温故知新

僕が生まれて初めて組んだバンドのヴォーカルだったS君から連絡をいただく。実に懐かしいことである。

この初めてのバンド、というのが、僕の中では音楽に対する怨念みたいなものの源になっている。どういうことか、というと、当時の僕たちは、周囲が BOØWY とか、洋楽だったら U2 とかやってキャーキャー言われていた頃に、はっぴいえんどの『十二月の雨の日』をやろう、といって集まって、ドラムがいなかったのでリズムマシンで打ち込んで、それが本番のときに暴走して、出来損ないの祭囃子みたいなのをバックに演奏・歌唱して……ああそうだ、あのときのライブの司会の奴が言ったことは、きっと一生忘れることはないだろう。そいつはしたり顔して、こうのたもうたのだ。

「ん〜、フォークですねぇ」

馬鹿野郎何知ったようなこと言ってやがるんだこれぁロックなんだよという心の声もむなしく、まるでなかったかのように扱われたのがとにかく腹立たしかった。で、それから20年になろうというのに未だに音楽をやっている。きっと今後も死ぬまでやめないだろう。

皮肉なことに、その後いわゆる渋谷系が出てきて、はっぴいえんどの名前は同世代に知られるようになって、大学で女の子に「上田さんはっぴいえんどの CD 持ってるのぉ?」とか訊かれたっけ。け、何言ってやがるんだぽっと出の半可通がさも第一発見者みたいにとかいう心の声が、ますます音楽での僕を孤高の人にさせたんだよなぁ。今でも基本的に一人で作曲・作詞・編曲・演奏・歌唱とやっている背景にはそれが関係しているのかもしれない。

内田裕也の提言

今日は体調不良で臥せっているのだが、テレビを観るとどうも気分が悪くなっていけない。例の仕分けで、またどうのこうのとやっているようなのだが、今日はそこに内田裕也氏が現れ、こう語ったそうだ。

「大体が、国会議員が給料とりすぎなんだよ。一人百万削ったらどうなる?四百人いるんだからな。人の金削る前に自分のを削れっての」

国会議員の給与が仕分け対象にならない。これはなるほどおかしな話である。国会議員の年収は約二千九百万である。これを 10 % カットしたら、一人年間二百九十万の節約になる。それに400をかけたら……実に十一億を超える金が節約できることになるわけだ。内田裕也氏の提言は決して机上の空論にしてはならない話なのだ。さーレンホウさんよ。あんだけ立て板に水とばかりに人の金をぶった斬ったんだからな、まさか自分のギャラ位、斬るんだろうなぁ、えぇ?

先週の真相

先週の体調不良だが、どうもかなり危ないところだったらしい。火曜にクリニックに行ったときにこの話をしたら、

「それは症状なんかから見ても、インフルエンザに罹患した可能性が高いんじゃないですかね」
「え。いやぁあまりに高熱が続くようだったら救急車呼ぼうと思っていたんですけど」
「……いや、やはり昏倒したとか七転八倒だったとか、明らかにおかしいですよ」
「ということは、インフルエンザに罹患して、そのまま寝ていて自然治癒した、と……」
「その可能性が高いと思います」

……とのことだ。うーむ。もし新型で重篤になっていたら、死んでいたかもしれないのだ。洒落ではなく。すぐそこに死があった、ということに、奇妙な程に感情が動かない。現状の悪さはこんなことにも影を落としているようだ。

四日目

四日目である。微熱が抜けず、舌炎もましにはなったが完治はしていない。ただ昨夜は夢もみない程に熟睡したので、少しはましになったかもしれぬ。

それにしてもなぁ……この何年かでも一番心身共に不調である。一体どうしてこうなったのか、自分でも分からないけれど。

未だ快復せず

一夜明けたが、筋肉痛・熱(37度台だけど)、舌炎は相変わらずである。

それだけならまだいいのだけど、どうも気分が優れない。厭な夢をみたというのもあるのだけど、夢のままに厭世的な心境になってしまい、そこから抜け出せずにいる。ここのところの世間も、自分の周辺も、何もいい材料が見出せない。この閉塞感から、どうにも解放される方法が思いつかない。困ったことだ。

