上にわたってスポンサーとなり、番組に視聴者プレゼントも提供してきた川上屋の原善一郎社長は「CMを続ければ我々も批判の標的になる」と話した。

(2011年8月9日09時22分 読売新聞)

こういう事態になって、尚、東海テレビが事の本質を捉えられていないのだとしたら、このまま事態は悪化の一途を辿りかねない。実に憂慮すべきことである。

東海テレビの関係者は、こうは考えないのだろうか。もしあのテロップが違う画像だったとしたらどうなのか、と。二十数秒間出てしまったとしても、たとえばあのフリップに文字が打ち込まれていなければ、こんな騒ぎになる筈がない。東海テレビも、あの番組のスポンサーも、特にどうこう言うこともなく、事はそれで終わっていただろう。放送事故として、画像が二十数秒映り込んだことに関しては、誰も腹など立ててはいないのである。

では、何に皆腹を立てているのか。今更書くまでもないことだけど、報道とか、今回の情報番組のようなコンテンツの制作現場で実務に携わっている人、そしてその集合体としての組織において、「セシウムさん」的なことを書いて嘲笑っているような意識がまかり通っている、ということに、である。

だったら、東海テレビは何をすべきなのか。危機管理上……東海テレビの使っている term で言うなら「コンプライアンス上」……これは重要である。まあ、こういうときは、まず頭を下げなければならない。そして、自分達の何が悪かったのか、を示さなければならない。糾弾される前に自己批判すれば、延焼は最小限に食い止められるのだ。しかし……東海テレビは、今に至るまで尚、こんなことにすら気付いていないらしい。いや、気付いているのかもしれないけれど、有効な行動ができないらしい。そんな間にも、どんどんスポンサーは離れているわけで、こういうときに行動しない、ということは、組織の維持という観点に固執しているなら尚更、許されないことのはずなのだが。

論理的思考力を試す問題

……というふれこみで、ネット上に掲載されていた問題を以下に示す。

ここに四枚のカードがあります。

「I」 「5」 「J」 「4」

どのカードも、片面にはアルファベット、もう片面には数字が書かれています。

カードには「片面に母音(A,E,I,O,U)が書いてあれば、もう片面には偶数が書いてある」というルールがあります。

このルールが正しいことを証明するためには、四枚のうち、最低どのカードを裏返せば良い? (裏返す必要のないカードを裏返してはいけません。)

この問題の正答率は数 % だ、とこのサイトには書かれている。僕はさくっと解けた(解くと言う程でもないのだけど)けれど、皆さんはどうだろうか。

提示されている「このカードのルール」というのは、

片面が母音(A,E,I,O,U)→もう片面は偶数
というものである。これが何を言っているのか、論理学的視点で理解できるかどうか……まあ、それが全てであって、それ以上は何も必要ない。

もしこのルールが正しいならば、母音が書かれたカードの裏には必ず偶数が書かれていなければならない。では、母音でない文字が書かれたカードの裏にはどのような数が書かれているのか? ここで「母音でない文字の裏には奇数」と考えてしまっているとしたら、そこで終わりである。

たとえば、以下のようなカードがあったとする:

A 3 C 6
2 B 4 D
これらのカードは、先のルールに抵触していない。

どういうことかというと、

片面が母音(A,E,I,O,U)→もう片面は偶数
片面が偶数→もう片面は母音
は違う、ということである。もし、
片面が母音(A,E,I,O,U)←→もう片面は偶数
であるならば、
片面が母音以外←→もう片面は奇数
が成り立つけれど、矢印が片方だったらそうじゃないですよ、ということだ。これは「必要条件」「十分条件」「必要十分条件」の三者の区別ができていないと、ちょっと分からないかもしれない。

ただし、

片面が母音→もう片面は偶数
が成り立つとき、これだけは成立する:
片面が奇数→もう片面は母音以外
これはいわゆる「対偶」というやつだ。つまり、先のルールが成り立つときに言えることは、このふたつだけなのである。各々の逆、つまり、
片面が偶数→もう片面は母音
片面が母音以外→もう片面は奇数
を満たしているかどうか、ということは、分からないのである。