まぁ、独りで病に臥すというのは気が滅入るものだけど、このよろしくない状況のまま自分の一生が終わってしまうのではないか、などとすら考えてしまう。自分のたたずまいから色も光も奪われたかのような心境になってしまう。いかんなぁ。

寝込む

風邪をひいたらしい。昨夜は耐え難い倦怠感に、大量の寝汗をかきつつ気を失ってしまった。

で、今日は一日寝ていたのだが……今日中に送らねばならない書類があったので、少し息をつきつつ書き、メールで送る。こんなときにも休むこともできないとは。節々が痛み、口中では舌炎のせいで舌が口を埋めるほどに腫れ上がっている。午後はまた意識を失ってしまい、気が付くともう夜だった。

バカファンク

mixi の DTM 関連のトピックで、ギター弾きなんだけどどうやったら録音できるの?みたいな質問があって、その人は frieve.com で公開されているシェアウェアの DAW (Digital Audio Workstation ……要するに DTM 用ソフト)を使い始めている、ということだった。で、よせばいいのに見ていたら、さも訳知り顔で「そのソフトはだめだからこれこれを使いなさい」みたいな誘導発言があったので、「そういう問題じゃないだろヴォケ」と書き込んでしまった。というのも、frieve.com で公開されているオーディオ関連ソフトは安い share fee の割りに音質がいいので、こんな放言で評価されたんじゃ作っている人の苦労が報われない、という義憤にかられたのである。

で、お定まりのように場が荒れていったのだが、まあこれぁ原点回帰するしかないだろう、じゃあギターと PC だけでどんな風に録れるのか、ということで、ちょろちょろっとドラムだけ打ち込んで、ジャズベ・テレキャス・ストラトだけで音を重ねたらどうなるか、しかも特にエフェクトを使わないでやったらどうなるか、というのを試してみることにした。それが、これだ:
http://www.fugenji.org/~thomas/music/20091118.mp3

  • 使用楽器:Fender Jazz Bass、Fender Telecaster、Fender Stratocaster(面倒なのでこう書いたけど、実は Tokai のストラトに GOTOH シングルコイルを載せたもの)
  • 録音経路:楽器→真空管プリ(SansAmp のようなものです)→ DAW
  • オーディオインターフェイス:TASCAM US-428(年代ものの USB インターフェイスです)
  • DAW・音源:Cubase Studio 4 + XLN Audio Addictive Drums
  • PC:Dell Inspiron 1501 / Mem 4G / Windows Vista Home 64bit
ベースとリードギターのみ DYNACOMP を挟んでいる。ベースは EQ で下を持ち上げているが、他は EQ すらかけていない。WAV 形式のファイルに落としてから、フリーウェアの Audacity というソフトでトータルコンプとリミッタをかけて MP3 エンコードした。所要時間は30分程度。まぁ、ざくっと録ってこの程度はできるんだよな。ギタリストにはこういうことがちょこちょこっとできるのはやはり魅力的なのである。

Madame Ren-ho aboie beaucoup, mais elle ne marche pas.

……で合ってるかな。フランス語は専門外なので、間違っていたらご指摘下さい。言わんとするところはお判りと思うので。

表題の通り、いわゆる「仕分け」でばっさばっさと切り捨てているわけだけど、そもそも民主党の議員が independent に判断し、ああ斬り捨てている、と思ってはいけない。個人の責任が問われる状態で、ああもキャンキャン吠えて億単位の金を斬り捨てられるわけがないのであって、その責任を代わって担保している存在があることを、我々は見失ってはならない。その存在が、財務省、もっと正確に書くならば財務省主計局である。

皆さんがニュースでどの程度あの「仕分け」の内実をご覧になられているかは分からないが、あの「仕分け」、実は事前に配布資料が用意され、配布されている。そこには、各々の組織のどこが問題で、どう判断すべきか(「廃止すべき」とか「削減すべき」とか)まで含めて書かれているのである。資料を用意しているのが財務省主計局であるのは言うまでもない。