先の問題に戻ると、

「I」 「5」 「J」 「4」

のように表に出ているわけで、この中で「表が母音」のものと、「表が奇数」のものに注目して、その裏面をチェックしてやればよろしい。「表が母音以外」のものと、「表が偶数」のものは、裏に何がくるか、先のルールでは規定されない。だから「I」と「5」の2枚を裏返して、各々裏面が「偶数」、「母音以外」であれば、少なくともこの4枚のカード全てが、先のルールを満たしている、ということになる。

……うーん、しかし、これって中学か高校1年位でやりますよね?

薄ら寒い (2)

不適切テロップ『「訂正」局内で2度放置』東海テレビが特別番組 経緯報告、社長陳謝

東海テレビ放送(名古屋市東区)が情報番組「ぴーかんテレビ」で「怪しいお米 セシウムさん」などの不適切なテロップを流した問題で同社は五日夕、特別番組を放送し、冒頭、浅野せき社長が「極めて不適切な放送をし岩手県、福島県をはじめ多くの方にご迷惑をおかけした」と陳謝した。管理体制が整うまで番組を休止し、後日、検証番組を放送する。

夕方のニュースを短縮し、アナウンサーが問題の経緯を約十五分間、報告した。テロップはCG制作会社の五十代男性が「ふざけ心」で作成。テロップを流すタイミングを管理する番組スタッフが「不謹慎な言葉」に気付き、放送前日の三日と当日の四日、二度にわたって訂正を要請したが放置された。さらに、通常は上司が点検できるようにCGを印刷することになっているが、スタッフはこれを怠り、誤った操作も重なって番組で流れた。

特番でアナウンサーは「風評被害を食い止めるべく細心の注意を払って放送に臨むべき私たちが、岩手産の米が安全ではないと誤解を招きかねない放送をした。重く受け止め深く反省している」とあらためて謝罪した。

同社は五日午前の同番組を休止し、放送時間帯の冒頭に番組のキャスターが経過などを報告。同放送の祖父江伸二常務らは、岩手県庁やJA岩手県中央会を訪れ謝罪した。同社には苦情や問い合わせなどの電話が、同日午後九時までに四百二十五件寄せられた。

JA CM取りやめ

JA全中(全国農協中央会)は五日、スポンサーとして番組提供しているフジ系全国ネット「にじいろジーン」(土曜午前八時三十分)の六日放送分で、画面上から提供者名の表示を外すことを決めた。系列の東海テレビの放送では、JA全中のCMをACジャパンのCMに差し替える。スポンサーの立場は続ける。十三日以降は未定。

JAバンクあいちはフジ系全国ネット「めざましテレビ」(月―金曜午前五時二十五分)の東海テレビ放送分で毎週水曜日に流していたスポットCMを八月いっぱいは取りやめると決めた。

(『中日新聞』2011年8月6日、元記事画像

……という記事が出た。なんと、事前にスタッフがこのことに気付いていて、「二度にわたって訂正を要請したが放置された」、というのだ。

この文章から想像すると、こんな感じであろうか……

水曜日。翌日の番組で流すテロップ用の画像ファイルをチェックしていた東海テレビ社員N氏は、フォルダ内に妙な画像ファイルがあるのを見つけた。この夏の東海テレビのキャンペーン「東海テレビ 主義る宣言」の一環で行っているプレゼント企画で、木曜の放送で抽選結果を発表する「岩手県産ひとめぼれ 10 kg 当選者」のフリップ用に作成した画像なのだが、画像の上から何か文字が書き込まれている。

番組で流れる画像管理は面倒だ。時間情報に従って、半自動でテレビの画像にインポーズされるから、その順序を整えておかなければならないし、もし使わない筈の画像があるならば、本番までに除去しておかなければならない。細々した業務で溢れそうになっているN氏の頭に、書かれた文字はスムースには入っていかない。N氏は目で文字を追いながら呟いた。

「怪しいお米……セシウムさん……汚染されたお米……セシウム……さん」

悪趣味な代物だ。当選者三名の住所と氏名を書くところ全てが埋められていて、しかも「怪しいお米」と「汚染されたお米」、微妙に言い方まで変えている。

誰が作ったのかは、疑問の余地がなかった。フリップやテロップの図案を作っているのは、外部から入っているCG制作会社のY氏だからだ。N氏は、Y氏がいつも端末を操作している部屋に内線電話をかけた。

「Yさん、番組用のフォルダに変な画像が入ってたけど」

と言うと、Y氏はヘラヘラと笑いながら、

「見た?いいでしょ、あれ。もうさ、どこもかしこも汚染されてて、当選者までセシウムさん、ってね」

いよいよ悪趣味だな、とN氏は眉をひそめた。Y氏のこの手の「仕込み」はいつものことで、時によっては、絶妙な毒の匙加減に思わず吹き出してしまうこともあったけれど、報道に携わるという意識において、N氏とY氏の間には決定的な溝があった。N氏の感覚では、こんなものを作る気にはなれないし、それ以前に、Y氏の「仕込み」には、何か己のストレスをこうやって発散させているような、心の厭な暗みを感じさせられた。

「駄目ですよ。ああいうのは自分の端末の上だけにして下さいよ」

と言うと、Y氏は、

「えー?今回はポイント高いと思ったんだけどなあ」

もしY氏が、同じ東海テレビの後輩格の社員であったなら、N氏は「さっさと消せ」と即座に命令できたかもしれない。しかし、出入りの別会社の社員で、自分よりも年長で、現場経験も長いY氏に対して、N氏はそこまで睨みを利かせることができずにいた。

「もしも、ということもあるんで、消しといて下さいね」

「はいはい」

N氏は、はい、は一回だろう、と口中で呟いた。そして、頭を振って、気分を変えようと、他の仕事に没入していった。

そして、放送当日。早朝にコーヒーを啜りながら、送出用のフォルダの中身をチェックしているN氏は、顔をしかめた。あのファイルがまだ入ったままだ。

コーヒーの紙コップを持ったまま、Y氏の居室に行こうと部屋を出たところに、Y氏が通りがかった。

「Yさん、昨日言ってたファイルの件だけど……」

「ああ、あれ?ごめんごめん、まだ消してなかったっけ。戻ったら消しとくよ」

そう言うと、Y氏は歩みを緩めることなく、そのままトイレの方に歩き去っていった。ったく、ちゃんとしない人だなあ……N氏は小声で呟いて、部屋に戻った。細かい仕事が、まだ山のように残っているのだ。もし何かあっても、まあ、俺のせいじゃないしな……そう呟いて、N氏はそれきり、他のことで頭を一杯にしてしまったのだ。

勿論、これはあくまで僕の想像に過ぎない。まあでも、実際にこういうことの起こってしまう背景というのは、こういう感じなんじゃなかろうか。

【後記】夕刻に放映されたという特別番組の内容にリンクしておく:

……うーむ、技術的な問題ではなくて、これはやはり倫理的な問題だよなあ。その点を、当事者は今一度深く認識する必要がある、と僕は思う。

薄ら寒い

既に皆さん、各メディアの報道等でご存知かとは思うけれど、東海テレビが放映している情報番組「ぴーかんテレビ」において、にわかには信じ難いような放送事故が発生した。同番組中、テレホンショッピングの「しあわせ通販」というコーナーにおいて、稲庭うどんの製品説明中に、「怪しいお米 セシウムさん」「汚染されたお米 セシウムさん」と書かれた、抽選の当選者発表の画面と思われるテロップが流れてしまったのである。その前後をまとめた動画を以下に示す:

もともと、問題になっているテロップは、フリップ(最近これを「フィリップ」とか書いているのを散見するけれど、これは英語の flip board に由来する言葉なんでしょ?何やねんフィリップって。人名か?)として使われているものと同一の画像に、コンピュータ上で住所・名前を打ち込んだものらしい。作成したのは50代の男性外部スタッフということである。