資料だけではない。あの「仕分け」の始めには、あの場に臨席する財務省主計局の担当官僚が資料を読み上げつつ説明し、「どうすべき」なのかまでを「ガイドラインとして」示し、そこからあの議論が始まっているのである。要するに、蓮舫をはじめとした民主党の議員が吠えているのは、その後ろ立てがあってのことなのである。そして、彼女達が independent に責任を負って出している意見・見解は……断言していいと思うけれど、ない。それが現実だ。

この何日か、「仕分け」の標的になっているのは文科省だ。SPring-8 の予算も切られたし、次世代スパコンの予算も切られた(これなんかはベクトル演算部を諦めさせられた、その上で更に予算を切られているのだからお話にもならない)。そもそも科振自体の予算が切られているし、聞く話によると、文化勲章受賞者でこの何年かのうちにノーベル医学生理学賞を受ける可能性大、と言われている僕の母校の元学長のプロジェクトまで切られたらしい。研究に関してこうもシブチンでは、この国から研究者が(スキルを持つ人であればあるほど)逃げ出す可能性が極めて高くならざるを得ない。

ナポレオン失脚後の欧州で行われた軍縮会議は、表題の元ネタ(フランス外相が言ったといわれる Le congrès danse beaucoup, mais il ne marche pas. 会議は踊る、されど進まず、という言葉)に言われる通り、皆で集まって一騒ぎしたにも関わらず進捗はかばかしくないものの代名詞となった。その言葉に着想を得たオペレッタ『会議は踊る』 は、ロシア皇帝と町娘の恋の話だけど、相手がスピッツみたいに吠えるだけで、ただ財務主計官僚に乗せられているだけの蓮舫では、恋をする気も起きやしない。つくづく、厭な時代になったものだと、ただ嘆息するのみである。

【後記】16日、厚労省管轄の「優良児童劇等巡回事業」(優良な児童劇団の巡回を支援する事業)に対して、仕分けのまとめ役である菊田真紀子衆院議員が「自身の政治的判断」として、初の「予算要求通り」の判定を出した。しかし、これは菊田議員の「子どもに希望を与える事業は大切にしたい」との一存で出された判定であり、しかも概算要求段階で金額が明示されていない段階である。いかに恣意的に「仕分け」が行われているか、これを見るだけでも分かろうというものである。

口さがない人々

ちょっと前のことになるが、用事があって実家の母に電話をした。用件を話し終えたときに、母がふと、

「そういえば、あんた blog やってるんだって?」

と、こう言う。今更何を言っているのだろう、こちとら 1996 年から blog を……そもそも書き始めた当時は blog という言葉すらなかった頃だ……書いているし、そのことは両親共に知っていたはずだ。

「何か問題でも?」
「いや、お父さんの知り合いか誰かが見てるらしくて」
「はぁ。で?」
「何か、ギター弾いてる写真とか出してるって?」

はいはい。大体想像はつきましたよ。あれは三軒茶屋のライブハウスで「ベースを」弾きながら歌っているところを写真に撮られたのを貰って、それ以来アイコンとして使っているのだけど、それを見て何か下種の勘繰りをして、父か母に何事か言ってきた輩でもいるのだろう。

「で、何かそれが問題でも?」
「いやね、アンタ、そんなことで恥の上塗りを……」
「???楽器を弾くことが何か恥ずべきことだとでもいうわけ?僕はお天道様に顔向けできないような生き方はしていませんけど」
「……」

実の親にこれ程信用されていないのか、と、ただただ嘆息。そして、うちの両親に何を口さがないことを言ったのか知らないが、自分の目に入ったもので見えない部分を勝手に想像して何やかにや言う悪しき存在に、反吐が出る思いだ。何か言いたいことがあるのならば、どうして僕宛にメールのひとつも送らないのか。送れないんでしょ?下種な想像は想像のまま増殖させて、手近なうちの両親にちらちらその想像を披瀝して……あーやだやだ。つくづく下種な奴だな。死ねばいいのに。

右手が腱鞘炎になりそう

……と言うと、あらぬ誤解を受けて生暖かい目で見られる。これはきっとベーシストの受難に違いない。

実は久しぶりにスラップのメカニカルトレーニングをやっていたのだけど、これを怠っていると、右手の上腕部、親指に近い方の筋肉に無用な力が入ってしまう。それでこんなことになっているのだった。うう。こうやってキーボードを叩くのも結構辛い。