……まあ、僕は毎度毎度、愛知県の県民性に対して否定的なことを書いている。だから今回、罵倒し倒そうと思えば出来ないこともないのかもしれないけれど、そんなことは何の意味もないことだ。ここでは、僕の経験も交えて、今回の事件の底に流れる問題について指摘しておきたい。

僕が前の職場に居たときのこと。ある日、安全講習というのがあって、職場の管理職格が誰か一人参加しなけれならないことになっていたのだが、皆多忙(多忙?事務方のIとか、他にもTとか、何かプラップラしてたような記憶があるけどねえ……)とのことで、僕が出席するように、と言われたわけだ。ったく何だって……などとブツブツ言いながら会場に行くと、職場のオフィスが入っているビルの管理会社(僕の職場の親会社の子会社……まあイトコ会社だったわけだが)を中心として、結構な数の参加者が来ていた。へー、じゃあ何するのかね、と思いつつ待っていたら、職場の親会社からの出向者であるお偉いさんが、講師として演壇に立った。

で、やる気もないままに話を聞いていたのだが……この言葉に、思わず息が止まりそうになったのだった。

「まあ、東海地震だ、何だ、と言ってますけれど……まあ、どうせ、来ませんからねえ」

何を呆けたことを……と思った一瞬の後、会場中からゲラゲラと笑い声が上がったのだった。僕は「やってられるか!」と、そのまま席を立った。

これを読まれている方は皆ご存知だろうと思うけれど、阪神淡路大震災が発生したとき、僕は阪大の院生で、大阪の箕面に住んでいた。僕の住んでいたところは活断層のすぐ際にあって、家屋の破損こそほとんどなかったけれど、あの地震のことはもう一生忘れられそうにない。月に1、2回は震度3の地震が来る水戸で生まれ育ち、小学生のときにはビルの7階で宮城県沖地震に遭遇したこともある、地震にはある程度慣れていたこの僕ですらそうなのだ。

大阪で暮らすようになったとき「よかったね、あっちって地震とかないんでしょ」と言われたことが何度もあった。けれど、あの阪神淡路大震災の経験は、天災というものから、そう簡単に人が解放されることがない、という事実を、僕に思い知らせた。その事実の重みは、決して茶化したりできるようなものではない。あのときだって、実際に数千人の人が亡くなっている。僕もかつて講義を受けていた、隣の学科の教授も、倒壊した家の中で亡くなっているのを発見された。理不尽な運命、理不尽な死は、僕のすぐ隣に厳然として存在していたのだ。そういう重い事実を、僕はあの地震で学んだのだった。

しかし、愛知に居を移してから、僕は何かがおかしい、と思っていた。それに気付くのにそう時間はかからなかったけれど、要するに、「他人事ではない」という、過酷で理不尽な運命というものに対する畏怖の念が、どうもこの辺りの人々には極めて希薄なのだ。いや、皆が皆そうだ、と言うわけではない。しかし、特にトヨタ系の企業で見かける人々……地元大学を出て、愛知以外の土地のことをほとんど知らずに結婚して、家を買って、毎日をぬくぬくと暮らしている人々の中で、そういう畏怖の念というものを持っている人は、おそらくほとんど存在しないのではないだろうか。

過酷で理不尽な運命に対する畏怖の念を感じる、ということは、つまりはそういう運命に見舞われることが他人事ではない、と感じることで、だからそういうときには何も言わずに助け合えるように、それができないならせめて少しでも良い方向に向かうように、努め、祈念することに僕等を向けさせる。しかし、そういうものを持たない人々は、他者の不幸に対して悉く「他人事」だ。自分が良ければそれでいい……だから、たとえば平気で道に横一列で広がって闊歩したり、一時停止をせずにクルマの鼻先を横断歩道に捻じ込んでみたり、そしてそれを指摘されたときには、まるで頭の上に人工衛星でも落ちてきたかのような顔をしてみたりするのである。

今回の「セシウムさん」などというのは、まさに「他人事」と書いているようなものである。地震も、津波も、そして原発事故も、今の中部地域の生活には関係ない、他人事である、そう思っているからこそ、フリップにあんなことを書いてネタにしたりできるに違いないのだ。

今回のあのフリップは「リハーサル用」だった、と報道されている。では、あのフリップを、あの番組の出演者達はカメリハ等のときに目にしていたのだろうか。一緒にそれを見て笑っていたのだろうか。もしそうでないなら、そうでないとはっきりしていただきたいし、それをしないならば、そう思われても仕方がないと思う。Wikipedia の「ぴーかんロード」項中「現在の出演者」 によると、福島智之アナ、内田忠男氏(元日本テレビアメリカ支局長、現名古屋外大教授)、金子貴俊氏(隔週)、奥山佳恵氏(隔週)、高井一氏(東海テレビアナウンサー)、そして勅使河原由佳子アナ……この中に、今回出ておられない方もおられるかもしれないが、あのフリップを目にしていない方は一刻も早くその旨表明されるべきだろう。今回の、この薄ら寒い事件の責めは、おそらく皆さんが考えているのよりもかなり重いものだろうと思いますよ。

かまびすしい

時々、何の気なしに使った言葉で混乱を招くことがある。どうも僕の日本語は古臭い代物らしく、21世紀を生きる人々には通じないことがしばしばあるのだ。

たとえば「しどけない」という言葉がある。「乙な年増のしどけない寝姿」なんて言い方をしたら、おそらくニュアンスが分かっていただきやすいと思うのだけど、要するに「だらしない、乱れている」という位の意味の言葉である。これを使うと、おそらくかなり高い確率で「?」という反応が返ってくるのだが、やはり、こういうときは「だらしない」じゃなくて「しどけない」がぴったりくるんだ、というときに、その言葉を使わない、というのは、僕としては口を塞いでいるような心地がするのだ。

「喧(かまびす)しい」、あるいは「囂(かまびす)しい」というのもそうだ。まあ分かりやすく言えば「やかましい」ということになるんだろうけれど、でもやはり「囂しい」と言いたいシチュエーションというものがあって、僕の言語感覚では、それを「やかましい」と表現するのは、薄っぺらいというか、貧しいというか、そんな気がするのだ。

そう言えば「姦(かしま)しい」というのも最近はあまり使わないのだろうか。昔、この言葉を初めて目にしたときに、父に意味を聞いたら「お前、よく演芸番組観てるのに『かしまし娘』とか知らないか?」と言われて「あーなるほど」と納得した記憶があるけれど、最近の人はそもそも「かしまし娘」を知らない可能性が高い。辛うじて「女三人寄れば姦しい」というのが諺をまとめた本などに載っている位しか、もうこの言葉との接点はないのかもしれない。

漢語で言うと、「唯唯諾諾」なんてのが典型だ。たしかにメディア等でこの言葉を聞くことは少ないかもしれないけれど、でもこれってそんなに分かりにくい言葉なのだろうか?使うとほぼ全ての人に「?」と返されるのだけど。

よく、人から「Thomas さんはなんでそんな古い言葉を使うのか」と聞かれることがあるのだけど、僕は豊かな日本語表現を享受してきたので、自らの日本語表現にそれが反映されているだけのことである。別に僕にとってそれらの言葉は古くも何ともない。暴言との謗りを覚悟してあえて言うなら、世間の日本語が薄っぺらく、貧しくなってきているだけのことである。

先日、NHK の報道番組を観ていたのだけど、福島県在住の男性が、自分達の被曝状況を記録するために手帳を作り、たまたま講演に訪れた広島原爆の被爆者にその手帳についての意見を求めているところが映っていた。その画面の隅に「被ばく者の対話」というようなタイトルがついていたのだけど、僕はこれを一目みて、