こんなトレーニングをしているということは、久しぶりにレコーディングを再開するから、というのもあったりする。で、その曲が(おそらく自分で書くのは初めてかもしれない)三拍子の曲なので、三連系のスラップ(t t p t t p とか td tu td p td tu とか)を延々やっていたら、腕がこんなにパンパンになってしまったのだった。これは無理な力が入っている証拠で、ある程度腕をこうやって疲れさせないとその力が抜けない。こういう愚直なトレーニングってやはり大切なんだと思い知らされる。

「キリスト教もイスラム教も排他的だ」発言

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20091110-OYT1T01243.htm
以下、保存のために引用:

「キリスト教は排他的」民主・小沢氏、仏教会会長に

 民主党の小沢幹事長は10日、和歌山県高野町の高野山・金剛峯寺を訪ね、102の宗教団体が加盟する「全日本仏教会」会長の松長有慶・高野山真言宗管長と会談した。

 小沢氏は会談後、記者団に、会談でのやりとりについて、「キリスト教もイスラム教も排他的だ。排他的なキリスト教を背景とした文明は、欧米社会の行き詰まっている姿そのものだ。その点、仏教はあらゆるものを受け入れ、みんな仏になれるという度量の大きい宗教だ」などと述べたことを明らかにした。

 さらに、小沢氏は記者団に、「キリスト教文明は非常に排他的で、独善的な宗教だと私は思っている」とも語った。

 小沢氏の発言は、仏教を称賛することで、政治的には「中立」ながら自民党と古くからつながりのある全日本仏教会に民主党との関係強化を求める狙いがあったものと見られる。しかし、キリスト教やイスラム教に対する強い批判は、今後、波紋を広げる可能性もある。

 小沢氏の訪問は、来年夏の参院選に向けた地方行脚の第1弾という位置付けで行われた。

(2009年11月10日23時33分 読売新聞)

……うーん。こういうことを言っている小沢氏や、彼の所属する民主党の方が余程排他的だと思うのだが。で、これに関して mixi で書かれている日記の一覧を見ていたら、思わず唸らされた一文があった。当たり前のことを指摘しているのだが、「何者かを賞賛するために他者を貶める人は知れたものだ」というのだ。まさに言いえて妙である。

しかし、小沢氏は、世界で一番信者の多い宗教が何なのか分かっているのだろうか(もちろんキリスト教である)。まぁカトリックはこの手の発言を適度に無視することを歴史的に学んでいるからまだいいだろうが、特にアメリカのプロテスタントがこの発言を知ったらどうなるか、そちらの方が心配である。ただでさえ日米関係が微妙な時期なのに、何も蛇の絵に足を描き足すこともあるまいに。こういうときに人の浅さを見てしまうと、何とも味ない思いがするものだ。

達也君、これで君も楽になったろう

逃亡中の市橋達也容疑者が先程確保された。TBS と MBS の一大スクープである。

僕が書いたタイトルを見て、お気を悪くされた方がおられるかもしれない。しかし、僕が今まで聞いた、逃亡犯の捕まったときの話からすると、まず頭に浮かんだのはこの言葉なのである。警察関係者の書いた回顧録などを読むと、異口同音にこのことが書かれている……どのような逃亡犯も、捕まったときに、皆安堵のため息をつく、というのだ。市橋容疑者も、この何年かの間、写真を撮られることを恐れ、他人と入浴することを避け、いつもひとりで、ひたすら貯金し、形成手術で仮面を被ろうとしていた。その恐怖から解放されるためには、彼自身が縛につき、己の罪を償うしか術がなかったのだ。だから、僕はあえて言いたい。達也君、これで君も楽になったろう、と。

それにしてもメディアというのは恐ろしい。市橋容疑者が確保されるやいなや、容疑者の両親の顔をさらしやがった。両親もメディアの要請に応じてのことなのだろうけれど、なぜ両親までこのように顔をさらされ、カメラの前で社会的責任を総括させられなければならないのだろうか。メディアには明らかに、「自分達は正義の代執行者だ」という驕りがあるに違いない。自らが正義を名乗るものに対して、僕は正義よりむしろ疑いを感じてしまう。なら「正平協」なんてのはどうなるんだ、とか突っ込まれそうだけど、僕はあの団体の名前には疑問を感じている(活動を全否定するつもりも、このような連中に無批判に連帯する気もないけれど)。

【後記】
今日になったら、両親の顔は出さず、局によっては音声も加工している。勢いで出したものは許されるというのだろうか。やはり、メディアのこの対応には不信感が深まるばかりだ。

水戸出身者が語る「あまり知られていない水戸黄門の話」

TBS の長寿番組『水戸黄門』。現在放映中のものは第40部で、由美かおる氏は今日放映の回でなんと出演700回になるのだそうな。いやはや、凄いことである。

水戸駅の出口には、助さん・格さんを伴った水戸黄門のブロンズ像が設置されている。しかし、水戸の人間が昔から愛してきた実際の徳川光圀は、この物語の主人公とはちょっと違っている。

そもそも水戸の気風を決定付けているのが、水戸徳川家にまつわる数々のエピソードである。それは、光圀の父であり、水戸徳川家初代藩主である徳川頼房の幼少時の話までさかのぼる。

駿府城の天守閣で、五郎太丸(後の初代尾張藩主 義直)、長福丸(後の初代紀州藩主 頼宣)と鶴千代丸(後の頼房)を伴った家康が、子達に戯れにこう言ったという:「ここから飛び降りることが出来たら何でも願いをかなえてやろう」と。五郎太丸と長福丸が家康の思い通りにたじろぐのを後目に、鶴千代丸は「私が飛び降りましょう」と言った。家康が「何が望みだ」と訊くと「天下を私に下さい」と言う。驚いた家康が「天下を取っても、飛び降りたら死んでしまうのだぞ」とたしなめると、鶴千代丸はきっと家康に目をやり、こう返したという:「ほんのひと時でも天下を取れるならば、それが私の本望です」。『論語』の「子曰 朝聞道 夕死可矣」(子曰く、朝……あした……に道を聞かば夕……ゆうべ……に死すとも可なり)を彷彿とさせるこのエピソードは、水戸徳川家の気風を実によく表している。

徳川光圀は、テレビの黄門様のように全国を行脚したわけではない。しなかった、というより、それは不可能だった、というのが正しい。御三家の一角を成し、江戸の上屋敷に常駐していた光圀は、実際には熱海の辺りまでしか行かなかった、と、記録に残っている。しかし、たとえ全国行脚せずとも、光圀が型破りな人物であったことはよく知られている。幼少の頃、頼房に度胸を示すように言われて、深夜の刑場にひとり赴いて生首を引きずって帰ってきた、とか、やはり頼房に度胸を示すように言われ、嵐で増水した隅田川を泳ぎ渡った、とか……光圀の豪胆さを伝える話は枚挙に暇がない。

しかもただの荒くれものではなく、学問を重んじ、藩の財政の 1/3 を投じて、歴史書『大日本史』の編纂に着手した(この事業は明治まで続いて、この日本で他に類を見ない紀伝体の歴史書は全397巻226冊の大部として完成した)。明朝の亡命者である朱舜水らから教えを受け、大陸伝来の文化……この中には、後に「ラーメン」や「チーズ」と呼ばれるものまで……に積極的に触れた。もちろんただの好事家ではない。民の糧食、戦の際の兵糧などの観点から、光圀は食物に多大なる関心を寄せていたのである(偕楽園などで有名な水戸の梅も、九代藩主斉昭が「他の花に先駆けて咲き、馥郁たる香りを放ち、実は戦の際に兵糧となる」と梅を好んだことによる)。