「これはずるいなあ」

と呟いた。要するに「被ばく」と書けば、「被曝」と「被爆」の区別をしなくてもいい、という理屈なんだろうけれど、天下の NHK がそんなことをしていたら、ますます世間の人々の間で「被曝」と「被爆」の区別がされなくなってしまう。要するに、面倒事を避けるための措置なのに「どんな人が観ても分かってもらえるように」なんて妙な建前を主張する結果、余計そういう面倒事が増えてしまうわけだ。

「障碍者」と「障害者」の場合もちょっと似ている。これは、実は終戦後、国語審議会が旧字を排除するまでは「障碍者」(もしくは「障礙者」)と書かれていたのが、戦後に「害」の字をあてるようになってしまった結果である。で、最近、障碍者が害を為しているわけではないんだから、旧来の表記に改めよ、という。うーん……じゃあ、「疎通」「疏通」はどうなのよ?そもそも「疎」って「疎外」の「疎」でしょ?「疎通」の意味を辞書でひくと……

[名](スル)ふさがっているものがとどこおりなく通じること。また、筋道がよく通ること。「意思の―を欠く」「意思が―する」

(『デジタル大辞泉』より引用……goo辞書のエントリへのリンク

とあるんだけど、これに「疎外」の「疎」を持ってくるって、一体どういう神経なんだろう。こちらの方が「障害」か「障碍」かという問題よりも、言葉としては深刻な問題だと思うんだけどなあ。

そう言えば、いつだったか、政治評論家の三宅久之氏が怒りを込めて言っていたけれど、「独壇場(どくだんじょう)」というのもこの手合いである。そもそも「独壇場」などという言葉は存在しない。これを言うなら「独擅場(どくぜんじょう)」なのだけど、どういう訳か「独壇場」という言葉は世間でひろく使われてしまっている。

まあそんなわけで、どうにも薄っぺらい日本語に辟易(これも誰だったか「ヘキヘキ」とか書いている人がいたなあそう言えば)することが多いわけだ。どうもなあ。

差し歯・雀

今日は、肝を冷やされるようなことがいくつかあった。今、冷や汗を拭いながらこれを書いている。

まずひとつめ。今日、昼食を食べようとしたときに、前歯の辺りが何かむずむずとした。指で摘むと……

スポン!

……と、前歯が抜けたのである。

差し歯にされている方はご存知だと思うけれど、差し歯というのは、歯根を残してその中にキャビティ(縦孔)を掘り、そこにコア(芯)を立てる。このコアの上に、クラウンと呼ばれる、歯の外観をした「冠」を被せるわけだ。通常、差し歯が取れた、というときには、ほとんどの場合はクラウンの脱落だろうと思うのだが、今日の僕のケースでは、クラウンがその土台のコアごと抜けてしまったのである。

僕もこういう経験がそう多いわけではないのだけど、この精神的衝撃というのは、相当のものだった。あ゛〜、これで結構な額が飛んでいくのかー……というのもあるけれど、前歯が抜けるというのは、これだけでも結構な精神的ダメージである。

とりあえず食事をして、歯を磨き、かかりつけの歯科医院に電話をすると、午後5時少し前だったらいけまっせ、との返事だったので、そこに予約を入れて、ちょこちょこと仕事をしながら午後を過ごした。しかし、今日は少しリラックスして過ごそうと思っていたのになあ……もう、台無しである。

歯医者の時間の少し前、もう一度歯を磨いていて、抜けた差し歯をブラシで洗おうとしていたら、手が滑って、洗面台の排水溝の中に「カラ〜ン」と、それはそれは綺麗な音を立てて落ちた。思わず声を上げてしまう。絶望感に苛まれながら、排水管の経路だけでも見ておこう、と思って洗面台の下を開けてみると、この洗面台は樹脂管で、U字の部分はドレンが付いていて手で外せそうである。そこらの器で受けながらドレンを外すと……「カラ〜ン」と、これまた綺麗な音を立てて歯が落ちてきた。はぁ、と溜息をつき、しばし脱力する。