そして、徳川綱吉があの有名な「生類憐みの令」を出し、過剰な犬の庇護が行われた際、光圀は将軍に「上質の犬の毛皮五十枚」を献上した。御三家で一番石高が低く、城に石垣を造ることも許されなかった水戸家だったが、光圀は、誰も何も反論できない将軍に対してこのように物申すことができるほぼ唯一の存在だったのだ。このスピリットこそが、民衆に「黄門様」の名で愛された、阿ることなく決然として己の信ずるところを貫く存在としての光圀をよく表すものであり、その生き様は、水戸の人間にとって大きな精神的支柱になっている。だから……きっと僕は、どこで暮らしていても、一生「水戸っぽ」のままなんだろう。そう思うのである。

続・ゴーマンかましてよかですか

前回の日記の後、また3人ほどの質問に答えたが、その3人が3人とも「職業:IT関係」だと。あーいやだいやだ。

こういうこと書くとすぐに「いや IT 関係だからって皆が皆 Linux 詳しいわけじゃないんです、銀行で COBOL 書いてる人もいれば IT 企業で事務やってる人もいるんです」とかいう反論がくるのかもしれないけれど、上の3人も含めて、僕が mixi で質問に回答した連中は、

  • 質問の仕方が分からない
  • 情報の探し方が分からない
という典型みたいな連中だから、そもそも情報関連と標榜する上での基本的能力が欠如しているのだ。お話にならない。

その、僕の答えていた mixi のコミュニティの名前が、「初心者用のくだらない質問トピック #3」というんだけど、きっとこれは「『くだらない初心者』用の質問トピック #3」に変質してしまったに違いない。くだらない輩には関わるだけ時間の無駄なので、もう関わらないことに決めた。あー下らんことに時間を割いてしまった。

ゴーマンかましてよかですか

……でお馴染みの小林よしのりに対して僕は意見を同じくするところはあまりない、と思う。特に彼が「なんちゃって右傾化」してからはね。しかし今日だけは、あえてこのタイトルで書かせていただこう。

僕は、自分の専門分野に関しては、世間でどう位置付けられるかは別として、無闇矢鱈に人に訊いて、その内容を無料でちゃっかりいただこう、なんてことはとてもじゃないけれどできない。そんな醜態を晒さないように、日々、自分のスキルを磨き、研鑽に努めることが、その専門分野でいやしくも金を貰い、飯を食ってきた者としての矜持だと思うからだ。

で……僕は IT 関連(院生時代に非常勤で稼いでいた時を除いては)で金を貰うプロフェッショナルではない。しかし自分の道具として必要だから、UNIX 関連、特に Linux や Fortran に関しては、そこそこ情報を集め、自分でもケーススタディを繰り返して、不測の事態に備えている。プロではなくても、ある程度自律/自立した状況で道具を使うためだ。そんなアマチュアの僕でも分かるようなことを、日々 mixi で質問してくる人がいるのを目にして、自分の知っている範囲でそれに答えることがある。しかし、だ。どうしてその「訊いてくる連中」のプロフィールを見ると、その多くが「職業:IT 関連」なわけ?

いやしくもそれでお金貰ってるんでしょ? google を手掛りにして、一次文献に辿りつくのがそう難しいことだとは思わないんだけどなぁ。え?英語で書いてあるから分からん?IT 関連で鬻いでいて技術文献を英語で読み書きできないような奴はさっさと辞めてしまえ!迷惑だ!金のムダだ!存在すらムダだ!

この不景気の世の中で、自分の価値の低さをどうにかしようとも思わず、そればかりか人の resource で自分のスキルのなさを糊塗してプロフェッショナルぶろうっていうその根性が気に入らないんだよ!ましてやそれで平気で給料貰おうなんざ、月給ドロボーもいいところだ!消えてしまえバカプロは!

……しかし本当に厭な世の中になったものである。この手の輩が mixi に蟻のように群がっているのを認識させられるにつけ、本当に厭になる。

大掃除

たまには端末の大掃除をしなければならなくなる。僕の場合は、Debian GNU/Linux、それも sid と呼ばれる「不安定版」を使用しているので、設定ファイルなどのこともあって、時々は clean install をした方がいいことがある。そんな訳で、昨日から今日にかけて、その作業をちょこちょことやっていた。

Linux の環境は、/home を別パーティションにしてある。だから、それ以外の部分をどうモディファイしていたかの記録を /home に残しておいて、再インストール時に /home を改変せずに mount するようにすれば、現状復帰はそう面倒ではない。

netinst 用の ISO image をダウンロードして CD-R に焼き、いくつかの設定ファイルをバックアップしたことを確認してから、CD-R から boot してインストールを行う。X も入れない状態でのインストールを終了してから、apt-get で XFCE4 を入れると、依存関係を満たすための最低限の X 関連 package が入るから、ついでに synaptic を入れて、どんどん必要なパッケージを入れていく。IME は最初 uim に変更しようかと思っていたのだけど、Emacs のキーバインドとぶつかるので SCIM で継続することにする。

一通りの準備が整ったところで、/etc 以下を慎重にチェックする。今回驚いたのは、/etc/fstab で mount の指定を行う場合に、従来一般的だった /dev/hda1 等の記述ではなく、UUID= という記述に変更されていたこと。最初は驚いたけれど、よくよく考えてみれば、udev の管理下では、デバイスの認識順で従来のデバイス記述はころころ変わることになっているわけだ。たとえば僕は iSATA 外付けの HDD を使っているのだけど、これを接続しているときには udev が外付けディスクを先に見つけてしまうので、外付け HDD が /dev/sda、内蔵 SATA HDD が /dev/sdb になってしまう。普段は内蔵 HDD が /dev/sda なので、従来の記述だとこれでもう boot できなくなっていたのだけど、UUID でデバイスを明示的に書けば、このようなことは起きないわけだ。

妙に感心しつつも、今度は Intel Compiler のインストール。僕は Fortran な人間なので、icc と ifort の双方を install する。実はこれらは libstdc++5 がないと動作しないのだが、sid には libstdc++6 に上げられているので、lenny のパッケージを恐る恐る入れてみる。前はこれで問題なくいったはず……よしよし、問題なしですな。MDBNCH などをコンパイルして、問題なく動作することを確認する。

今の sid の一番の問題点は、iceweasel(Debian 版 Firefox)が非常に不安定で、すぐ落ちてしまう(後記:ライブラリ周辺の update により解消)ことなのだけど、これはとりあえず辛抱する(そもそも w3m とかの使用頻度が低くないし)ことにして、xine や mplayer などの最低限のマルチメディア関連ユーティリティを整える。しかし……うーん。音が出ませんねぇ。alsa 周辺で何かあったのだろうか……とググってみて、/etc/modprobe.d/alsa-base.conf に以下の事項を明示的に書けばいいことを確認。

options snd-hda-intel model=dell-m26
Sigmatel のチップを認識する際に機種毎の ID が設定されており、僕が使っている Dell inspiron 1501 の場合はこの ID になるとのこと。設定・認識後、alsamixergui でミュートを解除すると、問題なく音が出るようになる。

以前は Rosegarden を何とか動作させていたのだけど、DAW は Cubase に統一することにしたので、今回は jack 等の(結構これが面倒なんだ…… kernel にパッチあてたりせずによくなったけど)設定はなし。でも generic な kernel を使い続けるのは御免なので、現行の Linux-2.6.31.5 と Linux-2.6.32-rc5 を build する。

……と、まあこんな感じで整ったわけだけど、ちょっと悩んだのが、Emacs をどうするか、という話。もともと僕は常に cvs で GNU から落としてきたソースを自分で build していたのだけど、最近は Emacs も関連ユーティリティも sid で配布されているパッケージが充分新しいので、それを入れていて特に問題もなかった。しかしなぁ……前みたいに icc で build したのを使うというのも悪くはないかなぁ……と思いつつも、いやいや sid 使ってる時点で充分 unstable なんだから、それ以上不安定要素を増やす心配もあるまい、と思い直す。

で、今度は physical に大掃除だ、と、キーボードや CPU fan 等を片っ端から掃除機で掃除する……パンタグラフ式のキーボードはちょっとした夾雑物で動きが悪くなるのだけど、これでキーが浮いた感じからは解放されそうだ(でもタッチは最悪だけど)。まぁ今回は、こんなところまで、かな。

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

New Entries

Comment

Categories

Archives(902)

Link

Search

Free

e-mail address:
e-mail address