時間が来たので歯医者に向かった。道すがら、はぁ……と溜息をつく。まあ、溜息をついても仕方ないんだけど、ここまででも結構な精神的ダメージだ。なんだかなあ……と思いつつ、診察券を歯科助手に渡す。

歯科医師は、ドレンから取り出して持ってきた差し歯と、僕の歯根のキャビティを見ながら……「これは……」「これは?」「これは……付けられそうだよ」「え?」で、キャビティの掃除をしてから、セメントを練って、装着。この差し歯を作った歯科医院ではないので、しめて500円取られたけれど、差し歯の作り直しとか、いやもうこれは部分入れ歯なんじゃないか、とか、悪いことばかり考えていたのが、嘘のように呆気なく、現状回復されたわけだ。

で、戻ってきたわけだけど……今根城にしているビルは、1階が大きなガラスの観音開きのドアなのだけど、その中に雀が2羽いた。僕が入ってきたのにびっくりしたのか、1羽は外に開いている方に向かって飛んでいったのだが、もう1羽が……よせばいいのに、僕がくぐったばかりの、そのガラス戸に全力でぶつかったのである。雀は地面に転がり、嘴だけをひくひくと動かしている。

雀は、どうやら脳震盪を起こしたらしい。両手で包み込んでも、逃げるどころか、身体をよじることもできずにいる。とりあえず、持っていた荷物を部屋に置いて、U に事情を話し、二人でまたガラス戸の前に行った。雀は、まだ動けずにいた。

「どうしよう」「どうしようって言われても、ねえ……」

などと言っているうちに、雀は意識を回復したらしく、地面の上を跳ねながら、影の方へと逃げていく。もし飛べなくなっているならば、保護しないと、この辺りには野良猫もいるので危険である。ブロック塀の方に追い込むように向かっていくと、雀はようやく意識を完全に回復したのか、はばたき、飛んで逃げていった。

僕が入ってきたのにびっくりしてこうなったわけで、そのせいで雀が死ぬようなことがあったら寝覚めの悪い話である。だから戻ってきたのだけど、とりあえずこうやって無事に逃げられたのだから、大丈夫だったのだろう。そう思うことにした。たかが雀一匹の話であるかもしれないが、歯の件も合わせて、今日の僕にとっては精神的ダメージの大きな事件であった。

Intel C++ / Fortran を入れる

Intel のコンパイラは、以前は必ずインストールしていたのだが、最近はあまり熱心に入れていなかった。これには理由が二つあって、ひとつは、従来フリーではなかなか使えなかった Fortran が、現在は GNU Fortran のおかげで簡単に使えるようになったこと、もうひとつは、僕がメインで使うことの多い AMD のプロセッサ上では、Intel Compiler で生成したバイナリの実行速度が遅い、ということがある。

まあそんなことはあるわけだけど、ある理由から、手元の端末で Intel の処理系を整える必要が生じた。最近あまり Intel 絡みの情報チェックしていないんだけどなあ……と思いつつ、まずは非商用ライセンスが今もあるのかどうかの確認から行ったわけだ。

Intel は、Linux 用の製品を中心に、非営利目的での利用に限って無料で処理系を使えるようにしている。詳細は Intel の "Non-Commercial Software Development" をご覧いだければいいと思うけれど、ここから Intel C++ と Intel Fortran のアーカイブをダウンロードする。

僕が使っている Debian や Ubuntu の場合は、インストールには何も手間はかからない。アーカイブを展開して、展開されたディレクトリ内でスクリプトを走らせるだけだ。後は、インストール後のメッセージに従って、環境変数等を設定するシェルスクリプトを読ませるように ~/.profile 等に記述をするだけでよろしい。

さて……そんなこんなで使えるようになったので、試しにみんな知ってるMDBNCH のバイナリを gfortran と ifort の双方に対して生成して比較すると……うん、やはり AMD 上では ifort のバイナリの方が遅い。うーむ……まあ、とりあえずコンパイルできることが今回の場合にあ意味があるので、まあ仕方ないだろう。早いところ Core i7 とか使える身分になりたいものだ……

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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